「人物とは、属性で選り分けることが出来ると思っておりますの」
カルメリエルの声は、昼時のカフェの喧騒に溶け込むように穏やかだった。
「たとえばミトラ様であれば、水属性が相応しいかと思われます」
カルメリエルはアイスティーのグラスを指先で回しながら、糸目を細めて語り始めた。
「他者の思考に合わせた流れを作ることが巧い一方で、岩すらも削り取る水流のような頑固さと強さを持ち合わせていらっしゃいます」
「相手のツラに冷や水浴びせるような妨害も好きだしね」
ミトラがブラックコーヒーのカップを傾けながら同意する。自己分析としてはあまりにも的確だった。
「一方で、ヒナタ様は光属性と言えるでしょう」
カルメリエルは指を一本立て、穏やかな口調を崩さずに続ける。
「汚濁と呼ぶべき信念でありながらも美しい執念を見せつけ、社会規範上では一企業の長という立場を維持し続けている。繁栄を司る属性は、男に対しても女に対しても精力旺盛な彼女には相応しいと思いますわ」
「私はなんだ、姉様」
レヴェローズはフォークでショートケーキの最後の一切れを口に運びながら訊いた。生クリームの甘さが舌に広がるのを堪能しつつ、姉の話に半分だけ耳を傾けている。
カルメリエルは溜め息をついた。
「あなたも私もカードでは無属性でしょう」
「あっ、そうか」
「でも性格的にはレヴェは火、カルメリエルは闇っぽいけどね」
ミトラが笑いながら言い添える。レヴェローズは火と言われたことに特段の不満はなかった。火は勇猛で華やかに思える、ふさわしい属性ではないか。闇と言われたカルメリエルのこめかみがぴくりと動いたが、否定はしない。
「で、急にエレメントホイール論言い出してどうしたのよ」
ミトラの問いかけに、レヴェローズは首を傾げた。
「エレメントホイール論?」
「エインヘリヤル・クロニクルにはそういう考え方があるのよ」
ミトラはコーヒーを一口含み、テーブルの上にカップを戻した。
「火、水、風、光、闇。五つの属性にはそれぞれ得手不得手が割り当てられていて、カードのデザインはそこから逸脱しないように設計されてる。直接ダメージを与える火、ドローや妨害に長けた水、といった具合にね。で、そこから派生して、各属性が持つ思想とか法則なんてものも結びつけられるようになったの。さっきカルメリエルが言ったような性格診断みたいな真似も、出来なくはないってわけ」
「ほー」
レヴェローズは感心した声を上げた。自分の知る世界において属性というものは普遍的なものではあるものの、カードのようにはっきりと決まっているものではなかった。そのため、定義されている概念として聞くことは新鮮だ。
「こういう話をしたってことは、いまシラベとヒナタの様子を伺っていることと何か関係あるの?」
ミトラの問いに対してカルメリエルが答えようとした瞬間、ミトラの腹のあたりでもぞもぞと何かが蠢いた。
「ひゃっ。……くすぐったいって」
ミトラが小さく身じろぎする。パーカーの裾の中から、黒い毛並みがちらりと覗いた。大穴だ。飲食店の中に猫を連れ込むわけにはいかないため、ミトラの服の中に隠れている。隠れてはいるものの、大穴の体温とミトラの体温が狭い空間で合わさって暑くなってきたのだろう。窮屈そうに寝返りを打っているらしい。
「動かないの。バレたらまずいでしょ」
ミトラがパーカーの裾を押さえて大穴を宥める。黒猫は不満げに一鳴きしたが、大人しくなった。普通の猫では一分も持たないだろうが、大穴であればその気にあればいくらでも静かにしていられる。
レヴェローズはショートケーキの皿をフォークで綺麗にさらいながら、今朝からの経緯を振り返っていた。
*
始まりは、カルメリエルの蹴りだった。
早朝。寝袋の中でぬくぬくと惰眠を貪っていたレヴェローズの脇腹に、カルメリエルの爪先が正確に突き刺さった。
「起きなさい、レヴェローズ」
「うごっ」
息を詰まらせて跳ね起きたレヴェローズの前に、既にパジャマからシスター服に着替えている姉が立っていた。糸目の向こうに、有無を言わさぬ圧がある。
朝食はカルメリエルが手早く用意した。味噌汁と焼き魚に白米。いつもと変わらない献立だが、席についているのは三人だけだった。シラベの姿はない。
「これからお出掛けいたしましょう。漆座のアウトレットモールへ向かいます」
カルメリエルはご飯をよそいながら、当然のように言った。
「漆座ってどこだ」
「海の方。こっから一時間半くらい」
ミトラの雑な説明にレヴェローズは露骨に嫌そうな顔をした。
「なんでそんなところに行かねばならんのだ。今日休日だぞ。私は契約者の布団で二度寝をする予定なんだが」
「そこでシラベ様とヒナタ様がデートをしていらっしゃるからです」
「なにっ」
レヴェローズの目が見開かれた。
一方のミトラは、味噌汁を啜りながら平然としていた。
「ああ、遊びに行くってヒナタとだったんだ」
テーブルの上に、メモ帳の紙片が一枚置かれていた。シラベの癖のある筆跡で『ちょっと遊びに行ってくる』とだけ書かれている。ミトラの枕元に残されていたものだ。
「でも、なんでそこに行ってるって知ってるのよ」
ミトラがカルメリエルを見た。シラベのメモには行き先も相手も書かれていないのに、何故カルメリエルが知っているのか。
「朝早くにシラベ様のスマートフォンにあった着信を傍受いたしましたので」
「えぇ……」
カルメリエルは微笑んだ。悪びれる素振りが微塵もない様子にレヴェローズは絶句した。いくら姉でもやりたい放題が過ぎるだろう。だがカルメリエルに倫理観を求めるのは、大穴に小食でいることを求めるようなものだ。
レヴェローズは代わりにミトラの方を窺った。小さな口で白米をむぐむぐと頬張っている。
「店長はあまりショックを受けていないようだな」
「別に。遊びに行くって書き置きはあったから」
ミトラはメモ帳の紙片をひらひらと指先で揺らした。
「その相手がヒナタでも良いのか? まだ協定を結べていないとはいえ抜け駆けだぞ」
レヴェローズの指摘に、ミトラは一瞬だけ箸を止めた。
「シラベはヒナタと会うのがちょっとでも後ろめたいと思ったから、詳細を省いたメモにしたんでしょ」
静かに言いながら、ミトラの視線はメモの文字に落ちている。
「あいつが私のこと考えて、余計な心配をかけまいと伏せてくれたっていうのが分かるから、いいや」
そう言うミトラの表情は、レヴェローズの目にはどこか陶酔したもののように映った。メモの筆跡をなぞるように指先が動いている。紙片を大事そうに折り畳み、パーカーのポケットに仕舞い込む仕草は、恋文を胸にしまう乙女のそれだった。
「色ボケして思考力が落ちているのではないか」
レヴェローズの呟きはミトラには届かなかった。
「既にヒナタ様とシラベ様の端末位置はGPSで特定済みです。準備が済み次第、現場に向かいましょう」
カルメリエルが茶碗を置き、エプロンを外しながら言った。
端末位置の特定という言葉の重さをレヴェローズが咀嚼する暇もなく、ボトムレスピットの女衆はアウトレットモールへと出撃したのだった。
*
そうして。昼前に到着した女衆は、位置は特定出来ているのだから近くで早めのお昼にしましょうというカルメリエルの提案に基づいてこのカフェに来ていたのだった。
レヴェローズはフォークを皿の上に置く。テラス席から見える通路の向こうに、シラベとヒナタの姿はない。先ほどまで丁度ここから見える店の前で何やら物色していた二人だが、今は別のフロアに移動したようだ。
「シラベ様の属性は何に当たると思いますか?」
カルメリエルがミトラに問いかけた。先ほどの話題の続きだ。
「質問に質問を返すんじゃないわよ。……んー、後先考えずに突っ込む刹那主義者の火ってわけじゃないし、実利優先の実力主義してる闇でもない。かといって、受動的だけど盤面をコントロールしたがる完璧主義の水って柄でもないし」
ミトラは文句を言いつつも、コーヒーカップの縁を指先でなぞりながら考え込んだ。ぶつぶつと呟くミトラに、カルメリエルは静かに頷いてから引き継いだ。
「ええ。それに、平和を希求してはおりますが、そのために個を捨てて全体を調和させるほどの独善性を求める光でもありませんわね」
カルメリエルはアイスティーのストローから指を離し、テーブルの上で両手を組んだ。
「私はシラベ様に相応しいのは、風属性だと思いますわ」
レヴェローズはパフェのメニューに目を走らせるのを中断し、姉の話に耳を傾けた。
「秩序や平穏は求めておりますが、それは人の手の加わった強固なルールではなく、風が吹くように、ただあるがままでありたいと願っている。普段は受動的で漠然とあるだけの存在でありながら、いざという時は吹く風が突風となって荒々しさを持ち、事態をかき回す。そして結果的に、新たなものを運ぶ流れにもなり得る。それが、押江シラベという人間の本質ではないかと」
ふーん、とミトラは気のない素振りを見せたが、別段不満はなさそうだった。風属性という見立てに、彼女なりの納得があるのだろう。
「ですが。この属性に関して、相生と相剋があることはミトラ様もご存じですわね」
カルメリエルの声のトーンが一段階下がり、重々しい真実でも告げるかのような雰囲気を纏おうとする。
「あれでしょ。助ける属性と削ぐ属性があるって関係性」
ミトラの口元から、コーヒーを含む動作が止まった。カルメリエルの言わんとする事に辿り着いたのだろう。ああ、と短い声が漏れた。
「シラベ様の属性を風とするならば、その相生属性は光と火」
カルメリエルの糸目が、僅かに弧を深くした。
「ヒナタ様の光とは、相性が良いということになってしまいますわ」
パラソルの影の中で、三者三様の表情が浮かんでいる。大穴すらも身動きせずに黙っていた。
レヴェローズは空になったケーキの皿を前に、率直に言った。
「別に好きにさせればいいではないか」
「いいえ」
カルメリエルは即座に否定する。穏やかな微笑みの裏側に、鉄のような芯が通っていた。
「私はボトムレスピットの安寧を守るために、ヒナタ様にシラベ様を取られないようにするべきと考えております」
声は静かだが、籠められた力は強い。レヴェローズですらも、姉がこの調子で語り始めた時は黙って聞く方が良いことを経験的に知っていた。
「それこそがミトラ様の心の安寧のためと信じております。今でこそシラベ様はミトラ様のお傍におりますが、外部の存在というものは容易く環境を破壊してしまうものなのです。強力なカード、バランスを崩してしまうカードは禁止改訂されるべきということは、ミトラ様もお判りでしょう。このように現場を監視することによって、ヒナタ様が我々の生活に著しい悪影響を及ぼすことに対抗する必要があるのです」
レヴェローズは姉の演説を聞きながら、ケーキの二個目を注文するかどうか迷っていた。演説の内容自体は分からないでもないが、もっともらしい言葉の裏側を読み取ることはレヴェローズには難しい。カルメリエルの本心がどこにあるかを見極めることは、妹である自分よりも、目の前に座っている小さな店長の方がよほど得意だった。
それでも、ミトラを守るため。店を守るため。それらの大義名分を美しく並べ立てているのは分かる。
ミトラはコーヒーを最後の一口まで飲み干し、カップを皿の上に置いた。溜め息が一つ。
「つまりあんたは、私をダシにして、シラベがヒナタに取られることのないようにしたいってことでしょ」
ミトラの黒い目の底が愉快そうに光っている。ミトラの唇が、意地悪い全てを見透かしたような弧を描いていた。
「なっ」
カルメリエルの声が詰まった。目がわずかに開き、白い頬に薄い朱が差すのをレヴェローズは見逃さない。あの姉の顔が赤くなっている。蜂蜜酒で酔い潰れた夜以降、この姉は時折どこか歯車が狂ったようにこういうところを見せるようになった。
「わ、わたくしは本当にミトラ様のことを思って──」
「あーはいはい。そういうことにしておいてあげる」
ミトラはひらひらと手を振って取り合わない。カルメリエルの弁解を遮る仕草は堂に入ったもので、この手の処理においてミトラは無慈悲だった。
「でも私は、もうシラベに言ってあるの」
ミトラの声は軽いが、響きは軽くなかった。
「私が一番じゃなくていいって。だからもしあいつがヒナタにコロッと行っちゃったとしても、あいつの心の中に私がいるならそれでいい。そういう劣等感とか嫉妬とか、もう卒業してんのよ」
パーカーのポケットの中で、メモの紙片を無意識に指で弄んでいるのがレヴェローズの目に映った。一筆したためる心さえ残っていればそれでいいというのはある種の卑下のようにレヴェローズは思ったが、しかし侵されない領域があると信奉することは後ろ向きとは言い難いのかもしれない、と考察する。
「でもカルメリエル。あんたはそういうわけにはいかないみたいね」
ミトラの唇の端が、もう一段階吊り上がった。反比例してカルメリエルの口には力がこもらず、しどろもどろで言葉を紡ぐことしか出来ない。
「わ、わたくしは、お店のために──」
「はいはい。あんたは自分以外の大義名分がないと動けないのよね。不器用ね」
ミトラは空のカップを置いて、シラベ達がすぐそこにいるかのように視線を外へ向けた。
「まぁ、見守ってるだけなら好きにしなさい。手を出したら蹴るから」
それが店長としての裁定だった。カルメリエルは赤くなった頬を気付いているのかも分からず、アイスティーの氷を音を立てて噛み砕いた。感情の持て余し方が普段の彼女からは想像もつかないほど稚拙だった。
レヴェローズは一連のやり取りを眺めながら、メニューに視線を戻した。
チョコレートケーキと季節の果実添え。九百円。シラベから貰った小遣いの残りで足りるかを計算する。飲み物と先のケーキ代と合わせると少しだけ赤字になるが、ここは姉の会計に混ぜてもらって帰ったら契約者に追加を申請すればいい。いや、今のカルメリエルの動揺次第ではそのまま奢らせて惚けるという選択肢もあり得る。
かんぺきな計画を企てる一方で、レヴェローズはふと思う。
姉が語った属性の話。カルメリエルが今更になってどうこう理屈をつけようとするのはレヴェローズには理解しきれないが、一つ引っかかった点がある。
シラベが風属性だとカルメリエルは言った。
風の相生属性は光と火。光はヒナタ。そして、ミトラの見立てでレヴェローズが火属性なのだとすれば。
(なるほど。私と契約者は最高のパートナーなのだな)
レヴェローズは一人で深く頷いた。火を広げる風。気流を作り出す火。相性が良いということはつまり、レヴェローズがシラベの傍にいることには属性理論的な裏付けがあるということだ。素晴らしい。素晴らしすぎてケーキをもう一つ頼む理由になる。
「チョコレートケーキを一つ」
通りかかった店員を呼び止め、レヴェローズは上機嫌で注文した。
顔を赤くして弁明を試みる姉とそれを濁った目で聞き流す店長のやり取りは、レヴェローズの耳を素通りしていった。
契約者と自分は最高の相性で、今日も世界は美しいしケーキは美味い。それだけ分かっていれば、レヴェローズは十分に幸福だった。