カスレアクロニクル   作:すばみずる

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第八部
119 うちの備品だ


 アウトレットモールでの狂騒からしばらく経った平日の午後。客足が閑散としているボトムレスピットの店内で、シラベはカウンターにて入荷商品の検品作業を黙々とこなしていた。

 

 問屋から届いた段ボールを開け、納品書と中身を照合し、棚に並べるか後で二階に上げるかを選り分ける繰り返し。地味で大して頭を使わない作業だが、程よく手抜きが出来る良い時間だ。

 

 肩に大穴の重みはない。あの黒猫は二階で誰かさんの傍で寝ているはずだ。猫の毛皮がうまく宥める作用をしてくれればいいが。

 

「シラベさん」

 

 声を掛けられて顔を上げると、橋谷クモンがカウンターの前に立っていた。もう小学生が下校する時間になっていたらしい。

 

「おう、クモン。いらっしゃい」

 

「こんにちは」

 

 クモンの態度は、以前に比べて随分と普通になっていた。

 

 出会った当初、レヴェローズに夢中だった頃のクモンはシラベに対して露骨な敵意を向けていた。レヴェローズの隣にいる男、という立ち位置がクモンの少年心を逆撫でしていたのだろう。本人は隠しているつもりだったのかもしれないが、隙あらばシラベを蹴りかねないような小学生の嫉妬は隠しようがなかった。

 

 それが紆余曲折を経てディーヴァ・アリーナでの一件以来、どことなく角が取れている。ヒナタとの対戦を経て何か思うところがあったのか、あるいは単に若さゆえの無軌道な恋情が別の対象に移ったせいでシラベを敵視する理由が消えたのか。おそらく両方だろう。

 

「あの、シラベさん。あそこの漫画って誰かの忘れ物ですか?」

 

 クモンがデュエルスペースの方を指差した。シラベの視線がクモンの指先を追う。

 

 それはデュエルスペースの隅、壁際に設置された小さな棚を示していた。十冊ほどの少し古びた漫画本が並んでいる。背表紙のタイトルには『エインヘリヤル・クロニクル』の文字列があり、それがクモンの興味を引いたのだろう。

 

「ああ、あれか。忘れ物じゃないぞ、うちの備品だ」

 

「備品?」

 

「おう。うちの店員で、店長から借りたあの漫画にハマった奴がいるんだが」

 

 シラベは検品の手を止め、事の経緯を説明した。

 

「サボって読んでるくらいから可愛いもんだが、飯時まで離そうとしないんだよ。食卓に広げてページめくりながら味噌汁啜るほどだ」

 

「うわぁ……」

 

「で、そんなんで汚されたら店長も嫌だから、もういっそ自分で買って読めって言ったら、本当に中古セット買ってきやがった」

 

 正確にはカルメリエルに頼んで古本屋で全巻揃えてもらっていたのだが、細かい経緯はいい。

 

「ただ、丁度良く置く場所がなかったんだよ。だったら普段は客向けの備品として店に置いて、適当に読んでもらおうってことになった」

 

「その店員ってレベさんですか」

 

 クモンは聞くまでもないという顔で訊いてきたので、シラベは頷いた。

 

 小学生にすら一発で特定される程度には、レヴェローズの行動パターンは周知されているらしい。飯時に漫画を手放さないという幼稚な習性があのポンコツの所業として何の違和感もなく受け入れられている。哀れと言えば哀れだが、自業自得だ。

 

「そういえばレベさん、今日はいないんですか?」

 

 クモンが店内を見回した。確かにレヴェローズの姿はない。普段であれば掃除をしているか、客に絡んでいるか、シラベの背中に張り付いているかのいずれかだ。

 

 シラベは一瞬、言葉に詰まる。

 

「ちょっと腰を痛めてな。店長ともども寝込んでる」

 

 大まかには嘘ではない。シラベは自分の声が不自然に聞こえていないか内心で気を揉んだ。幸い、クモンはその微妙な間に気づかなかったらしい。

 

「大変ですね。お大事にしてください」

 

 素直な言葉だった。子供の素直さは時にありがたい。

 

 しかし素直ゆえにまだ気になるのだろう。クモンは店内をキョロキョロと見回した。

 

「もしかして、カルメリエルさんも?」

 

 その問いかけに応えるかのように、バックヤードを仕切るカーテンがバサリと開かれた。

 

「私がどうかしましたか?」

 

 カルメリエルだ。定番のシスター服姿で、いつもの糸目と穏やかな微笑みを湛えている。

 

 ただし、立っていない。

 

 カルメリエルはキャスター付きの事務椅子に座ったまま、カラカラと音を鳴らしつつバックヤードから滑り出てきていた。床に足をつけようとする気配が一切なく、移動は壁やカウンターを掴んで引き寄せるという器用な真似事をしている。

 

 クモンの頭の上に、目に見えるほどの疑問符が浮かんだ。

 

「何でもない。後ろで仕事しててくれ」

 

 シラベはカルメリエルの椅子の背もたれを掴み、バックヤードの方へ押し返した。カルメリエルは抵抗しなかったが、カーテンを潜る直前でシラベの袖を指先でつまんだ。

 

 クモンには聞こえないだろう声量で、カルメリエルが囁く。

 

「……シラベ様が、もう少し私達に手加減してくださればこんな事になりませんでしたのに」

 

 どこか拗ねたような声色だった。糸目の奥に恨みがましい光が一瞬だけ覗き、すぐに微笑みの下に沈む。

 

「分かりましたわ。お仕事に戻りますわね」

 

 カルメリエルは椅子を操りながらカーテンの向こうに消えていった。キャスターが床を転がる音が遠ざかる。

 

 昨晩の事が脳裏に蘇りかけたのを意志の力で蓋をすると同時にシラベは短い咳払いをした。

 

 銀河の役所の片隅に掲示された立ち退き勧告書を無視していたのが悪いとでも言わんばかりにレヴェローズから決定事項として押し付けられたローテーションなるものは理解し難いが理解するしかなかった。

 

 だがその協定とやらがいつの間にか三人同時に適用される夜が発生するようになったのは、どう考えても過日アウトレットモールでの騒動後にヒナタがしでかしてくれた事のせいだ。あいつはやはり教育に悪い。

 

 昨晩に関しては協定を踏みにじった代償に三人が足腰立たないほどの状態に仕向けることに成功したものの、シラベの腰も少し悲鳴を上げることになってしまったのが少し悔しい。

 いよいよジム通いでもして体力をつけなければならないだろうか。

 

 咳払いの後、シラベはクモンに向き直った。

 

「まぁ、そういうわけで。漫画が置かれてるのはそういう理由だ」

 

「そっか」

 

 クモンは素直に納得した。漫画の棚に近づき、背表紙を指でなぞっている。

 

「この漫画って、何年前のものなんですか?」

 

 シラベは指折り数えた。連載開始が確か、自分が小学校に上がる前だったはず。

 

「……二十年くらい?」

 

 その言葉にクモンは目を丸くした。

 

「うわぁ。すごい古い。えーっと……キリメ姉も産まれてないや」

 

「……まぁ、だろうな」

 

 その言葉にシラベは静かに傷ついた。

 

 シラベが幼少の頃に連載が始まった漫画を目の前の小学生は産まれてないと言う事実を突きつけられると、さすがに心に来るものがある。自分がいかに年を食ったかを実感させられる瞬間というのは、不意打ちであるほど破壊力が高い。

 

 ミトラがこの場にいなくてよかった、とシラベは心底思った。三十五歳にこの発言が届いていたら、丸一日甘やかしてやらないと立ち直れなくなっていただろう。ヒナタは知らん。あいつに傷付くなんて細やかな心があるとは到底思えない。

 

「でも店長さんが持ってたってことは、面白いんですかね」

 

「面白いぞ。さすがに絵柄は今の漫画とは違うけど、対戦シーンは結構力入れて描いてくれてるからな」

 

 エインヘリヤル・クロニクルの背景ストーリーを踏襲しつつ漫画化した作品。カードゲーム本体とは別の媒体での展開を活かした新たなる物語……つまり、オリジナルストーリーという奴である。

 

 世界観は現代寄りになっており九脊界がどうのという部分にはまるで触れられておらず、ファンからの評価は微妙なラインだ。カードのストーリーを追いたい勢からしてみれば単なる二次創作を読まされているだけに過ぎないもので、満足度は低いだろう。

 

 とはいえ仕方がない。いわゆる子供雑誌に載る販促漫画なのだから、登場人物がカードで遊ばなければ意味がないのだ。しかし子供雑誌とはいえ侮れるものでもない。二十年前の作品だけに絵柄には時代を感じるが、独自に描かれた物語の骨格はしっかりしており、レヴェローズがハマったのも頷ける。

 

「あ、そうだ」

 

 シラベはふと思い出し、スマートフォンを取り出した。画面を数回タップして検索結果を確認する。

 

「もうそろそろ、新しいエインヘリヤル・クロニクルの漫画が始まるんじゃなかったかな」

 

 表示された情報をスクロールしていくと、新作の告知ページがヒットした。作者名は「新谷エダハ」。店に置かれている漫画の著者と同じ名前だ。

 

「マジですか」

 

「マジマジ。同じ作者の新作。もう少し先だけど、連載開始の予告が出てる。アプリの配信に併せるのかもな」

 

 シラベはスマホの画面をクモンに見せた。告知ページには新作のキービジュアルが掲載されている。二十年の歳月を経て洗練された画風は当時の面影を残しつつも現代的なタッチに進化していた。

 

「新作始まるまでに読んでおいてもいいんじゃないか。うちに来た時にはいつでも読んでいいぞ」

 

「本当ですか! ありがとうございます!」

 

 クモンは顔を輝かせて棚に向かい、一巻を手に取った。デュエルスペースの椅子に腰を下ろし、いそいそとページを開き始める。

 

 最初の数ページで、既にクモンの目は物語に吸い込まれていた。ページをめくる指が加速していく。時折、知っているカードの名前が出てきたのか、おっと小さく声を上げている。

 

 シラベはその姿を眺めながら、検品作業に手を戻した。

 

 素直な子供だ。好きなものに対して真っ直ぐに目を輝かせることが出来る。それ故にレヴェローズに惚れ、カルメリエルに懐柔され、ヒナタに心を揺さぶられたらしく、そしてノルドリッチに利用されかけたのはいい迷惑だったろうが。

 

 それでも、脳味噌を揺さぶられるような経験があってもなお、カードゲームの世界に夢中になれる。その精神は守られるべきものだとシラベは思う。カードゲーマーの性格が悪いというジンクスを是非とも打ち破って欲しいものだ。

 

 クモンがページをめくる音が、静かな店内に心地よく響いていた。

 

 シラベは商品を棚に並べながら、ふと呟いた。

 

「二十年、か」

 

 この漫画が連載されていた頃。シラベは何をしていたか。まだカードも何も知らない時期だったのは間違いない。ミトラは高校生くらいで、ヒナタがそれを追いかけ回していたらしいが、もしかするとこの漫画も学校に持ち込んだりしていたのだろうか。

 

 カードゲームというものは、長い時間をかけて人と人を繋いでいく。二十年前、それよりも古くに発売されたカードと共に育った世代と、現代のカードを手にする少年が同じ卓に着くことが出来る。幅広い年齢層が遊ぶことが出来る手段として優れていると言っていいだろう。

 

 それが漫画ともなれば、キャッチーさはゲーム本編以上のはずだ。こうして店に置くことでカード初心者がのめり込む一助になってくれるならそれもありがたい。

 

「シラベさん、このキャラいきなり禁止カード使い始めたんですけど」

 

「あるある。禁止っつっても永劫回帰環境だと現役だぞ。今25万だったかな」

 

「たっか……」

 

 クモンは時経たことによる価値の上がり幅に驚きつつも、再びページに目を落とした。

 

 シラベは小さく笑い、作業に戻る。検品はあと段ボール一箱分。それが終われば、そろそろ二階の住人たちのご機嫌伺いをしなければならない。寝込んだ原因はシラベと言えなくもないのだから、その世話は結局シラベの仕事だ。

 

 まぁ、自業自得と言われればそうなのだが。シラベは二階の方をちらりと見上げてから、段ボールのテープを切った。

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