カスレアクロニクル   作:すばみずる

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12 どう料理してやろうかしら

 深夜一時。商店街の明かりはとっくに消え失せ、シャッターの連なる路地裏を、自販機の白い光だけがぽつんと照らしている。

 

 ボトムレスピットの狭い店内でも、閉店を告げる蛍の光はとうに鳴り止んでいた。残っているのはレジを締める硬貨の音と、什器を拭く布の音。閉店後の無機質な雑事の気配だけだ。

 

「店長、今日のレジ締め終わりましたよ。差異なしです」

 

 カウンターの中で、白髪の店員──甲賀サブロウが、眼鏡を磨きながら言った。

 

 彼はこの店で二十年以上働いているベテランだ。ミトラの父が経営していた頃から店に立ち、還暦を迎えた今でも、深夜の店舗大会の運営から在庫管理までこなす頼れる従業員である。客の殆どはこちらを店長と思っているに違いないと、ミトラはぼんやりと考えていた。

 

「ん、おつかれ」

 

 カウンターの奥でスマホをいじっていたミトラは、顔も上げずに短く答えた。

 

「鍵、いつものとこ置いといて。あと裏口のゴミ出しといてくれた?」

 

「はいはい、やっときましたよ。……まったく、店長なんですから、もう少し愛想よく送り出してくれてもいいでしょうに」

 

 甲賀は苦笑しながら、エプロンを外してハンガーにかける。人見知りで面倒くさがりの雇い主の扱いを、この老店員は誰よりも心得ていた。

 

「じゃあ、お先に失礼します。明日のシフトは午後からですから」

 

「はいよー」

 

 裏口のドアが閉まる音と、施錠される金属音が響く。

 

 店内に残されたのは、低い唸りをあげる蛍光灯と換気扇の羽音、それからミトラだけになった。

 

「……はぁ」

 

 一人の空間になった途端、ミトラはスマホを放り出し、盛大に伸びをした。

 

 背骨が硬い音を立てる。35歳の身体に、深夜営業は堪える。

 

 今日だって、本当は客に混じって深夜のカード大会に参加するつもりだった。だがどうにも集中力が落ちて仕方が無いと自己診断し、サブロウに全てを任せて在庫整理に徹することにしていたのだ。決してサボりなんかじゃない。

 

「寝よ」

 

 のそりと椅子から降り、店の奥にある急な階段を上る。踏むたびに軋む段の数を、身体はとっくに覚えている。

 

 『ボトムレスピット』の二階は、店舗兼自宅の住居スペースになっている。といっても、生活感があるのは六畳の寝室と小さなキッチンくらいのものだ。残りの二部屋は、店に入りきらない在庫段ボールと、買い取ったまま整理されていないストレージで半ば埋まっている。

 

 ミトラはその倉庫じみた二階の一角、万年床の敷かれた自室へと足を踏み入れた。

 

 部屋の隅には趣味のレトロゲームや漫画本が乱雑に積まれている。足の踏み場もないが、ミトラにとってはこれが一番落ち着く城だった。

 

「あー……使うデッキだけ出しとくか」

 

 寝る前に、と部屋の隅のスチールラックへ向かう。そこには、長年かけて組み上げてきたデッキの数々が、ラベルを貼られたケースに収められている。

 

 ガチ環境で使うための『大会用』。

 

 初心者の相手をするための『接待用』。

 

 そして、特定のコンボやロマンを追求した『趣味用』。

 

「あのおっぱいデッカー、どう料理してやろうかしら」

 

 ミトラは指先でケースの背をなぞりながら思案する。

 

 先日、売り言葉に買い言葉で勝ったら採用などと条件をつけたが、本音を言えば、勝敗に関わらず雇うつもりではあった。

 

 甲賀サブロウも高齢だ。力仕事や細かいカード整理を任せるには限界がある。

 

 その点、あの男──シラベは腐ってもカードプレイヤー。色々教え込む手間が省ける。デッキを広げていた時のカードの扱いも丁寧に見えたし、何より金に困っているなら安く使い潰せる。

 

「食ってかかる性格はアレだけど、まだガキだししょーがないか。ま、適当なファンデッキで相手して、接戦演じてから『見込みがある』とか言って恩着せがましく採用するのがベストね」

 

 誰に話すでもなくぶつぶつ呟きながら、接待用のケースに手を伸ばそうとした。

 

 だが。その手がふと止まる。

 

 視界の端。大会用の棚の奥深くに押し込まれていた、黒い革張りのデッキケース。

 

 かつて自分が組み上げ、数々の大会で勝利を重ねてきた、相棒とも呼べるデッキ。

 

「……懐かしいわね」

 

 ミトラは何気なく、そのケースを手に取った。掌に、覚えのある重さが返ってくる。

 

 中に入っているのは、『剛金独鈷シルヴァルナ』と『伝結晶聖女カルメリエル』を主軸としたコントロールデッキだ。

 

 性格が悪いと陰口を叩かれようが、相手に何もさせずに完封する快感は何物にも代えがたかった。

 

「今の環境じゃ通用しないけど……久しぶりに中身、確認してみようかな」

 

 メンテナンスのつもりだった。

 

 スリーブが癒着していないか、湿気で反っていないか。

 

 ミトラがケースの留め具を外し、蓋を開けた、その時だった。

 

 突然、ケースの中から強烈な光が溢れ出した。

 

「っ!? うおっ、まぶしっ!?」

 

 ミトラは思わずケースを取り落とし、尻餅をついて後ずさる。

 

 照明の光などではない。極彩色の粘つくような光がデッキケースから放たれ、薄暗い部屋を染め上げていく。

 

 光は風を呼び、床に散らばったカードを巻き込みながら渦を巻いて、急速に人の形を成していく。

 

「な、なに……!?」

 

 火事か、爆発か。混乱するミトラの目の前で、光の中から「それ」は現れた。

 

 ふわり、と香油のような香りが漂う。

 

 最初に目に入ったのは、ローズピンクの長い髪。そして修道服のような装束に包まれた、豊満すぎる肢体。

 

 その背には後光(ヘイロー)のような円盤型のドローンが浮遊し、そこから伸びたケーブルが、彼女の脊髄へと接続されている。

 

 その女性は、床に散らばる漫画本や空き缶など意に介さず、まるで聖堂に降り立ったかのように優雅に微笑んでいた。

 

「──ごきげんよう、愛しき契約者(オーナー)様」

 

 慈愛に満ちた、しかしどこか背筋の寒くなる甘い声。

 

 常に細められた糸目が、ミトラを捉えている。

 

 ミトラは、この姿を知っていた。十年以上前からずっと、数え切れないほど盤面に出してきた、最初の相棒。

 

「カ……カルメリエル……?」

 

 乾いた唇から、その名が漏れる。

 

 『伝結晶聖女(クリスタライズ・セインテス)カルメリエル・ドゥブランコ』。カードの絵柄そのままの彼女は、恭しくスカートの裾を摘んで一礼した。

 

「お初にお目にかかります、と言うべきでしょうか。貴女様とはもう十年以上のお付き合いになりますもの、いささか他人行儀な気がしますけども」

 

「は……? 十、年……?」

 

 ミトラは混乱のあまり呆けた声を上げた。

 

 幻覚にしてはリアルすぎる。部屋の湿気った空気とは違う、清潔で人工的な香りが鼻腔を刺激してくる。

 

「ええ。貴女様が初めて私をスリーブに入れてくださった、あの日から。(わたくし)はずっと、貴女様の指先を通して戦場を見ておりました」

 

 カルメリエルは立ち上がり、ゆっくりとミトラへ歩み寄る。

 

 その一歩ごとに、床の上の雑誌が勝手に退けられ、道ができていく。念動か斥力か、物理的な干渉力がある証拠だ。

 

「待って、ちょっと待って。意味わかんない」

 

 ミトラは手を突き出し、彼女を制止した。聞きたいことは山ほどあるが、どこからどう聞けばいいのか分からない。

 

「あんた、カードの絵よね? なんで、いま、急に出てきたの? 今までそんなこと一度もなかったじゃない」

 

 十五年前に店を継いでから、オカルトめいた都市伝説なら数え切れないほど聞いてきた。商売事と怪しげな噂話は九割偽物だが切っても切れない中にある。だが、まさか自分の店で、自分の部屋で起きるとは思ってもみなかった。

 

 カルメリエルは口元の笑みを深め、困ったように小首を傾げる。

 

「私も全てを知るわけではありませんが……我々精霊が顕現するには、条件があると聞いています。それは契約者様と精霊、双方の間に生じる『渇望』あるいは『不満』です」

 

「不満……?」

 

「ええ。『もっと戦いたい』『もっと勝ちたい』……そういった強い情動が、我々をこちらの世界へ繋ぐパスとなるのです」

 

 彼女はミトラの顔を覗き込むように屈み込んだ。巨大な胸が眼前に迫り、視界を塞ぐ。

 

「ですが貴女様との日々に、私は何の不満もありませんでした。貴女様は私を完璧に使いこなし、多くの敵を絶望の淵へと沈めてくださいましたもの。ええ、とても……とても楽しい日々でしたわ」

 

 うっとりと語るその口調には、恍惚の色が混じっていた。サディストの共鳴とでも言うのか。ミトラの陰湿なプレイングは、この聖女にとっても心地よいものだったらしい。

 

「だからこそ、私は眠っていたのです。満ち足りた夢の中で、貴女様と共に在るだけで幸せでしたから」

 

「じゃあ、なんで今になって出てきたのよ」

 

 ミトラが問うと、カルメリエルの糸目が、ピクリと震えた。

 

 開眼こそしないが、そこから漏れ出る気配が、慈愛から別の何かへと変質する。

 

「……臭ったのです」

 

「は?」

 

「ドブネズミのような、それでいて愛おしい、懐かしい敗北者の臭いが」

 

 カルメリエルの声が、一段低くなった。

 

「貴女様から、微かにですが……あの愚かな妹の気配がいたしました」

 

 ──妹。ミトラの脳裏にシラベの姿がよぎる。あの男がこだわっていたカード。

 

 『伝結晶総督レヴェローズ・ドゥブランコ』。

 

「……あいつか」

 

 ミトラは瞬時に理解した。シラベがレヴェローズに執着していたのは、単なる性癖ではなかったのだ。あの男もまたおそらく、今の自分と同じように精霊に取り憑かれているに違いない。

 

 超常に巻き込まれた被害者なのかと一瞬同情しかけたが、目の前のカルメリエルの完成度と、レヴェローズのキャラクターイラストとを順に思い浮かべて、思い留まった。あれは半分以上、役得だ。

 

「あのおっぱいデッカー、これと同じくらいの乳を侍らせてるのか……いや、公式が出してるスリーサイズはこっちのがデカいんだっけ……」

 

「おっぱいデッカー?」

 

 カルメリエルがキョトンとするが、すぐに興味なさそうに流した。

 

「まあ、呼び名などどうでもよろしいですわ。重要なのは、あの子が……レヴェローズが、この近くにいるという事実」

 

 彼女は自身の胸の前で手を組み、祈るようなポーズをとった。

 

「ああ、可哀想なレヴェローズ。不器用で、無能で、愛らしい私の妹。また性懲りもなく戦場に出てきているのですね。姉として、放っておくわけにはいきませんわ」

 

 言葉は美しい。声も優しい。だが、ミトラは全身から噴き出る冷たい汗に不快感を覚えていた。

 

 彼女は知っている。『エインヘリヤル・クロニクル』の背景ストーリーを。

 

 ドゥブランコ王家の没落。その中心にいたのが、この聖女カルメリエルだ。

 

 表向きは慈愛の聖女として振る舞いながら、実の姉である第一王女ヴェルガラを謀殺し、妹のレヴェローズを辺境の植民地へ追放した張本人。

 

 すべては国教である機械聖教による恒久平和を実現するため──そんな独善的な正義によるものと語られていた、とミトラは記憶している。

 

 そこからも三姉妹の物語にはひと悶着あるが、どのみち目の前の精霊が厄ネタであることに変わりはない。

 

 一体彼女は、どの時点の存在なのか。どこまでの記憶を持っているのか。

 

 三姉妹で仲良く喧嘩していた頃か、海洋融合連合ヴラフマと密約を結んでいた時か、姉を手に掛けた時か、秘宝の傀儡となっていた時か、あるいは――。

 

 ただ、歪んだ妹愛だけは本物であるらしかった。

 

「……つまり、あんたは妹と戦いたいから出てきたってわけ?」

 

「戦う? いいえ、滅相もございません」

 

 カルメリエルは鈴を転がすように笑った。

 

「教育ですわ。出来損ないの妹を、姉の私が正しく導いてあげなくては」

 

 その笑顔の裏にある、底知れない支配欲。

 

 ミトラは息を呑んだ。こいつはヤバい。シラベについているレヴェローズがどんな奴かは知らないが、このカルメリエルは間違いなく劇薬だ。

 

 ここで拒否すればどうなるか。こいつが歩くだけで独りでに退いていった雑誌の山を思い出す。物理干渉の出来る超常の存在が不満を溜めて暴走したら、被害はどれほどになり、誰に止められるのか。店の一つや二つ、簡単に潰されかねない。

 

 それに──ミトラ自身の奥底にある黒い感情もまた、疼いていた。

 

 シラベの、あの生意気な態度。カードに絶対の正解なんてないという青臭い主張。

 

 それを、因縁のあるカードで叩きのめすのは、きっと楽しいに違いない。

 

「……ふーん、なるほどね」

 

 ミトラはあえて平静を装い、落ちていたデッキケースを拾い上げた。

 

 埃を払い、カルメリエルに向かって突き出す。

 

「いいわ。どのみち、あいつには分からせてやるつもりだったし」

 

 心臓は早鐘を打っているが、表情には出さない。三十五年の人生経験と、経営者としてやってこれたポーカーフェイスだ。

 

「協力してあげる。あんたの望み通り、妹と再会させてあげるわ」

 

「まあ! ありがとうございます、契約者様!」

 

 カルメリエルが嬉々として両手を合わせる。

 

「さすがは私の見込んだ方ですわ。貴女様となら、最高の救済を施せそうです」

 

「ただし」

 

 ミトラは釘を刺すように言った。

 

「私の指示には従ってもらうわよ。店の中で勝手な真似はしないで。これ以上散らかされたらたまんないから」

 

「もちろんですとも。私は貴女様の忠実な精霊ですもの」

 

 カルメリエルは再び深々と頭を下げた。

 

 その背中の円盤型のドローンが不気味な緑色の光を明滅させているのを、ミトラは見逃さなかった。

 

(……適当な接待プレイでお茶を濁すつもりだったけど、こうなったら仕方ない)

 

 ミトラはデッキケースを強く握りしめた。

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