カスレアクロニクル   作:すばみずる

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126 カメラあるから!

 黒板の上の時計は午後三時半を指している。帰りのホームルームが終わった教室は、いつものざわめきに包まれていた。

 

 各々が学校鞄に教科書ノート諸々を仕舞って、放課後の予定を語り合っている。仲の良いグループはあちこちで集まり、ゲーセン行くか、誰かの家に集まるか、駅前のファストフード店で時間を潰すか、思い思いの放課後を組み立てていた。

 

 中学に上がってから、放課後の自由度は飛躍的に増した。小学校時代は親に行き先を申告するのが当然だったが、中学一年生になった今、家族はもう細かいことは聞いてこなかった。門限を守り塾に行っていれば文句は言われない。

 

 根巻マナブは一人、帰り支度をしていた。学校では特に仲の良いグループは無く、どの集まりにも属していない。属することに価値を感じていない、と本人は思っている。同学年の連中は子供っぽくて話が合わない。マナブの興味はもっと別のところにあった。

 

 教室の窓際に集まっている男子のグループが、何やら声を潜めて話している。鞄のジッパーを締めながら、マナブは聞き耳を立てた。マナブから見て少し離れた場所だが、内容は断片的に拾える。

 

「――マジで? いなくなったの?」

 

「ああ。昨日見に行ったらダンボールハウスはあったけど、本人はいなかった」

 

「捕まったとか? 河川敷も巡回あるらしいじゃん」

 

「分かんね。でも寝床はまだあったから、戻ってくんじゃね?」

 

 会話の内容から、マナブはピンと来た。彼らが話しているのは河川敷の一角で生活している中年男のことだ。いわゆるホームレスと呼ばれる類の人間で、学校では関わるなと厳しく注意されている。

 

 とはいえ男子にとってはその「禁止されていること」をやってみたくて仕方がない奴らはいる。この話をしているグループも、こっそりオジサンの段ボールハウスを訪ねていたらしい。

 

 そのオジサンは話が面白いという噂はマナブも以前に耳にしたことがある。いつかビッグになると豪語したり、昔のゲームの話を子供たちにしたり。あるいは女子も連れてくれば一緒に遊ぼうと持ちかけたりするらしい。明らかに怪しい雰囲気だが、その怪しさが逆に男子にウケていた。

 

 そのオジサンが忽然といなくなったと言う。マナブはリュックから自分のスマートフォンを取り出した。校則ではスマホの校内持ち込みは禁止されているが、マナブも含めて一部生徒は平気で持ち込んでいた。リュックの中の隠しポケットに入れておけば、音が鳴らなければ誰も気づかない。バレなければ問題ないのだ。

 

 画面のロックを解除し、メッセージアプリを開く。連絡先の一覧からピン留めしている名前を選んだ。

 

『カルメリエル@情報提供用』

 

 マナブは指を素早く動かして文面を打ち込む。

 

 河川敷のホームレスのオジサンが、ここ数日姿を見せていないらしい。段ボールハウスは残っている。同学年の男子たちの間で噂になっている。詳細は引き続き調査する──。

 

 送信ボタンを押した。既読のマークはすぐにはつかなかった。だがそれでいい。情報を届けることが大事だ。返事は後でゆっくりもらえばいい。

 

 マナブは画面を閉じ、スマートフォンをリュックに戻した。

 

 マナブはかつて、カルメリエルに告白したうちの一人だった。

 

 母親に頼まれてボトムレスピット近所のスーパーに買い物に行った帰り、商店街でシスター服の女性、カルメリエルとすれ違ったのだ。あまりにも美しく豊満な姿に、マナブは衝動的に追いかけてその場で告白してしまった。

 

 突然の言葉に彼女は動揺を一切見せず、微笑みながらこう言った。

 

『私にそう言ってくださったのは、マナブ君で百四十四人目ですわ』

 

 その瞬間に味わった衝撃は今でも忘れていない。自分が特別ではないという事実を、あれほど優しい声で突きつけられたのは初めてだった。

 

 そのショック冷めやらぬ中で提示された彼女の誘いに頷いたことで、マナブはカルメリエルの手足の一人として加えられた。それ以来、マナブは彼女のために情報を集め続けている。自身の周囲の動向、商店街や近隣住民の噂。マナブのような中学生だからこそ、大人が気づかない情報を拾うことが出来る。

 

 最近はカルメリエルに渡せる情報をあまり集められていなかった。学校生活が忙しくなり、街中の動きを観察する機会が減ったせいだ。

 

 今日の情報は、久しぶりに価値のあるものかもしれない。もしそうなら、褒めてもらえるかもしれない。

 

 マナブは学校鞄を背負って教室を出た。今日は帰りにボトムレスピットに寄ろう。カルメリエルがまだメッセージを見ないなら直接情報を届けて、ついでに少し話そう。彼女の声を間近で聞けるだけで、マナブの一日は十分に報われる。

 

 

 *

 

 

 ボトムレスピットの前に着いてから、マナブはため息をついた。店のシャッターには『本日定休日』の札がかけられていたのだ。

 

 失念していた。ここ最近、ボトムレスピットに通う頻度が減って店の定休日のサイクルが頭から抜けていた。

 

 耳を澄ませてもカルメリエルの声は聞こえてこない。マナブは舌打ちをしてからぐるりと頭を回して、商店街を抜けるようにぶらつき始めた。せっかくここまで来たのに手ぶらで帰るのも癪だ。何か収穫を持ち帰りたい。街の様子を観察して、何か情報になりそうなものを拾えれば、それもまたカルメリエルに報告出来る。

 

 そうやってあてもなく歩いていると、ボトムレスピットから離れた通り沿いの小学校の前で、マナブの足は止まった。

 

 校門の脇の壁に、一人の女子高生が背中を預けて立っていた。

 

 安っぽく染めたような金色の髪。ガラの悪そうな目つき。スカジャンの前を開けたまま手を突っ込んで佇んでいる。

 

 兼定キリメ。マナブはその顔を知っていた。

 

 ボトムレスピットの常連客で、不良のようだが妙にカードゲームに熱中している女子高生。同年代の男子たちの間では胸がデカいと言うだけでも有名だ。マナブも何度か見たことがあった。

 

 何度見ても冗談のような体付きだ。スカジャンの下、セーラー服ではその豊満さを到底隠しきれていない。

 

 マナブは生唾を飲んだ。ボトムレスピットの店内で見るキリメは、いつもチビの小学生と対戦しているか、店で飼われている黒猫を撫でているかで、マナブが話しかける隙はなかった。会話するどころか、店の中では目が合っただけで凄まれそうな雰囲気もあって、近づく気にもならなかった。

 

 だが今、彼女は一人で立っている。それほど警戒している雰囲気は無さそうだ。

 

 今ならお近付きになれるかもしれない。マナブは胸の中の不純物を漲らせながら、キリメに近づいていった。

 

「すみません、ちょっといいすか」

 

「ああん?」

 

 キリメの三白眼が横目でマナブを捉えた。露骨に鬱陶しげな目つきだった。

 

「あの、ボトムレスピットによく来てる人ですよね。俺もあそこのプレイヤーなんですよ」

 

 マナブは少し後悔しつつもなるべく自然な口調を意識して、用意していた言葉を話す。予想通り、キリメの表情の硬さがほんの少しだけ和らいだ気がした。

 

「ふーん」

 

「キリメさんって言うんでしたっけ。よく店員さんと話してるの見ました」

 

「あっそ。アタシはアンタの事知らないけど」

 

「最近はあんまり店に行けてなくて。部活もあるし」

 

 部活には入っていないが、嘘くらい良い。

 

「で、何の用」

 

 キリメの声は冷たいが、最初の鬱陶しさに比べれば対応はしてくれている。マナブはそれを足がかりに、会話を続けようと試みた。

 

「俺、カードの大会結構出るんすけど。キリメさんって大会とか店舗イベント出ないんですか」

 

「出てるけど。四国無双とか」

 

「あー、多人数戦の。四国無双って難しくないすか? デッキの枚数多いし」

 

「別に。四人でガヤガヤやるのは結構面白いし」

 

「へ〜、じゃあ今度教えてくださいよ」

 

「めんどい。店員に教えてもらったらいんじゃね」

 

 マナブは少し焦った。会話のリズムは出来ているが、キリメの態度は一向に親しくならない。質問に答えてはくれるが、それ以上踏み込もうとすると弾かれる。

 

「じゃあさ、輪廻転生対応のデッキ持ってるでしょ? 一緒にそっちで店舗大会出ようよ。俺、結構強いから色々教えられるよ」

 

「いらない。勉強は別口でしてるから」

 

「いや、俺、これでも大会で勝ってるからさ」

 

「いい」

 

 自信のある分野でもすげなく断られた。マナブの苛立ちが内側でじわりと膨らんでいく。

 

 俺の何が悪いんだ。普通に話しているのに。同じプレイヤーとして声をかけているだけなのに。なぜ取り付く島もなくあしらわれなければならないのか。

 

 マナブは咄嗟に別の話題を頭の中から引っ張り出そうとする。何かキリメの気を惹けるものは無いか。焦りが頭の動きを滑らかにして、ある記憶の引き出しをぶち撒けた。

 

 以前、カルメリエル十字軍の他のメンバーが、カルメリエルに直接情報提供したことがあるのを物陰で聞いていたことがあった。あの時は常連客の私生活を伝えたところで、と嘲笑っていたが、今ここでは役立つかもしれない。

 

「あー、でもキリメさんって、二つもデッキ持ってるってヤバくないですか。金掛かるでしょ」

 

「別に。中学生には大金でも、高校生ではそうでもない。バイトでもなんでもすればいいし」

 

「……でもキリメさんの学校って、居酒屋でのバイトって大丈夫なんすか?」

 

 キリメの頬が、ピクリと動く。ほんの一瞬の反応だったがマナブは見逃さない。手応えを感じた。

 

「あっ、別に垂れ込もうとかそんなのは無いですよ、まさかそんな、ねぇ」

 

 マナブはすかさず取り繕った笑顔を作った。言葉のトーンを柔らかくする。

 

「でもほら、キリメさんのことよく知らないから。もしかしたらカードだけじゃなくて、危ないことに金使ってるのかなって思っちゃうじゃないですか」

 

 キリメの表情が明らかに変わっていた。先ほどまでの無視ではなく認識されている。こういう流れは漫画で見たことがある。いける。

 

「キリメさんのことよく知れたら、そんな誤解もしないんですけどね」

 

 マナブはキリメの肩に手を回そうとした。

 

 その時だった。キリメの背後から、別の声が響く。

 

「キリメ姉、ごめん、委員会の集まりで遅れた」

 

 声と同時に、小学校の校門から小柄な少年が走り出てくる。ランドセルを騒がしくガチャガチャ言わせて、息が少し乱れている。

 

 マナブも顔だけは知っている。ボトムレスピットでよく見かける小学生で、キリメと一緒に対戦している姿を何度も目にしていた。

 

「クモン、遅かったじゃん」

 

 キリメの声が、別人のように変わった。

 

 マナブに向けていた冷たい声色が消え、代わりに乗っかっているのは嬉しそうな、優しげな声。

 

 クモンの顔を見た瞬間に、キリメの肩から力が抜けたのが、マナブにも分かった。

 

 なんだ、それ。マナブの中で爆ぜた石が礫のように刺さる。俺にはあれだけ冷たくしておきながら、ガキ相手にはそんな声を出すのか。

 

 マナブは二人の間に割り込んだ。キリメを背中で隠すように、クモンの前に立ち塞がる。

 

「クモンとかいうの? 今俺、キリメさんと話してるから。どっか行ってくれる?」

 

 こいつは五年生か六年生か。どうにせよ一年の差というものは子どもの間では絶対的だ。凄みを利かせれば、ガキの一人くらいは引かせられるはずだった。

 

 だがクモンはマナブの様子を見ても、まるで動じなかった。見上げる目に怯えがない。それどころかマナブの存在をろくに認識していないかのように、背後を見据えて何か慌てた顔をしたかと思えば、するりと横を通り過ぎた。

 

 そしてキリメの手を掴んだ。

 

「ほ、ほら行こう。今日お店が休みだから、ウチでやるんでしょ」

 

 クモンの声には、マナブへの敵意も意識もなかった。焦るような声でキリメに呼び掛け、手を引いて連れていこうとしている。

 

 キリメはクモンに引かれるままマナブの傍から離れようとしている。二人の中ではマナブの存在は完全に無視された。

 

 二人に揃って虚仮にされた屈辱が、マナブの中に刺さっていた礫を爆発させる。

 

「ちょっと待――」

 

 マナブはキリメに追いすがろうとした、その瞬間。

 

 マナブの鼻先を、何かが通り過ぎた。

 

 風圧。布の擦れる音と、空気を切り裂く音。

 

 マナブの視界の中央を、女子高生の足が水平に薙ぎ払っていた。長い脚がしなるように動き、無骨な靴底がマナブの顔面の数センチ手前を通過した。

 

 後ろ回し蹴り。キリメの蹴りだった。

 

 キリメの脚は既に地面に戻っている。蹴りの余韻すら残していないが、その目だけがマナブを冷たく見下ろしている。

 

「キリメ姉、学校前で喧嘩はまずいって! カメラあるから!」

 

 再度動こうとした足先を見たのか、クモンが必死にキリメの手を引いていた。微動だにしないキリメだが、追撃もしてこない。

 

「行こう、ね」

 

 懇願するような声にキリメは舌打ちを一つ打ち、クモンの引っ張りに従って歩き出した。スカジャンの背中が遠ざかっていく。

 

 マナブはその場で動けなかった。いつの間にか、腰が抜けている。膝が震えている。両脚から力が抜け、その場にへたり込んでしまっていた。

 

 キリメの蹴りが顔面の数センチ手前を通り過ぎていったという事実が、マナブの脳の中で繰り返し再生されていた。当たっていれば前歯が折れていただろうか。鼻が潰れていたたろうか。下手をすれば失神していたかもしれない。

 

 あの女、本気だった。あの小学生が手を引いてなければどうなっていたか。

 

 マナブは数分、その場から動けなかった。ようやく立ち上がる気力が戻った時には二人の姿はもう遠くに消えていて、そんな事に安堵してしまっている。

 

 マナブは学生鞄のストラップを握り直し、ふらつきながら帰路についた。

 

 今日カルメリエルに送信した情報の対価に褒め言葉をもらえるかもしれないという期待は、とっくに頭から消えていた。

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