カスレアクロニクル   作:すばみずる

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127 休憩終わっちゃう

 一階の店舗から微かに響いてる喧騒を遠くに聞きながら、ミトラは自室の布団の上で小さく息を吐いた。

 

 ボトムレスピットは現在絶賛営業中である。とはいえ、延々と働き詰めというわけにもいかない。順番の都合で先に昼休憩をしているミトラは、カルメリエルが作り置きしてくれていたサンドイッチの皿を自室に持ち込みんで昼食をとっていた。

 

 行儀が悪いとは自覚しつつも右手に挟んだベーコンとレタスのサンドイッチを時折齧りながら、左手と視線はスマートフォンの画面に釘付けになっている。

 

 ミトラの真新しいスマホの画面には、エインヘリヤル・クロニクル〈エリューズニル〉のベータテスト版のプレイ画面が表示されている。

 

 一般応募での告知が出ていた際に応募していたミトラは、少し前に運良く当選の通知を貰っていた。シラベが参加していたのと違い、こちらは抽選を勝ち抜いた純粋な権利だ。デヴァローカのアレによるアレな忖度の介入は一切ない。

 

 さっそく昨晩のうちにインストールを済ませ、今は休憩時間を潰す感覚で手軽なプレイ感を探っているところだった。

 

 ゲームではチュートリアルを終えたばかりのプレイヤー向けに用意されたNPCとの対戦が繰り広げられている。双方が初期配布された初心者用の構築済みデッキを使用していることもあり、派手なコンボが飛び交うような展開にはならないものの、基本的なルールの応酬としてはまずまずの戦いが出来ていた。

 

 スマートフォン向けのアプリケーションである以上、当然ながらディーヴァ・アリーナでのVRや五感に訴えかけてくるようなフィードバックは存在しない。それでも演出面はかなり力が入っているのが窺えた。

 

 盤面に召喚されたユニットたちの3Dデータは緻密にモデリングされており、攻撃時のモーションやエフェクトもスマートフォンにしてはかなり滑らかに動く。

 

 でもこれ、周回してるうちに飽きていくんだろうな。ソシャゲをいくつか渡り歩いて得ている経験が身も蓋もない囁きをしてくる中で、ミトラの指先が画面をスワイプして自陣の生命体に攻撃の指示を出す。

 

 画面内でエフェクトが弾け、NPCのライフゲージがゼロになったことを示す派手な文字が踊った。対戦終了のリザルト画面を眺めながら残りのサンドイッチを口に放り込んだちょうどその時、部屋の扉がノックもそこそこに開かれた。

 

「よっ」

 

 ミトラと三十分遅れで昼休憩に入るシラベが、自分の分のサンドイッチが乗った皿を片手に二階へ上がってきたのだ。

 

 シラベは布団の上にいるミトラへとごく自然な足取りで近づいていく。そのまま何も言わずにミトラの隣に腰を下ろし、皿を傍らのテーブルに置いた。

 

 ミトラもまた言葉を交わすことなく、隣に座ったシラベの肩に自分の頭と体重を預けた。当然のようにシラベは何も言わず、その空気感がミトラに心地良い。

 

 ミトラはシラベの肩にもたれかかったまま、再びスマートフォンの画面を操作して次の対戦へと移行する。

 

 シラベはサンドイッチを一つ手に取りもぐもぐと咀嚼しながら、自分の肩に寄りかかるミトラの横顔と、その手元で動くゲーム画面を静かに見守っていた。

 

 部屋の中にはスマホから流れる効果音と、二人の静かな呼吸の音、時折聞こえる咀嚼音だけが流れる。

 

 何気ない沈黙だったが、ミトラにとっては何の不自由もない、ひどく安心できる時間だった。

 

 数分後。再びリザルト画面が表示されたのを確認して、ミトラはスマートフォンを布団に放り投げた。

 

 両腕をぐっと天井に向けて伸ばし、凝り固まった背中をほぐすように背伸びをする。

 

「お疲れさん」

 

「ん」

 

 真横から降ってきたシラベの労いの言葉に、ミトラは短く返す。そのまま体をぐにゃんと脱力させてから、シラベの膝の上へと這い登った。

 

 シラベは特に驚く様子もなく、自分の膝の上に収まったミトラの背中に腕を回し、自然な動作で彼女の華奢な肩へと指を滑らせる。シラベの掌と指先が、ミトラの首筋から肩甲骨にかけての筋肉をゆっくりと解し始めた。

 

 絶妙な力加減で揉み解される心地よさに、ミトラはほうっと吐息を漏らす。

 

 物理的な気持ちよさもさることながら、こうして無防備に甘えさせてもらえること、そしてそれをごく当たり前のように受け入れてくれるシラベの存在そのものが、ミトラの胸の奥底にある何らかのゲージを凄まじい勢いで限界突破させていく。

 

 顔がにやけそうになるのを必死に堪えながら、ミトラは話題を切り出した。

 

「ねえ。エリューズニル、どう思う?」

 

 ミトラの問いかけに、シラベは肩を揉む手を止めないまま少しだけ考える素振りを見せた。

 

「俺はアルファ版しか触ってないけど、横から見てる限りじゃ対戦の演出面はそこからそれほど変わってないな。ちゃんとスマホのバージョンさえ上げていれば操作感は良さそうだし、一発目のタイトルなら十分すぎる出来なんじゃないか」

 

「まあね。演出は派手目だけど、効果は視覚的に分かりやすくて新規取り込むのにはいい感じ。でもさ、ちょっと気になるところもあるのよね」

 

「収録セットか?」

 

「それもあるけど、コントロール系のデッキを使う時よ。相手のターン中に妨害札を撃ちたい場合、システム上だと行動権限を細かくパスしていかなきゃいけないじゃない? アレがスマホの画面だと何度も確認のポップアップが出て、正直かなりだるいかも」

 

 現実のカードゲームであれば口頭で済むフェイズ移行や優先権の確認も、デジタルカードゲームにおいてはシステム側が厳密に処理しなければならない。

 

 そのたびに画面をタップしてパスを選択するのは、テンポの良さを求めるプレイヤーにとっては少々煩わしい仕様だった。

 

「アプリでランクを回すなら、面倒なこと考えずにビートダウン握ろうかなって思ってる」

 

 ミトラのぼやきに、シラベは納得したように頷いた。

 

「確かに、スマホの画面でちまちまやり取りをするのは疲れそうだ。とりあえずアグロ系のデッキでも組んで、顔面殴り続ける構成にしておけば勝率も回転数も稼げそうだよな」

 

「でしょ」

 

 シラベの同意にミトラは満足する。勘や運を頼る悪い癖があるものの、理路を示せればきちんと話せるシラベは壁打ち役としても優秀だ。

 

 しかし、それに続いたシラベの何気ない呟きが、ミトラの耳に引っかかった。

 

「でも、ミシャンドラだとその戦法はキツいか……」

 

 ミシャンドラ。ミトラの脳内データベースには存在しない単語だった。

 

 チュートリアルでも、公式のベータテスト告知サイトでも、そんな名前のシステムやカードは一切目にしていなかったはずだ。

 

「何それ?」

 

 ミトラが首だけを動かしてシラベの顔を見上げると、シラベの揉む手がピタリと止まった。

 

「え? いや、アプリの……」

 

 言いかけたシラベの視線が、布団の上に放り出されたままになっているスマートフォンの画面へと向けられる。そこにはエリューズニルのホーム画面が表示されたままになっている。

 

 シラベは画面を見た瞬間、しまったというように慌てて口を閉ざした。

 

 ミトラも釣られて自分のスマートフォンに視線を落とす。

 

 ホーム画面のメニューには対戦、デッキ編成、ショップといったオーソドックスな項目が並んでいるが、そこにはミシャンドラという文字はどこにも存在しない。

 

 だがよくよく観察してみると、メニューボタンの配置に不自然な空白のスペースがあることに気がついた。

 

 まるで本来そこにあるべきはずのボタンが、意図的に隠されているかのように。

 

 ミトラの脳内で推論が組み上がる。

 

 シラベはアルファ版のテストに参加していた。そして今、何らかのカードゲームに纏わるらしき名称を吐き、ベータ版の画面を見て言葉を濁した。

 

 つまりミシャンドラというのは、アルファ版では実装されていたが、今回のベータ版では伏せられている未公開のモードか何かなのだ。

 

 ミトラはシラベの胸板に自分の頭をぐりぐりと擦り付けた。

 

「シーラーベー?」

 

 わざとらしく甘く、逃げ道を塞ぐような声音で名前を呼ぶ。自白を促すミトラの態度にシラベは観念したようにミトラの肩から手を離し、両手を顔の横まで上げて降参のポーズをとった。

 

「ミスったのは俺だが、言えねえからな。デヴァローカに出向いてまで誓約書書いてるんだし、情報漏洩するわけにはいかねえよ」

 

 言い訳をするシラベの声は、どこか焦っているように聞こえた。

 

 普段は飄々としているシラベが、自分しかいないこの場で見せる困り果てたような顔。その弱りようは、いくらこっちがしょうがない存在であっても、この男は一回り近く年下の男なのだと実感させる。

 

 それがミトラには、たまらなく可愛く思えた。

 

 ミトラはシラベの膝の上でくるりと反転し、彼と正対、あるいは対面して座る姿勢をとった。

 

 そのままシラベの首に両腕をしっかりと回し、逃がさないように密着する。 胸と胸が触れ合う距離で、ミトラはシラベの瞳を覗き込みながら、耳元で囁いた。

 

「教えなさいよぉ」

 

「ダメだっつの。……つーか、そろそろ店長は昼休憩終わりだろ。下に戻らなくていいのか」

 

 正論を盾にして誤魔化そうとするシラベだったが、その声には一切の余裕がなく、何よりミトラの体を突き放そうとする素振りは微塵も見せなかった。

 

 興味を惹かせてしまった負い目があるのか、それともひょっとすると自分とくっついていられるのを悪くないと思ってくれているかもしれない。弱り目に祟る側ではあるが、ミトラの口角が自然と吊り上がる。

 

「そうねぇ、休憩終わっちゃう」

 

 ミトラはシラベの首に片腕を回したまま、もう片方の手で布団の上のスマートフォンを素早く引き寄せた。

 

 ゲームアプリをバックグラウンドに回し、通話アプリを開いて一階の店舗にいるカルメリエルへと発信する。コール音は二回鳴っただけで通じた。

 

「私だけど。私とシラベ、昼休憩を三十分……いや、一時間くらい延ばすから。下は適当に回しておいて」

 

「こら」

 

 勝手な業務連絡にシラベが横から咎めるような声を出すが、ミトラは気にも留めない。

 

 電話口の向こうから、カルメリエルの艶やかな笑い声が聞こえてきた。

 

『あらあら。ふふっ、かしこまりましたわ、店長。ごゆっくりどうぞ』

 

 事の次第を如何なる様相に察したのかは知れないが、カルメリエルはそれだけ言うとあっさりと通話を切った。

 

 ミトラはスマートフォンを再び布団に投げ捨てると、勝ち誇ったような笑顔でシラベを見た。

 

「これで時間を気にせず、じっくり尋問できるわね」

 

 宣言と同時にミトラはシラベの首筋へと顔を埋め、そこにある脈打つ肌をかぷりと甘噛みした。

 

「痛っ……この、不良店長が」

 

 シラベは悪態を吐きながらも、やられっぱなしでいるつもりはないらしく、ミトラの脇腹へと両手を伸ばしてきた。

 

「あっ、ひゃっ!? ちょっと、そこ、やめっ」

 

 的確にミトラのくすぐったいポイントを攻めてくるシラベの指先に、ミトラは身をよじって抗議の声を上げる。

 

 シラベの膝の上でじたばたと暴れながらも、ミトラは決してシラベの首から腕を解こうとはしなかった。

 

 むしろくすぐったさから逃れるように、さらにシラベの体へと深くしがみついていく。

 

 午後に入っても延長する密やかな攻防戦は、まだまだ終わる気配がなかった。

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