カスレアクロニクル   作:すばみずる

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133 いい質問だ

 革製のブーツが苔むした地面に足跡を残していく。慣れない履物のせいで、ミトラの足先は既に痺れるような疲れが出始めていた。普段のスニーカーなら気にならない距離のはずが、森の中という場所も相まってブーツの内側で熱を持ち始めている。

 

 ミトラは羊皮紙のような巻物に描かれた地図を片手に、鬱蒼とした森を進んでいた。

 

「んー、ちょっと逸れてるかな。いったん止まって左手出して……そうそう。指先が枝に掛かるまで左へ回って。そこから真っすぐだ」

 

 腰のデッキケースからは嫌に丁寧なナビゲートをしてくれる声が響く。スピーカーと名乗る案内役、その姿を取ったカードの精霊、『白き円環の(グウェンディ)ノルドリッチ』だ。ろくでなしなのは知っているが、それでもこいつは役に立ってしまう。

 

 手に持っている地図も、ノルドリッチが役立った一つだ。地図の入手自体は火達磨兵の死体の処理を巡るやり取りの末に手に入れたものの一つで、周辺の村や建物と思しきアイコンが書き込まれているのが分かる。そこにノルドリッチの案内さえあれば、地図と現在位置の特定は不可能ではなかった。

 

 助かってはいる。だがミトラは腰で揺れるデッキケースを心底嫌そうな目で見下ろした。便利と言えば便利だったが、この地図を入手した時の事を思い出すたびに吐き気が込み上げてくる。

 

 

 

 回転の責め苦に耐え兼ねてノルドリッチに協力を約束させた後。ミトラが覚悟を決めて死体の確認に移ろうとした時、このデッキケースは任せてと得意げに言ったのだ。

 

『こういうのは得意だから、任せてよ』

 

 自信たっぷりな口振りにどうするのかと思いミトラがデッキケースを持って死体に近付けると、突然デッキケースの蓋と入れ口が限界を超えて大きく広がり始めたのだ。

 

 物理的に有り得ない変形にミトラが目を瞠ったのも束の間。ケースは蛇や蜥蜴がごとくに火達磨兵の死体を丸呑みにした。

 

 血と煤に塗れた人間大の存在が、箱状の革細工の中に飲み込まれ滑り落ちていく光景。ミトラは反射的に視線を逸らしたが、聴覚だけは塞げなかった。

 

 まさしく生き物であるかのように喉を鳴らしながらデッキケースは火達磨兵を飲み込み終えて、ゲップまでしてくる始末。ミトラの手の中に飲み込まれたものは存在するはずだが、どうしてか重さが増えたようには感じなかった。

 

 数秒の後、デッキケースはぺっといくつかの物品を吐き出した。

 

 数枚のカードと、ルーン文字の刻まれた石がいくつか、そして地図。火達磨兵の本体は、跡形もなく消えていた。

 

「何度思い出してもキモいんだけど。あんたのその中身、どうなってんのよ」

 

「ひどい言われようだなぁ! 事実だけど!」

 

 地図から目を上げず独り言のように呟いたミトラに対して、デッキケースの蓋がぱこりと開いてノルドリッチの軽薄な声が漏れた。先ほどの遠心力体験から多少回復したらしく、調子に乗り始めている。

 

「ボクがいなかったらキミ、あの小汚い死体を自分の手で漁ることになってたんだよ? 君の親愛なる導き手として助けたんだから、称賛か感謝の言葉を期待していたというのに」

 

「感謝の前に嫌気が勝つわ。吐き出したもの、触るのもちょっと躊躇したし」

 

 ミトラはマントの袖で、カードを摘み上げた時に使った指を擦った。

 

 実際は、ノルドリッチが吐き出したカード類は唾液一つ付いていない清潔な状態だった。物理的には何の問題もなかったがあのプロセスを目撃した以上、心理的なハードルがあるのは仕方がない。

 

「贅沢を言うなぁ。九脊界ならこのくらい普通だよ?」

 

 ノルドリッチの口調は、脅され回され情けない悲鳴を上げていた数十分前の様子とはまるで異なる。神経の太さは間違いなく精霊のものだ。

 

「そういうのいいから。次、ストーリー教えなさいよ。私がいるここ、どういう設定なの」

 

(おもむき)が無い聞き方だなぁ。もう少し、残された碑文からストーリーについて空想するとかね」

 

「そんなんやってる暇ないから。早く」

 

 歩きながら、ミトラはノルドリッチに現状の情報を言わせていた。情報は多いに越したことはないし、エインヘリヤル・クロニクルの世界のような場所で当事者から聞けるというのはファンの一人として高揚するものもある。軽口を聞き流しつつ、必要な部分だけを脳に拾い上げていく。

 

「ここは『葬送外野(ヘルヘイム)』という世界さ。もう言っていたっけな。九脊界の中では珍しい安息の世界と呼ばれている、争いとは無縁の場所だよ」

 

「安息の世界、ねぇ」

 

 ノルドリッチの声色が、案内役の口調に切り替わった。先ほどまでの軽薄さを抑え、それなりに格式ばった節回しで世界の説明を始める。

 

 葬送外野(ヘルヘイム)。北欧神話に由来するエインヘリヤル・クロニクルの世界観の中で、確かに名前は聞いたことがある。だが具体的な詳細はミトラの記憶からは抜け落ちていた。

 

「九脊界では戦乱だの淫蕩だの焦熱だの、なにかと荒っぽい場所が多いけど。その中で葬送外野(ヘルヘイム)は、戦士でない者たちが集う場なのさ」

 

「ふーん」

 

 ミトラは曖昧に頷いた。

 

 エインヘリヤル・クロニクルというカードゲームの背景設定上、葬送外野(ヘルヘイム)が存在することは知っている。だがゲームの上ではあまりフィーチャーされていない世界だった。

 

 カードとしての効果も、闇属性の生命体を+1/+1する程度だったはず。ミトラがプレイヤーとして触れる頻度が高いのは墓地対策の戦乱葦野(ミズガルズ)や特殊ルーン殺しの焦熱原野(ムスペルヘイム)、あとはプレイヤー自身に不明を付与する淫蕩白野(ヴァナヘイム)か機械を封じる氷結荒野(ニヴルヘイム)くらいか。

 

 さりとてストーリー上でメインを張ったという記憶もミトラにはない。むしろ便利な小道具のような扱いだったはず。

 

「確か、一回死んだキャラがここに押し込められて適当なタイミングで蘇ったりしてなかったっけ? アメコミの刑務所みたいな」

 

「どっちも知らないけど、この脊界が他の脊界から流れ着いた先であるのは確かだよ。一度没したものはここに落ち延びるのさ」

 

「で、その安息の地がなんで戦争中なのよ」

 

 ミトラが見る地図にはいくつかの集落の位置と、それらを結ぶ街道のようなものが記されている。だがそのうちのいくつかには、赤いインクで×印が引かれていた。荒らされたか、占領されたかしているのだろう。

 

 火達磨兵の装いも、明らかに戦地を往く者のものだった。争いごとが起こっているのは間違いない。

 

「いい質問だ。現在の葬送外野(ヘルヘイム)はね、『ソロモン王』によって理不尽な侵攻を受けている最中なのさ」

 

「ソロモン王?」

 

 ノルドリッチの声に、案内役らしい仰々しさが加わった。

 

「ソロモン王はその娘たちを筆頭とした軍勢を各地に展開して、各地の領域を蹂躙している。住民たちは難民となって移動を強いられ、抵抗する者はさっきの火達磨兵のように壊された玩具となって戦場に放り込まれることもある」

 

 ミトラは足を止めかけて、すぐに歩み直した。

 

 ソロモン王。聞き覚えはある。エインヘリヤル・クロニクルの初期のカードには、史実や実在の神話から名前を引用したものがいくつか存在した。文化的な関係で後に禁止カード指定されたものもあれば、エインヘリヤル・クロニクルの世界に併合されたものもある。

 

 その中に、確かにソロモン王というカードはあった。だが、なぜそんなマイナーカードをストーリーモードのメインの敵に据えたのか。

 

 ミトラの脳が、必死に記憶の引き出しを漁った。ソロモン王。ソロモン。ソロモン関連のカード。あったはずだ、確か──。

 

(「ソロモン王の壺」……それと、「七十二人の娘」。娘たちってのはそれか)

 

 関連カードの一枚を思い出した。

 

 毎ターン維持コストを支払うことで、一体ずつ『娘』という名の生命体が場に発生するカード。当時は全てを喰らう大穴とのデザイナーズコンボとして見られていたはずだ。

 

 実在の伝説では「七十二柱の悪魔を従えた」というのがソロモン王の逸話だが、それがエインヘリヤル・クロニクルの中では「七十二人の娘を持つ王」として翻案されていた。

 

 その辺りまで思い出して、ミトラは舌打ちした。

 

 wikiが見れない以上、それ以上の詳細はすぐには出てこない。普段なら数秒でググって全カードリストにアクセスできるはずなのに、頼みの綱の検索エンジンが手元にない。

 

「思い出せそうで思い出せない……イライラするわ、ほんと」

 

「あれ、どうしたのかな? ボクの助けが必要かい?」

 

「うるさい」

 

 反射的に答えてから、ミトラはそれ以上口出しされないように別の疑問を口に出す。

 

「あんたが言うように、ここがストーリーに沿ったゲームの世界だとして。それならログアウトボタンとかステータス画面はどこにあるのよ。というか私のスマホは?」

 

 こちらはあまりまともな答えを期待していない質問だった。ミトラが読み漁っていた小説ではこういう時、ログアウトなんて存在しないしスマホなんかの便利アイテムも無くなる。上巻丸ごと鬱展開で終わらせて下巻からようやく巻き返すものだってあるのだから、暫くは不便を強いられる覚悟がいるかもしれない。

 

「スマホ……ああ、あの四角い板のことなら、今君の『体内』にあるよ」

 

「はぁ?」

 

 ミトラの考えは、ノルドリッチの何気ない口調で打ち砕かれた。

 

 思わず立ち止まり地図を持つ手が下がってしまう。ミトラは自分の腹のあたりに視線を落とした。マントとベストの下にスマートフォンが入っている感触は無いし、重みも無い。

 

「体内って、どこに入ってんのよ。どっか突き出てたりしてる? 腕がコンピューター?」

 

「落ち着いて落ち着いて。あれ、自覚は無いのかな。無いからボクが手伝わなきゃダメだったのか。あっやめて揺らさないで」

 

 ぶつぶつと呟くノルドリッチの体をぶんぶん揺さぶるミトラ。こういう輩は物理で躾けるのが一番手っ取り早い。

 

「えっとね、ボクも詳しくは無いんだけど。君らがプレイするゲームでの設定で、魔術師同士が戦うというのがあるじゃない。骨を食んだっていうやつ」

 

「ギュルヴィの骨ね」

 

 ミトラはぼんやりと頷いた。それも背景設定として何となく知っていた。エインヘリヤル・クロニクルの二つあるレイヤー、九脊界が終わっている方の世界観における、魔術師の能力の源泉だ。それを奪い合うことが対戦であると、スターターセットの小冊子にも書いてある。

 

「君たちが遊ぶそれ、スマホを骨に見立てるような説明書きがどこかに書いてあったと思うけど……覚えてない?」

 

「私、取説はゲームやってて詰まったときしか読まないタイプだから」

 

「あっそう。とにかくね。此処ではそういう見立てが真になってるんだよ。だから魔術師である君の骨たるスマホは、しっかりと君の中にある」

 

「言ったもん勝ちじゃないのそんなの。嘘でしょ」

 

 スマートフォンが体の中にある。物理的には有り得ないだろうが、ノルドリッチの語り口に嘘の気配は無い。

 

「魔術師としての技能は、既に君の中にあるはずだよ。ちょっと意識を集中してみて。手を顔の前に上げて、何かを開くようにね」

 

 ノルドリッチの言葉に、ミトラは半信半疑で従った。右手を顔の前に上げ、本でも開くような動作をする。

 

 手のひらの上に、何かの感触が宿る予感があった。次の瞬間、ミトラの手のひらの上に、半透明のホログラムウィンドウが展開される。

 

 淡い水色の光で構成された、メニュー画面のようなものだ。『所持ルーン石の数』『デッキ編集』『所持アイテム』といった項目が並んでいる。スマートフォンのアプリのメインメニューによく似ていた。指で項目をタップすれば、それぞれの詳細が開けるらしい。

 

「なんかSFっぽくて気持ち悪い」

 

 ミトラはホログラムを睨んだ。ファンタジー世界に出てくるにしては世界観のチグハグさが目に痛い。文句を言ってもこの世界の作りが変わるわけではないが、こういう所は拘らなかったのだろうか。

 

 ミトラは『所持ルーン石の数』をタップした。先ほど火達磨兵から得たルーン石の数が表示される。少ないのか多いのかは現時点では判断がつかない。

 

 次に『デッキ編集』を開いてみた。現在使用している初期構築デッキの六十枚の中身が、リスト形式で表示される。スマートフォンのデッキビルダーアプリと操作感が同じだった。

 

(ちょっと便利かも)

 

 ミトラは内心で渋々認めた。リアルなカードを持ち歩く必要が無いのは地味に助かる。

 

 ホログラムを閉じ、ミトラは地図に視線を戻した。

 

「で。ここまで語れるほど事情通のあんたは何が目的なのよ」

 

 ミトラはおもむろに切り出した。

 

 肝心の質問だった。ノルドリッチがこの世界の案内役を買って出ているのは、明らかに何らかの意図がある。ボトムレスピットに無断で侵入してきた輩がここでお人好しにナビゲートしてくれているのは何故なのか。

 

「あー」

 

 ノルドリッチの声色が、わずかに変わった。

 

「ところでさ。地図によると、そろそろ近くに村が見えてくる頃じゃないかな?」

 

 露骨な話題逸らしだった。ミトラは舌打ちをしながら、デッキケースの蓋をべちんと叩く。

 

「いてっ」

 

「あとで聞くからね。覚えときなさいよ」

 

「了解しました」

 

 ノルドリッチの声色に、明らかな安堵が混じった。話題が変わったことを心底ありがたく思っているらしい。

 

 追求したい気持ちは大いにある。だが正直、こんな一人きりの場所にいるよりも誰かがいる場所に行くことの方が今のミトラには必要だった。

 

 地図には確かに森の出口付近に小さな集落の印がある。木々の隙間から、ノルドリッチの言う通りそろそろ何かが見え始めている気配が感じられた。

 

「そこに行けば、さっきボクが吐き出した『ルーンの石』を使ってカードの売買や補給ができるはずだよ。村人からクエストも受けられるかもね!」

 

「クエストとか興味ないわよ」

 

 調子よく案内し始めたノルドリッチをミトラは即座に切り捨てた。

 

 クエストなど知ったことではない。ミトラの目的はただ一つ、家族たちの行方、シラベの行方を探すこと。

 

 あの男の性格を考えれば、絶対にミトラを探して目立つ行動をしているはずだ。あるいは情報が集まる場所に居座って、こちらが見つけてくれるのを待っているか。どちらにしても、人が集まる場所には何らかの手がかりが残るはず。

 

 村に行けば、シラベに関する情報を耳に出来るかもしれない。それだけがミトラが村に向かう理由だった。

 

 木々がまばらになり、視界が開けた。

 

 森の出口の向こうに、木柵で囲まれた村が広がっている。瓦屋根ではなく藁葺き屋根の家屋が密集し、その中央には鐘楼のような塔が建つ、典型的なファンタジー世界の集落の風景に思えた。

 

 だが、窺える雰囲気はミトラの足を止めさせるには十分な剣呑さがある。

 

 村の入り口に向かう街道の上に、まばらだが長い列ができていた。

 

 ぼろぼろの服を纏った人々が、荷車を引いたり、子供を抱きかかえたりしながら列を成している。誰もが疲弊した顔をしていた。中には怪我をしている者もおり、布で覆った傷口から血が滲んでいる者もいる。

 

「難民だね」

 

 ノルドリッチの呟きが、ミトラの直感を補強した。ソロモン王の軍勢の侵攻から逃れてきた人々が、この村に流れ込んでいるのだろう。村の入り口には武装した自警団らしき男たちが立っており、難民を一人ずつ確認しながら通している。だがその表情には明らかな疲労と苛立ちが混じっていた。受け入れ続けるしかない、という義務感だけで動いている顔だった。

 

 村全体にピリピリとした緊張感が満ちている。穏やかな村人たちが「ようこそ、ここは何とかの村です」と歓迎してくれるような、そんな空気ではなかった。

 

「結構ヤバいかもね」

 

「うるさい」

 

 ミトラは言い返し、ケースにグリグリと指を押し付けて黙らせる。

 

 森から出る前に、ミトラは深く息を吸った。

 

 不安と心細さが、胸の奥でずきりと疼いた。シラベに会えるかもしれないという期待と、会えないかもしれないという不安。難民に紛れ込んで村に入ることが正解なのかも、正直分からない。

 

 だが、ここで立ち止まっていても何も始まらない。

 

 ミトラは表情を作った。不安は内側に押し込め、外側だけは強気のカードゲーマーで武装する。ここがカードゲームの舞台であるなら、そのプレイヤーはいつでもそうあるべきだろう。

 

 ミトラはデッキケースを軽く小突いた。

 

「行くわよ。変な真似したら、村のど真ん中でも回すからね」

 

「わ、分かってるよ……」

 

 ノルドリッチの怯えた声が、ケースから漏れた。

 

 ミトラはマントの裾を整え、難民の列の最後尾に向かって歩き出した。革のブーツの足音が苔や下草を踏み締めるものから土の街道へと変わる。




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