難民の列に紛れ込み、ミトラは村の門を潜った。自警団らしき男たちは通ろうとするミトラを一瞥した程度で何も言わない。似たような服装のものは何人もいるし、子供に警戒することはないと思われたのかもしれない。普段ならそんな扱いに毒づくところだが、今はそれが幸いだった。
村の中は、外から見た以上に重苦しい空気が満ちていた。藁葺き屋根の家々の軒下には難民たちが身を寄せ合っていた。地面に座り込んで動かない者、壁にもたれて目を閉じている者、子供を抱いて泣き止まない子をあやす母親。誰もが疲弊しきっており、視線は地面か虚空に向いている。
「空気が暗いねぇ」
「うっさい」
腰のデッキケースの中から、ノルドリッチの呑気な声が漏れた。見ても分かることをわざわざ口に出す神経の太さが、この精霊のふてぶてしさをよく示している。
ミトラは村の中央に向かって歩きながら、視線を四方に走らせた。
シラベ。レヴェローズ。カルメリエル。大穴。誰か一人でもいい。見覚えのある姿が見つかれば、ミトラの孤独感はそれだけで十分癒やされる。だが、いくら難民の顔を眺めても、知った顔は一つも見当たらなかった。
その作業の途中で、ミトラの意識は別の対象に引き寄せられていた。
まず民家の軒先に置かれた素焼きの壺に目を付ける。ミトラは何の躊躇もなく壺の蓋を持ち上げて中身を覗き込んだ。
入っていたルーン石をポケットに収めると、次はその脇に置かれた木樽に移る。蓋を開けると、中身は古い藁のようなものが詰まっている。役には立たなそうなので元に戻す。
その隣の家の路地裏に転がっている陶器の壺を覗く。クモの巣が張っている。次に移る。
「ねーミトラさん。さっきから何やってんの」
「日課」
ノルドリッチが出す怪訝な声に、ミトラは平然と答えた。
「ゲームの世界ならオブジェクトに隠されたアイテムがあったりすんのよ。壺の中とか樽の中とか。基本よ基本」
「いや、それはほら、ゲームのお約束を悪用しすぎじゃないかな」
「どうせみんな忙しいみたいだし、ちょっとくらい借りても問題ないでしょ。許可取る気も返す気も無いけど」
「理屈つけようとするだけこそ泥よりもたち悪いね。というかそれ、もしかして立ち寄るところ全部でやるつもり?」
「当たり前でしょ。一回アイテムが見つかったのなら、同じものは全部調べなきゃいけないの」
「人間ってなんで自分から呪いを掛けるのかなぁ……」
ノルドリッチが呆れた声を漏らしたが、ミトラは構わず続けた。ここがゲームの世界であるなら、隠されたアイテムを回収するのはプレイヤーとして当然の権利だ。良心の呵責など最初から持ち合わせていない。
困窮している住人を押し退けて物理的に奪っているわけではないし、壺の中身がプレイヤーの目に見える位置として配置されているなら、それは取って良いものだろう。たぶん。
ミトラはそう自分に言い聞かせながら、目に付いた壺や木箱を片端に覗いていった。
成果はほどほどと言ったところか。ミトラは十軒ほど確認して、ルーン石の詰まった巾着や、いくらか目立つ装飾が施された本が数冊を手に入れた。本はノルドリッチのケースに出し入れすることでレアカードに変化する代物らしい。火達磨兵から得たもの合わせて如何程の価値になるのか。
どの程度の成果かはまだ読めないが、シラベを見つけられないという焦りを別の作業で紛らわせる効果はあった。
そのミトラの焦燥に気づいたのか、ノルドリッチが声をかけてきた。
「ねえ、急いでも仕方ないし、デッキ調整でもすれば? あそこの魔法店ならカードが取引できるよ」
デッキケースの蓋が、村の中央広場に面した一軒の建物を指し示すように動いた。傾いた看板に、書物のような意匠が彫られている。
「今はそんなこと……」
「むしろ、今するべきだと思うけどね。村の中でもゴロツキに絡まれるのなんてありがちじゃない? そういう時、君の言うカスデッキを使って相手するのは大変だよ。まっ、ボクは荒っぽく絡まれるのは望むところだけど」
「黙りなさい色情魔」
正論を言われた苛立ちをチョップに変えて、ミトラは店の方向に足を向けた。
情報も足りない。戦力も心許ない。やれることをやっておくのはもっともだった。
魔法店と呼ばれた店の内装は薄暗かった。壁一面に古びた本棚が並び、その本棚にぎっしりと仰々しい装丁の本が詰まっている。中央のカウンターにはローブを纏った店主らしき老人が座っており、ミトラが入ってきても顔を上げなかった。客商売をする気がまるで無さそうな態度だ。
「ボクに任せて。一回やったのを見たら、次からは自分で出来ると思うよ」
ノルドリッチが言うと、ミトラの目の前の空中に半透明のホログラムが展開された。先ほど森で確認したものと同じようなインターフェースだが、こちらは魔法店のシステムに接続されているらしい。
ホログラムの上に、ずらりとカードの一覧が表示された。
店頭では高価な装丁の魔法書として陳列されているレアカードと、ストレージボックスのようにまとめられたノーマルカードのリスト。価格はいずれもルーン石建てで表示されている。
ふと、ミトラはホログラムの端に視線を移した。自分の所持するルーン石の個数と並んで、所持するカード枚数やデッキ数、そして自分のステータスが表示されている。
適当に流し見しようとしたミトラの動きが止まる。
「……はぁ?」
ミトラが不満げな声を出しても、店主はピクリとも動かない。ミトラの目線の先にはプレイヤーのライフがあり、そこには「4」と記されていた。
火達磨兵との戦闘でミトラのライフは5から4に削られていた。それが、戦闘終了後も回復していない。通常のカードゲームであれば対戦が終わった瞬間にライフは初期値に戻るはずなのに。
前の戦闘で削られたライフをそのまま次の戦闘に持ち越す仕様なのか。いや、まず聞ける相手が自分の腰にいる。
「ねぇノルドリッチ。これって」
「んー、ルーン石を払えば回復薬とかが買えるけど、ここでは取り扱いが無いかな。あるいはストーリー進行で『安息の祠』っていうワープポイントにアクセスすれば基本値まで回復。あとはアンクを使った脊界魔法でも回復は出来るけど──」
「分かった、もういい」
ミトラはノルドリッチを遮った。このデッキケースはきっと、こちらが聞いてくるのをニヤニヤと笑っていたのだろう。こちらの言葉をまともに聞かずともすらすらとよく喋り苛立たせてくれる。
ライフ5で開始ですら一発の致命傷で詰むギリギリのラインだったのに、それが4に減ったまま継続される。次の戦闘でまたダメージを食らえばどんどんと削られていく。回復手段の用意は急務だ。
どうやらエリューズニルのストーリーモード開発は随分尖ったチームでバランス調整されたらしい。これはリリース延期もすることだろう。据え置きゲームとしてはありのシステムかもしれないが、ソシャゲをやる感覚としては理不尽極まりない。ましてやこの世界に生きるのであれば。
ミトラは深く息を吐き、目の前のリストに集中する。
ライフ引継ぎのルールを生き抜くためには、デッキの再構築が必須だろう。
ミトラは二つの方針を考えた。一つは確実な回復手段を組み込むこと。生命体の戦闘によるライフゲインや、回復系の戦略カードを編成に加える。デメリットとしては、回復手段が豊富な光属性を主軸にしなければいけないところか。妨害を好むミトラとしては少し物足りない属性になる。
もう一つは、絶対にダメージを受けない鉄壁のロック構築を組むこと。相手の攻撃の手を全て封じ、自分はノーダメージで殴り切る。ミトラの好みで言えば、こちらの方が肌に合う。コントロールデッキはミトラの領分だ。
だが、初期構築デッキに入っているカードでのロックはまず不可能だ。妨害札の選択肢が少なく、特定の脅威に対する解答が用意されていない。そして用意しようとすれば、どれだけのレアカードがいくら必要になるか。
一方のライフゲインのカードについては、効果の割にノーマルカードで揃えることが容易い。回復は一見すると負けから遠ざける為には良い手法のように思えるが、回復するだけでは直接的な勝ちに繋がらないものだ。そのため、カードのパワーを計る上では回復効果の価値は低くなりやすく、レアリティも低くなり、魔法店での価格も安くなっているのが確認出来る。
ここではまずライフゲインの方向で補強しなければ、次の戦闘で詰みかねない。ミトラはホログラムの上のノーマルカードリストを片端からスクロールし始めた。
並んでいるそれぞれの効果テキストを一枚ずつ確認していく。普段ならデッキビルダーアプリや通販サイトで検索一発の作業だが、ここではこうして表示されているカードそのものの情報だけが頼りだ。wikiの裁定確認や関連カード検索も使えない。フィルタ機能も最小限だが、これはベータテストでも運営に文句を言ったのに、直っていないのは怠慢だろう。
頼れるのは目の前の材料と、自分の経験だけ。ミトラはマントの内側からノルドリッチが吐き出した羊皮紙の切れ端を取り出した。地図の裏面の余白に、走り書きでデッキ案を書き留めていく。手元にペンは無かったが、ホログラムのインターフェースが空中に文字を書く機能を提供してくれた。指で空中をなぞると、淡い光の軌跡が羊皮紙上にメモとして残る。
最初の三十分て基幹となる戦略とライフゲイン方法を洗い出し、価格帯と性能のバランスを比較する。
次の一時間でメインギミック外のカード選定。フリー枠をどう構成していくのか。攻撃力よりも防御力、継続使用に耐える効果を優先する。
その次からは時間が経つのを忘れて比較と検討を行なっていた。ルーン構成の見直し。財布の中とデッキに入っているカードの売却額とも比べつつプランを練っていく。
ミトラはその作業へ完全に没頭していた。村の中の喧騒も、ノルドリッチの愚痴も、店主の老人がときおり鼻を鳴らす音も、全てが遠ざかっていた。
苦手でありながらも最も好むものという矛盾した時間を過ごす。こういうゼロから組み上げる力はシラベの方が長けており、ミトラはむしろ既にあるデッキのチューニングの方が性に合っている。
だが、デッキ構築が苦手であっても、それが楽しくないわけではない。むしろ、現実とは異なり紙を扱う煩わしさから解放された空間で、予算内に収まるように自分の新しいデッキを作るという行為は、カードゲーマーであれば誰しも心躍るものだろうとミトラは勝手に確信していた。
手持ちのルーン石と、不要カードの売却益。それらを全てやりくりしてデッキの骨格を練り上げる。その縛りプレイは望外の楽しさを呼び起こした。
「ねぇー、もう飽きたよー。早く買って出ようよー」
ノルドリッチの愚痴に誰も応えることなく、陰気な店内に溶けていった。
*
初期手札の事故率計算。コンボに必要な最小ターンとリカバリープランの手筋。普段のデッキ調整でここまで考えないだろうという慣れない中でも検討の必要な部分を洗い出していく内に、刻限を示す物が無い中でも長い時が経った。
デッキケースが鼻提灯を膨らませる最中に、ミトラはようやく納得のいく構築に辿り着いた。
完璧ではない。手元の資金とカードプールの制約上、理想とは程遠い妥協の塊だ。だが、現状で組める最善のデッキだった。
「これで」
ミトラはホログラムの取引確定のボタンを押した。
システム的な処理音と共に、選んだカードがミトラのデッキに加わり、不要だったカードがリストから消えていく。手元のルーン石の数字がほぼゼロに近い数値になった。
ミトラはホログラムを閉じ、魔法店を後にした。その瞬間。
────ぼおおおおぉぉぉぉ
不気味な低音が、村の上空に響き渡った。
穴の空いたカラーコーンでも吹いているような、と思ってから、それが角笛かラッパのようなものの音だとミトラは気付く。空気を引き裂く、重く乾いた音色。一度きりではなく、二度、三度と連続してそれか鳴り渡った。
村中が一瞬で凍りつき、次の瞬間には村人たちの間に悲鳴が走った。
「来たぞ!」
「ソロモン王の軍勢だ!」
いままで地面に座り込んでいた難民たちが、悲鳴を上げて立ち上がった。住人は家々に駆け込み戸が次々と閉じられ、子供を抱えた難民たちが閉じた家の戸を叩いて中に入れてと嘆いている。
村の中央広場では、自警団の男たちが急いで門の方向へ駆け出していた。槍を構え、村の外側に向けて陣形を組もうとしている。
パニックが村全体を呑み込んでいく中、ミトラは魔法店の前で立ち尽くした。
ミトラの視線が、ゆっくりと腰のデッキケースに向いた。
「あんた、この
「まさか!」
ノルドリッチが即座に否定したが、あ、と言葉を続ける。
「でもね。このゲーム、裏で軍勢の『警戒度』っていうパラメーターがあるらしいんだよ。そのプレイヤー行動による加算で閾値を超えたら、近くの村にイベントが発生するっていう仕組みでさ。それじゃないかな? もちろん、ボクのせいじゃないよ? キミの腰にいたせいで男漁りも出来てないし」
「警戒度もなにも、私は何もしてないでしょうが!」
プレイヤーが特定の行動を取ると敵の警戒度が上がり、町や村に襲撃イベントが起きる。そのシステム自体は理解出来る。だがミトラは森で火達磨兵を一人倒したと、村の中で壺を漁った程度だ。それで軍勢の警戒度が上がるとは思えない。ならこの騒動はそれとは関係無い偶発的なもの?
考える時間は無かった。すぐに行動を起こさないといけない。
村の防衛戦に参加するという選択肢を、ミトラは即座に切り捨てた。
RPGの主人公であればここで村を守るために大立ち回りを演じるのが王道だろう。難民を救い、自警団と肩を並べて軍勢を撃退して感謝される。親玉に対して決闘を挑む魔術師の一戦。きっとそういうシナリオが用意されている。
だが知ったことではない。ミトラの目的はただ一つ、家族たちを探すことだ。村人を助ける義理はない。ミトラが求める誰もこの村にはいない。ここで時間を使うことに価値はない。
むしろ、この騒ぎは好都合だった。村人たちは村の外側に集中していて、村の中は今こそやりたい放題出来る。今のうちにお宝を取っておき、村の柵の隙間から外に抜け出すルートを探せばいい。
「魔法店は……ちっ、動かないか。じゃあ避難民が腰掛けてた箱から行こっと」
「ボクが言うのもなんだけど、敵が迫ってるなかで呑気だね君」
ミトラはデッキケースをはたきながらマントの裾を翻し、村の中を走り始めた。
パニックの中で誰もミトラを気にしない。難民の中の身寄りのない子供が、一人で動き回っているようにしか見えないだろう。それならそれでいい。
一通りの収穫を得た後、ミトラは村の柵に小さな隙間を見つける。ためらうことなく小柄な身体を活かして隙間に体をねじ込んだ。マントの端が引っかかったが、無理やり引きずり出す。
村の外側に出て目の前に広がるのは、村と森の間の少し開けた草原だった。また森に逃げ込むか、別の方向に逃げるか。
選択する為に地図を取り出そうとしたミトラは、目の前の草原に地響きを立てて駆ける存在に対して咄嗟に身を伏せる。
人ではない。巨大な狼が二頭、草原を横切っていく。体長は通常のそれを遥かに超え、四肢の筋肉が異様に発達している。狼の背には人影があり、馬のように扱われているのが分かった。
背に乗っているのは二騎とも女だった。露出度の高い部分鎧のような装束に身を包み、それぞれ武器を構えている。
ミトラはじっと身を伏せたまま狼騎兵の様子を伺う。先ほど叫んだ村人は、ソロモン王の軍勢と言っていた。あれがそうなのだろうか。『七十二人の娘』の効果で盤面に出てくる
狼騎兵が走っていく先にミトラは注目する。先ほどの二騎は斥候なのか伝令なのか、ともかく行く先には何騎もの狼たちのシルエットが遠くでも伺える。
「つっても遠すぎるわね……なんか遠く見る手段とか無いの?」
「さぁ。あ、景色を撮影する機能はあるよ」
「そんなのオープンワールドゲーなら……あ、そうだ」
ミトラはメニュー画面を開き、ノルドリッチの言うカメラ機能を探して起動させる。目の前に四角い枠が表示され、その周囲に目当ての拡大縮小アイコンがあった。
望遠機能を最大に効かせて、ミトラは軍勢の様子を伺う。先ほど走っていた騎兵たちと似たような顔付き身体付きの女兵たちが何か話しているのが見えた。
「やっぱモブは顔グラフィックなんて使い回しよね」
ミトラは呟きながらも軍勢の様子を眺めていき、その中心、ひと際巨大な狼に跨った一人の女にカメラが止まる。
他の娘たちと違って装束は重厚で、肩には毛皮を引っ掛けている。体格は他の娘たちの倍はあった。指揮官とか将軍とか呼ばれる類の、明らかに上位の存在。
そしてその大女の脇を、別の獣に曳かれた荷車が並んでいた。
馬車ならぬ犬車と言うべきか。複数の大型の犬に綱で繋がれた粗末な貨物車。そこに乗る存在に、ミトラの目が一瞬で貼り付く。
男が座らされていた。粗末な布のような服を着て、手が縛られたまま犬車の上で周囲を眺めている。土埃に塗れた顔。乱れた髪。だが、その顔立ちはカメラ越しであってもミトラは決して見間違えない。
シラベだった。
数秒の間、ミトラの思考が完全に停止した。息も止まっていたかもしれない。
シラベがいた。生きていた。この異世界に。もしかしたらここに来たのは自分だけかもしれない、一人ぼっちで往くしかないと薄っすら思っていたけど、それでも彼は居てくれた。
安堵が胸の中で温かく広がりかけた、その時。
大女が手を伸ばし、シラベの頭を撫でた。
ミトラの体温が、一気に氷点下に向かって急降下した。
大女の手は、撫でるという動作の領分を完全に超えていた。シラベの髪をかき混ぜ、肩を撫で下ろし、頬を指の腹でなぞる。獲物に対して所有権を主張するかのような、品位の欠けた触り方だった。
シラベは迷惑そうに顔をしかめている。だが大きく抵抗していない。手を縛られて荷車の上にいる以上、振り払うことが出来ないだけかもしれない。だが、少し首を逸らすとか、何か文句を言う素振りとか、そういう苦情に見えるものを何もしていない。
ミトラの頭の中で、何かが音を立てて切れた。理性。常識。冷静さ。それらがぶつりと千切れたのだと、自身の事ながらミトラは察してしまう。
「……あいつ」
「うん? どうかした?」
退屈そうにしていたノルドリッチが、ミトラの声色が変わった事に蓋を浮かせて窺おうとする。先ほどまでならその挙動へ調子に乗るなと殴っていたところだが、ミトラの意識はそちらに構っている余裕すらなかった。
「わざと捕まって色仕掛けでもしてるわけ!?」
「えっ何言ってんの?」
「敵の懐に潜り込んでるつもりか知らないけど、あんな女にベタベタ触らせてんじゃないわよ!!」
「本当に何??」
いじりよりも困惑が強まったらしいノルドリッチをまるきり無視して、ミトラは文字通りに地団駄を踏んだ。怒りの宛先が地面しか思い付かない。
ミトラの脳内で、あれはシラベが大女の歓心を買うためにおとなしく撫でられているという解釈が確定事実として成立した。当たり前だ、シラベがそういう理由でもなければボトムレスピットの面々やヒナタを除いた奴にそういう素振りを許す筈が無い。捕虜か何かの処世術としてやっている筈だと納得しようとするが、それでも押し留められない激情がミトラの薄い胸を突く。
シラベには言ったはずだ。自分が一番でなくても、他の誰がいてもいいと。何ならシラベがここで愛人を作ろうがミトラは望むところだ。彼の心の中に自分が常にいるのが確定的に明らかな以上、そこに同居人が増えてもミトラにとってはどうでもいいのだと思っている。
この憤りの正体は──。
「あー? あー、なるほどね。愛しの彼が奴隷で情夫になっててかわいそうにっていうところかな。お疲れ様」
出したままにしていたカメラ表示を覗き込み、ようやく状況を把握したらしいノルドリッチがどうでもいいという口ぶりで言う。
「でも今の君のライフは4だし、デッキも組み上げたばかりで試運転も出来てない。あれの相手するのは無謀だから、ここは逃げて態勢を──」
「黙れ」
「ぶぇ」
ミトラはデッキケースの蓋を平手で叩いた。
草原に出る。狼に跨った娘たちの何人かが、ミトラの存在に気づいて視線を向けた。
知ったことか。握りしめられてうめき声をあげるデッキケースを掲げながら、ミトラは走り出した。
名状しがたい怒りが脳の全てを支配している。撤退や隠密という選択肢はどこかに吹き飛び、いま彼女の頭にあるのはどうすれば目に映る奴らを効率的に処理出来るかという暴への欲求のみだった。