岩陰から覗く廃鉱山の入り口を、シラベは観察していた。
肉眼ではない。メニューウィンドウから展開した撮影機能を通して、四角い枠の隅に並んだ望遠のスライダーを指で目一杯に引き上げている。淡い光で構成された枠の中で、数十メートル先の坑道の入り口がぐっと手前に引き寄せられていた。
拡大された視界には、坑道の入り口をエメラルドグリーンのローブを目深に被った者たちがこそこそと出入りしている。荷物を運び込む者、何かの巻物を抱えて出てくる者。一様にフードを深く下ろし、顔を隠していた。明らかに堅気の集団ではない。
観察しているシラベの背後に、静かだが重々しい音が下りる。続いて、地面を軽く踏みしめる足音。足音はそのままシラベに近付き、ぽすんと抱きついてきた。
「どう、なんかあった?」
「特にはなんも。相変わらず出入りが多いな。中で何人が作業してるんだか」
シラベは撮影機能を閉じて、腰回りを見る。買い出しに出掛けてきたミトラが鉱山の方をじいと見ていた。丁度良い高さにあるその頭に手を載せつつ、今後の出方を検討する。
ミトラと合流し、あの修羅場を乗り越えてから、一週間が経っている。
二人はビムから奪った巨大狼に跨り、
シラベとミトラはこの一週間でずいぶんとこの世界の仕様に順応した。中でも一番の発見は、ライフについてだ。
ビム戦の直後。あの戦いでミトラのライフは三桁まで届くほどにライフを膨らませて勝利した。その後、狼を貰ったりミトラが休憩したがったりと色々あり、ひと段落してからミトラがライフを確認してみれば、初期値の5点になってしまっていた。
驚くミトラと、仕様を思い出そうとするシラベ。いくつかの検証を経て、ライフの増減についての仕組みを導き出した。
基礎上限を超えたライフは、軍団との連戦のような持続する戦闘状態の最中にしか保持されない。サキュバスのライフゲインで稼ぎに稼いだあの数字は戦闘の連鎖が途切れた瞬間に泡と消える借り物に過ぎなかったのだ。シラベもアルファ版ではそこまで検証していなかったため、ライフの増強は永続するものだと思って気付くのが遅れてしまった。
一発の事故で即死するライフ5。振り出しに逆戻りしたかと絶望しかけたが、救いはあった。
「ミトラ、いまライフは?」
「15。さっき全快させたから満タンよ」
ミトラはウインドウを開いてみせてその数値を提示してくる。
クエストやイベントをこなすたびに与えられる報酬。その中には、基礎ライフの上限を恒久的に引き上げるものが混じっていた。一週間こつこつと積み上げて、二人の基礎上限は『5』から『15』にまで伸びている。回復拠点のチェックや、回復薬の買い込みといった戦闘外の保険も確保した。初日のような綱渡りではない。
「で。問題の廃鉱山だけど。村じゃ追加の噂はあったか?」
「変わらないわね。この廃鉱山には妙な集団がアジトを作ってて、機械人を集めてるって。前に聞いた話だけ」
村で買ってきたアイテムをシラベに渡した後、お使いに付き合ってくれた狼にもご褒美の肉を上げながら、ミトラは不満そうに唇を尖らせる。
「現実のカードのテキストには無い言葉よね、機械人って。変な単語増やさないで欲しいわ」
「この世界じゃカードタイプの『機械・生命体』を指す呼び方として使われてるらしいな。獣みたいな形をした奴にも言うのはよく分からないが……」
ま、いいや、と脇に置くシラベ。問題はそこではない。
「カルメリエルもレヴェローズも、区分上はバッチリその機械・生命体に当てはまる」
ドゥブランゴ王家の関係者はほとんどが機械・生命体だ。王女の二人も見た目こそ生身だが、見えにくいところに機械と接続するためのコネクタを持っている。
「噂にはあの鉱山の連中は
「機械人と、ある筈のない技術。まぁあのヘンテコ結晶付けてるポンコツらは関係あるかもって思えるわね」
ミトラが先回りして言い、シラベは肩をすくめて頷いた。
「元々あるサブクエストなのかもしれないし、それに沿ってあいつらもここに集められて捕まってるかもしれない。待ってても警戒が薄くなりそうにないし、さっさと殴り込むか」
シラベが腰を上げようとした、その時だった。
『おやおや。ずいぶん物騒なやり方をするね、二人とも』
ミトラの腰でぶら下がっていたデッキケース──スピーカーことノルドリッチが、蓋をぱこりと開いて軽薄な声を漏らした。
「うるさい。あんたは黙ってなさいよ」
『つれないなぁ。ボクという有能なナビゲーターがいるんだから、もっと頼ってくれてもいいのに』
ミトラがケースの蓋を指で弾いて黙らせる。喋る革のデッキケースなどという珍妙な相棒を見た時、シラベはアルファ版での素直な人格が受け継がれていないことに内心辟易したものの、今ではもはや見慣れた光景だった。
シラベは、自分の腰にぶら下げたデッキケースに視線を落とした。ミトラのそれとは違い、こちらは喋らないただの木箱だ。蓋の建付けも悪く、安っぽい。だが中身はシラベにとって命綱であるデッキだ。
(……ミトラに買わせちまってるわけだし、さっさと石稼いで渡そう)
シラベは内心で、少しだけ複雑な気分になる。
ビムへの降伏時にシラベはデッキも装備も何もかも没収され、その後結局取り返す機会が無かった。今こうしてデュエル出来るデッキがあるのは、ミトラが稼いだルーン石で二つ目のデッキを組んでくれたからに他ならない。それを入れる木箱も、着替えも、全部ミトラの財布から出ていた。
シラベの感覚ではそれは紛れもなく借金だ。だからデッキを手に入れて自分でも稼げるようになってからは、デッキの強化よりも貯金に回してミトラへ返せるように準備をしている。
なのに。
「シラベ。石溜まってきてるんなら、さっさと使った方がいいんじゃない? 買いたいカードあるでしょ?」
ミトラがちらりとこちらを見て、口の端を吊り上げた。その表情はシラベがどういう意図で貯めているのかを知っている上で、隠しきれない優越感が滲んでいる。
シラベは溜め息を呑み込んだ。
ミトラのこれは、明らかに楽しんでいる顔だ。甲斐性のある年上として、年下の彼氏にあれこれ買い与えてやっている──そういう構図に、この三十五歳児は完全に酔っている。返済を申し出るたび、急がなくていいのにとでも言いたげな、生暖かい目で見てくるのだ。
少額で返しても、またミトラがお節介で石を消費すれば借金という感覚は消えない。一括でどんと返してやるためにシラベは歯噛みする現状を受け入れている。
「デッキは今のままでいい。使う宛はもう決まってるんだよ。収入も安定してきたしな」
「ふぅん。じゃあ、いっぱい稼いで貢いでくれてもいいわよ? 彼女に」
「言ってろ」
軽口を切り上げ、シラベは振り返った。そこにはご褒美の肉を早々に食い尽くした狼が退屈そうに伏せている。ビムの乗騎だったそれは、今やすっかりミトラに懐いていた。
「おい、しばらく大人しくしてろよ」
シラベが声を掛けると、狼はじろりと一瞥をくれただけでそっぽを向いた。あからさまな塩対応だ。この狼、ミトラには腹を見せて甘えるくせに、シラベのことはただの荷物程度にしか思っていない。先日も背中から振り落とされたばかりである。
「いい子で待ってなさいね」
ミトラが鼻先を撫でると、狼は途端にだらしなく尻尾を振った。露骨な差にシラベの頬が引き攣る。
「……行くぞ」
狼と目線で火花を散らし終えてからシラベは向き直り、ミトラと共に身を低くしながら坑道へと進んでいく。
*
坑道の中は、シラベの想像とは違っていた。
最初こそ湿った岩肌と錆びたトロッコのレールが続く、ありふれた廃鉱山の風景だった。だが奥へ進むにつれて、その様相は一変していく。
岩肌に無駄に豪奢なタペストリーが掛けられ始めた。燭台の灯りが等間隔に並び、足元には埃一つない絨毯が敷かれている。曲がり角を抜けるたびに装飾は過剰さを増し、やがて行く手には祭壇まで設えられていた。
「悪趣味ね。金の使い方を知らない成金の家みたい」
辛辣な感想を呟くミトラ。シラベも無言で頷く。どんな馬鹿がここをデザインしたのだろうか。
進行方向から近付いてくる物音に気付いたシラベはミトラに身振りで伝え、互いにデッキを抜く。待ち構えているところに、角からエメラルドグリーンのローブを纏った人影が二つ現れた。
フードの奥から覗くのは人の顔ではない。剥き出しの歯車と、噛み合う金属部品で構成された人型。だが口に当たる部分からは人間のような声が響く。
「──侵入者だ!」
「おう。お出迎えご苦労さん」
シラベはすでに表示していた対戦盤面の上にデッキを置く。それに呼応して機械人の眼前に、対戦盤面のホログラムが展開された。
敵対意思を持つ者とは魔術師は対戦を挑め、倒せば無力化出来る。倒された敵は死んだり気絶して倒れるだけだったりとまちまちだが、押し入り強盗をするならどちらでもいい。
カードゲームしか自慢出来るところがない二人が頭を捻って隠密したりマンチ戦法を取るよりも、得意分野を押し付けて進むほうがよほど性に合っている。
慣れた手つきでマナを並べて盤面を捌く。隣ではミトラが既にサキュバスを並べ、もう一体の機械人を一方的に蹂躙していた。
「悪いな。ちょっと漁ったらすぐ帰るからよ」
程なく二体の機械人はライフを削り切られた。その場でカクンと動きを止め、ぜんまいの切れた人形のように崩れ落ちる。
その後も見回りが現れるたびに、二人はそれを淡々と処理していった。一週間鍛えたデッキは十分に強化されており、雑兵程度の機械人は障害にすらならない。蹴散らし、踏み越え、二人は神殿の最奥へと突き進んだ。
*
やがて、坑道は開けた。
広大な地下空間。ドーム状にくり抜かれた天井は高く、無数の燭台が空間を黄金色に照らしている。そして、その中央に鎮座するものを見て、シラベの足が止まった。
巨大な石像だ。見上げるほどの高さ。無駄に精巧な彫りで再現されているのは、タイトな服を纏い、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた女の姿。豊満な胸を強調するように両手を組み、信者を見下ろすその顔は──。
「……カルメリエルじゃねえか」
シラベは呻くように言うしかない。
見間違えるはずもない。あの腹黒シスターの顔が、神々しく見上げるサイズで彫り上げられている。
そして、その石像の足元。豪奢な装飾の施された玉座のような大きな椅子に、一人の女がふんぞり返って座っていた。
ピンクの髪。シスター服。常に細められた糸目。間違いなくカルメリエル・ドゥブランコその人だった。その足元には、エメラルドグリーンのローブを纏った機械人たちが、何十体と跪いている。
「おお、愛しき信徒たちよ!」
カルメリエルが、両腕を大仰に広げて声を張り上げた。その声には、聞いたこともないほどの陶酔と威厳が乗っている。
「我らの安寧を脅かす侵入者に、神罰を下しなさい!」
跪いていた機械人たちが、一斉に立ち上がる。
水を得た魚のように生き生きと教祖を演じる女。その姿にシラベは数秒間、言葉を失った。
ちらりと周囲を見回す。この空間にもう一人のポンコツの姿は無い。いるならさすがに殴って止めてくれていただろうか。一緒に洗脳でもされていただろうか。それは分からない。
「なあ、ミトラ」
「何よ」
「俺たち、こいつが敵に捕まって酷い目に遭ってるんじゃないかって、心配してたよな」
「まぁ、一応ね」
シラベとミトラは顔を見合わせた。そして、揃って深々と──今日一番の、肺の底から絞り出すような重い溜め息を吐き出した。
心配して損をした。あの女は捕まっているどころか、この世界で悠々自適にカルト教団の教祖に収まっていたのだ。
カルメリエルの号令を受け、機械人たちが一斉にシラベたちへ殺到する。無数の対戦盤面が発生する通知が、シラベたちの眼前に次々と出てくる。
「はいはい。こっちの相手は私が適当にやっておくから」
ミトラが一歩前に出て、面倒くさそうに新たなデッキを構えた。多人数戦に備えた、一回殴るたびにそのダメージを全員にダメージを飛ばす極悪非道の火属性デッキだ。
「あんたはあの馬鹿をなんとかして」
「ああ。任せた」
ミトラが先んじて前に出ることで機械人どもの注意を一身に引きつけ、盤面を広げていく。その隙間が、玉座へと続く一本の道を作り出した。シラベは周囲を無視してずかずかとその道を突き進む。狂信者どもの間を縫って、まっすぐに玉座のカルメリエルへと歩み寄る。
怒りのオーラを隠そうともしない男の接近に、玉座の上のカルメリエルが、ふと表情を変えた。
その目がわずかに見開かれる。教祖としての威厳が剥がれ落ちる音まで聞こえるようだ。
「……シラベ様!?」
カルメリエルは、感極まったように玉座から立ち上がった。
「ようやく、ようやく再会できましたわ! わたくし、ずっとお会いしたくて……!」
両の瞳に大粒の涙を浮かべ、両手を広げるカルメリエル。駆け寄りながらシラベ目掛けて勢いよくダイブした。
豊満な胸を弾ませ、感動の抱擁を求めて飛び込んでくるピンク髪のシスター。その絵面だけ見れば感動的だが、シラベはその抱擁を一切受け入れる気は無かった。
飛び込んでくるカルメリエルの脳天目掛けて、握り固めた拳を力いっぱい振り下ろす。
「ふぎゃっ!?」
重々しい殴打音と悲鳴が重なり、邪教の神殿に響いた。
「この生来カルト女! なに怪しい宗教団体作ってやがる!!」
シラベの怒号とのた打ち回るカルメリエルの実に情けない悲鳴が、黄金色の地下空間に長々とこだました。