カスレアクロニクル   作:すばみずる

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141 これ以上に強い動機が他にありますの?

 カルメリエルが廃鉱山の最奥に設えた私室。神殿の豪華さとは異なる、主人の趣味に合わせた調度品で固めた一室だ。粗く削られた岩壁を隠すように鮮やかな色のタペストリーが掛けられ、足元には毛足の深い絨毯、天井からは小ぶりのシャンデリアが吊るされている。信徒たちにせっせと運び込ませたお気に入りばかりが揃った、カルメリエルの城だった。

 

 その中央に置かれたソファに今、彼女はシラベと並んで腰を下ろしている。

 

「一週間ぶりの再会で、まさかこのような扱いを受けるとは」

 

 カルメリエルは脳天をさすり続けていた。ピンクの髪をかき分けて患部を確かめると、先ほどシラベの握り拳が情熱的にご挨拶してくださった痕跡が膨らんでおり、未だじんじんと熱を放っている。

 

「シラベ様、ひどいですわ」

 

「自業自得だろうが」

 

 シラベは雰囲気を作る気などさらさら無いとそう切り返してきた。視線も合わせてくれない。久方ぶりの再会だというのに、にべもないことこの上ない。

 

 もっとも、この方がそういう御方だというのは元より承知のこと。素直に再会を喜んで頬を緩めるような可愛らしさをシラベには期待していない。むしろ、この素っ気なさが日常の証だとカルメリエルは自分に言い聞かせる。

 

 とはいえ、脳天は未だ痛い。ミトラが戦利品収集という名目でカルメリエルが集めさせた宝物殿で籠もっている間、カルメリエルは久しぶりのシラベとのひと時を楽しめるというのに、この鈍痛は余計だった。

 

「未知の世界で効率よく情報と物資を確保するには。教団というシステムを構築するのが一番手っ取り早いですのに」

 

 カルメリエルは口を尖らせたまま、拗ねたように零した。

 

「信徒というのは便利なものですわ。日々の教義の唱和で結束を固め、お布施で資金と物品を集め、巡礼の名目で各地の情報を持ち帰らせる。私はその全てを差配し、最奥に座っているだけで此処の地理から物価、果てはどこの村のパン屋が美味しいかまで把握できますの。これほど合理的な手段はございませんでしょう?」

 

「仮にも宗教組織で頭張ってた奴がそういうこと言うの、ある意味期待通りだけどどうかと思うぞ」

 

 シラベは深く息を吐いた。

 

「こんな異常事態に放り込まれてんのに、店に来るガキども誑かして十字軍作るところから何も変わってねえのな。芯のブレない女だ」

 

「あら、お褒めいただいて光栄ですわ」

 

「褒めてねえよ」

 

 即座のツッコミに、カルメリエルはくすりと笑みを零す。こういう応酬こそが、欲してやまなかったボトムレスピットの香りである。たまらない。

 

 だがシラベはツッコミに留まらず、人差し指を落ち着きなく揺らし始めた。本格的に文句を言う時の癖だ。

 

「百歩譲って教団を作るのはいい。実際この一週間、お前が無事だったのもそのお陰だったんだろうしな」

 

「ご理解いただけて何よりです」

 

「だがな。あんなバカでかい自分の石像まで作らせてるのは何なんだよ」

 

 シラベは部屋の出口、その先にある大広間を指で示した。そこにはカルメリエルの姿を模した巨像がある。

 

「アレ作るくらいなら俺やミトラ、レヴェローズの捜索に人員を割けよ。お前を全力で崇拝するご立派な信徒どもが何十人もいるんだろ。三人ぐらい余裕で見つけられたんじゃねえのか」

 

 予想通りの指摘が来た事に、カルメリエルは自信満々の顔を被って胸を張る。微塵も悪びれない、聖職者然とした朗らかな微笑みを浮かべるのは得意だ。

 

「まだこの組織は若く、多くの事には手が伸ばせませんの」

 

「あ?」

 

「強固な組織というのは、盤石な土台があってこそ。そして寄せ集めの烏合の衆を真の土台とするためには、共通の一大事業を完遂させることこそが最も結束を深める手段ですわ。彼らはあの石像の建造に汗を流すことで、初めて『同じ神を仰ぐ同志』としての絆が深まりましたの。あれは必要な投資なのです」

 

「……それらしいこと言ってるつもりだろうが、お前自身が見上げて悦に入るためじゃねえかのか」

 

「うふふふ」

 

 カルメリエルは口元を上品に手で隠しながら微笑む。たとえ事実であったも認めなければ真にはならない。

 

 とは言え、そろそろここで嘘をついても可笑しなことになる。

 

「それに……」

 

 カルメリエルは少しだけ声のトーンを落とした。口元を隠していた手をひざの上に戻す。微笑みの形は崩さないが、声に乗っていた茶化しが自然と薄まる。

 

「私はシラベ様やミトラ様、そして、あの粗忽な愚妹が、この世界での分断程度でどうにかなるような、軟弱者だとは思っておりませんでしたから」

 

 シラベの横顔をじっと見つめる。

 

「シラベ様は必ずミトラ様と再会なさるでしょうし、再会なされば、もはやお二人を引き剥がせる存在などこの世界にはいらっしゃらない。あの愚妹は何処に飛ばされていようと、あの調子で騒がしく日々をやり過ごしているはず。誰一人として、この程度の理不尽で折れる方ではないと、確信しておりましたの」

 

 ボトムレスピットの家族たちは、強い。カルメリエルにとって、それは祈りや願望ではなく、揺るがない信頼だった。彼女自身がこうして一週間で居場所を確保したのと同じように、皆もそれぞれの居場所で、それぞれの強さで、ちゃんと生き延びていると信じていた。

 

「ですから、心配などしておりませんでしたわ」

 

 言い切って、そっと視線を脇に逸らす。逸らした視線の先にはシャンデリアの淡い光に照らされた壁掛けのタペストリー。心地よい色合いで満たされた、自分のお気に入りの部屋。

 

 ゼロから作り上げることのできた、自分の城。これだけの居城を整えても、心の片隅から消えることのない、薄い氷のような感触が確かにあった。

 

「……寂しくは、ありましたが」

 

 付け加えた一言は、自分でも驚くほど小さなものになった。シラベの方を見ないまま、肩を竦めて取り繕おうとする。

 

「随分と俺たちを高く評価しやがって」

 

 隣でシラベがふぅと息を吐く気配。

 

 次の瞬間。カルメリエルの肩に、シラベの腕が回った。

 

「わ」

 

 無遠慮に。しかし力強く。隣で並んでいた距離が一気にゼロまで詰まり、カルメリエルの体は、シラベの腕の中へ背中から深々と引き寄せられた。

 

 二の腕がカルメリエルの胴を抱え、胸板が背中に密着する。シスター服越しに、シラベの体温と匂いと心拍とが、一気にカルメリエルの全身を包み込んだ。

 

「シ、シラベさ──」

 

「ミトラは一応だったかもしれないが。俺はお前のこと、心配してたぞ」

 

 耳元で、低く囁かれた一言。ストレートも甚だしい、一切の捻りも装飾もない、ただただ真正面からの言葉。

 

 カルメリエルは耳に注ぎ込まれた一文を処理しきれず、数秒間フリーズした。目を丸くしたままシラベの腕の中に収まるしか出来ない。いつもは薄くしか開かれていない目がすっかり広がり、頬がじわりと熱を持ち始め、その熱は瞬く間に首筋まで広がっていく。

 

 この一週間、心の中に押し込めて、何でもないふりをして。全てが終わるまでに整理しておき、今は疼かないように仕舞ったはずの感情。そこにいきなり指を突っ込まれて、ぐるぐると掻き混ぜられている。鼻の奥がつんと痛んだ。

 

「し、心配など、無用ですわ」

 

 声が無様に裏返った。動揺を悟られまいと、カルメリエルは咄嗟に口を動かし続ける。ごまかす事は慣れている。得意分野だと自分では思っている。手っ取り早く話を逸らすには余裕を見せることが早い。度量の底を示さなければ勝手に相手が見誤ってくれる。

 

「私は……経験上、そういう、乱暴な環境にも、扱われ方にも、慣れて、おりますから……シラベ様も、ご存知でしょうか?」

 

 カルメリエル・ドゥブランコがどのような最期を迎えたのか、背景ストーリーを知るシラベも分かることだろう。それを盾にして自分の平気な事の証明とする。

 

 孤独に放り出される程度なら、自分の轍として描かれた話と、将来刻まれる恥辱と比べれば何ともない。こうしてシラベが心配しているなどというのは的外れな言葉であり、的外れな言葉であればカルメリエルが揺るがされる原因になる筈がない。

 

 だが。

 

「そんなもんに慣れようとするな」

 

 シラベの腕の力が、ぐっと強くなった。逃げ場が完全に塞がれる。耳のすぐ後ろから、低く、独占欲と庇護欲の入り混じった声が、直接鼓膜の奥へ流し込まれてくる。

 

 誤魔化しが通用せず、むしろ逆効果だった。シラベはカルメリエルの言葉をそれごと抱きしめてくる。話を逸らすどころか、逆方向にぐいぐい引っ張られている。

 

「ふぁい……っ」

 

 思わず。カルメリエルの口から、聖女としても王女としても絶対に出してはいけない種類の、情けないほど緩んだ返事が漏れた。

 

 数秒前まで取り繕っていた強がりはもう跡形も無い。異世界で教主を名乗ろうとしていた女は一切の防御を失って、男の腕の中でただの娘に逆戻りしていた。

 

「良い子だ」

 

 シラベが空いた手でカルメリエルの頭を撫でる。

 

 止めようと思えば止められたかもしれない最後の理性が、その「良い子」の三文字と、頭頂部を撫でる掌の感触で、音を立てて溶けて流れた。一週間、信徒の前で気高く振る舞い演じ続けた反動だ。緊張は解けるときには一気に解ける。

 

 欲求が、カルメリエルの中でもはや一切の抑制が効かない大きさにまで膨れ上がっていた。

 

 すっかりシラベに身を委ねたカルメリエルは、抱きしめられた体勢のまま、身を捩るように体の向きを変えた。

 

 膝の上で行儀よく組んでいた手を解き、ぺたりとシラベの胸板に添える。とろりと開かれた瞼から、潤んだ瞳でシラベの顔を見上げた。潤む視界。頬は熱を帯びたまま収まる様子は無い。

 

「シラベ様……」

 

 甘く、低く、囁く。

 

「少し、お休みになりませんか?」

 

 からかいも義務感も無い言葉に、やはりはしたないのではないかという想いがよぎり、また顔が熱くなる。だがもういい。レヴェローズやミトラがやることを自分がやって何が悪いのだ。自分だってローテーションに組まれている仲間で家族である以上、たまの抜け駆けはいいだろう。

 

 シラベの口元が、僅かに引き攣った。

 

「いや、ちょっと待て」

 

「ご不安があるのでしたら、それは杞憂ですわ」

 

 シラベの躊躇する素振りを、別の心配と勘違いしたカルメリエルは、慌てて畳みかける。完璧な布陣を敷いてあることを、嬉々として説明していく。

 

「ミトラ様のことならご心配ご無用。部下の信徒たちには、お布施であるカードやアイテムをすべて開陳し、最大限の歓待を尽くすよう徹底的に指示を出してございますわ。あと一時間、ミトラ様の性格なら二時間はあるでしょう」

 

「だから待てって」

 

「こんな事もあろうかと、この部屋は防音仕様にしてあり外には何一つ音は漏れません。一切、誰にも邪魔はされませんわ」

 

 言い切って、頬を寄せる。かんぺきな布陣だ。久方ぶりの再会に対してこれ以上の好条件があるだろうか。

 

 なのに、シラベの表情はどこかバツが悪そうな、それでいて同情すら混じった、ひどく複雑なものになっていた。

 

「いやな……ミトラがどうとか、防音がどうとか、そういう問題じゃなくてな」

 

「では、何が?」

 

 不思議そうに首を傾げるカルメリエル。

 

 シラベは天を仰いだ。何かを諦めたような吐息を漏らした後、こちらに向き直る。

 

「お前、忘れてるかもしれないが」

 

「はい?」

 

「この世界はエリューズニル、スマホのアプリゲームの中だ。それはいいよな?」

 

「はぁ。おそらくはそうでしょうが、それが何か?」

 

 シラベはまるで世界の真理でも告げるような、重々しい秘密を明かす賢者のように勿体ぶって口を開く。。

 

「アプリストアで配信されてるゲームってのはな。大体全年齢向けか、高くてもR15指定なんだ」

 

「ええ」

 

「つまりだ」

 

 シラベは、深く、深く息を吸い込み、絞り出すように告げた。

 

「この世界では、レーティングに引っかかる『そういう事』は、出来ねえんだよ」

 

 しん、と。部屋の中の時間が、止まったような気がした。

 

「……は?」

 

 糸目がぱちりと開かれ、カルメリエルの口から、聖女のものとは到底思えない素っ頓狂な声が漏れる。

 

 信じられなかった。信じたくなかった。一週間のお預けと今しがたの劣情を煽る女誑しの手管が、すべてゲームのレーティングという無味乾燥なシステム上の制約一つで発散の機会を得られない?

 

 そんな理不尽があって良いはずがない。

 

「……シラベ様。失礼ながら、私はその説明を受け入れることが出来ませんわ、実証を希望します」

 

「いや、もう確かめて」

 

 シラベが何かを言いかけたが、もはやカルメリエルの暴走は止まらなかった。シラベの両肩に手を掛け、そのままぐいっと押し倒す。ふかふかのソファにシラベの背中が深く沈み込んだ。

 

「ちょっ──」

 

「動かないでくださいまし」

 

 シラベの上に馬乗りになる体勢で覆い被さり、カルメリエルは震える指でシラベの服を脱がせていく。

 

 留め金を外していけば、特に何の抵抗もなくアウターは肩から滑り落ちる。

 

「ほら、脱げますわ」

 

 次にシャツの裾を引き上げる。これも何の問題もない。布地はカルメリエルの手の動きに素直に従って捲られていく。

 

「ふん、ほら、嘘ではありませんの。脱げますわ、脱げます──」

 

 最後の一枚。シラベの腰回りに残された、最も内側の布地に手を掛けたカルメリエルの動きが、ぴたりと止まった。

 

 指先で布の端を摘み、ぐっと引き下ろそうとする。

 

 動かない。

 

「……あら?」

 

 力を込め直して、もう一度引く。布地はカルメリエルの指の力に応じて多少は伸びるものの、ある一線から先には絶対に動かない。まるで透明な板で固定されているような、不可解な抵抗。

 

「な、なな、なんで」

 

「だから言っただろうが」

 

 シラベが、半端にはだけた胸元のままで、深い溜め息と共に言った。

 

「R15以上の表現になりそうなところは、システムが弾くんだよ。引っ張ろうが破ろうが、ここから先は絶対に脱げねえ」

 

「そんな──そんな、横暴な──」

 

 カルメリエルはなお諦めず、両手で全力で布地を握って引っ張った。

 

 うんともすんとも言わない。指先が白くなるほど力を込めても、布地は微動だにしない。逆に、引っ張る指先が見えない壁にぶつかったかのように、空中で軽く弾かれた。

 

「……っ」

 

 カルメリエルの目に、じわりと涙が浮かんだ。

 

 半ば呆然として、力なくシラベの胸板の上に体を倒す。半端にはだけられたシャツの隙間から覗くシラベの素肌に頬を擦り付け、その温もりを感じれば感じるほど、超えられない壁の存在が悔しくて仕方ない。

 

 今頃になって、自分が押し倒した姿勢で何をどこまで求めようとしていたのかを思い出して、血の気が引いていた頬がさらにかあっと熱を持つ。羞恥と、絶望と、欲求不満。それらが渾然一体となって、カルメリエルの瞳から、ぽろりと一粒の涙を零させた。

 

「……これでは、ただの生殺しではありませんの」

 

 ぽろぽろと、涙が止まらない。シラベの胸板の上でカルメリエルは、教祖らしさのかけらもない情けない泣き顔を晒していた。

 

「ひどい……ひどいですわ……こんな理不尽な世界の仕様、絶対に間違っておりますわ……」

 

「いや俺に文句言われてもな」

 

「シラベ様の頬を埋めて、シラベ様の匂いに包まれて、ようやくこうしてシラベ様に触れることが出来ましたのに……ここから先は駄目なんて……」

 

「知らん。運営に言え」

 

 シラベは深い溜め息をついた。だが彼の手は、半端にはだけた胸元のままで泣きじゃくるカルメリエルの背中を、なだめるように優しく撫で続けてくれていた。

 

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、カルメリエルはシラベの胸板にしばらく顔を埋め続けた。涙はなかなか止まらなかった。

 

 しばらくして、ようやく落ち着いてきたカルメリエルがぽつりと呟く。

 

「……シラベ様」

 

「なんだよ」

 

「クリアいたしましょう」

 

「は?」

 

 カルメリエルは涙で濡れた顔を上げる。

 

「このゲームを、一刻も早くクリアいたしましょう。そして、私たちの家に帰るのです。元の世界に戻れば、こんな理不尽なレーティングの制約などございませんでしょう? すぐにでもお布団にご一緒できますわ」

 

「お前、やる気の源泉がそれかよ」

 

「これ以上に強い動機が他にありますの?」

 

 潤んだ瞳でシラベを真っ直ぐに見上げて、カルメリエルは堂々と言い切った。

 

 シラベは様々な文句を浮かべた顔をごまかさない。今にも悪態をつきそうな顔だがしかし、首を横に振りはしなかった。

 

「……ま、泣き続けられるよりはマシか」

 

 諦めの混じった呟きを聞き、カルメリエルは涙の残った顔で微笑みを浮かべた

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