カスレアクロニクル   作:すばみずる

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148 本気だよ。当たり前じゃないか

 夏の昼前となると、空気はもう既に焦げ付いていた。アスファルトから立ち上る陽炎、街路樹の葉から滴る蝉時雨。それらが混ぜ合わさった、夏特有のじりじりとした倦怠感が街全体を覆っている。

 

 亜修利ヒナタは、その熱気を躱せる稀有な居場所を確保していた。公園の片隅、葉を広げた楠の木陰に置かれたベンチだ。直射日光から守られ、風の通り道にもなっている。日陰のここだけは、街中の気温よりも数度低い。

 

 ヒナタはベンチに体を預け、片手で自販機で買ったばかりのアイスバーを齧っていた。胸元を大きく開けたノースリーブのワイシャツから露わになった鎖骨に汗がうっすらと滲み、その奥には男たちの視線をいくつも捕らえてきた豊かな膨らみが控えている。

 

 近くを通り過ぎたサラリーマンが二度見をして電柱にぶつかるのをヒナタは眺めつつ、じっと待つ。

 

 ヒナタの待ち人たちが姿を見せたのは、それから五分ほど後のことだった。

 

 公園の入り口の方からその三人が歩いてくる。ぎこちなく顔を引きつらせた橋谷クモン。その隣を歩くのは、肩で風を切るような姿勢の兼定キリメ。そしてその手を引かれるようにして、ふらふらと付いて来る黒髪の少女。

 

「やぁ、お三方。よく来てくれたね」

 

 ヒナタはアイスを唇から離し、ベンチから片手をひらりと振った。

 

 近付いてくる三人を順番に観察する。

 

 まず、全てを喰らう大穴。漆黒の肌に長く伸びた黒髪、そして子供のような体躯にはあまりに不釣り合いな膨らみ。だが身に纏っているのはボロキレのような衣装ではなく、彼女は薄手の黒いタンクトップに、デニムの短パンだった。

 

 タンクトップの裾からは黒い臍が覗き、丈の足りなさが胸元の余白を不安にさせる。ボロキレよりは遥かに整っているが、それでも露出量はなかなか凄いことになっていた。

 

 キリメもまた、大穴と同じくタンクトップに短パンになっている。スカジャン姿のおなじみのキリメとは打って変わって、夏らしい軽装だ。大穴とは異なり背丈があり手足も長いキリメからは、閉じ込められている胸の膨らみの主張は激しいがどこか健康的な印象を受ける。

 

 最後にクモン。こちらは半袖半ズボンという普通の小学生の格好だ。ただ、隣の二人を意識しているのか視線の置き場に困っていて、顔をしきりに動かしている。

 

 ヒナタは三人が手前に立ったところで足を組んだ。

 

「大穴を着替えさせたのかい。それでもずいぶん露出が多い服だね」

 

「いや、ヒナタさんも大概じゃん」

 

 即座にキリメから返ってきた指摘に、ヒナタはくすりと笑う。

 

「私は普段からこうだよ」

 

「見るたびに薄くなってんだろ」

 

「もう夏だからね」

 

 軽口を交わしながら、ヒナタは大穴のタンクトップの裾を指でつまんで軽く伸ばしてみる。体格のせいで既に限界まで引き伸ばされた布地は硬く、内なるものを必死に抑え込んているのがわかる。

 

「おーちゃんに合う服は他にもあったんだけどね。あんまり布地が多いのは嫌みたいでさ。これで妥協したんだよ」

 

 キリメが惜しむように言うが大穴は気にもせず、ヒナタの手を取って自分の頬に擦り付けてくる。とりあえず撫でて欲しいらしい。ヒナタは請われるまま、大穴の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

「あまり服に馴染みがないのかもしれないね。で、キリメくんが似たような格好をしているのは何でだい??」

 

 いっそわざとらしくうにゃうにゃと言っている大穴を楽しませるためにヒナタは指を動かしながら、隣に視線を移した。

 

「あー、いや、これは」

 

 キリメの目線が僅かに横に泳ぐ。

 

「おーちゃんだけだと目立つかもだから、誤魔化すために、さ。似たような格好のがいれば通行人の目線散らせるだろ。……ちょい恥ずかしいけどさ」

 

 しどろもどろの言い訳を、ヒナタは聞き流す。泳いだ先の目線がクモンに行っている以上、本当の理由は別だろうことは見ていればだいたい分かる。

 

 可愛らしいものだ、とヒナタは内心で笑う。かつてクモンの興味をキリメに向けた成果が、今こうしてキリメからの反応で見えている気がして嬉しい気持ちもある。

 

「な、何だよその顔は」

 

「いや、いい子だなって思っただけさ」

 

 ヒナタは深追いせずに、ベンチから立ち上がる。アイスバーの最後の一口を口に放り込み、棒をひょいとゴミ箱に投げ入れた。

 

「じゃ、行こうか」

 

 三人を従えて、ヒナタは住宅街の方向へと歩き出した。

 

 

 *

 

 

 目的地までは、徒歩で二十分ほどの距離だった。

 

 郊外の住宅街。新興マンションも無ければチェーン店も無い。代わりに、それぞれ趣向の違う一軒家が肩を並べている。表札の苗字はどこかで見覚えのあるような無いようなものが連なっており、思い入れが無いものからすると無味乾燥な地帯とも言える。

 

 歩く道すがら、ヒナタはこれから向かう先について三人に説明する。

 

「目的地は、ある一軒家だ」

 

「一軒家?」

 

 クモンが首を傾げる。隣のキリメも訝しげな顔だ。

 

「そこには新谷エダハという人物が住んでいる。エリューズニルのサービス開始と合わせて連載が始まった、公式WEB漫画の作者だね」

 

「この間お店で見た、ストレンジサーガを描いてる人ですよね」

 

 クモンの言葉にヒナタが頷く。

 

「で、なんでわざわざ漫画家センセイの家に行くんだよ」

 

「それはね」

 

 ヒナタは足を止めず、ごく真面目な声で言った。

 

「彼が描いたストレンジサーガの一話目で登場する女主人公が、ミトラにそっくりだからだよ」

 

 しばし、沈黙。

 

 キリメとクモンが、揃って胡散臭そうな目をヒナタに向けた。

 

「……えっと、ヒナタさん」

 

「うん?」

 

「それ、本気で言ってんの?」

 

「本気だよ。当たり前じゃないか」

 

 ヒナタは涼しい顔で答え、それを見つめる二人の顔色が呆れから諦めへとシフトしていく。

 

「なんだいその顔は」

 

「いやだって、写真があったとか、それこそ本人を見たとかなら別だけどさ。漫画のキャラクターが似てるって……」

 

 キリメが頭を掻きながら、半ば呆れて言う。クモンもおずおずと頷きながら言葉を選ぶ。

 

「キャラクターで似てるからって押し掛けようとするのは、色々難しいんじゃ……」

 

 子供の素朴な指摘が続けて入る。ヒナタは両手を腰に当てて、何故か不満そうな顔をする。

 

「キリメくん、クモンくん」

 

「は、はい」

 

「私が、ミトラについて見間違えると思うかい?」

 

「……いや、知らねえけどさ」

 

 キリメが視線を逸らした。クモンも目線を地面に落とす。

 

 二人とも、ヒナタという女が普段からどれだけミトラに言い寄っているかは知っている。あの子供が店長であると知る前から、店にいるヒナタが事あるごとに近寄り、スリ寄り、いくら罵倒されてもなおにじり寄るのは店の風景として受け入れられてしまっていた。

 

 そして厄介なことに、まともな人間の思考回路をヒナタが有していないということも、キリメとクモンは気付いてしまっていた。

 

 事の顛末が知りたいという欲求から招集に応じてしまったのはキリメとクモンだ。自分から飛び込んでしまった虎穴にこれ以上文句を言うのは見苦しいかもしれない。理解はしたくないが。

 

「ま、まあ。じゃあ、その漫画家のセンセイが、ミトラ店長の何かを知ってるかもしれないってわけか」

 

「そういうことだね」

 

「で、アタシらに何させるつもりだよ」

 

 キリメの言葉に、ヒナタはクモンの肩を軽く叩いた。

 

「クモンくんには、この作者のファンになってもらいたい」

 

「ファン……ですか?」

 

「無垢な子供を装って、家に行って、サインをねだる。家から出てきたところで私が出張り、もし逃げ出すようならキリメくんが走って捕まえる。こういう流れまでいこう」

 

「おい、アタシは犬かなんかか」

 

 自分の扱いに不満を抱いているキリメは無視されつつ、クモンが眉をひそめた。

 

「子供だからって、相手にしてくれるとは限らないんじゃ……。ヒナタさん社長でしょ? そっちの方が信用ありそうだし話聞いてくれそう」

 

「こういうのは逆に立場がある人間だと警戒されるかもしれないからね。現に会社経由でアポイントメントを取ろうとしたが返事がないんだ」

 

 別に好きで社会規範を無視しようとしてるわけじゃないんだよ、と呟くヒナタをクモンとキリメは睨むが効果は無い。

 

「会社対応として一週間待ちはまぁ、無くは無い。だがあの店の面々が消えてからこれ以上時間をかけるのはよろしくないと思う。仕掛けるしかない」

 

 その隣で、キリメがぽつりと呟く。

 

「てっきりまた、『万能カギ』を使うのかと思ってたんだけど」

 

「ピッキングで侵入は、今回は無しだよ」

 

 ヒナタはあっさり首を振る。

 

「実は情報を集めるために何人か雇ったんだ。周囲での聞き込みとかも含めてね。でも忍び込ませたものは帰っていない。そういう侵入にはリスクがありそうだ」

 

「は……?」

 

 キリメの足が、一瞬止まった。

 

「帰ってないって、どういう……」

 

「文字通りの意味さ。連絡もつかず行方も掴めない。不思議だね」

 

 ヒナタはなるべく平静を装って答える。何件か仕事をやらせている手の者たちが消えている事実はヒナタを不安にさせているものの、それを重々しく見せたところで子供達の為にはまるでならないのは分かっていた。

 

「……いや、それやばすぎだろ」

 

 ヒナタの警戒はやはり正しく、しかし抑えきれるものでもなかった。キリメが大きな声を上げる。

 

「やっぱりアンタ、まともじゃねえじゃん!? ……いや、それもそうだけどそうじゃなくて、そんなヤバイ奴の家にクモンを向かわせるつもりかよ!」

 

「だから、大穴が要るのさ」

 

 ヒナタは振り返り、自分の後ろに付いて来ていた黒髪の少女の頭にぽんと手を載せた。

 

「いま私が知り協力をあおげる中で、一番の超常現象はこの子だよ」

 

 大穴はぼんやりとした表情を変えずに、撫でられた頭を気持ちよさそうに傾ける。

 

「待ち構えているところに何かあるとしても、不条理の存在である彼女が付いていれば心配は少ないだろう。キリメくんだと見たまま不良と思われて良くないが、大穴なら背だけ見ればクモンくんと変わらないから、そう警戒もされないはずだ」

 

「不良で悪かったな。つーか、おーちゃんも肌の色は大概だろ」

 

「おや、そんな差別的なこと言っちゃいけないな」

 

「そういうんじゃねえよ。ごまかすな」

 

 焦れるキリメを受け流すヒナタ。その漫才を無視しつつ頭を撫でられた大穴は、満足げに鳴いた。

 

 そしてふらりとヒナタから離れた大穴は、クモンに身を寄せる。

 

「えっ」

 

 クモンが反応する間も無く、大穴は彼の左腕にすっと抱きついた。漆黒の肌の腕がクモンの赤くなりつつある腕に絡み、タンクトップに封じ込められている彼女の胸がぐにゅんと押し付けられて歪む。

 

「……守る」

 

 大穴は、それだけ短く呟いた。

 

「ああああの……えっと……」

 

 たちまちクモンの顔が日焼けや熱中症とは別の色に染まった。キリメがその色彩の変化に複雑な顔で口をモゴモゴと開きかけ、しかし守るという言葉には嘘偽りがないのが分かり手出しができない。

 

 可愛い葛藤だ、とヒナタは横目で楽しむ。

 

「それに、ね」

 

 ヒナタは、再び歩を進めながら付け足した。

 

「これから行く先は、エインヘリヤル・クロニクルに関わっている漫画家だ。カードに描かれた『全てを喰らう大穴』そっくりの姿があれば、何かしらの反応はあるかもしれない」

 

「それは……まぁ、なんとなく分からなくはないけど。まずそっちを言えよ」

 

 ヒナタは胸の谷間からハードケースに包まれた『全てを喰らう大穴』のカードを取り出す。ボトムレスピットにあるものではなく、別口で購入したものだ。美少女イラストが描かれたそれは、大穴の今の姿にひどく近いと一目でわかる。

 

「より印象付けるなら、本当は元の衣装を着せたいんだけれどね」

 

「あのボロ布、街中で着せて歩くのは公序良俗に反するからダメだろ。世話するためにうちへ連れ帰る時も苦労したんだからな」

 

 それはすまなかった、と呟くように返すヒナタ。飼い主たちがいない以上、大穴を店に残すわけにもいかないため、可能ならヒナタが引き取るつもりだった。しかし大穴は随分とキリメに懐いてしまっていたため、引き離すのも可哀想なのでヒナタは手間賃を渡すに留めていた。

 

「大穴との生活はどうだったかな?」

 

「別に、大人しかったよ。散歩に出れないのは退屈そうだったけど言いつけは守ってたし、お風呂も嫌がらないし」

 

 ただ、とキリメが口をひん曲げる。

 

「元がカードだったわけじゃん、おーちゃん」

 

「そうだね」

 

「だからなのかな。ご飯食べてもそれだけじゃ満足しないみたいでさ……」

 

「ん? それはどういう――」

 

 言いかけて、ヒナタは自分の言葉を止めた。クモンとそれにくっついていた大穴の歩く足が止まっていたことに気付いたからだ。

 

 キリメと大穴が二人の様子を見る。大穴は腕を絡めるよりも深く密着するようにクモンへとしなだれかかっていた。

 

「あ、ヤベ」

 

 キリメが呟くよりも早く、大穴はカチコチに固まってしまっていた彼の首筋に唇を寄せている。

 

 いや、唇というよりは──。

 

「あいたっ、いたっ!? 大穴ちゃん、いやえっと、大穴さんっ!?」

 

 期待していたのとはおそらく違かったろう痛みにビクンと体を跳ねさせたクモンが小さく悲鳴を上げた。

 

 大穴の口元から、犬歯の白いものがちらりと覗いていた。それがクモンの首の付け根に当てられて、薄く赤い線が滲み始めている。

 

「え、え? 何がいったい?」

 

「昼ごはん」

 

 大穴が、噛みついたままもごもごと呟いた。キリメは即座に、大穴の頭をぎゅっと掴んで引き剥がしにかかる。

 

「おーちゃん、クモンから吸うのはやめなって!」

 

「んなぁ?」

 

「アタシからなら良いから! こっちこっち、ほら、私の方が栄養あるからさ!」

 

 道路の真ん中で、キリメは大穴の頭を持ち上げ、自分の首筋を指し示そうとする。だがすでに獲物に食らいついている大穴は容易にはクモンの首から離れない。

 

 ヒナタは何事かと思ったが、手にしていた大穴のカードを見て思い出す。彼女は場にあるだけで生贄やライフを欲する性質があった。店に残されていたときはおそらく虫か何かを食べて飢えを凌いでいたのだろうが、彼女的にはライフを吸うほうが満足度が高いのかもしれない。

 

「キリメ姉っ、ぼ、僕、もう、もう──」

 

「クモン、目ぇ閉じるな! 意識飛ばすな!」

 

 大穴とキリメに左右から押し挟まれ、間に挟まれたクモンは押されつつ吸われつつでヒナタで見たことのない種類の表情になりながら細い悲鳴を漏らし続けていた。

 

 道行く老婦人がぎょっとした顔をするのにヒナタは気付く。愛想よく手を振ってやると、何かを見なかったことにして足早に通り過ぎていく。

 

 住宅街の昼下がりに、不健全じみた声が尾を引いていた。

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