廃鉱山の出入口からほど近い岩を刳り抜いて作られた一角が、騎兵たちが駆る狼たちの厩舎になっている。
元は鉱石運搬用の大型機械を停めておく為の広い空間だったらしい。天井が高く広々として、巨大狼たちを並べて寝かせても余裕がある。信徒たちの改良によって換気も計算されており空気も快適で、床には藁が敷き詰められ、隅には水桶と肉を入れる樽がいくつか並べられていた。
ミトラは入り口の傍に置かれた古びた木箱に腰を下ろし、頬杖を突いて中の光景を眺めていた。
厩舎の中央。並んで伏せた二頭の巨大狼の脇に、ミーシャがちょこんと膝を突いている。
灰色の毛並みの方はミトラの相棒、モングレル。元はビム所有のお下がりだが、すっかりミトラに懐いて尻尾を振り回す癖が抜けない。その横腹に、ミーシャが両手で持った木製のブラシを当てている。
「気持ちいい? うん、こっち?」
毛の流れを確かめるように、ミーシャがブラシを滑らせる。ざ、ざ、と硬い毛が音を立て梳かれ、そのたびに抜け毛が藁の上にぱらぱらと落ちていく。
モングレルはひどく満足げな様子だった。前足を伸ばして顎を地面に投げ出して、どこを触ってもよいと全身で表している。時折ミーシャの方へ鼻先を突き出して、すりすりと擦り付ける素振りまで見せる始末だ。
「もう、ちょっとモンちゃん。動くと綺麗に揃わないですよ」
ミーシャは困った顔をしながらも、その鼻先を片手で撫でてやっていた。自分を咥えて運んでいた狼にはびくつくのではと危惧されていたものの、袋詰めされ見えない状態で咥えられていたからかミーシャがモングレルに怯える様子はまるでない。
その隣で、漆黒の毛並みのもう一頭が自分の番をじっと待っていた。
レヴェローズの相棒、ヴェルカ。レヴェローズが義勇軍に混じった先で勝ち得たと主張している狼で、レヴェローズの意に忠実に従う賢さを持っている。こちらもシラベと相性は良くないが、どちらかというと主であるレヴェローズ以外を等しく見下している気風がある。
そんなヴェルカはモングレルが撫でられているのを横目に見ながら、ぱさり、と尻尾の先でミーシャの腰のあたりを軽く叩いた。
「あ、ヴェルカ?」
ぱさり、ぱさりと続けてミーシャをつつく黒い尾。露骨な催促だった。
「ちょっと待っててね、すぐ行きますから」
ミーシャがブラシを持ったまま振り返って、空いている方の手で黒い尻尾の先を軽く撫でる。ヴェルカはくぅんと切なげに鼻を鳴らした。普段の戦場で見せる精悍な顔つきは跡形もなく、おねだりする飼い犬と区別がつかない。
「あいつら、随分懐いてるわね」
ミトラはぽつりと呟いた。モングレルなんかは隙あらばシラベと睨み合うような奴なのに、少女に毛を整えてもらって悦に入っている。
「あれだけ面倒見が良くて心を開いている子供であれば、獣もよく懐くものですわ」
隣に立っていたカルメリエルが穏やかに笑う。
「あんたが言うと、なんか色々企んでそうなのよね」
「あら、ひどいですわ。何も企んでなどおりませんわよ」
「どうだか。心どころか頭も開けっぴろげにした奴なら手軽に操れて動物と共に特攻出来るかもとか思ってそう」
「うふふふふ。ミトラ様が私をどう思っておられるのかは後ほど追及させていただきますね」
ミトラは肩をすくめて、視線をミーシャの方へ戻した。
「で? 様子はどう?」
問われたカルメリエルがミトラの隣の木箱に腰を下ろした。
「肉体面は健康ですわ。栄養失調も無く、内臓にも異常無し。あの胸の発育もごく自然なものらしいですわね」
「胸の話はいらないでしょ」
カルメリエルはミトラの指摘を聞こえないふりして微笑みを保ちつつ、穏やかな声で続ける。
「精神面も、概ね安定していると見ております。怯えはあっても、それを抑え込んで前に進もうとする芯はちゃんとある。役に立ちたいという気持ちは強いですが、それが空回りすることなく彼女なりに地に足が付いている。良い子ですわね」
「でしょうね」
ミトラもそれは見ていて分かる。麻袋からの解放直後はあれだけ怯えていたミーシャが短い時間ででここまで適応してくれているのは、彼女の素直さあってこそだ。シラベやカルメリエルがいくら口八丁で宥めても、本人が前を向く気を持っていなければこうはならない。
「で、肝心の方は」
「ええ。残念ながら、
「……でしょうね」
ミトラは溜め息を一つ吐いた。
「予想はしてたけどさ。一日二日でどうにかなるもんでもないか」
「ええ。こればかりは焦っても仕方がありませんわ」
カルメリエルは細い指を顎に当てる。
「色々と試しているのですが。香を焚いてみたり、聖句を聞かせてみたり、機械系統の文字列を見せてみたり」
「その辺は任せるわ。対人コミュなんてカード以外はなんもわかんない」
ミトラはひらひらと手を振った。カルメリエルは小さく咳払いをして話を続ける。
「ですから、ミーシャさんの記憶に頼らずとも、別方向から物語を進める筋を準備しておきたいのです」
「別方向?」
「ええ。この世界に蔓延っているソロモン軍そのものを撃滅する、というのも一つの筋でしょう?」
「……いきなり物騒な話になったわね」
「物語の筋書きとして、敵勢力の壊滅というのは王道だと思いますので」
「どちらかというと、それが出来たら苦労しないっていう物語が多い気がするけど」
「私たちなら出来ますもの。ならやってみてもいいでしょう」
カルメリエルはミトラの指摘などどこ吹く風で、得意げに胸の前で軽く拳を握る。
「私の教団も本格的にソロモン軍と対決出来るよう準備を整えております。レヴェローズの義勇軍と合わせれば、廃鉱山周辺の駐屯地は順に潰していけると見ておりますわ。廃鉱山でも色々と見つかっておりまして、最近発掘されたものでは四肢を無くした機械人が搭乗することで俊敏に動く巨像というものなども」
「そういうのいいから。軍事国家出身の聖女様は本当に血の気が多いわね」
喜々として武装化を進める宗教団体の長の様子に、ミトラは呆れたように肩をすくめた。
とはいえ、ストーリー進行の押し方として複数の手を試すのは確かに賢い。この間の企てのように横入りで殴り込みかけるのを許容する程度には、この世界の判定は思った以上に柔軟だ。それにかこつけてこちらに有利な盤面を作っていくのはいざという時の保険になる。
「そっちのやりたいことは分かったわ。私とシラベは軍事なんて知らないから、それ以外で動いてみる」
ふと、ミトラはもう一つ思い出した話題があることに気付いた。カルメリエルの方に向き直る。
「そういやノルドリッチの箱。あれどうなった?」
「ああ、それでしたら」
カルメリエルは胸元に手を差し入れ、革のデッキケースを取り出した。
軽薄なガイド役。自称この世界に飛ばされる原因を作った張本人でもある。それがこうしてぱたんと閉じたまま、ただの古びた革ケースとして掌に乗っている。
「はい、どうぞ」
差し出された革のケースを、ミトラは指先で出来るだけ触らないような形で受け取った。
「最近、まったく喋らないのよね」
「ええ。ミーシャさんのことを気にしている素振りがありましたので、彼女の傍に置いておけば反応があるかと思ったのですけれど。逆に、ぱたりと黙ってしまいましたの」
「あんた、壊したんじゃないでしょうね?」
「失礼ですわ。私が壊した可能性を真っ先に疑うのは何ですの?」
「日頃の行い」
「うふふふふ」
微笑みながら青筋を立てるカルメリエルを横目で睨みつつ、ミトラはケースを掴み直して上下に大きく振ってみた。蓋が揺れて音を鳴らすが、それ以外の反応は何も無い。
そのまま振り続ける。ぶんぶん、ぶんぶんと、手首が痛くなる程度まで振ってみたが、革ケースは押し黙ったままだ。
「……マジで黙ってる」
「以前のように『うわぁ揺らすなぁ』とでも騒げば分かりやすかったのですが」
「うっざかったけどね、あれ」
ミトラはケースを脇に放り出した。反応が無いものを弄っても面白くはない。
「で、何か分かってんの?」
「ええ、少しは」
カルメリエルはケースに視線を向けながら続ける。
「カード的な分類で言うなら、この革ケース自体は機械ですわ。普段は収納袋として機能する道具にすぎませんが、条件を満たすと機械・生命体に化けるアイテムのようですの」
「化ける?」
「普段は道具、特定の条件下では生命体扱い。そういうデザインのカード自体は珍しくないでしょう?」
「ああ、変身ギミック持ちのカードね」
ミトラは指を顎に当てて頷いた。マナや生命体を消費、あるいは寝かせることで機械・生命体になるカードは過去のパックにいくつか実装されている。今のノルドリッチの体裁もそれに近いということだろう。
「で、おそらく今までは、ノルドリッチがその条件を満たして憑依のようなことをしていたのでしょう。ですが今は、意図して目を瞑っているのか不測の事態があったのか。とにかく、現状この革ケースの中に本体は居ない、と見ております」
ミトラは革ケースをぺちんと叩く。やはり何も起こらない。
「じゃあ、今どこにいるかは分からないわけ?」
「ええ。少なくとも、私の知れる範囲内にはいないはずです」
「うっさいのが居なくなって清々したけど、それはそれで気持ち悪いわね」
ミトラはケースをぽいと木箱の上に放り、軽く頬を膨らませた。あの軽薄なケースに対する好意は皆無だが、見えない場所に居られるというのは、それはそれで嫌な据わりの悪さがある。ゴキブリのような奴だ。
「カルメリエル様、ミトラ様」
ふと、厩舎の中央から声が掛かった。
ミトラが顔を向けると、ブラッシングを終えたらしいミーシャが二人にとことこと近付いて来ていた。後ろではモングレルとヴェルカが満ち足りているような顔で並んで伏せていた。
「終わったの? お疲れさま」
ミトラは木箱から立ち上がり、ミーシャを手招きした。
「あの子たちに随分懐かれてるじゃない」
「あ、はい。モンちゃんもヴェルカも本当にいい子です」
ミーシャは、はにかみながらこちらまで歩み寄ってくる。目の前に来たミーシャを、ミトラは何の気なしに頭から撫でた。
背丈はミーシャの方がほんのわずかに低い。傍目には姉妹のようだろう。胸以外は。
ミーシャは、ぱちりと目を瞬かせてから、撫でられるままに頭を傾けた。嫌がる素振りは無い。むしろ、ほんの少しだけ嬉しそうに口の端を緩めている。
「ミトラ様の狼、とても可愛らしいです」
「そうよねぇ。シラベとはなんかバチバチやってんのに」
「シラ――あえっと……ご主……人様、何かされたんですか?」
「さぁ。初対面の頃からモンちゃんに振り落とされてたけど。狼が人を選ぶってあるのかしらね」
くつくつとミトラは笑った。ミーシャはよく分からないなりにそうなんですかと頷いてみせる。その素直さが、ミトラの中で少しずつ何かを温めていく。
ふと、ミトラの中に思い付きが浮かんだ。
「ねぇ、ミーシャ」
「は、はい」
「子供に様付けで呼ばれるの、私はちょっと慣れないからさ。別の呼び方でお願いしてもいい?」
「はぁ、構いませんが……」
ミーシャはきょとんとした顔をした。
「えっと、では何と」
ミトラの口の端が期待で引き上がる。
「シラベの時みたいなのでいいから」
「……でしたら、ご主人様と?」
「そっちじゃなくて。ほら」
ミトラの言葉に段々と期待の熱が乗るのがその場にいる全員に伝わる。その熱気にミーシャはやや気圧されつつも、意図されている事を汲み取って徐々に頬を赤らめていった。
「あの、その……」
「うん」
「……では、お母様、と、お呼びしても、よろしいでしょうか?」
お母様。その響きが、ミトラの耳から脳天までを一直線に駆け抜けた。
「うん。うんうんうん」
ミトラは、何度も頷きながら、両手をいっぱいに広げてミーシャの背中にぐるりと回した。
「ふぇぁっ?」
驚いて固まったミーシャを、そのままぎゅうと抱き締める。ローブの胸元越しにミーシャの胸の柔らかさがミトラの胸にふにゃりと押し潰れた。
(やばい、これいい)
抱き込んだミーシャの身体に顔を押し当てて、ミトラは思わず鼻を鳴らして息を吸い込む。狼に近い刺激を纏いながらもどこか華やいだ色彩を帯びた香りが鼻をくすぐり、ミトラの腕の力がまた強くなる。
「もっかい言ってくれる?」
「お、母様……?」
「うんうん。ミーシャ、あんた良い子だわ」
「あの、それはいいん、ですけど、なんだか、その……」
ミーシャがあわあわと両手を中途半端に宙に浮かせる。その隣で、カルメリエルが片手を頬に当てて呟いた。
「……ミトラ様も大概ちょろいほうですわね」
「うっさい」
無粋な言葉に即答しつつ、ミトラはミーシャの背中をぽんぽんと叩いて満足げに身を離した。
ミーシャは、自分の腕で何度か胸元のあたりを抱え直してから、ほうと息を吐く。
「びっくりしました……」
「ごめんごめん。ついね」
ミトラはミーシャの頭をもう一度撫でする。シラベが悪くないと考えていた気持ちが理解出来てしまい少し悔しいが、それを上回る何かの本能が刺激されてしまった。
「しっかしさ、ミーシャ」
「は、はい」
「まず出てくる呼び方が『お父様』『お母様』ってあたり、あんた結構良いとこのお嬢様っぽいわね」
「えっと……。そう、なんでしょうか」
ミーシャは戸惑った顔で首を傾げる。自覚は無いようだ。だが、庶民の口から咄嗟に出てくる呼び方ではない。普通は「お父さん」「お母さん」あたりが先に来るのでは、とミトラは考えていた。
記憶を失っている人間の口から、染み付いた習慣として「お父様」「お母様」が滑り出てくるとなれば、出自はそれなりに身分のある家、ということになる。
隣のカルメリエルがぼそりと声を漏らした。
「ミシャンドラなどという名前のストーリーモードで、この地がソロモン王に侵攻されているのであるのですから、ミーシャさんの正体はソロモン王の娘あたりではないでしょうか」
「あんた、メタ読みやめなさいよ」
ミトラは半眼でカルメリエルを睨んだ。ミシャンドラという名前とミーシャは嫌でも結び付けられる響きだし、物語という筋で解釈していくならば『娘と対峙する父親にして王』という配置はベタだが受け入れやすい。
それが記憶喪失になりつつ、元は同郷だろうソロモン王の手勢によって命の危機に晒されるらしい本来の流れは、ドゥブランコ王家で陰惨な歴史をやっていたエインヘリヤル・クロニクルのストーリーと合致しているようにミトラにも感じられた。
だがそれを精霊というカードの存在が口に出してしまうのはあまりにも趣に欠けているのではないか。非難するミトラの視線を、カルメリエルは平然と受け止める。
「私は気付いた事を口にしただけですわ」
「いやだって、それを正面から言うのはちょっと興醒めじゃない?」
二人のやり取りを、ミーシャは目をぱちぱちさせながら聞いている。何の話をされているのかさっぱり分かっていない顔だ。それでもミトラに撫でられ続けていることに対しては嬉しそうにしている。
ミトラは指でミーシャの髪を軽くいじりながら、心の中で呟いた。
(……まあ。ソロモン王の娘でも、何でもいいけどさ)
ストーリーの鍵かどうか以前に、目の前の子供が素直に懐いてくれているという事実の方が、ミトラにとっては大事に思えた。