カスレアクロニクル   作:すばみずる

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153 私にもよく分からん

 廃鉱山の南、平らな草原を見渡せる丘の麓に、義勇軍と教団の合同練兵場は設えられていた。

 

 元はソロモン軍の侵攻で放棄された村の一部だったらしい。藁を編んで作った的札がいくつも刺さり、土が剥き出しになった一帯には足跡が幾重にも踏み固まっている。カルメリエルが僧兵の練兵計画の一環で確保した後、レヴェローズの義勇軍が合流してから急遽形になった場所である。

 

 その中央で、レヴェローズは腰に手を当てて立っていた。

 

 部隊の半数、二十人ほどが横隊を組んでいる。寄せ集めの兵だ。焼き出され逃げてきた狩人、機械腕の鍛冶屋、流民上がりの若者、もはや国も持たない退役兵。装具も統一されておらず、隣り合う者の武器の種類がほとんど違うような有様だ。

 

 だがそれでも、レヴェローズが号令をかければ彼らは一拍も置かずに動く。

 

「右翼、横へ。中央、一歩下げよ」

 

 布旗が振られ、二十人が同時に足を踏み出す。レヴェローズはその動きを目で追う。隊列の組み替え、伝令の伝達速度、隣の兵との間隔。一つ一つ、自身の頭の中の理想形と照らし合わせていく。

 

「うむ。よし」

 

 本音を言えば、満足には程遠い。だが贅沢は言っていられない。隊伍を組み、号令を整えるだけの時間は本来ならまるで足りていない。

 

 それでもこの兵たちはついてきて、応えようとしている。元々ソロモン軍に対する怒りで身を寄せ合った者ばかりで、その芯にあるものは同じだ。ならば向かう先は同じなのだと教え見せつけ、そして叶えてやると先導してやれば、形は後からついてくる。レヴェローズはそう信じているし、これまでの戦いでもそうなっていた。

 

 レヴェローズは旗を振る兵に頷いてから、声を張った。

 

「次、組となって並び打ち合え」

 

 指示が伝わり一同が迅速に動く。そこに、機械腕の小隊長が木剣を手に進み出てきた。レヴェローズを除けば一番剣を達者に扱う男だ。

 

「閣下、ご指南お願いします」

 

「うむ。よかろう」

 

 レヴェローズも木剣を持つ。革で巻かれた木の握りと節の少ない楢の木の刀身を持つ、模擬戦用の代物だ。とはいえ伝結晶を佩くレヴェローズの膂力からすれば、これでも当たれば確実に骨が砕ける。

 

「行くぞ」

 

 短く目礼を交わしてから、二人は同時に踏み込んだ。木と木がぶつかる乾いた音が練兵場に響き渡る。

 

 小隊長の打ち込みを、レヴェローズは半歩下がってあしらった。切り替えそうとした相手の木剣に腰の据わった一閃を差し込み弾く。

 

 続けて踏み込んで首筋に刃を寄せてから、木剣が寸止めで止められる。小隊長が「参った」と短く呟くのを聞いて、レヴェローズは剣を引いた。

 

「思い切りは良い。組み立てを考えれば尚良し。次」

 

 頷いたレヴェローズは木剣を持ち替えながら、順番待ちをしている者に呼び掛ける。

 

 そして元の位置に戻る僅かな時間で、ちらりと練兵場の端の方へ視線を投げた。

 

 練兵場の脇に張られた天幕。傷を負った兵や休憩中の者が陣取る、仮設の休憩所だ。

 

 その端、木箱に背を預けて座る男の姿があった。膝の上に四角い光の窓を浮かべて、指先でゆるゆると弾いている。

 

 中身は見えないが、おおかたデッキ構築だろうとレヴェローズには分かった。たまにこちらを見るかと期待したのだが、視線は窓の中に張り付いたままで上がってこない。レヴェローズは口の端を僅かに引き締めた。

 

 次の挑戦者が前に出てくる。レヴェローズは木剣を構え直し、相手を見据える。

 

「よし、来い」

 

 声は普段通りに張り上げたが、片隅にはほんの少しだけ悔しさが滲んでいた。

 

 次から次へと打ち合いは続いた。二人、三人、四人と部下を相手取り、レヴェローズはいずれも一合か二合で決めて見せた。木剣の弾き返し、踏み込みの角度、間合いの詰め方。そういう技術を部下たちに教え、上達の機会を与えるという建前は本物だ。

 

 だがそれと同じ重さで、レヴェローズにはシラベに見てもらいたい気持ちもあった。

 

 部下の前でレヴェローズは毅然たる態度でいなければならない。これはもうレヴェローズに課せられた責務のようなものだ。だが逆、シラベの側からレヴェローズに見惚れるのであれば何も問題は無い。

 

 いつもはポンコツだ産廃だ乳と顔と態度だけは立派だと言うシラベが、レヴェローズの華麗なる動きを見て心動かされるというのは彼女にとって胸躍る展開だ。部下が見てる前でも構わず彼の方から賞賛を投げてくるなら万々歳だし、そのまま迫られてしまえば自分は望まなくても断り切れない。そうなれば仕方がない。非常に仕方がない。

 

 ちらり、と再び休憩所の方を見る。シラベは依然として光の窓に向かっていた。指先がカードらしき何かを並べ替えている。

 

(……拗ねるつもりはないが)

 

 レヴェローズは小さく溜め息を吐いて、木剣を構え直した。

 

 

 

 日が中天に近付いた頃、見張りの兵が大鐘を鳴らした。

 

 ごーん、ごーん、と低い音が二度。練兵終了と、昼食の合図だった。

 

 部下たちが汗を拭いながら集合し、別動の調理組が運んできた木製の盆を順に受け取っていく。湯気を立てる雑穀粥に干し肉と黒パン。カルメリエルが率いる教団の暗躍のお陰で兵站は今のところ安定している。レヴェローズは姉に兵站を握られていることにいささかの不安はあったものの、あまり深くは考えないようにした。

 

 レヴェローズも自分の分を一つ手に取り、当然のようにシラベを探した。

 

 未だにホログラムを眺めているシラベに、調理組として来ているカルメリエルの教団少年が盆を置いていく。

 

 シラベは光の窓を閉じ、盆へ目を向けた。湯気の立つ粥を一度ぼんやり見下ろしてから、手を付けることなく立ち上がって練兵場の縁にある林の方へとふらりと歩き出した。

 

 様子を見届けたレヴェローズは、盆を囲んで談笑している兵に自分の盆をぐいと押し付けた。

 

「やる」

 

「あ、はっ、閣下?」

 

 戸惑う兵に適当に手を振ってから、レヴェローズはシラベの後を追って林の中へと足を踏み入れた。

 

 林の中は、思いのほか涼しかった。茂る枝葉が陽射しを透かし、薄緑の光と影が地面に網のように落ちている。練兵場の喧騒は、二十歩も踏み込めばすっかり遠ざかった。小鳥の羽ばたきが頭上のどこかで細く震えている。

 

 シラベは立ったまま太い木に背を預け、葉の隙間から空を見上げていた。

 

「契約者」

 

 レヴェローズが声を掛けると、シラベはちらりと目線だけを動かす。

 

「おう。飯はどうした」

 

「契約者と共に食べないと味気ない」

 

 レヴェローズはシラベの隣に身を寄せ、その腕にぴたりと抱きついた。胸の柔らかさを腕に押し付け、頬を肩口に擦り寄せる。シラベの体温が、汗をかいたレヴェローズの肌にじわりと馴染んだ。

 

「ふふん。皆の尊敬する総督閣下を、休憩中に独り占め出来るのだぞ。喜べ」

 

「そうかい。押し売りどーも」

 

 軽口を返してくる声にはいつもの調子が薄い。レヴェローズはその返事の張りの無さに、気付かないふりは出来なかった。

 

 だがそれをすぐに突き詰めるのも違う気がして、レヴェローズは別の話を選んだ。

 

「練兵は見ていたか」

 

「あー。所々はな」

 

「所々か」

 

「だって見ても分からねえし。打ち合いの音は聞こえてたぞ。お前強いのな」

 

「ふん、当然だ」

 

 レヴェローズは少しだけ口元を緩めた。視線は交えられなかったが、耳は届いていたらしい。それだけでも彼女にとっては満足感を得られる。

 

 レヴェローズは腕を絡めたまま、頭の中で組み立てつつあった話を続けた。

 

「あの兵たちは寄せ集めだが芯がある。半年もあればドゥブランコの精鋭兵にも勝るとも劣らない兵に育てられるぞ」

 

「気が長すぎるぞ。どれだけここにいるつもりだ」

 

「志の問題だ。無論、いまこの時に築く土台を疎かにするつもりはない。奴らはしっかりと育ててやる」

 

 少し得意げな調子で続けたが、隣のシラベの相槌の薄さは変わらない。

 

 レヴェローズはちらりとシラベの横顔を見上げる。

 

「契約者」

 

「あ?」

 

「何かあったのか」

 

 レヴェローズは絡めていた腕の力を緩めて、シラベの顔を正面から見上げた。

 

「なんもねえよ」

 

「嘘を吐くな。私の目を欺けると思っているなら、その思い上がりは慎め」

 

「どういう自信だよ」

 

 軽口で逃げようとしたシラベにレヴェローズは引き下がらず、じっと目を見つめ続ける。

 

 しばらく無言の睨み合いが続いた後、シラベはふっと息を吐いた。

 

「……さっき、飯出てたろ」

 

「うむ」

 

「やっぱり食欲は無かった」

 

 レヴェローズは曖昧に頷いた。合流してから聞いていた、シラベとミトラ二人に共通する症状のようなものだ。

 

 回復薬を飲むように、用意された飯を食べること自体は出来る。だが食べたいという気持ちにならない。腹が減るという感覚を、この世界に来てから二人は感じていないのだと言う。

 

「店長も同じなのだろう」

 

「あいつは『食う時間をデッキ構築と一人回しに充てられて捗る』って喜んでたな」

 

「うむ。あれならそうだろうな」

 

 カルメリエルの世話が無ければどんどん血色を悪くしていくのがミトラというものだ。彼女が庇護下に無かったころの有り様はレヴェローズが思い出しても可愛げのあるものではなかった。

 

「お前らは前からそういう存在だろ。腹が減らねえのも、食わなくて平気なのも、あんま違和感無いんだろうな」

 

 レヴェローズは言い返さない。精霊であるレヴェローズやカルメリエルは飲食を楽しみはするものの、必須ではない。気持ちの問題であり、だからこそ店ではシラベやミトラと共に食事を摂ることは大切な時間だった。あとおいしいものはおいしいのでうれしい。

 

「ミトラはミトラだからいいとして、俺はただの人間でな。最初は『腹減らねえな、便利だな』で済んでたけど、ここまで来るとじゃあ俺の体は何で動いてんだって話になる」

 

「ふむ」

 

「飯を食わずに動く体なんてどうなっているのか。そういう不思議パワーでも働いてるのか、それともコレは本当の体じゃないんじゃないか。じゃあ本当の体はどうなってるのか。もしかすると店の中で気絶したままになってるんじゃないか。それか自分が自分をいま見下ろしてるのか」

 

 その悩みは、レヴェローズは共有出来ない。元々が精霊というもので顕現しており、姿を周囲に現わすことですら最初はおぼつかないほどこの身体について知らないくせに、これが当たり前なのだとひどく馴染んでしまっていた。シラベの言う自分の体が本物ではないのではないかという思いは既に通り過ぎて過去のものだ。

 

「あと、大穴のことな」

 

 レヴェローズは口を引き結んだ。シラベの肩に居着き、店長の膝で丸まり、誰よりも自由に振る舞う精霊。日常においてはシラベを取り合う怨敵であっても、こうも会えない時間が続くと思いも募る。

 

 彼女が一人どこかに取り残されている可能性がずっとシラベの頭の隅にあるのは、レヴェローズも知っていた。

 

「カルメリエルの信徒も黒猫、真っ黒い少女、両方で情報を集めるように言われているらしいが、なんも出てこねえ」

 

「うむ」

 

「そもそもこっちの世界に来ていない可能性もある。それならそれで、別にいい。食べられないのを不満に思っているかもしれないが、安全な場所にいるならいい」

 

「だがこちらに来ていたとしたら、未だ独りのまま彷徨っているかもしれない、と」

 

 シラベは葉の隙間の空を見つめたまま頷き、ぽつりと続けた。

 

「いつもなら手を伸ばせば撫でられるあいつが居ねえのが、最近、妙に堪える」

 

 レヴェローズは無言で、シラベの腕から自身の腕を解いた。そのまま彼の前に回り込み、両肩に手を置く。

 

 手のひらを乗せたシラベの肩は思っていたよりも力が抜けていて、それがレヴェローズの胸を更に締め付けた。

 

「契約者」

 

「ん」

 

「私にもよく分からん」

 

 レヴェローズは正直にそう言った。

 

「飯が食えなくとも体が動く理屈も、大穴が今どこにいるかも、私には何の見当もつかん。お前を安心させてやれる材料は一つも無い」

 

「だろうな」

 

「だがな。それでも、大丈夫だ」

 

 レヴェローズの声は静かだったが、揺らがなかった。

 

「何を根拠に言ってる、それ」

 

「根拠などない」

 

 即答に、シラベの眉が寄った。

 

「根拠は無いが、大丈夫と信じろ。私が大丈夫と言うのだから大丈夫だ」

 

「お前、開き直りやがったな」

 

「開き直りでも構わん」

 

 レヴェローズはシラベの肩に置いた手の力を、少しだけ強める。自然と目線が下へと落ち込む。

 

「かつて王都陥落の報を受けた時、私は何の根拠もないまま大丈夫だと信じていた」

 

 レヴェローズの言葉に、シラベが息を詰まらせたのを感じ取った。

 

「結果は伴わなかった。滅ぼされたものは気の持ちようで変わるものではない。だがそれでも私は、報を受けてから王都に戻るまでの間、ずっと大丈夫だと信じ続けた。だから走れた。途中で膝を折らずに済んだ。たとえ最後に待ち受けているものがあっても、それまで駆け抜けることが出来た」

 

 レヴェローズは目線を上げ、再びシラベを見据えた。

 

「今も同じだ。不安に蹲っていて何かが変わるか? 弱気で解決することなど何一つない。今は気持ちのせいだけで足を止める時ではないのは分かっているだろう」

 

「……」

 

「信じろ。不安で思考を閉ざすな。悩むつもりなら悩み続けて答えまで行きつけ。そう出来ないなら私の言葉を聞け。お前は大丈夫だ。私ですらそうだったのだ」

 

 シラベは何かを言いかけて、口を開いたまま止める。

 

 レヴェローズはシラベの肩に置いていた手を引いた。代わりにその頭の後ろにそっと手を回して、ぐいと引き寄せる。

 

「お、おい」

 

 戸惑った声がレヴェローズの胸元越しにくぐもって響く。シラベの顔は、レヴェローズの豊かな胸の谷間にすっぽりと収まる。

 

 レヴェローズはもう片方の手で、シラベの後頭部をゆっくりと撫でる。いつもされている側のレヴェローズだが、撫で方は知っていた。シラベがレヴェローズにしてくれているのと同じようにすればいい。

 

「いいから、しばし収まっていろ」

 

 シラベは少し身動ぎしたものの、レヴェローズが力を込めてしまえば逃げられるものではない。大人しくレヴェローズの胸元に頭を預けた。

 

 葉の影が、二人の上に落ち続けている。レヴェローズは指先で髪を梳きながら、もう一つだけ付け足した。

 

「……契約者」

 

「ん?」

 

「不安に足を止めるのはダメだが、溜め込み過ぎるのも良くはない。こうして私に零してくれたお前ならば、もう心配は要らんのだろうが」

 

「……」

 

「重い荷物は私にも預けてくれ。今後も、何でも私にぶつけてくれ。良いな?」

 

 ぐい、と撫でる力を強める。

 

 シラベの返事はすぐには来なかった。代わりにシラベの両腕が、レヴェローズの背中に回る。

 

 ぎゅう、と。一度きりの、強い抱擁。レヴェローズの口の端が僅かに緩む。十分だった。

 

 しばし経って、シラベの腕の力が抜けた。

 

 レヴェローズは身を引き、シラベの顔を見る。来た時よりは大分マシになっていた。いつも通り、レヴェローズが愛する契約者の顔だ。

 

「うむ。弱気は出し切ったようだな」

 

「うるせえ」

 

「ふふ」

 

 レヴェローズは身を翻して、林の入り口の方を指差した。

 

「戻るぞ、契約者。これ以上ここに留まれば、部下たちに逢引で抜け出したと思われてしまう」

 

「もう手遅れだろ、それ」

 

「うむ。私もそう思う」

 

 レヴェローズはあっさり認め、しかし足を踏み出そうとした。

 

「だが、形だけは整えねばならん。我が部下たちには上官としての顔を見せていきたいのでな」

 

「中身はポンコツのくせに」

 

「うるさいぞ」

 

 軽口を交わしながら、レヴェローズは林の出口の方へ身体の向きを変えた。

 

「レヴェローズ」

 

 その背中に、シラベの声が掛かった。レヴェローズは振り返る。

 

 弱気とは違う感情が、シラベによぎっているようだった。視線を迷わせ、唇が開くが声にはならない。言葉を探しているようだった。

 

「……いや。やっぱ、いい」

 

 手を軽く振って、シラベは林の出口の方へと歩き出した。その様子に首を捻ることをそこそこに、レヴェローズはついていった。

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