カスレアクロニクル   作:すばみずる

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154 ダメにされる

 廃鉱山の一室、寝所として宛がってくれた岩窟の隅で、ミトラは座っていた。

 

 正確には、シラベの膝の上に、である。壁に背を預けたシラベが床に脚を投げ出し、その太腿の上にミトラが収まっている。

 

 デッキ編集画面を空中に浮かべ、ミトラは指先でカードを並べ替えていた。手札の初動を一枚抜いて、別のマナ域と入れ替える。回し心地を頭の中で再生しながら、また切り替える。

 

 シラベの膝に座るのはいつものことだ。店の客がいない時間帯や食後のちょっとしたひと時、ミトラはことあるごとにシラベの膝を定位置にしてきた。座り心地は良いし背中を預ければ温い。

 

 いつもであれば自分から尻を預けて場所取りをして、シラベから邪魔だと言われようともそのまま居座る。

 

 だが今日は、違った。デッキをいじっていたミトラを、シラベが無言でひょいと持ち上げたのだ。脇の下に手を差し込まれ、猫の子でも移すような気軽さで自分の膝の上に載せ替えられた。

 

 ミトラは内心で目を見開いた。

 

(とうとうこいつ、自分から手を出してきたわね)

 

 いつもはミトラが乗る。今日はシラベが乗せた。たったそれだけの差だが、その差が持つ意味は大きい。告白を経て際限なく受け入れはしても積極性は無かった年下の男が、ついに能動の側へ回ってきた。

 

(いいわよ。このまま私を好き勝手に甘やかして、骨の髄までだらしなくしてしまえばいいのよ。年下の彼氏にダメにされる女、けっこうじゃない)

 

 高鳴る心臓を抱えながらも、ミトラは堂々と落とされることを期待していた。年齢制限がある世界なのは知っている。だがシラベならきっとそういうのを無視してくれる。甘々のイチャイチャのラブラブの、そういう怠惰で堕落した時間を過ごさせてくれる。ミトラはデッキ編集画面をそのままに、来たるべき展開を待ち構えた。

 

 待った。

 

 ……待ったのだが。

 

 シラベは、動かなかった。

 

 ミトラを膝に乗せ、腰に腕を回してきたところまでは良かった。問題はその先だ。ミトラの頭のてっぺんに顎を乗せ、そのまま固まってしまっている。

 

(……あれ?)

 

 ミトラは画面を動かして見え方の調整をするふりをしながら、背後の気配を探った。

 

 シラベの呼吸はゆったりとして、規則正しい。腰に回された腕には力が籠もっているが、それ以上のことをしてくる気配はまるでない。顎をミトラの頭頂に預けたまま、どうやら何か考え事に沈み込んでいるらしかった。

 

 こういう時間が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。シラベに抱え込まれて何をするでもなくぼうっとする一時は、ミトラにとって最も幸福な部類に入る時間だった。

 

 だが、それは互いに何もしない事をしている時間を楽しんでいるとでも言おうか。わざわざ自分から持ち上げて、抱き締めて、密着させておいて、そこから先に一歩も進まないというのは話が別である。

 

 期待させるだけ期待させて放置するのは、生殺し以外の何物でもない。

 

 ミトラは編集画面の上で止まっていた指をそっと下ろした。腰に回されたシラベの手の甲に重ねてつつ、と撫でる。

 

 無言のおねだりだった。撫でるなり掴むなりつつくなり捻るなりなんでも、とにかく次に進めという意思表示のつもりだった。

 

 それでもシラベは何もしてくれなかった。

 

 手の甲をくすぐられても、ぴくりともしない。顎は相変わらずミトラの頭に乗ったままで、思考はどこか遠くにある。

 

「……」

 

 ミトラの中で、何かの緒が緩やかに切れた。

 

 やがて我慢の限界に達したミトラは、首を勢いよく上へ押し上げた。後頭部がシラベの顎を、ごちん、と下から突き上げる。

 

「んあ」

 

 間の抜けた声がシラベの口から漏れた。

 

 ミトラはすかさず、腰のあたりにあるシラベの手を、ぺし、ぺし、と平手で叩いた。こっちを見ろ。私に構え。手が空いているなら使え。短い動作に、ありったけの要求を込める。

 

「……悪い」

 

 ようやくシラベが呟いた。

 

 ミトラを抱き締める腕に、ぐっと力が籠もる。密着の度合いが一段増し、背中にシラベの胸板の硬さがじかに伝わってくる。ミトラの中で期待が膨らんだ。これだ。ここからだ。ようやく――。

 

 シラベは、抱き締める力を強くしただけで、また止まった。

 

(…………いやいや)

 

 ミトラは半眼になった。

 

 これはもう、甘やかしを忘れただの照れて手が止まっただの、そういう次元の話ではない。乗せた本人が乗せたことすら忘れているような、上の空の止まり方だ。

 

 ようやくそこで、ミトラは焦れる気持ちを脇に置いた。膝の上で身体の向きを少し変え、シラベの顎の下から見上げる。

 

「どうしたのよ」

 

 ミトラは短く訊いた。

 

「んー」

 

 気のない返事が返ってくる。

 

 ここまで深く考え込んでいるシラベは珍しい。普段は何か言いたいことがあれば軽口に紛れさせてさっさと吐き出す男だ。それが言葉にもならず腹の底で渦巻いているというのは、よほどのことだろう。

 

 ミトラはそれ以上は急かさなかった。抱き締められたまま、シラベの腕の中で身体の力を抜き、のんびりと続きを待つ。脇腹に回された腕の温度を感じながら、この男の為の抱きしめられ役に従事する。

 

 しばらく待ってから、シラベはようやく口を開いた。

 

「レヴェローズにさ。俺らがこの世界だと、食欲を持ってねえって話、したんだよ」

 

「ああ」

 

 ミトラは何でもないことのように相槌を打った。

 

「それのこと? いいじゃない別に、便利だし」

 

 腹が減らないというのは、ミトラにとってはむしろ好都合な体質だった。食事の支度も後片付けも要らず、その時間をまるごとデッキ構築と一人回しに回せる。空腹に思考を中断されることもない。食事はもちろん嫌いではないが、食べようが食べまいが伸びない身長と富まない胸と尻には既に諦めている。

 

「もともと何日か抜いたところで、人間そう簡単にどうにかなりゃしないでしょ。気にすることないわよ、そんなの」

 

 てっきりそこを悩んでいるのかと思った。腹が減らない、自分の身体がどうなっているのか分からない――いわゆるネトゲに飛び込んだような作品でキャラがその手の不安を抱え込みやすいことはミトラも読んだことがある。

 

 だが、シラベは首を振った。

 

「いや、そっちは今はいい」

 

「そっちは、って」

 

「……その時にな。レヴェローズが、自分のことを語ってたんだよ」

 

 シラベはミトラの頭に顎を乗せ直して続けた。

 

「王都が陥ちたって報せを聞いて、戻ろうとした時の話。その時どんな気持ちだったか、あいつはわざわざ俺に語って聞かせてきた」

 

「それがどうしたの」

 

 ミトラには、まだ話の行き先が見えなかった。

 

 シラベは一度言葉を切って、ミトラを抱き締め直した。腕の輪が締まり、ミトラの背中がシラベの胸に深く沈む。何かを確かめるような、あるいは自分を落ち着けるような抱き方だった。

 

「あいつも、カルメリエルも。あいつら精霊は自分のカードが実装された時点までの事しか知らないし実感を持ってねえって、前にそう言ってただろ」

 

「言ってたわね」

 

 それは、ミトラも覚えている話だった。

 

「レヴェローズがストーリー上で王都に戻ろうとしたのは、あいつのカードが収録された後に出たパックのエピソードのはずだ。つまり本来のあいつは、ドゥブランコが滅んだことなんて知らない」

 

「……ええ」

 

「それなのにあいつは、大丈夫と信じた、結果は伴わなかったけどそこまでは折れなかったって。公式のストーリーじゃレヴェローズは王都陥落後はスポットライトは当てられてなくて、王都には帰らなかったことになってる。なのにあいつ、まるで陥落をその目で見てきたみたいな口ぶりだった」

 

 ミトラはふと、以前のことを思い出した。

 

 いつだったか、カルメリエルに膝枕されながら国の話を聞かされたことがある。海洋融合連合ヴラフマとの戦争。勝ち目のない戦。それを安全な負け方へ導くために、聖女が裏で糸を引こうとしたこと。

 

 カルメリエルはそこまでは語った。だがそこから先、帝国が実際にどう滅んでいったのか、王家がどう崩れ落ちたのかについては本人から語られたことはない。

 

 ボトムレスピットのカルメリエルにとって、帝国の滅亡はまだ訪れていない未来だ。自分のカードが世に出たその瞬間で体験した時間が止まっている。精霊が我が事として実感を持つのは、そこまでなのだ。

 

 そこから先のパックで追加され、カードとして描かれた出来事については、たとえ知識としては知っていたとしても、肌身の実感は伴わない。

 

 であれば。以前は記憶を持っていないはずだった出来事を、今は我が事のように語って聞かせたレヴェローズは、一体何なのか。

 

「だからあんたは、それで悩んでたわけ」

 

 ミトラが言うとシラベは小さく頷いたのか、顎がミトラの頭の上で上下する。

 

「あいつ、本当にレヴェローズなんだろうな」

 

 シラベの呟きにミトラは内心で嘆息した。あんな分かりやすく尻尾を振り回す姿を幻視させる女がそうそう他にいるものか。どうやらシラベは後ろ向きに突き落とされるとずっとそのまま深く落ちてしまう性質らしい。

 

 もっとも、ミトラも本当のところは分からない。元より精霊などというものは理解の外にある存在だ。どういう理屈で知識を得て、どこまでを自分のものとして抱えているのか外側からは窺い知れない。知り得る部分と知り得ない部分があり、つついてみてようやく輪郭がうっすら見えるかどうか、というしろものだ。

 

「さあねえ。レヴェローズのことだから、前は忘れてただけで、今は思い出したってだけなんじゃないの」

 

 ミトラは努めてあっさりと言った。

 

「そんな単純な話か?」

 

「分かんないわよ、そんなの。精霊の頭の中なんて、当人にだって分かってるか怪しいんだから」

 

 ミトラはわざと軽く、茶化すように続けた。

 

「それか、アレよ。自分のストーリーだか、世に出回ってる二次創作だかを読んでいくうちにね。これは私のことだわって思い込んで、変な覚え方をしちゃったとか。ありそうじゃない、あのポンコツなら」

 

 我ながら適当な物言いだとミトラは思う。だがシラベは、その言葉に言い返してはこなかった。

 

 反論する材料を持っていないというより、反論しても意味がないと分かっているからだろう。記憶のありようなど、精霊だろうが人間だろうが当人以外の誰にも確かめようがない。シラベもそれを承知しているはずだと、ミトラには分かる。

 

 答えの無い事を真正面から悩んで何になる。都合良く笑って無視してしまえばいい

 

 長い沈黙の後。やがてシラベは、ふっと肩から力を抜いた。

 

「……そうだよな」

 

 諦めたような声だった。

 

「あのポンコツの言うことだもんな。いちいち真面目に考えてやる方が馬鹿らしいか」

 

「そうそう。それでいいのよ」

 

 ミトラが頷いた次の瞬間。シラベの顎が動いたかと思うと、ミトラの髪がもさりと動いた。

 

 何かと言う間もなく、ミトラの後頭部が空気が撫でる。

 

「うひぃや」

 

 髪に埋もれたシラベの顔が息を吸っているのだと気付くと同時に、ミトラの口から自分でも聞いたことのない変な声が漏れた。

 

 うなじの産毛が一斉に逆立つ。背筋を妙な感覚が駆け上がり、ミトラは肩をびくつかせて身を縮めた。

 

「ちょっ……なにすんのよ、急に!」

 

「猫吸いの代わり」

 

 シラベは髪に顔を埋めたまま、くぐもった声で言った。

 

「あんた、私を大穴の代わりにするんじゃないわよ」

 

 ミトラは抗議した。あの黒猫がいない寂しさをこちらで埋め合わせようというのなら不本意である。

 

 シラベは顔が髪から離れ、また重さが乗る。顎よりは柔らかい。顔を傾け頬を寄せたようだ。

 

「そうだな。代わりなんかじゃねえな」

 

 言い直すように、ゆっくりと続ける。

 

「どっちも大切で、代わりになんかならねえよ。あいつはあいつ、お前はお前だ」

 

 そう言って、シラベはミトラを抱き締め直した。先ほどまでの上の空の抱き方とはまるで違う。腕の輪に確かな意思が感じられて、ミトラの頭により力が籠もってくる。

 

 ミトラの胸がとくんと跳ねた。考え事から戻ってきたかと思えば、今度はこれだ。さっきまで生殺ししてきていたくせに、いざこう寄りかかられると調子が狂う。

 

「っぁ」

 

 ミトラは妙な声を上げて身を竦めた。耳先を掠めた感覚はくすぐったいようなむず痒いような。だが今のミトラには、腕の中で呻くことしか出来ない。

 

 耳たぶまでを降りてくる熱に肩が小さく跳ね、抱きしめられる腕にそれがすべて伝わるのがひどく恥ずかしい。

 

「……やっぱりダメにされる」

 

 呟きにシラベは答えなかった。答えられてもミトラは困るのを、このスケコマシは分かっているのだろう。

 

 悩み事の片を付けたかと思えば甘えてくるなど、ずいぶんと身勝手な順序だとミトラは思う。だがそれを咎める気にはどうしてもなれなかった。

 

 ミトラは小さく息を吐き、シラベにゆっくりと身体を預けていった。

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