廃鉱山の一区画、かつて鉱員たちが採掘した坑道は、今では資材置き場として使われていた。木箱や麻袋が壁際に積み上げられ、壺や籠が雑然と並ぶ。ランプの灯りが届かない場所には、まだ手付かずの荷も多い。
機械人形人のティナは木箱を両手に抱え、坑道の奥へと運んでいた。義勇軍と教団の練兵場に運ぶ予定の物資だ。手は止めない。教祖の役に立てることが、ティナにとっての存在意義そのものだった。
元の脊界、
行く先もなく、ただ漂っていたところに声を掛けてくれたのが、カルメリエルだった。ティナという名を与えられ、役割を授けられて以来、ティナはカルメリエルの教団に身を寄せている。
運び終えた荷物を整え、また運び出す資材をまとめていると、奥まった一角で人影が動いているのに気付いた。
壺の蓋を持ち上げて中を覗き込み、すぐにまた別の木箱の前にしゃがみ込む。緑のローブを纏った小柄な少女だった。
教祖カルメリエルとそのご友人たちが戦火に追われる村から助け出したという少女だ。名はミーシャと言い、教団内での扱いは厚く、信徒たちの間では密かに様々な憶測が囁かれている。
新しい機械人を生み出すための母体としてカルメリエル様が見出したのではないか。あるいは教団の後継者として迎え入れられたのではないか──真偽は分からないが、その立場が特別であることだけは誰もが疑っていなかった。
ティナは木箱を抱えたまま、声を掛けた。
「ミーシャ様。どうかいたしましたか」
ミーシャは木箱の蓋を閉じてから、ぱっと顔を上げた。
「あ、えっと……」
申し訳なさそうに、両手の埃を軽くはたく。
「実は、この間からミトラ……お母様のお知り合いが、いなくなってしまったらしくて。もしかしたら、どこかに隠れているんじゃないかと思って、探していたんです」
「お知り合いの方、ですか」
ティナは木箱を抱えたまま、視線を周囲の壺や箱に巡らせた。壺の中に隠れるような者となると、あまり想像がつかない。わざわざこんな場所まで探しに来るほどの相手だ。何か事情があるのかもしれない。
「どのようなお方なのですか」
ティナが尋ねると、ミーシャは少し首を傾げた。
「えっと、革のケースに宿っていた方らしくて。お名前は、スピーカーとか……ノルドリッチとか……」
がっしゃん、と坑道に音が響いた。ティナの抱えていた木箱が両手から滑り落ちた音だった。蓋が外れて中身の布や器物が散らばる。
「わわわっ! だ、大丈夫ですか!」
ミーシャが慌てて駆け寄ってくる。
ティナは答えられなかった。両手で自分の身体を抱くように腕を交差させ、一歩、二歩と後ずさる。
「あ、あの……今、何と仰いましたか」
声が震えていた。
「ノ、ノルドリッチ……と、言いましたか……?」
「は、はい。ミトラお母様のお知り合いらしくて……」
ティナは大きく息を吸い込んだ。落とした木箱のことなど、もう頭から抜け落ちている。
「ミーシャ様。その名を、口にしてはなりません」
「えっ」
「私の生まれ故郷で言い伝えられている名です。それは古い神話の頃から、今のこの世まで生き続けているのだと言われている存在です」
ティナは声を低くした。震えを抑えようとしているのが、傍目にも分かるほどだった。
「男をその美しさで誘惑し、寝所へと誘い込む。そして、その者の──性欲というものを、根こそぎ奪い去ってしまうのだと」
「せ、性欲……?」
ミーシャがきょとんと聞き返す。
「奪われた者は、二度と元には戻れません。一生、その機能を失ったまま生きていくことになるのです」
ティナは自分の両腕に、ぎゅっと力を込めた。
「わたくしども機械人形人が、
ミーシャは木箱から散らばった物を拾い集めながら、困ったように目を瞬かせている。
「あの……それは、ええと、怖いものなんでしょうか?」
「悍ましいものです」
ティナは即答した。それ以上は言葉が続かない。
散らばった物を拾い終えたミーシャが箱に戻そうとするのを見て、ティナはようやく自分が荷を落としたままだったことに気付く。
「あ、も、申し訳ございません……失礼いたします」
ミーシャに礼をそこそこに、ティナは早足でその場を離れた。響く足音がいつものよりも自然と早くなってしまう。
残されたミーシャはティナが去っていった方向を見て、小さく首を傾げるだけだった。
*
生き物の気配が失せた土地に、一人の少女が立っていた。白い髪が薄明かりの中でわずかに輝き、金の瞳が何かを探すように周囲をゆっくりとなぞっている。
ミトラたちが自分に意識を向けていないところを見計らい、デッキケースの蓋の隙間からするりと抜け出してきたのは何日前だっただろうか。
きっと可愛らしいスピーカーが喋らなくなった事を彼らは嘆き悲しみ大地に身を投げ打って帰還を懇願していることだろうが、ノルドリッチはそれに後ろ髪を惹かれるわけにはいかない。
「どこに落ちたんだろうね、あの神様は」
ノルドリッチは荒野を歩きながら、自ら課した案内役をも投げ打つ理由となった変化を思い返していた。
現実世界、今のノルドリッチの契約者である新谷エダハの自宅。警備のためにノルドリッチが仕掛けておいた杖が、そこに何者かに踏み込まれた感覚を拾ったのだ。
前に月山のエサにしようとしていた亜修利ヒナタと、杖にしようとしていた端谷クモンとおまけの一人と精霊一匹。ノルドリッチが辛酸を舐めさせられたことから用意した自律兵器を真似た杖も突破されて! エダハの部屋まで上がり込んできたのだ。
そしてあろうことか、ついてきていた漆黒の精霊がエダハの肉体をまるごと呑み込んでしまったらしい。
最後の手段としてエダハに渡していた杖はろくに活躍出来なかったものの、彼が肉体を失う寸前にエダハは自身の意志と魂を杖へと逃れさせ、そしてそのままこちらの世界、
ここまではノルドリッチも把握しているものの、肝心のエダハの意志が宿った杖がどこに行くかはノルドリッチの手には委ねられていない。適当に放られたそれはこの脊界においてもやはり適当な位置に投げ込まれている。
「めんとくさいなぁ」
ノルドリッチは愚痴りながら周囲を見る。目当てのものはまだ見つからない。だが近くにあるという感覚は確かにあった。
気配というよりも直接的な繋がりが産んだ、見えない糸で繋がれた縁を辿るような感覚。一度は自らの
やがてノルドリッチは、荒野の片隅に視線を留めた。地面に突き刺さるようにして一本の杖が落ちている。黒光りする表面には光が帯びており、脈動するかのように明滅していた。
ノルドリッチは小走りで近付き、その前にしゃがみ込んだ。
「あーあ。こんなところにいた」
杖に向かって、指先でちょいちょいと突いてみせる。
「こっちの世界に逃げてきちゃってどうするつもりなのさ。現実に戻れなきゃ、漫画も描けないでしょ」
その呟きに、杖の明滅が急に強くなった。ノルドリッチの脳の奥に怒号のような意志が叩き込まれる。
『──お前のせいだろうが!』
「うるさっ」
怒号がノルドリッチの脳内に直接叩き込まれる。
『お前がアイツらをうまく誘導できなかったから、こうなったんだろうが! なんであいつらにSLGやらせてるんだよ!』
杖から放たれるエダハの意思は、ノルドリッチの頭を内側から突き上げるほどの圧を持っていた。ノルドリッチは無駄と分かりつつ耳を塞ぐように両手を頭の横に当てて、げんなりした顔をする。
「そう言われたって、仕方ないじゃないか。引き当てたのが顔見知りだったせいですぐにボクだって正体バレちゃってさ。そこから警戒されまくって何言っても疑われるんだから、誘導なんて出来るわけないでしょ」
軽い口調のまま、ノルドリッチは杖の柄に頬杖をつくように顔を寄せた。
「それにあの精霊どもは、プレイヤーとはまた別物なんだよ。どちらかというとこっち側の連中だからね、好き勝手に遊び回るのを止める手立てがボクには無いんだ」
ふっと、ノルドリッチの口元が緩む。
「むしろさ。あの無茶苦茶な攻略法、そのまま漫画に描いた方がウケるんじゃないの? 今からでもそれでやるって方針転換しちゃいなよ」
その一言に、杖が再び強く光を放った。怒りの波がノルドリッチにぶつけられる。
ノルドリッチは杖から少し顔を離し、薄い胸の前で軽く手を振った。
「いやいや、本気だって。ボクは、あの連中が対戦もろくにせず武力で押し切ってくの見てたけど、結構面白かったと思うよ」
その言葉は嘘ではなかった。単なる退屈な冒険譚でもやらされるのかと思えば、変な方向に話を転がしていく彼らのイレギュラーぶりをノルドリッチは呆れながらも面白がっていた。
それでも尚、つまらないとわざとシラベに言ってやったのは、エダハの求めている絵面ではないと分かっていての脅しのようなものだ。ああして雰囲気出してやれば、小賢しいつもりのあの男は勝手に悩んで跳ねてくれると思っていた。
実際出てきたのはポンコツの方だったのはノルドリッチの知るところではない。運否天賦を思うのは癪に障るものの、幸運だったとしか言いようがないのだもの。
ノルドリッチの言葉に、杖から発せられる感情の波がわずかに変化した。怒りの中に、苦々しさが混じる。
『……ソロモン王の軍勢は、もっと精強だ。ぽっと出の寄せ集めが横合いから殴りつけて倒せるようなものじゃない。俺が知ってるソロモン王の軍勢は、もっと強くなきゃいけないんだよ』
「はぁ」
『
ノルドリッチは大きく溜め息をついた。
「これだからファンってのは面倒だね」
呆れ果てた声でぼやく。だが、その口元に浮かぶ表情には、突き放すような色はなかった。
(でも、やる気になって貰わないと困るんだよなぁ)
ノルドリッチ自身の目的を達成するためには、現実世界でエダハに漫画を描き進めてもらう必要がある。こんな面倒で杖にもならない男にかまける必要があるのは面倒なことこの上ないが、それをやる価値はある。
今のままでは、エダハのモチベーションは底をつく。このまま送り返したところで何の役にも立たない。どうにかして、彼の精神状態を上向かせなければならない。ノルドリッチは杖を見下ろしたまま、しばし思案した。
やがて、にやりと笑みを浮かべる。
「ねえ。じゃあさ」
声にはいつもの軽薄さが戻っていた。
「君を現実に戻す前に、あのめちゃくちゃにした連中。自分の手で倒してみたくないかな?」
『……は?』
「ほら、よく言うじゃない。作り手は自分の経験したものしか書けないとかなんとか。ボクも自分が味わった杖しか作れないし。ここらでラスボスやるのは悪くない経験だと思うけどなぁ」
『……俺は漫画を描きたいだけだ。そんなことやってる暇は無い』
「まあまあ、聞いてよ」
杖の柄頭をぺしぺしと叩くノルドリッチ。叩いた所から光の粒が散る。
「もし君自身が『ソロモン王』としてあのプレイヤーたちと戦うんだとしたら。それは、いい経験になると思わない?」