廃鉱山の一角に設えられた会議室は、元は鉱員たちの詰所だったらしい。剥き出しの岩肌に古びた木のテーブルが一つ置かれ、それを囲むように椅子が並べられているだけの愛想の欠片もない部屋だ。ランプの灯りが届かない隅には、まだ採掘道具の名残が転がっている。
その質素なテーブルを、五人で囲んでいた。
シラベ、ミトラ、レヴェローズ、カルメリエル。そして末席に所在なげに腰掛けたミーシャ。
「では、信徒たちから集まった報告をまとめますわね」
カルメリエルが手元の紙束をめくりながら一同を見やる。司会進行役がすっかり板についていた。
「各地に展開していたいわゆるソロモン軍、ソロモン王の娘たちとその軍勢が、ここ数日のうちに、次々と姿を消しているとのことです」
言葉にならない緊張感が走る。軍事ごとに詳しくないシラベとミトラも、姿を消すという穏やかでない言葉にはたとえ敵軍であっても警戒を強める。
「撤退したとか、カルメリエルの秘密部隊が捕らえて実験体にしてるとか、そういうのでもないんだな?」
「撤退の様子は一切ありませんでした。後者に関して部隊そのものの存在は置いておくとして、私の手によるものではないと断言させてくださいませ」
「右手は左手のやっていることは知らないとかいう流れは勘弁しろよ」
シラベのぼやきを無視してカルメリエルは紙を一枚、テーブルの中央に滑らせた。信徒の誰かが書き留めた拙い地図と覚書きだ。
「天幕、兵糧、武具、何もかもがその場に置き去りにされたまま。消えているのは兵と、それを率いていた娘だけ。陣地から少し離れたところで痕跡を消しています」
カルメリエルは細い指で、地図の一点を撫でる。
「捕らえられていた捕虜も、乗騎にしていたであろう狼も、そっくりそのまま残されておりますの」
シラベは、その光景を頭の中で思い描いてみる。武器も食料もそのまま、繋がれた狼だけが主を失って遠吠えしている陣地。控えめに言っても気味が悪い。
「確認だが。戦闘の形跡は無いのだな。暗殺やそれを消したような痕跡も含め、姉様の手の者であればそこまで調べている筈だろう」
腕を組んだまま言うレヴェローズに、カルメリエルは首を横に振った。
「戦闘の痕跡は一切ございません。その他の痕跡についても、血の一滴も脂の一滴、焦げた草の一本すらも。争った様子はまるで無いのですわ」
「訳が分からねえな。工作員に襲撃されたか?」
シラベは指で顎を撫でた。それから、隣でつまらなそうにしているミトラの方へ顔を向ける。
「店長。ソロモン王関係のカードでこういう効果持ってるやつあったっけか。自軍を生け贄にしてなんかしでかす系のやつ」
「んー」
ミトラはテーブルに頬杖をついたまま、気のない様子で目を閉じた。居眠りでもしているかのような格好だが、頭の中ではシラベ以上に膨大なカードプールをめくっているのだろう。
「……ソロモン王関係だと思いつかないわ。汎用カードなら無くはないかもだけど、それ気にするくらいなら普通にストーリー上のイベントとして見た方が良さそう」
「ごもっとも。何かフラグが立ったと見る方が自然か」
シラベは隣に座るミーシャをちらりと見る。
出されたお茶のカップを両手で包み込むようにして持ったまま、話をぼんやりと聞いている。話題が話題だ、ヘルヘイム以前の記憶が無い彼女についていける内容ではないのだろう。
だがそれでいい。何か意見を求めているわけではなく、シラベはミーシャをこの場に同席させていた。
メインストーリーで出てきた名有りのキャラクター。元になっているカードにシラベもミトラも覚えが無い、エリューズニルのために作られたであろう人物。
もしソロモン軍にまつわる話を耳に入れてやれば、忘れた記憶の端っこが引っかかって何か思い出すかもしれない。その程度の薄い期待だ。
当のミーシャはただただきょとんとしているだけだった。シラベもそれ以上は無理強いせず、彼女を脇に置いて話を進めていた。
「ただ──こういうのは、ね」
「こういうの?」
ぼそりと呟いたミトラにシラベの意識が引きよられ、思わずオウム返しをする。
「敵将が次々といなくなっていく展開っていうと、物語的に考えれば佳境って気がするわね」
ミトラは頬杖をついたまま、どこか他人事のように呟いた。
「ラスボスの手駒が盤面から下げられていく感じ。決戦の前に四天王だのが舞台がすっきり片付いていくのって、ありがちじゃない? 72人の中ボスって多すぎだし、雑に処理されるのも止む無しよ」
「物語的に、ねぇ」
シラベは鼻を鳴らした。すぐに物語の展開を予測したがるオタク仕草に過ぎないが、残念なことにいま自分たちがいるのは推定ゲームの世界だ。ある種の筋書きを意識するのは自衛として間違っていない。
だがそうだとしても、物語の序破急だの起承転結を感じるにはシラベにとって実感が薄い。
「自分の手で敵将をひとつひとつ討ち取って盤面を更地にしてんなら、ああ佳境だなって感慨も湧くけどよ。俺らの手がまるで届かねえところで勝手に駒が消えてってんだぞ。そんなもんただの怪現象だろ。それか、週刊連載で巻末常連になった打ち切り漫画のあれ」
言いながら、シラベは内心で少しばかり居心地の悪さを覚えていた。
「自分が手出し出来ない範囲で進む盤面ってのが、一番タチが悪いんだよな。というかつまらねえ」
「打ち消し持ってない状態で進む相手の手番とか?」
「それも近いけど俺はコントロールあんまり握らないから……あー、多人数戦でルーンが全部寝てる状態で他手番を見てる感じ」
「あーね。分かるわ。政治出来る立場にも居られないやつ」
「それで理解出来るのか店長」
同意してくれたミトラと奇妙なものを見るような目をするレヴェローズはそれぞれ対照的だ。だがシラベにとってそう例えるしかない。自分の引いたカード、自分の積んだリソース、自分の組んだ盤面。そこで勝負がつくならまだいい。だがこちらの手札と一切関係ないところで勝敗が動いているとなると、それはもうゲームですらない。ただ制御不能の流れに巻き込まれているだけでひたすら居心地が悪い。
まぁ、そういう盤面にならないようにするのが一番ではあるのだが。こうしてここにいるのはろくでなしのせいらしいので俺は悪くないとシラベは思考を打ち切った。
「気味悪がっても進まねえな。どうする実際」
「消えたという陣地を一つ実際に検分してみてはどうだ」
「残ってる奴にカチコミかけてもいいんじゃない?」
「それで何かしらのカウントが進むのか戻るのかが怖いな」
かしゃん、と。硬い音が、会議室に響いた。
全員の視線が音のした方へ集まる。
ミーシャだった。両手で包んでいたはずのカップが彼女の手から滑り落ち、テーブルの上で転がっている。零れたお茶がじわりと木目に染み込んでいく。
だが、ミーシャはそれに気付いてすらいなかった。彼女はぼうと天井を見上げている。岩肌しかない何も無い天井を焦点の合わない目で、その向こうにある何かを見つめるように。
「おい、ミーシャ。どうした」
シラベが声をかけても、ミーシャは反応しない。
やがて、その唇が、かすかに動いた。
「……呼んでる」
「あ?」
「呼んでる」
もう一度、ミーシャはそう呟く。誰に言うでもなく、ただ事実を確かめるような口振りだった。
そして椅子から立ち上がると、ふらふらと歩き始める。覚束ない足取りで、けれど真っ直ぐに出口の方へ。
「おい、待て。どこ行くんだ」
シラベが腰を浮かせながら声を掛ける。ミーシャは止まらない。
「ミーシャ、ストップ」
ミトラが横から手を伸ばしてその肩を掴む。やはりミーシャは止まらない。掴まれた肩をするりと抜けるように、彼女は前へ進み続ける。まるで、見えない糸で手繰り寄せられているかのように。
「レヴェローズ」
カルメリエルがただ一言、妹の名を呼んだ。間髪入れずにレヴェローズが動く。
一足でミーシャの正面へ回り込んだ総督は、迷いも容赦も無くその鳩尾へすっと拳を差し込んだ。
「あぐっ」
ミーシャの小さな身体が崩れ落ちる。レヴェローズはすかさずその身を抱き留め、そっと床へ横たえた。一連の動作は淀みなく、美しいとすら言えるほどだった。
「……よくやった。でもお前、躊躇ねぇのな」
「ふふん。為すべき時に手心を加えていては務まらんのだぞ、契約者。それに加減はしてある。痣にもならんさ」
シラベは半ば感心し、半ば引きながらそう言った。年端もいかない少女の腹に迷いも無く拳を入れる絵面はなかなか剣呑だ。褒められたと受け取ったらしいレヴェローズは無駄に豊満な胸を張って、得意げに鼻を鳴らした。
その傍らで、カルメリエルが膝を折り横たわったミーシャの体のあちこちに触れていく。
「どう見ても操られてたって感じよね」
「ええ。ミトラ様の仰る通りですわ」
ミーシャの瞼をめくり晒した意識の無い目を、見開かれたエメラルドグリーンの瞳で覗き込みながら、カルメリエルはミトラの言葉を肯定する。
「この子に埋め込んだ伝結晶が何らかの波を感知したようです。解読するには時間が掛かりますが、外部からの干渉は間違いないかと」
「さらっと何埋め込んでるって言った?」
「ご安心を。後から猫耳の情報を加えてやれば、私のように愛でることも可能ですわ」
「安心できる要素を消していくなよ」
やはりこれに人を任せるのは危険なのではとシラベはカルメリエルを睨む中、カルメリエルは先ほどの地図へ目をやった。
「各地でソロモン軍が姿を消しているのも、おそらくこのようなことが起きた結果なのではないでしょうか。何者かの手招きによって自発的に集められているのであらば、戦闘の痕跡が無いのも頷けますわ。移動していく先が分からないのはやはり不気味ですが」
その呼ばれる中にミーシャが入っているのは驚くに値しない。確定的な情報は出ていないが、ミーシャがソロモン王の娘ではないだろうかというメタ読みは一応共有されていた。
「ふむ。自発的に動く必要があるのであれば話は早い」
レヴェローズが部屋の端からロープを持ってテーブルへと投げる。
「この娘がまた呼ばれて勝手に歩き出さぬよう、簀巻きにでもしてどこぞに括りつけておけばいいだろう。そうすれば動かれる心配はない。」
「いや、待て待て」
シラベは片手を上げて、それを制した。
確かにこれを企てている何某かを邪魔をしたり、ミーシャを守るという点ではそれでいい。だがシラベの頭の隅で別の算盤が弾かれていた。
せっかく相手がご丁寧に糸を垂らしてきてくれているのだ。それを無視して穴熊を決め込んだところで勝ちにつながるとは思えない。デッキ切れで勝てるのはカードゲームだけで、現実での遅延行為はおいしくないのだ。
「相手の手札が割れないんだ。妨害は無いって決めつけて動いた方が前のめりでいい」
「そういう博打好きね、ほんと」
はぁ、とミトラは溜め息を吐く。だが否定の言葉には繋がらなかった。
*
目を覚ますと目に入ったのは、あてがわれた寝室の見慣れた岩の天井だ。ミーシャはぼんやりと、その凹凸を眺めた。
「……あれ?」
会議室で皆の話を聞いていたはずだった。それから先の記憶がぷつりと途切れている。腹のあたりが鈍く痛む。寝相でも悪かったのだろうか。
けれど、その痛みを気にかけている暇はなかった。
頭の奥で、声がする。
言葉になる前の、もっと深いところ。何も無いはずの自分の記憶を、小石を投げ込まれた水面のように、さざめかせる声。
──来い。
たったそれだけ。それだけの命令が、ミーシャの胸の内側いっぱいに満ちていく。
行かなければ。
なぜ、とは思わなかった。どこへ、とも思わなかった。ただ、行かなければならない。その一事だけが、空っぽの胸に火を灯したように確かにそこにあった。
ミーシャはベッドから滑り降りた。裸足の足裏に冷たい岩の感触が伝わる。腹の痛みがずきりと主張したけれど、構ってはいられなかった。靴を履くひと時すら惜しい。
寝室を出て、廊下を歩く。
不思議なことに、廃鉱山には人の気配がまるで無かった。いつもなら忙しなく行き交っているはずの信徒たちも、見回りの兵の姿も今はどこにも見当たらない。がらんとした坑道に、ミーシャの裸足の足音だけがぺた、ぺたと反響する。
まるで、誰かが道を空けてくれたかのように。
けれど、ミーシャはそんなことを訝しむこともしなかった。声に手繰られるまま迷うことなく坑道を進み、やがて出口へと辿り着く。
夜風が頬を撫でるまま、ミーシャは外へ出た。この廃鉱山に来てから初めての外だったかもしれない。
服の裾に結びつけられた一本の細い紐が暗がりの中をするすると伸びていることに、彼女は気付かなかった。