カスレアクロニクル   作:すばみずる

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159 せっかちなんだから

 荒野を見渡せる小高い岩の上で、シラベは肩に乗った重みにじっと耐えていた。重みと言っても、ミトラの体格は小学生並みだ。たかが知れているはずなのだが、同じ姿勢で長く突っ立っていると首の付け根がじわじわと文句を言い始める。

 

「おい店長。まだかかるのか」

 

「もうちょっと。動かないで、ぶれるから」

 

 肩車されたミトラは、ホログラム越しに眼下の荒野へ意識を注いでいた。エリューズニルの撮影機能でズームを最大まで効かせ、望遠鏡のように使っている。少しでも高い位置から覗いた方が見通しがいいと駄々をこねて来たため、こうしてシラベが台座役を仰せつかっている。

 

「それにしても、よかったわよね」

 

「なにが」

 

 頭の上からのんびりした声が降ってきて、シラベは言い返す。

 

「ここに来る途中でミーシャと同じことになってるソロモン軍の部隊が見つかってさ。あのままミーシャを裸足で荒野まで歩かせてたら、可哀想だったもの」

 

「……いま簀巻きにして転がしてんのは、可哀想じゃねえのかよ」

 

 シラベは岩陰の方へ視線をやった。日の差さない窪みに、カルメリエルが涼しい顔で腰を下ろしている。その足元には、麻縄でぐるぐる巻きにされたミーシャが芋虫のように転がっていた。猿轡まではされていないが、もぞ、もぞ、と縄の中で身じろぎするたび、銀の髪が砂を掃く。何が何だか分からないという顔だけは縄の外に出ており、カルメリエルと時折会話しているらしい。

 

「あの子の身の安全のためだもの。いいのよ」

 

 ミトラはしれっと言ってのけた。意外でもないが毒親の資質があるのかもしれないとシラベは警戒する。

 

 少し前まで、シラベたちはミーシャの尾行をしていた。寝室を抜け出し夜の荒野へふらふらと歩み出ていく彼女を距離を取って後を追っていた。

 

 もし連れ去られるようであれば服と肌着に括り付けた紐を引っ張り綱引きをする覚悟だったものの、歩けども歩けどもミーシャの道行きは平和そのものだった。

 

 代わりと言ってはなんだが妙なものにシラベ達は出くわした。ミーシャと変わらない焦点の合わない目をして、同じ行き先へを目指しているらしいぞろぞろと歩いていく集団だ。装備の特徴から姿を消しているたソロモン軍の一部であることは分かる。

 

『こいつらを追いかけりゃ行き先は分かるな。よし行けレヴェ公』

 

『だから犬のように言うな!』

 

 獲物の位置さえ分かれば竿先の餌を無駄にする必要は無い。シラベはミーシャの回収をレヴェローズに命じた。レヴェローズに担がれた時点で正気に戻ったようだが、これ以上動かす理由にはならないため問答無用だ。

 

 かくしてご丁寧に簀巻きにされたミーシャは、いまカルメリエルの監視下で芋虫をやっている。

 

「で、肝心の行き先はどうなんだ」

 

 シラベが問うと、ミトラは枠を作った手をわずかに下へ傾けた。荒野のただ中、すり鉢状に落ち込んだ盆地の底へ照準を合わせているらしい。

 

「……んー。なんか、変なことになってるわね。ソロモン軍の連中、あそこに集まってってるんだけど」

 

 言葉を探すように、ミトラは一度黙る。

 

「集まったそばから、黒いドロドロに変わってるの。それが盆地の真ん中にずるずる流れ込んでってる」

 

「あ?」

 

 シラベは目を眇めて荒野を睨んだが、肉眼ではせいぜい盆地の縁に蟻の行列じみた人影が連なっているのが分かる程度だ。肩車していてミトラの脚を掴んでいるため、撮影機能は表示出来ない。底で何が起きているのかまではとても見て取れなかった。

 

「なんだそりゃ。意味が分かんねえぞ」

 

「私だって分かんないわよ」

 

 ミトラは撮影機能のズームを、ぐっと最大まで押し上げたようだった。肩の上で、ほんのわずか身を乗り出す気配がある。落ちるなよと言いかけたシラベの声を、彼女の呟きが追い越した。

 

「あー。盆地の真ん中に、誰かいるわ。……これ、ノルドリッチっぽいわね」

 

 その名前に、シラベは思い切り舌打ちした。

 

「デッキケースに収まってた筈の黒幕様が、こんなとこで何やってやがる」

 

 ミトラの相棒を気取ってデッキケースに収まっていた軽薄な精霊。ミーシャを捕まえたあたりからうんともすんとも言わなくなって、てっきり電池でも切れたのかとばかり思っていた。

 

「黙り込んでたんじゃなくて、抜け出してこっそり悪さしてたわけか。あの覗き魔め」

 

「みたいねぇ。まぁ、悪趣味な覗き見をされてなかったと思えば気が楽かもだけど」

 

 ミトラの声には裏切られたという怒りよりも、戸棚の影へ消えていったゴキブリの居所がようやく知れて安心したような、そんな気怠げな納得の方が濃く聞こえた。

 

 そうして二人が荒野を睨んでいると、岩場の下から軽い足音が駆け上がってきた。

 

「契約者」

 

 軽い足取りで現れたレヴェローズは、金髪を揺らして岩の上へと飛び乗った。日常のポンコツはどこへやら、こういう時の彼女は背筋が一本通っていて、声にも兵を率いる者らしい張りがある。

 

「部下たちの準備が整った。号令ひとつでいつでも突撃出来るぞ」

 

「おー、早いな。さすが総督サマ」

 

「ふふん」

 

 適当にシラベが褒めると豊満な胸を張るレヴェローズ。だがその顔がしかしすぐに曇った。

 

「……どうした」

 

 シラベが促すと、レヴェローズは小さく息をついた。

 

「うむ。斥候のついでにな、あのふらふらと歩いている兵を一人攫ってみたのだ。何か情報が引き出せぬかと思ってな」

 

「おう。で、何か吐いたか」

 

 この顔を見れば期待は出来ないのはシラベでも分かる。レヴェローズの眉根が寄った。

 

「やはり何の話も出来ぬのだ。問うても揺さぶってもまるで応えぬ。目の焦点も合っておらん」

 

「まあ、ミーシャの時と同じか」

 

「そこまでは想定の内だ。問題はその後でな」

 

 レヴェローズは一拍置いて、低く続けた。

 

「埒が明かないので始末しようとしたが、刃が一切通らなかったのだ」

 

「ああ?」

 

「斬りつけても、突き入れても、見えぬ壁に阻まれる。傷一つ付けられなかったのだ」

 

 レヴェローズの腕っぷしは伝結晶六個分、熊三頭をも相手取れる筈だ。それでも防がれるとなると尋常ではない。

 

 シラベの背筋をひやりとしたものが撫でた。嫌な予感というやつだ。頭の中で最悪の図を一つ描く。

 

「もしかして対策されたんじゃねえだろうな。俺らがさんざん暴力頼りにしてきたから、運営が痺れ切らしてこっちの手管が通じねえようしてきたとか」

 

 ライフゲインや誘拐や事前強化、ここまでさんざんまともなカードゲームを無視してきた自覚はある。ノルドリッチ曰くの神様が業を煮やして調整を入れてきたとしても悪気は無いが文句を言える筋合いではない。

 

「その可能性もゼロじゃないけど、もしかしてそれって私たちと同じ理屈なんじゃない?」

 

 頭の上から、ミトラが割って入った。撮影機能を畳んだのかホログラムの発する光は見えない。

 

「ほら。魔術師は魔術師戦、カードゲームでしか倒せないってやつ。私とあんたがいくら殴られても刺されても当たらないでしょ。あれと一緒なんじゃないかって話」

 

 シラベは口をへの字に曲げた。言いたいことは分かるが。

 

「でも兵士同士のど突き合いは別だろ。今までソロモン軍とレヴェローズは何度もぶつかってんだ。急に刃が通らなくなるってのは筋が合わねえ」

 

「それは……分かんないけど」

 

 ミトラは肩の上で首をひねった。傾きに合わせてシラベの体までぐらつく。

 

「とにかく、今までと条件が変わってるということですわね」

 

 シラベの背後から含み笑いの籠った言葉が転がってきた。レヴェローズが戻った事に気付いたカルメリエルが寄って来たらしい。シラベが振り向くと、肩の上のミトラが急に動くなと抗議の声を降らせてきた。

 

「以前のようなレヴェローズミサイルは使えないのは残念ですわ」

 

「誰が砲弾だ姉様! 私の華麗なる錐形の突撃はだなぁ!」

 

「あーはいはい、その話は後でやれ」

 

 姉妹喧嘩をシラベは手の甲で振り払った。

 

「攻撃が通らねえなら仕方ねえ。力押しは一旦諦めるしかねえだろ」

 

 シラベは荒野の盆地を顎でしゃくった。

 

「相手がカードゲームでしか勝負つかねえって言うなら、こっちもそのつもりで行く。そんでゲームに乗っかるなら、ゲームらしくヒロインと一緒に行くか」

 

 その一言でレヴェローズがばっと胸を張った。無駄に豊満なそれが布越しにたゆんと揺れる。カルメリエルも微笑みを湛えたまましずしずと一歩こちらへ踏み出してくる。二人とも、自分が呼ばれたと信じて疑っていない顔だ。

 

「仕方のない奴だな。私を連れて行きたいならそう素直に言えばよいものを」

 

「ええ、ええ。シラベ様がそこまで仰るのなら、私も吝かではありませんわ」

 

「いや、お前らじゃねえよ」

 

 シラベは半眼になった。

 

「ミーシャだよ、ミーシャ。シナリオに絡む美少女を連れてくのが一番ゲームらしいだろ。レヴェローズ、あいつ簀巻きのまま狼に積み込んで回してくれ」

 

 言った途端、レヴェローズがシラベに詰め寄る。

 

「ま、待て契約者。それはおかしいぞ。真なるヒロインはこの私であろう。王家の血筋を引く契約者の相棒。物語の中心に据えられて然るべきは──」

 

「うるせえ近い」

 

 ずいと詰め寄ってくる総督の額をシラベは手のひらで押し戻した。ぐぐぐ、と押し合いになりかけたところで、横合いからもう一つの気配が音もなく滑り込んでくる。

 

 カルメリエルは一言も発さず、にこにこと微笑みを湛えたまま側面からぴたりと寄り添ってくる。無言の圧というやつだ。喋らないぶんレヴェローズより質が悪い。

 

「鬱陶しい、散れ散れ」

 

 勘違い二人から距離を取ったシラベは、肩の上のミトラをよっと抱えて地面に下ろした。

 

「店長。俺はレヴェローズの狼にミーシャと三ケツで乗る。店長はカルメリエルと二ケツで頼む」

 

「はいはい」

 

 ミトラは気のない返事をすると、傍らのカルメリエルの尻を、きゅっとつねった。

 

「ひゃっ」

 

「ほら聖女様、行くわよ」

 

「……ミトラ様。淑女のお尻を不意打ちでつねるのは、いささか無体ではございませんこと」

 

 微笑みは崩さぬまま、カルメリエルが恨めしげに腰を引く。しかしミトラはどこ吹く風で、岩陰でじっと待っていた灰色の狼、モングレルの方へすたすたと歩いていく。

 

その様子に、シラベは小さく笑う。

 

「味方のふりが初っ端にバレても押し通してた敵がようやく出張って来たかと思えば、俺はポンコツと簀巻きのヒロインとで狼に三人相乗りか」

 

 改めて言葉にするとよく分からない状況だ。一年前の自分に言ったらどういう反応をするだろうか。

 

 遠くなりつつある現実にシラベが想いを馳せていると、簀巻きのミーシャがレヴェローズの黒狼ヴェルカの背に乗せられた状態で運ばれてきた。

 

「あ、あの……これは、いったい……」

 

「気にすんな。ちょっとしたアトラクションだと思ってろ」

 

 目を白黒させているミーシャをシラベは適当にあしらいながら、ヴェルカの脇腹に手を当てた。鞍に足をかけ、ミーシャを挟むようにレヴェローズの後ろへ跨ろうとする。

 

「シラベ」

 

 灰色狼の背から、ミトラが呼んだ。騎乗したことで、座っていてなお立っているシラベより高い位置にある。

 

 見下ろす格好になったミトラは、その高さの優位を存分に活かして、ひょいとシラベの額に唇を落とした。

 

「……っ、おい」

 

 額に残る柔らかな感触。シラベが睨みつけると、ミトラは身を起こしこれ以上ないほど得意げな顔でふんぞり返る。普段は決して届かない高さから、勝ち誇ったように見下ろしてくる。やってやったとでも言いたげな心底どや顔だった。

 

「ヒロインと一緒に行くんでしょ? 早く準備しなさい」

 

「……ガキか」

 

 シラベは片手で額を擦りつつ、呆れ半分に呟いた。その口元が緩むのまでは隠せなないし、隠す気もなかった。

 

 *

 

 

 ふらふらとただ一点、盆地を目指して歩くソロモン軍の進路の脇をなぞるように、黒と灰の二頭の狼を先頭にして、義勇軍と教団の合同部隊が荒野を駆けた。

 

 乾いた土を蹴立てて疾走する黒狼ヴェルカの背。手綱を握るレヴェローズの後ろに、簀巻きのミーシャを挟んでシラベが跨っている。三人乗りの鞍は窮屈で、ミーシャの縄が脇腹に食い込んで地味に痛い。

 

「契約者よ。少し、試したいことがあるのだが」

 

 風を切りながらレヴェローズが言う。片手が腰のサーベルの柄へそっと添えられた。

 

 シラベがレヴェローズの様子に注視すると、その視線が並走する形になっている兵の一団をちらりと撫でているのが伺えた。

 

「ああ、やってみろ」

 

「良し」

 

 短い返事と同時に、白刃が鞘走った。

 

 レヴェローズは駆ける勢いそのままに、呆と歩くソロモン兵へ刃を振り下ろす。太刀筋は迷いなく、狙いも間合いも兵の首筋を捉えているようにシラベには見えた。

 

 だが。硬質な音と光のエフェクトが中空に爆ぜた。

 

 刃が首に届くその寸前、連なった六角の板のような光壁によってサーベルは虚しく弾かれる。兵はそのまま傷一つ負わず、ただぞろぞろと歩き続けていた。

 

「やはり駄目か」

 

 レヴェローズは刃を戻しつつ低く呟いた。確認するように、二度、三度と別の者に斬りつける。結果は同じだ。刃は通らず、そして戦闘に合わせて駆け巡るはずの伝結晶の強化も、まるで立ち上がってこない。

 

 シラベは刃を弾いた障壁を、後ろから食い入るように見ていた。

 

 シラベやミトラに刃が通らない時、カードの対戦という正規の手続きを踏まずただの暴力で害そうとした時に立ち上がるシステマチックな壁。それと寸分違わぬエフェクトが、いま目の前で兵を守っていた。

 

 ミトラの読みは当たっていたらしい。これらはただの兵士ではなく、シラベたちと同じ、魔術師の側の存在になっている。

 

 

(こいつら全員、まともに殴って倒せねえってことになる。カードでしか勝負がつかねえなら、その内連戦でもやらされんのか。それともまとめてかかってこいの多人数戦か。どっちにしろまともな戦いにならなそうだ)

 

 その不吉な算段を、ヴェルカの咆哮が断ち切った。

 

 駆けていた黒狼がぐっと身を沈めたかと思うと、地を蹴って高く跳んだ。歩く兵の人垣を一息に飛び越え、その向こう──盆地へと。

 

「うおっ、おい、跳ぶなら言え!」

 

 予告なしの跳躍に、シラベの内臓がふわりと浮く。ミーシャのくぐもった呻きをシラベは聞いた。三人ぶんの重みをものともせず、ヴェルカは荒野の縁を蹴って宙を舞う。

 

 落下に転じる刹那、シラベの視界に盆地の底が開けた。

 

 すり鉢状に落ち込んだ底。その中央に白髪金瞳の少女が一人。ノルドリッチだ。突然頭上に降ってきた狼を唖然と見上げながらも、反射的に手にした杖を掲げようとしている。

 

 そして、その傍ら。大きな人の形をした、黒い油溜まりのような何かが地に伏せて据えられていた。

 

 考える間はシラベには無かったが、レヴェローズの手は早い。落下の勢いを刃に乗せるよう既に構えを取っていた。

 

 ノルドリッチ本体は防がれると見たのか、総督の狙いは初めから杖持ちを素通りして、その黒い人型へと吸い込まれていく。

 

 狼の着地と同時に振り下ろされる渾身の一太刀。けたたましい硬質の衝突音がシラベの耳を打つと同時に、黒狼が盆地の底へ着地した衝撃が乗り手たちに伝う。

 

 砂塵が舞い上がる。その中でノルドリッチが掲げた杖の先に、薄く光る膜のようなものが張られていた。間に合わせに張ったらしいそれの内側で、少女が頬を膨らませている。

 

「危ないなぁ! ラスボス相手にそういう空気読まない動きやめてよ! いきなり頭上から落ちてくるとか、ありえないでしょ!」

 

「一番空気読まねえ奴が何ほざいてやがる」

 

 シラベは落下の衝撃からどうにか再起動して言い返した。男から欲を抜いて杖にする精霊がありえないなんて言うとは馬鹿らしい。

 

 言いながらシラベの視線はレヴェローズの斬りつけた人型へ向く。

 

 黒い油の巨人は斬られた様子がまるで無かった。あれだけの一太刀を浴びせられたというのに輪郭一つ崩れていない。とろりと黒いシルエットのまま、ただそこにある。

 

「契約者、すまない。当たらなかった」

 

 レヴェローズが囁く。

 

「外したってことか?」

 

「いや。捉えてはいた。だが刃が阻まれたのだ。あの兵どもと同じようにな」

 

 レヴェローズはサーベルの刃を見つめながら首を横に振る。刃が通らないということは、あれもまた魔術師の側らしい。

 

 訝しむシラベの背後で、少し遅れて、灰色の狼が盆地へ滑り込んできた。ミトラとカルメリエルを乗せたモングレルだ。砂を散らして二頭目が降り立ち、ようやく面子が揃う。

 

 障壁の内側で、ノルドリッチが心底面倒くさそうに頭を掻いた。

 

「あーもう。せっかくキミたちのために立派なラスボスを用意してあげてるのにさぁ。なんで勝手にここまで来ちゃうかなぁ。招待状はまだ出してないんですけど」

 

「ラスボス。さっきもそう言ってんな」

 

 シラベは黒い人型を顎で示した。

 

「用意してるってことはお前じゃなくて、そいつがそうなのか」

 

「ご名答」

 

 ノルドリッチはにっこりと笑った。掲げた杖の先で伏した巨人を誇らしげに指し示す。

 

「これが、いま娘たちの身体から作ってる最中のラスボス。ストーリーモード『ミシャンドラ』の、最終決戦の相手。ソロモン王だよ」

 

「ソロモン……王」

 

 その名が、簀巻きのミーシャの肩をぴくりと震わせた。シラベはそれを片手で押さえつけながら、黒い泥の塊を見やる。とてもじゃないがボスと言うには威厳が足りない。油溜まりのような有り様だ。

 

「あ、疑ってる? 本物だって! ちゃんと『外の世界からやってきて』『七十二の娘と共にある』『魔術を操る王』なんだよ。君らが使うカードの本家本元って話も耳にタコが出来るくらい聞かされたから、ちゃんと戦えるし。ただ見ての通り、まだ完成してないんだよねぇ」

 

 ノルドリッチは肩をすくめた。

 

「あと三十人くらい娘を溶かせば出来上がるかな。あとはボクがデザイン監修して、身体動かす練習してもらって……そんなだからさ、悪いんだけど、明日までそのへんで待っててくれない? 完成したらちゃんとラスボス戦やらせてあげるからさ」

 

「馬鹿じゃないの」

 

 吐き捨てたのはミトラだった。灰色狼の背から滑り降りると、ホログラムをたたき割る勢いでデッキの束を抜き出し実体化させる。

 

「待つわけないでしょ。完成する前に叩き潰すに決まってるじゃない」

 

 シラベも自分のデッキを抜き、ミトラの隣に並ぶ。二人の目の前と油溜まりの前には対戦準備を現わすホログラムが表示された。

 

 敵対意思を持つ者とは魔術師は対戦を挑める。その法則はこの場面でも適応されていた。つまり、この王を冠した油溜まりはシラベたちに明確な敵意を向けている。

 

「だよねー。キミたちならそう言うと思った。せっかちなんだから」

 

 ノルドリッチは別段気を悪くした風もなくけらけらと笑い、そして杖をひと振りした。

 

 その瞬間。地に伏していた黒い人型がずず、と音を立てて動く。とろけた肩が持ち上がり、輪郭の曖昧な頭がもたげられる。

 

 歪な巨人がむくりと身を起こしていく。顔のあたりはのっぺりと霞み、肩の鎧は途中で溶け崩れたまま。完成にはほど遠い、何もかもを欠いた紛い物の王が、それでも確かに立ち上がる。

 

「ま、四十は呑み込めたんだ。デッキ構築はだいたい出来てるからね」

 

 ノルドリッチは笑いながら、立ち上がった不格好な王へと侍るように寄り添う。

 

「じゃあちょっと早いけど。ラスボス戦、始めよっか」

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