カスレアクロニクル   作:すばみずる

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165 我らの勝利だ!

 幾度目になるかも知れない斬撃を、レヴェローズはまた一つ振り抜いた。黒狼ヴェルカの鞍上で身を低く沈め、寄せてくるソロモン兵の隊列へ横薙ぎの一閃を叩き込む。

 

 手応えは軽い。意識を持たぬ傀儡の兵は防御を固めるということをせず、間合いを計ることも刃を避けることも知らない。ただふらつく足取りで群がり、薙ぎ払われてもまた次が湧いてくる。

 

「ええい、きりがない」

 

 部下たちの陣形を視界の端で確かめながらレヴェローズは嘆息する。義勇軍と教団の合同部隊は伝結晶の恩恵で底上げされ、戦線そのものは保っている。だが敵の数が減る気配がない戦場というのはそれだけで意識を萎えさせる。

 

 またぞろ切り込んで戦意を保たせるか。構えようとしたレヴェローズだが、狼の拍車を掛けることはなかった。

 

 目の前のソロモン兵が、ぴたりと動きを止めたのだ。

 

 振り上げかけていた腕が行き場を失ったように宙で固まる。虚ろだった目にふっと焦点が戻る。自分の手と周囲の戦場を見比べ、戸惑うように瞬きをした。

 

 長く戦場に身を置いてきた者の勘がレヴェローズの背筋を駆け抜けた。

 

「全軍、止まれ! 手を止めよ!」

 

 考えるより早くレヴェローズは声を張り上げていた。戦場を貫く号令は部下たちの腕を次々と止めていく。

 

 戦場が、奇妙な凪に包まれた。

 

 刃を止めた義勇軍が困惑顔を見合わせる。対するソロモン兵もまた、たった今まで自分が何をしていたのか分からぬ様子で立ち尽くしている。兵の合間に混じっていた、ソロモン王の娘と思しき高位の戦姫たちさえ、なんだこれはと当惑を隠せずにいた。

 

 兵が傀儡たり得たのは、頭たるソロモン王を操る白いアレがいたからこそのはず。その糸が今この瞬間断たれた。ならば答えは一つしかない。

 

「やったのか、()()()

 

 レヴェローズは盆地の方角へ目を向ける。

 

「ヴェルカ!」

 

 黒狼の脇腹を促す。心得たヴェルカが地を蹴り、戦場を縫うように跳ねて駆けた。

 

 盆地の縁にたどり着き、レヴェローズはその底を見下ろす。散乱した黒い油溜まりが見える。シラベたちと対峙していた不格好な王の姿は、もう影も形もない。

 

 盆地の中央には二人が立っていた。

 

 気怠げに肩を回すミトラと、その傍らで周囲を伺っているらしいシラベ。レヴェローズの胸の奥がぐっと熱くなった。

 

 レヴェローズはサーベルを高く掲げ、戦場全体に響き渡る声を上げる。

 

「聞け! ソロモン王は──異邦の王は討ち取られた! 我らの勝利だ!」

 

 一拍の間。

 

 そして義勇軍と教団の信徒たちから、地を揺るがす歓声が湧き起こった。剣を、槍を、機械仕掛けの腕を突き上げ、口々に勝鬨を上げる。

 

 それとは対照的に、ソロモン兵たちは呆然と立ち尽くすばかりだった。己の主が討たれたという報せをまだ呑み込みかねている。

 

 勝った。盆地を見下ろしながら、レヴェローズは誇らしげに胸を反らす。さすがは私の契約者とその伴侶だ。あとでたくさん褒めてやらねばならない。そう思っていると、シラベとミトラが何やら動き始めたことに、レヴェローズは気付く。

 

 シラベが傍らに置いていた銀髪の少女、ミーシャの手を引いて戦場の跡を歩き出していた。そこここに転がる残骸を物色するように見て回り、何かを拾い上げては、ミーシャの腕に押し付けている。

 

 古めかしい王冠。きらびやかな指輪をいくつか。黒い杖。壺。目に付くものを全て持たせるかのようだ。

 

「何をやっているのだ、あいつは」

 

 レヴェローズは首を傾げる。

 

 見れば店長の方も妙な動きをしていた。なぜか戦闘が終わってもなお消えずに残っている仮面の生命体とモップを手にしたメイドのような機械、それにカルメリエルまでを引き連れて、横倒しになっていた一脚の玉座を、よっこらしょと起こしにかかっている。

 

 起こした玉座に、シラベがミーシャを座らせた。ミーシャには大きすぎる王冠を頭に乗せ、指には指輪を嵌め、黒い杖を握らせ壺を載せていく。店長はカルメリエルたちを玉座の隅へ配し、そのまま玉座ごとミーシャを担ぎ上げさせた。

 

 レヴェローズも、ソロモン兵も、義勇軍も信徒も、縁の上から、誰もが縁の上から等しく困惑の目でその光景を見下ろしている。誰一人として状況を理解できていない。

 

 そうして担がれた玉座が、先導する契約者と店長に従って、ゆっくりと盆地の坂を登り始めた。

 

 しん、と静まり返った中を、玉座の一団がずんずんと迫ってくる。

 

 その姿が近付くほどに、レヴェローズの胸の中で、抑えがたい衝動がむくむくと頭をもたげた。

 

 駆け寄りたい。狼から飛び降りて、その首に腕を回して、無事だったのだな褒めてやると言いながらこちらの戦果も褒めてもらいたい。

 

 だが、レヴェローズはぐっと堪える。今は部下の見ている前だ。それにどう見てもそういう雰囲気でもない。

 

 総督としての矜持と何やら厳粛めいた空気が、辛うじてレヴェローズの暴走を押し留めた。後でいくらでも甘えてやればいい。

 

 坂の途中、いつの間にかミトラが歩き疲れたらしく、シラベがその小さな身体を背に負っていた。それでも歩調を緩めぬまま、シラベは斜面を登り切り、続いて担がれた玉座も縁へと到達する。

 

 近付いて見えたミーシャは、目に見えて緊張していた。

 

 頭には頭のサイズに合わぬぶかぶかの冠。指には抜け落ちそうな指輪。短剣ほどの大きさしかない黒い杖を、縋るように両手で握りしめている。借り物の威厳を全身に纏わされた少女は、今にも泣き出しそうな顔でちんまりと玉座に収まっていた。

 

 レヴェローズは、ヴェルカをゆっくりとその傍へ寄せた。

 

 なぜそうすべきと思ったのかはうまく言語化出来ない。ただ、自分はあそこに行くべきだと感じ取った。それは軍属としての経験ではなく、王女としての出自がそう囁いたのかもしれない。

 

 見れば、いつの間にか姉の灰色狼モングレルも近付いてきていた。二騎の巨狼が、玉座の左右に堂々と侍る格好になる。

 

「レ、レヴェローズ」

 

 玉座を担いでいたカルメリエルが、こちらに気付いて小声で泣きついてきた。額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 

「変わって頂戴。これ、思ったよりも重くて……」

 

「……仕方のない奴め」

 

 レヴェローズは小さく笑い、ヴェルカから飛び降りた。姉が支えていた部分を引き継ぐと、玉座のずしりとした重みが肩に乗る。なるほど、確かに重い。

 

 解放されたカルメリエルはふう、と一息ついた。だが息を整える間もなく、傍にいた信徒が即座に運んできた台へと登壇する。聖女の仮面を瞬時に貼り直したその顔には、もう汗の一つも浮いていない。

 

「皆様。どうか、お聞きくださいまし」

 

 糸のように細めた目で、カルメリエルは困惑する戦場全体を見渡した。

 

「ソロモン王の名を奪い、その力を僭称していた醜き魔物はいま討ち滅ぼされました。王はその身を魔物に蚕食され、藻掻き、苦しみ、娘たちである兵を喰らってその身を癒そうとしていたのです」

 

 そこから朗々と通る声が戦場だった地に染み渡っていく。レヴェローズは店の会議は聞いていないが、軍事ごとであれば頭は回る。カルメリエルがさも当然の様に語っていく事実が事前の情報に毛ほども無かったことも察していた。

 

「そして──真にソロモン王の座を託されるべき御方は、ここにおられます。彼女こそ、王が最期に定めた後継なのです」

 

 カルメリエルの手が、レヴェローズの担ぐ玉座を指し示した。

 

 肩にかかる重みが震えた気がして、レヴェローズはミーシャがいよいよ縮こまっていくのを感じ取る。注目を一身に集めた少女の身体は緊張で小刻みに震えていた。

 

(なるほど。そういう腹か)

 

 ここに至って、レヴェローズはようやくシラベたちの目論見を理解した。ミーシャを旗印に仕立て、頭を失ったソロモン軍を丸ごと丸め込もうというのだ。

 

 先ほどまでこの戦場にいたソロモン兵は揃って意識を失っていた。頭たる王に異常が生じていたというところまでは、百歩譲って彼らも呑み込むだろう。だが、とレヴェローズは眉を寄せる。

 

(だからといって、見ず知らずの小娘が王の座を託された、などと──そう都合よく信じるものか)

 

 文字通り畑から取れるような十把一絡げの兵はともかく、王の血を引く娘たちが納得するはずがない。この詐術はいささか無理が過ぎる。その上、ここには侵攻の被害を受けていた義勇軍もいる。彼らの激発をうまく躱せる術があるというのか。

 

 レヴェローズのその目算は、すぐに裏打ちされた。

 

「──ふざけるな」

 

 ソロモン兵の隊列を割って、一人の戦姫が進み出た。

 

 長身に甲冑を纏い背には巨大な戦槌を担いだ、見るからに高位の娘だ。その双眸が玉座のミーシャを射るように睨み上げる。

 

「何が後継だ。貴様、父王の血を継ぐものだとでも言うつもりか」

 

 戦姫の声は怒気に震えている。

 

「娘だとして、それがどうした。序列八位たるこの私を飛び越えて、王の座に着く資格があるとでも言うのか!」

 

「やべっ」

 

 シラベが声を漏らしたのをレヴェローズは聞き取った。それに続いてミトラも深々と溜め息をついており、デッキを手に取ろうとしているのが見える。

 

 博打は外れたのだろうと見限りつつあるレヴェローズは、いつでも玉座を投げ捨ててサーベルを抜けるよう身構える。

 

 だが、その時。肩にかかっていた重みが、震えとは異なる動きをしたのを感じた。

 

 見上げれば、玉座の座面の上にミーシャが立っていた。

 

 先ほどまでの今にも泣き出しそうな緊張は消えている。両手に握った黒い杖を片手で持ち、その先端には淡い光が灯っていた。

 

 背筋を伸ばして戦場を見渡すその姿は、どこか現実から半歩ずれた、夢の中を漂うような佇まいをしていた。

 

「……我らの父は」

 

 ミーシャの唇から零れた声は、もはやレヴェローズの知るおどおどとした少女のものではなかった。

 

「娘たちが、相争うことなど望みはしません」

 

 夢現の声が、静かに戦場へ落ちていく。

 

「我らの王は、我らを愛し、慈しみ、ただその一事に心血を注いだお方。姉妹が刃を向け合うことを、父は、決して望みはしないでしょう」

 

「黙れ……っ!」

 

 歩み出て来た戦姫が吠える。

 

「知ったような口を利くな! 貴様のようなものは我ら娘の中で見たことが無い! 偽者が、貴様に父王の何が分かる!」

 

「私はミシャンドラ」

 

 ミーシャは、静かに告げた。

 

「ソロモン王が王となる前の、最初の娘。そして──最初に死んだ娘です」

 

 その名乗りに、ソロモン軍がどよめいた。

 

 息を呑む音、ざわめき、後ずさる気配。レヴェローズにはその動揺が戦場の空気を伝って肌に届くのが分かった。

 

「私は、覚えています」

 

 ミーシャ──ミシャンドラは、遠い場所を見るように目を細める。

 

「まだ私が脊界卵(ユミル)にいた頃。王になる前の、ただの父と過ごした旅を。共に一頭の狼に乗り、四色の海を渡り、貴方たちの故国たる迷い路の大地へと辿り着いた。あの日々を、私は今もすべて覚えているのです」

 

 どよめきがさらに大きくなる。

 

 レヴェローズには、その言葉の真偽を確かめる術はない。だがソロモン兵たちの反応がすべてを物語っていた。あれはきっと、ソロモンに従う者でなければ知り得ぬ記憶なのだ。語られるほどに、戦姫の顔から血の気が引いていく。

 

「けれど──九脊界より吹く死の風に、私は攫われてしまった」

 

 ミシャンドラの声に、初めて翳りが差した。

 

「父は知ってしまったのでしょう。失ったはずの娘が、九脊界の死の世界、この葬送外野(ヘルヘイム)に在ると。だからこそ、あの方は此度の愚かな侵攻を決意してしまった。──私が、父にこのような真似をさせてしまったのです」

 

 杖を握る手が、わずかに震える。

 

「ならば私は、責を負わねばなりません。あなた方の、最も古き姉として」

 

 ミシャンドラの眼差しが、そこでゆっくりと巡った。

 

 今度はソロモン軍ではない。レヴェローズに率いられていた義勇軍と教団の信徒たちへ、その視線が向けられる。

 

「此度の戦で、あなた方は多くのものを奪われたことでしょう。焼かれた土地、傷ついた身体、喪われた誰か。その悉くは、我が父の名のもとに振るわれた暴力の爪痕です」

 

 その声に、深い悔恨が滲んだ。

 

「王に代わり、心より詫びを申し上げます。許せとは申しません。ですがどうか、奪われたものを取り戻すために、私たちにも力を貸させてはいただけないでしょうか」

 

 杖を握る手が、縁の上の人々へと、そっと差し伸べられる。

 

「焼けた土地には水を引き、崩れた礎には石を積み、傷ついた者には手を添える。奪い、踏みにじった罪科は消えませんが、せめてその償いをさせてください」

 

 レヴェローズは、戦場を覆っていた敵意の濃度がゆるりと薄れていくのを肌で感じ取った。義勇軍の幾人かが毒気を抜かれたように得物を下ろし始めている。つい先刻まで殺し合っていた相手から乞われる言葉にどうすればよいのか測りかねているのが見て取れた。

 

「汚濁に塗れた父の名を、せめて一欠けらでも雪ぐ機会を、どうか」

 

 燻る怒りはあるだろう。戦勝の高揚と場の空気に呑まれているというのもある。レヴェローズとカルメリエルがこの場にいるだけで抑えられているだけなのかもしれない。

 

 それでも。いまこの一時だけは、玉座の声を否定するものはいなかった。

 

 言い終えると同時に、杖の先端に灯っていた光がすっと掻き消えた。ミーシャの身体から力が抜け、玉座の座面にぺたりとへたり込んだ。

 

「……あ、あれ?」

 

 きょろきょろと、ミーシャが頼りなく辺りを見回す。

 

「私、いま……何を、言って……?」

 

 その声は、すっかりおどおどとした元の少女のものに戻っていた。たった今まで自分の口が何を紡いでいたのか、まるで覚えていない様子だった。

 

 玉座を支えたまま、レヴェローズは呆然とミーシャを見上げる。記憶が戻ったのかと思ったが、それとも違うらしい。まるで誰かに言わされていたとしか思えぬ豹変ぶりだった。

 

 だがそれを問う暇もなく、戦場に衣擦れの音が広がった。

 

 ソロモン王の娘たちが──序列八位と名乗った戦姫までもが──一人、また一人と、玉座の上の少女へ向けて、深々と膝を折っていく。

 

 虚ろだった瞳に、今度は紛れもない畏敬の色を湛えて。

 

 最も古き姉に傅くその光景を、レヴェローズはただ玉座の重みとともに見届けるしかなかった。

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