昼前の店内には常連が三人ばかり。ショーケースの前でカードを覗き込む者、卓を借りて一人回しをする者、新弾のポスターにある新規カードのテキストを眺めて唸る者。唐突に営業を止めていた店とは思えない、いつも通りの気怠い昼下がりが戻ってきている。
いつも通り、ではあるのだが。シラベはレジカウンターに頬杖をついたまま、店のあちこちに目をやった。
ショーケースのガラスには指紋ひとつなく、床には埃のひと粒も落ちていない。普段なら隅にうっすら溜まっているはずの綿埃も見当たらない。店を開けずにいた間の埃どころか、それ以前から堆積していた薄汚れた雰囲気すらも磨き上げられているかのようだ。
以前まで真鍮の壺を飾っていたカウンターの隅には、今は黒猫姿の大穴が夜闇の塊のように丸くなっている。シラベが大穴の背を撫でてやると、指の動きに合わせて空気が抜けるような吐息が返ってきた。
「あっ、シラベさん」
来店の音がしたかと思えば、戸口からシラベに声が掛かる。常連の一人であるオオタだ。足早にカウンターへと進んで嬉しそうな顔を隠そうとしない。
「半月近くお休みされてたので心配してたんですよ。また開けてくれてよかったです」
「いやぁ、ちょっと色々あって」
シラベは頬杖を解いて軽く頭を下げた。色々、の中身を律儀に説明する気はない。説明したところで誰も信じやしないし、自分でも未だに信じがたい部分が多い。
「ご心配おかけしましたが、店はこの通り通常営業。またやっていくんでよろしく」
「はい、またよろしくどうも。張り紙見てびっくりしたんですよ。『店主体調不良につき当面の間休業』ってあったから。大丈夫そうなら何よりです」
その張り紙なら、シラベが『こちら』に戻ってきてから見つけたものだ。当然シラベたちに出した覚えはない。あの時の自分たちに貼り紙を出す暇などあろうはずもない。あの女社長がしてくれた細やかなフォローの一つだった。
「心配かけたお詫びってわけじゃないけど、また今度中古屋巡りでも行きますかね」
「あ、いいんですか。実は隣町に新しいリサイクルショップができたらしくて。夜逃げしたカード屋の箱に入ったらしいので、もしかしたら何か在庫が残ってるかも」
なんてことのない会話をするだけで、今のシラベは心が安らぐ。現実では十日かそこら、シラベの体感でもひと月あったかどうか。それだけのあいだ離れていた日常が自分のところにちゃんと戻ってきている。
その実感にシラベは柄にもなく少しだけ気を緩めていると、階段の上から声が降ってきた。
「お父様、在庫部屋の整理が出来ました。廊下に出したものはどうしますか?」
ああ、とシラベは肩越しに振り返る。
「あとでレヴェローズにミトラの実家まで運ばせるから、そのままでいい」
「わかりました。じゃあ、続けて掃除をしますね」
「おう、頼むわ」
律儀に応じる声に短く返して、シラベはカウンターの方へ向き直る。
そして気付いた。先ほどまで和やかだったオオタの顔が、これ以上ないというほど驚愕に染まってシラベを凝視している。
「……どうした、オオタさん」
尋常でない顔つきにシラベは眉を寄せる。喉を上下させ、唇をわななかせ、やがて掠れた声をオオタは絞り出した。
「シ、シラベさん……ついに、お子さんが……?」
「は?」
一瞬何を言われたのか分からなかったが、シラベはすぐ自分のしでかしたことに思い至った。
今、自分はお父様と呼びかけられて何の疑問も挟まずに、ごく当たり前のように受け答えをしてしまっていた。帰ってきてから店を開けるまでの休息期間では意識に引きずられないよう厳に戒めていたというのに、反射で返事をした自分が信じられない。
「い、いや、これはその。色々あった中の一部っつーか」
「一部……」
シラベは慌てて手を振りつつ頭の中の手札を見回す。なんて配牌なんだろう。ろくな言い訳が出来そうにない。
「養子、いや預かりっつーか。事情があってしばらくうちで面倒見てるだけで。決してその、俺が作ったとかそういうのじゃ」
オオタの目は納得するどころか、ますます何か異常な存在を見る目に変わっていく。
「で、でもお父様って」
「呼びやすいように自由にさせてるだけ。いや本当に。マジで」
「はぁ。……ちなみにお母さんは……?」
「母親は」
反射的に答えかけてシラベの脳裏に、銀髪の少女にお母様と呼ばせてだらしなく相好を崩していた小さな店長の姿がよぎってしまう。
肯定も否定もなくただ言葉に詰まったシラベの様子を、オオタは誤解を深めていく。万感の思いを込めるように深々と頷いていた。
「そう、ですか。色々、あったんですね」
「いや、そうなんだけど……色々あったんだけど……」
問い詰められれば困るものの、かといって誤解のまま置いておくのも自分の名誉に関わるのではないか。今更自分がどう見られていても仕方がないと分かっているが、それでもまともな常連客にはまともな目を向けて欲しいと思ってしまう。
レジ横の黒猫はシラベの懊悩などどこ吹く風で、にゃあと一鳴きするだけだった。