カスレアクロニクル   作:すばみずる

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175 今日は負けた方が奢りな

 真夏の夕方前。西日はまだガラス戸の外で粘っているが、ボトムレスピットの店内は冷房の低い唸りに守られていた。

 

 カウンターではシラベが伝票の束を繰っている。二階からは時々、たどたどしい音読の声があった。銀髪の娘が今日の課題を読み上げているのだろう。

 

 レディ・ローマはその涼しさも暑さも感じられない身の上で、誰もいない店内をゆっくりと漂っていた。

 

 この店は賭場に似ている。というのが、近頃のレディのお気に入りの見立てだった。

 

 卓を囲む客たちは誰もがディーラーであり、同時にギャンブラーだ。切り直されるデッキはホイールで、引き寄せた手札はチップ。

 

 となれば胴元はこの店か。カウンターで欠伸を噛み殺しているあの店員は、差し詰め代貸というところだろう。

 

 では、ショーケースは景品棚か。

 

「それなら、そこに並んでいる私は景品ということになるわね」

 

 ガラスの奥に眠る己のカードを見下ろして、レディは小さく笑った。やたらと高い値札の付いた、引き換える客もいない景品。価値こそ示されているものの、象徴であることしか求められていないという点は、賭場の飾りとしては我ながら上等な部類だと思う。

 

 賭場が開帳されるからには、オッズを決める者が要る。本来なら女帝が手ずから執る仕事ではない。それは分かっているのだが、なにぶん、暇だけは無尽蔵にあった。

 

 いつからかレディは、常連客の対戦に勝手な倍率を付け、勝敗を帳簿に付けることを覚えていた。誰にも頼まれず、誰にも知られない帳簿係である。

 

 中でも一番の上客は、あの二人の興行だった。

 

 冬のある日、金髪の女子高生と常連の少年が卓を挟んで「一日一戦、やり直しなし」と取り決めているのを小耳に挟んだ。以来、レディは二人の戦いをほぼ欠かさず観測している。開演はいつも夕方。この頃は夏休みというものに入って学校とやらへ通わなくなったらしいが、それでも二人は律儀に時間を合わせ、この店で落ち合っている。

 

「可愛らしいものだわ。……そろそろね」

 

 レディは卓の斜め上、宙に浮いた自分専用の特等席へと陣取った。

 

 

 

 開演より先に現れたのは、少年の方だった。

 

 ガラス戸を押して入ってきた橋谷クモンは、カウンターへ挨拶をしてから、まっすぐストレージの白箱へ向かう。小遣いの入った財布と相談しながら箱の中を行き来して、百円のカードを数枚抜き出し、会計を済ませた。

 

 誰もいない卓に着き、デッキケースを開けて買ったばかりのカードとデッキを並べ始める。レディにとっては観察が捗るひと時だ。パドックでの観覧に近いだろうか。

 

 頭の中に記載された台帳をレディは捲る。通算の戦績は、キリメが7でクモンは3。

 

 数字だけ見れば分かりやすい力量さだ。だが女帝の目利きは、数字の裏まで検分している。少年の負け星の中には、指し手を一つ誤らなければ拾えていた試合がいくつも埋まっているのだ。どの試合の、どの一手かまで具体的に思い出せる。

 

 構築の工夫や読みの鋭さ。盤の外まで含めて査定するなら、二人の開きは見かけの数字ほどではない。もっともこれは、誰にも公開されない女帝の私見である。本人らがいつ気付くのか、それも見物であった。

 

 少年の手元では、今日も一枚のカードが定位置に収まっていた。

 

 デッキをどう組み替えようと、必ず一枚だけ差される金髪の総督のカード。この店に住む、あの騒がしい精霊と同じ顔が描かれた一枚だ。験担ぎか何かだろうか。あれのせいで負けた試合もあるはずだが、そういうものに縋るギャンブラーは嫌いではない。

 

ガラス戸が鳴る。

 

「――だからさぁ、俺こう見えて結構詳しいんで、教えてあげてもいいって言ってんすよ」

 

 入ってきたのはタンクトップ姿のキリメ。その後ろに、もう一人くっついている。

 

 見覚えのある小僧だった。たまに店へ来ては、ピンク髪の聖女の胸元を盗み見ていた子だ。今日は金髪の女子高生に目移りして、そのまま釣られてきたらしい。

 

「いらない。つーか誰だよお前」

 

 キリメは振り返りもしない。声に警戒の色はなく、道端の羽虫を払う程度の雑なあしらいだった。

 

 当の小僧はといえば、口は調子よく回しながらも視線だけが言葉より雄弁に胸元を這っている。

 

「私の賭場なら、バニーガールに手を出してつまみ出される手合いね」

 

 思わず声に出してしまい、レディは手を口へとやった。誰にも聞こえていないとはいえ、独り言に慣れてしまうと後が怖い。

 

 ともあれ品性を感じられない客というのはレディにも覚えがあり、その対処が決まっている。一度目は荒々しく表口から、二度目は穏便に裏口へ連れていく。三度目は無い。

 

 卓の上では、カードを繰っていたクモンの手が止まっていた。表情が硬い。椅子の脚がかすかに床を擦り、腰が浮きかけた、その瞬間。

 

 キリメに迫っていた小僧の顔面が、手のひらに鷲掴みにされた。

 

「うちは学生だろうが社長だろうがナンパ禁止だ」

 

 いつの間にカウンターを出ていたのか、シラベである。

 

「いだっ、いだだだ! なんなんすか、離してくださいって!」

 

 小僧は手足を捻って暴れたが、顔を掴まれたままガラス戸の外へ押し出されると、驚くほど潔く商店街の雑踏へ消えていった。引き際だけは早いのは評価出来る。

 

 見やれば、クモンが浮かせかけていた腰を椅子へ戻していた。カウンターへ引き返していくシラベの背中を、少年の目がしばらく追っている。

 

 レディは覚えていた。かつてこの少年は、女がらみになるとシラベをよく睨んでいたのだ。起承転結を見守る側からすると面白がっていたものだが、今その目にあの頃の棘はもう見当たらなかった。

 

「……別に、アタシは自分で捌けたけど」

 

「捌くな。一人でどうこうすると色々面倒になる。人を頼れ」

 

 キリメの強がりをシラベはぴしゃりと跳ね除けた。それを面白くなさそうにキリメは鼻を鳴らしてから、クモンの向かいの席へとどかりと腰を下ろす。

 

「わり、待たせた。変なのがくっついてきてさ」

 

「ううん。……大丈夫」

 

 気を取り直すように、二人はそれぞれのデッキケースを卓へ置いた。

 

「あー、暑かった。……そうだ、クモン」

 

 キリメはにやりと笑いながら、表の通りを指差して言い足す。

 

「今日は負けた方が奢りな」

 

「いいよ。受けて立つ」

 

 ほう、とレディは特等席で身を乗り出した。アンティ付きの興行となると、また条件が変わってくる。何かを賭けるというものは、存外馬鹿に出来ない力を発揮させるのだ。

 

 基礎倍率はいつも通り、実力査定で補正して、プラス二人の欲望の強さは如何ほどか――誰も知らない賭場が開かれていくのを知らずに、二人の間でダイスが振られて先攻が決まる。

 

「対戦よろしくお願いします」

 

 声が揃った。開帳である。

 

 

 

 序盤は静かな立ち上がりだった。互いにルーンをセットし、小粒の生命体を並べていく。どちらも無理には踏み込まない。チップを積み、相手の積み方を横目で測り、来るべき激突に備える手つきだった。

 

「ま、挨拶代わりだな。『避雷針の凪』を聖騎士に落とす。あるか?」

 

「……無いよ。処理どうぞ」

 

 先に仕掛けたのはキリメだ。中盤に差し掛かるや、戦術カードが立て続けに切られ、クモンの並べた生命体が次々と墓地へ送られていく。

 

「風通しが良くなったもんだな?」

 

 盤面が薄くなったのを、キリメが余裕ぶって煽る。かつての少年が何度も嵌まった、じり貧の入り口だった。

 

(またこれに焦って、前のめりに崩れるかしら)

 

 いつものパターンを予測するレディ。手札を覗き込むと、その心配は的外れだったと分かる。。

 

 クモンは手札の生命体を温存したまま、薄くなった盤面を受け入れていた。除去された分を慌てて補充すれば、次の除去の的が増えるだけ。目の前の損を呑んで、隙を晒すことを恐れない構えだった。

 

「キツいけど、それはそっちもでしょ。キリメ姉だって無限に火力を構えられるわけじゃないのに、ポンポン打ってて平気なの? 3マナ使用、『漆黒馬』を出すよ」

 

 強がりの笑顔を見せるクモン。それは賭場においては死に行くものが見せがちなものだが、クモンを見てきたレディの見解は違う。

 

 虚勢すら張れなかった少年が、ようやくそれが通じる場に届いてきている。この少年はここから強くなれる。

 

「他人の心配よりも、自分の心配をしろよ。……チッ、ターンもらうぞ」

 

 今度はキリメが強がる番だ。処理を早まった事を後悔しているのがレディにはよく分かる。

 

「戦術、『片手落としの刑罰』。おら、手札から生命体を落とさなきゃ4点火力だ。どうする」

 

 強制二択を迫る戦術に、クモンの手が止まった。

 

 受けはない。それはレディも、クモンも分かっていた。キリメは火力に偏った構築だ、ここでライフを減らすのは得策ではない。

 

 問題は、何を落とすか。手札の二枚の間で、指先が行き来する。どちらを切り、どちらを残すか。レディには見えていた。この局面で温存すべき一枚がどちらなのか、女帝の目ははっきりと答えを出している。

 

 伝えてやりたい気持ちはあるが、無論それはできない。幽霊よりも薄い存在である以上に、この賭けを無効にするような真似はレディに出来るわけがない。

 

 それでもやはり、応援する馬には声援の一つだって送りたくもなる。

 

 少年の指は、自分の力で右の一枚を選んだ。

 

「……やるわね」

 

 漏れ出た言葉は女帝にとって、最大限の賛辞だった。

 

 終盤、痺れを切らしたようにキリメが攻勢へ出た。スタンドしている生命体を余さず総攻撃に仕掛ける。

 

「レスポンス! 手札から転移持ちの生命体、『青き衣の雷電鳥』と『硬き盾の紫電鳥』を設置! そして墓地の『零れ落ちる朱鷺の雫』の効果! 代替品(レプリカ)を複数展開!」

 

「げっ、そんなのあったっけ!? 待て待て、朱鷺の雫って戦術タイミングじゃないか?」

 

「忘れてた? さっきのターンに発動した『黒き鳥の賢者』の効果は、僕の次のターンの終了時まで戦術カードを戦略タイミングで打てるよ!」

 

「あーくそっ! それ墓地のも適応かよ!」

 

 数で圧し潰す猛攻の受けに合わせて、クモンの温存していた手札が一気に切られた。並んだ生命体が壁を組み、猛攻を受け止める。

 

 攻防の結果、クモンの場には十分の攻め手が残る結果となった。返しのターンには逆に攻め手を失ったキリメの喉元へ切っ先が届き得る。

 

 逆転の目が出た。番狂わせにレディが身を乗り出した、その矢先。

 

「――っぶな。」

 

 落ちた生命体効果でキリメが引いた一枚が、盤面へと叩きつけられる。

 

 全体除去『ラグナロック』。積み上がった双方の盤面が、根こそぎ墓地へ流れ落ちる。

 

「マジで危なかったぁ……っし。こっからはトップ勝負だな」

 

 そこからは先ほどまでの応酬など見る影もない泥仕合になった。互いに引いた生命体を裸のまま走らせ、相打ち、削り合い。

 

 なんとも荒っぽい興行になってしまったが、これはこれで見応えがある。苦しそうな二人の顔だが、そこには指先への祈りが感じられてとても良い。

 

 決着は、あっけなく来た。

 

 キリメの引いた一枚が生命体で、クモンの引いた一枚がルーンだった。ただそれだけの差が、最後の一撃を通す。

 

「ありがとう、ございました」

 

 クモンの声はすっかり疲弊していたが、キリメも力んでいた肩を一気に脱力させるほど気を張っていた。残ったライフは一点きり。どちらへ転んでもおかしくない、引きの差だけの辛勝だった。

 

 いいものを観た、とレディは思う。

 

 最後の最後はホイールの目が決める。技を尽くし、読みを尽くし、それでも残る運の取り分が勝敗に指を掛ける。それでこそ賭博だ。全てを塗りつぶした果ての行く先として、これほど面白いものは無い。

 

 そして、かつてはガタガタと軸のぶれたホイールへ、歪んだボールを投げ込むような手つきで戦っていた少年が、今日は最後の一巡まで卓を支配する側に立っていた。負けはした。だがディーラーの手つきとしては洗練されつつある姿は、贔屓の客としては喜ばしいことだ。

 

 レディは特等席からゆっくりと降りて、うなだれる少年の頭へ手のひらを載せた。

 

 髪は一筋も揺れない。撫でられたことは、本人にすら伝わらない。だが人目を憚らずに彼を労われるということは、今の自分だから出来るのだと思うと悪くない。

 

 ひとしきり自省したクモンは文句ひとつ言わず財布を掴み、店先の自販機へ向かおうとする。負けを呑み込む所作も、ずいぶん綺麗になったものだ。

 

「あー……待った」

 

 キリメが呼び止めた。視線を横へ流し、金髪の先を指で弾いてから、早口に言う。

 

「今日のは……アタシが奢ってやるよ」

 

「え。でも、負けたのは僕で」

 

「いいから。ほら、どけって」

 

「賭けたんだからちゃんとしないと」

 

「じゃあそれはまた今度だ。今はアタシが払いたい気分なんだよ」

 

 言い合いながらも店を出て行く二人。小銭を投入口へ滑り込ませたのはキリメの方が早かった。落ちてきた一本を取り、続けて二本目のボタンを押す。振り返りざまに放られた缶を、クモンが胸の前で慌てて受け止めた。

 

 レディは自販機の上に腰を下ろして、その配当風景を眺めていた。

 

「勝った側が配当を払う賭場なんて、聞いたこともないけれど」

 

 八百長とは違う。祝儀とも少し違う。女帝の帳簿のどこにも付けようのない取引が、缶二本分の冷たさで交わされている。初々しいことだ。煉獄の賭場では終ぞ拝めなかった類の遊び方だった。

 

 冷えた缶を額に当てたり頬に当てたりして軽口を叩き合いながら、二人は夕暮れの商店街へ連れ立って帰っていく。今日の興行はこれにて閉場である。

 

 入れ違いのように、路地の陰から黒い影が戻ってきた。散歩帰りの大穴である。

 

「おかえりなさい。今日の賭場は見ごたえがあったわよ」

 

 返事は期待していない。いつもの挨拶のようなものだ。

 

 黒猫はレディの浮かぶ虚空へ一瞥を寄越し、大きな欠伸を一つして店の中へ通り過ぎていった。気分が乗らない彼女は素っ気ないことこの上ないが、それも彼女の味だと理解している。

 

「そういえば、あなたの名前も賭場の言葉なのよね。大穴なんて、縁起が良いんだか悪いだか」

 

 胴元としては大穴を当てられてしまえば面白くないのだが、あの猫がふてぶてしく的中させてしまう思うと許せてしまうかもしれない。

 

 猫の姿でチップと戯れるかつての相棒を想像して、レディは一人で笑っていた。

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