朝の開店から一時間ほど過ぎたボトムレスピット。夏休みの子供たちが押し寄せるにはまだ早い時間で、店内は朝から利かせている冷房のお陰でまだ涼しさを保っていた。
「ミーシャよ、少し良いか。話がある」
ミーシャがはたきを手に棚の間を回っていると、カウンターにいるレヴェローズから声が掛かった。椅子に腰掛けたまま腕を組み、常になく神妙な顔をしている。カウンターの端では大穴が丸くなり、我関せずと目を閉じていた。
「はい、なんでしょう」
はたきを置いて歩み寄ると、レヴェローズは声をぐっと低くした。
「先日の寄り合いを覚えているな。鉄の神輿と呼ばれていたものの件だ」
ミーシャは頷く。組合長が声を弾ませ、広間のあちこちから期待の声が上がったものだ。レヴェローズが持ち帰って店長に確認すると宣言して場を沸かせていた。
「確認の上で回答するというお話でしたね。それで、お母様は何と?」
「うむ。まだ聞いておらん」
「えっ」
「聞いておらん」
レヴェローズは単に先延ばしにしていただけのことをやたらと重々しく言う。ミーシャの目から自然と温度が下がっていくが、それを気にする様子は無い。
「次の寄り合いはそう遠くない。それまでには片を付けねばならん。その前に、ミーシャ。お前はそもそも、くだんの神輿が何かを知らんだろう」
「まぁ、はい。神輿というのは、お祭りで担ぐお社のようなものだと教わりましたけど……金属でできている、というのが」
「良い機会だ、教えてやろう」
レヴェローズは椅子の上で姿勢を正し、遠い戦役を語る古参兵のような目をした。
「この商店街には古くに喧嘩神輿という勇壮な催しがあった。神輿と神輿を、正面からぶつけ合うものだ」
「ぶ、ぶつけるんですか? お社を?」
「そういう祭りなのだ。だがその激しさ故、その文化は久しく途絶えてしまっていた。で、去年の秋祭りの折にそれが復活するという話になり、それに何としても勝つと執念を燃やした者がいた」
「……レヴェローズ様ですか?」
「違う。姉様だ。何故あそこまで勝ちたがったのかは、今もって謎だがな。私には優勝賞品の国内旅行券を餌にしてきたが、まさか姉様がそんなものを欲しがるとは思えんが」
カルメリエルと示され、ミーシャとしては意外だった。あの穏やかな人と神輿のぶつかり合いがうまく結びつかない。レヴェローズであれば、そういう鉄と血のぶつかり合いを面白おかしく楽しみそうであるのに。
「ともかく、姉様は設計図を引き、そこらの小学生から手隙の大人衆まで束ねて廃工場で建造を始めた。そうして出来上がったのが総金属製の神輿だ。木製が主のところを金属板と鋲で打ち固めて溶接して積み重ね、神輿というよりもはや攻城兵器の様相を呈していたぞ」
「それを、担ぐんですか。何十人かで担ぐというのを聞きましたが、こちらの人はそれほど強いのでしょうか」
レヴェローズ、カルメリエルの膂力がシラベやミトラ、その他一般人とかけ離れていることは知っている。似たような出自であるからとしてミーシャも気を付けるようミトラから厳に言われているが、実際のところ誰の力がどれほど強いのかという基準はミーシャの中ではいささかあやふやのままだ。
もしかするとそういう力の強い人がいるのかと思ったが、ふるふるとレヴェローズは首を振る。
「担げるわけがなかろう。並みの人の力ではびくともせん重さだ。そこで姉様は、社の中に伝結晶を積んだ」
「伝結晶……カルメリエル様やレヴェローズ様が持つ、あれですか?」
「うむ。強化する性質を利用して担ぎ棒の握りから力を流し込み、担ぎ手そのものを強化するという寸法だ。人並み外れた膂力を借り受けて、鉄の塊を軽々と担ぐ。担いだ人間がその後どうなるかは試していないようだが」
当然のように恐ろしいことを言う。本当にカルメリエルがそのような事をしていたのか、ミーシャにはにわかに信じ難い。
「言っておくが、私は報酬を示されたから手伝ってやっただけだからな。断じて主犯ではないぞ。断じてだ」
「は、はあ」
「まあその企みも実ることは無かったのだが。完成品を見た店長が烈火のごとく怒ってな。私が仲裁の妙案を出してやって、姉様と店長がカードの決闘で決着をつけた。姉様が敗れ、神輿の出場は取りやめ。ただ壊すところまではいかず、祭り当日は伝結晶を抜いて、皆でロープを引いて商店街を練り歩いたのだ。あの時の私の先導ぶりときたら――」
「あっ」
思い出した。声が出てから話の腰を折ったことに気付いて口を押さえたが、レヴェローズが目で続きを促してくる。
「あの、私、見たことがあります。お母様のご実家に荷物を運んだ時、建物の中に大きな鉄の塊が積んであって……壊れた砦の残骸のようで、あれは何だろうと思っていたのですが」
「ああ、それだ。今は分解されてあそこに仕舞われているのだ」
あの鉄の山が祭りの晴れ舞台を一度は踏んだ神輿だったとは思ってもいなかった。てっきり戦いの痕跡か何かなのかと思っていた。
「壊してというわけでなければ、また組み立てることは可能なのですよね」
「うむ。それゆえ会議の場で出せないとは言わなかった。だがな、ミーシャ。あれをそのまま復帰させるには、問題が二つある」
レヴェローズは指を一本立てた。
「一つ、店長の許可。この店の最高権力者は店長だ。何をするにもその意向が第一となる」
「はい」
それはミーシャにも分かる。レヴェローズも頷き、二本目の指を立てる。
「二つ、姉様だ。あの神輿を再び組むとなれば、任せられる者は姉様しかおらん。だが任せれば、どさくさに紛れてまた良からぬ工夫……人体実験じみたものを仕込みかねん。なので、危うい気配がないかを確かめておきたい」
祭りは町の皆が楽しみにしている。けれど誰かが危ない目に遭うようなことがあってはいけない。危惧する意味は分かるが、カルメリエルが何かをするというところがミーシャにはいまいち実感が欠けていた。それでも、レヴェローズの真面目な様子に釣られて頷く。
「お母様とカルメリエル様、どちらにもお話を伺わないといけませんね」
「うむ、話が早いな。ではミーシャ、任せた」
「はい。……はい?」
「その二つの確認、お前に頼みたい」
まじまじとレヴェローズの顔を見返してしまった。冗談を言っている目ではない。
「え、ええっ? わ、私がですか? レヴェローズ様が持ち帰られたお話では」
「私が店長に切り出せば、まずなんでそんな話を持ち帰ってきた、その場で断われと責められかねない。ミーシャであれば角なく聞けることだろう」
「はあ」
「姉様はもっといかん。私がつつけば煙に巻くだろうし、気付けば口八丁で私の伝結晶をまた徴発されかねん。あれには前科があるのだ」
もっともらしいように言うが、ミトラ相手には叱られたくない、カルメリエル相手には言いくるめられたくないと駄々を捏ねているだけだ。それをミーシャに縋るというのがどうなのかと思わないのがレヴェローズだった。
「ええと……その。私なんかにできるでしょうか」
「案ずるな。お前は皆に好かれておる。適任だ。それにな――」
レヴェローズはにっと笑って、ミーシャの肩をばしりと叩いた。
「これも経験だ!」
便利な言葉をレヴェローズが言い切ったのと、表で自転車のブレーキの鳴る音がしたのはほぼ同時だった。
「うむ、客だな! 私は店の務めに戻る! 頼んだぞ、ミーシャ!」
機敏に立ち上がったレヴェローズは戸口へ向かっていらっしゃいませと声を張り上げ、柄にもなく接客へと向かう。その背中はどこか清々しく、面倒事を押し付け終えたと言わんばかりだ。
会議の席ではあんなに頼もしく見えた人とは思えない落差にミーシャは溜め息を吐いて、はたきを持ち直す。首を傾げた大穴が、慰めるように尻尾の先をひと振りしてくれた。
*
昼食の片付けが済んだ頃合いを見計らって、ミーシャはミトラの側に寄る。
ミトラはバックヤードの丸椅子に腰掛けて、伝票の束をめくっているところだった。売り場ではシラベが新しい商品の袋を棚に掛けている。
「お母様。あの、お話ししたいことが」
「なーにー、改まって」
「ええと。この前レヴェローズ様と一緒に行った時に……」
ミーシャは午前の間で組み立てておいた言葉を順番に差し出していく。寄り合いにて例の神輿を望む声が上がっていること。組合長もまた見たいと言っていて、また出しても良いかの確認を預かっていたこと。
「ああ……そんなのあったわね、そういえば」
ミトラは伝票から顔も上げずに、気の無い声で言う。レヴェローズの話では神輿を見て怒ったとのことだったが、ミーシャの想定とは少し違う反応だった。
用意していた説得の言葉を組み替えようと考えていると、ミトラは売り場へ声を投げた。
「シラベ。あれどこやったの」
「そこの壁。フックに掛けてあるファイル」
あれで通じる会話に疑問符を浮かべるミーシャをよそに、壁から外したファイルをミトラはぱらぱらとめくる。祭りの案内の紙面に目を走らせて、ふうんと鼻を鳴らした。
「今年は喧嘩神輿はやらないみたいね。まぁ最近の夏の日差しは人死が出かねないし、しょうがないか」
「はぁ。それで、その」
「ならいいわよ」
「……え?」
「台車で引くだけになるなら、去年と同じなら手間も分かってるし。人気があったならいいんじゃない」
レヴェローズが嫌がっていたことからもう少し揉めると思っていたが、あまりのあっさり具合にミーシャはしばらく立ち尽くしてしまった。
「なによ。もっと渋ると思った?」
「い、いえ、その……はい。決闘するほど揉めていたようなので」
「怒ったのは、あれで殴り合いをやろうとしたからよ。それがないならただの目立つ鉄屑だもの。地域貢献になるならいいんじゃない」
貢献、と言っているミトラの顔は無関心に近い。口ではそう言っているが、自分の不利益にならないなら関心が無いのだとよく分かる。
「それに。カルメリエルは皆に黙って進めてたのが気に食わなかったから。最近は少し丸くなったけど、あの頃はまだ黒幕気取りが抜けてなかったし」
「はぁ」
レヴェローズと似たようなカルメリエルを警戒する言葉に、ミーシャはやはり不思議に思う。自分によくしてくれていて、シラベとも仲睦まじい様子の彼女を何故そう思うのか。
「出すなら早めに予定組まないとね。あれ動かすだけでも大仕事だから、カルメリエルに指揮をお願いしておいて」
「はいっ。ありがとうございます、お母様」
ともあれ、一つ目の確認は完了した。頭を下げたミーシャの胸の中で、預かってきた荷物が半分軽くなった。
*
三時を回った頃。ミーシャは店の手伝いから離れ、二階へ上がってカルメリエルとの勉強の時間に入る。夕方の常連たちが来るまでの緩やかな時間を授業にあてるのが最近の流れだった。冷房のない二階では、卓を挟んで座る二人へ扇風機が代わる代わる風を送ってくる。
「少し休憩しましょうか」
漢字の書き取りを行なっていたミーシャだが、一ページを終わらせた所を見計らったようにカルメリエルの声が掛かった。ふう、と息をついたところに麦茶の入ったコップを差し出される。
ミーシャは喉を潤しつつ、切り出す機会を窺った。ミトラの許可が出た以上、神輿の復活についてカルメリエルに依頼するのは確定事項のようなものだ。だが、それに伴っての危うい気配を知らなければならないとレヴェローズは言っていたものの、そんなものを確認するにはどうすれば良いと言うのか。
危ないことをしませんよね、などと聞いて馬鹿正直に答える人間などこの世にいないとミーシャでも分かる。如何にカルメリエルが良い人であっても、面と向かってそう言われたら気を悪くするだろう。レヴェローズは言わずもがな、シラベやミトラがそういう物言いをして青筋を立てられているのをミーシャはよく見ている。
「ミーシャさん? 麦茶、氷が溶けてしまいますわよ」
「は、はいっ。あの、カルメリエル様!」
結局、考えるよりも反射だけで踏み込んでしまった。名を呼ばれカルメリエルが不思議そうにする。
「その、実は、先日の町内会の場で……フルメタル神輿でしたっけ? あれを望む声がありまして」
ひとまずそこまで言ってから、ミーシャはこっそり顔色を窺った。危ない気配。良からぬ工夫。それらしきものが浮かんでいないか。もしここで喜色満面になったのなら確かに怪しいものだが。
カルメリエルは麦茶の入ったグラスを置いて、まあと口元に手を当てた。
「皆様があの子を。そうですか、そうですか……」
そう呟いてから、カルメリエルは表情を曇らせた。いつもの微笑みの形がほんの少し崩れる。この人にしては珍しい、難しい顔だった。
「……カルメリエル様? 大丈夫ですか?」
「ああ、ええ。ご心配なく。……嬉しいお話ですわ。私としても、あの子に再び日の目を見せてやりたいのは山々でした」
ですが、と切るカルメリエルの顔は明るくないままだ。
「今、あの子を動かすのは、少し難しいと思っております」
「難しい、ですか。何か問題があるんでしょうか」
思わず身構えるミーシャ。ここで例えば、担ぎ手の調達がだとか、実験の続きがだとか、そういう言葉が出てきたらレヴェローズの危惧は正しいことになる。
ミーシャの身体が強張ったのを知ってか知らずか、カルメリエルは溜め息を吐いた。
「ええ。あの子は秋祭りに合わせて拵えたものですから。この時期の運用は、端から考えられておりませんの」
身構えた分だけ、その言い方にいくらか拍子抜けした。神輿というものには季節があるのだろうか。夏に出すと何か縁起が悪いとか、そういう話なのだろうか。
ぴんと来ていないのが顔に出ていたらしい。カルメリエルはクスリと笑って、授業するように人差し指を立てた。
「ミーシャさん。今の時季、ぜんぶ金属でできた大きなものを、朝からずっとお日様の下に置いておいたら、どうなると思われます?」
「お日様の下に……」
言われて思い浮かんだのは店先の光景だった。数日前、表に停められた自転車を動かそうとして座る所に手を突いた瞬間、思わず飛び上がってしまったのだ。
真夏の日射しを浴びたものが纏うあの噛みつくような熱さ。あれが、あの鉄の山ほどの大きさになったら。
「あ……た、大変な温度になってしまいます!」
ミーシャの想像に、カルメリエルは満足げに頷いた。授業で正解を出した時と同じ顔である。
「あれは伝結晶を組み込んでいるものの、装甲板は通常の金属同様熱を溜め込みますの。今の陽気で半日も晒せば、卵が焼けるくらいには立派に焼けますわ。台車で引くにしても、誤って触れば重大な事故になりかねません。
それに、たとえ日の光に当てず日陰で待機させていたとしても、晒され続けた熱気を孕んだまま練り歩けば、発する熱が周囲を不快にさせるでしょうね」
説明されれば、総金属製の代物の扱いにくさがミーシャにも理解出来た。カルメリエル自身惜しいと思っていながらも、その欠点をよく把握している。
こういった危機管理が出来ているなら、カルメリエルはやはり問題ないだろう。フルメタル神輿については残念だが諦める方向で話を進めればいい。ミーシャがそう結論を出しかけた、その時だった。
「それに、何より。二度同じネタと言いますのも、少々芸がございませんでしょう?」
カルメリエルが頬に指を添えながら、そんな事を言ってきた。
「……ネタ、ですか」
意図するところが分からず、思わずオウム返しになるミーシャ。それを聞いているのかいないのか、カルメリエルはどこかうっとりした様子で朗々と口走っていく。
「皆様が待っていてくださるなら、いっそ何か新しい祭具をお作りしてもよいかもしれませんわね。夏ですから涼が取れる機構を優先して……熱を逃がす仕掛け、いえ、いっそ熱を吸収、蓄積して内部で炉の機構を作り……動力は前回の伝結晶の要領で目処が立っておりますし、今度は担がずに済む造りにすれば負荷の問題も……ふふ、ふふふふふふふ」
カルメリエルは麦茶のグラスの水滴を指先でなぞりながら、うっとりと何事かを組み上げ始めている。その横顔は本当に楽しそうで、機嫌の良い鼻歌でも聞こえてきそうだった。
止めるべきだろうか。でも、何と言って止めるというのか。企んでいるだけでまだ何も起きていないのを止めて良いのだろうか。
「さ、休憩はおしまいですわ。漢字が終わりましたら、次は理科にいたしましょうか。そうねぇ、せっかくなら金属の性質などいかがかしら」
「は、はい……」
ミーシャは書き取りに戻った。マス目を埋める鉛筆の音に、機嫌の良いカルメリエルの呟きがいつまでも寄り添ってくる。扇風機の風が回ってくるたび、ミーシャの頬を伝う汗が妙に冷たかった。