カスレアクロニクル   作:すばみずる

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183 手心ってもんを加えてやれよ

 風呂場の脱衣所で、ドライヤーの動作音が止まった。シラベは吹き出し口を大穴の毛並みから離し、指先で背中の毛を掻き分けて具合を確かめる。

 

「こんなもんでいいか?」

 

「んに」

 

 根元まで乾いているのが指先で確認出来て、大穴も同意するように一鳴きする。大穴と風呂に入ったものは、乾かすまでが仕事のうちだ。夏場は冷風を当ててやるだけだが、うまいこと乾かさないとプルプルと身震いさせて水滴を撒き散らしてくる。レヴェローズがやるといつもそれを被って文句を垂れていた。

 

「ほら、終わりだ」

 

 抱き上げると、大穴は腕の中で軽く身じろぎして収まりを整えた。猫一匹の見た目には釣り合わない重さが腕に掛かる。気のせいでなければ、この重さは自分が抱く時だけ増している気がしてならない。

 

 脱衣所を出ると、昼間の熱を溜め込んだ廊下の空気がぬるく肌に触れた。せっかく流した汗がまた滲みそうになる。それでも腕の中の毛玉は満足げで、シラベの胸元にぐりぐりと頭を擦り付けてきた。

 

「なんだ、今日は甘えたか。……一緒に寝るか?」

 

「ぐるん」

 

 顎の下を指で掻いてやると、大穴は目を細めてごろごろと喉を鳴らした。了承してもらえたらしい。夏の間は暑いせいか布団へ寄り付かないくせに、風呂上がりで体温の下がっている時だけはこの調子だ。現金な奴だが、誘いに乗ってもらえて悪い気はしなかった。

 

 自分の部屋へ向かう途中、三人部屋の前を通り過ぎかけ。シラベは半歩戻って足を止めた。

 

 開け放たれた襖の向こうにミトラがいる。それはいいが、足を止めたのはその座り方だった。部屋の真ん中に布団が一枚、みっちりとぐるぐる巻きにされて転がされている。ミトラは腕を組み、その円筒の上に腰を下ろしていた。

 

 そして円筒は、時折もぞ、もぞ、と身じろぎをしていた。

 

「何やってんだ、お前」

 

「カルメリエルがまた妙なこと考えてるって、ミーシャが言ってね」

 

 ミトラは事も無げに言った。

 

「本人を問い詰めたら案の定、また兵器を作ろうとしてたから折檻中」

 

「兵器ってあれか? フルメタル神輿みたいなやつ」

 

 神輿の話なら、昼間ミーシャがミトラに伺いを立てていたのを売り場で聞くともなしに聞いている。シラベは腕の中の大穴を抱え直した。

 

「鉄の塊を拵えるくらいなら別にいいんじゃねえの。去年も最後は出したんだし」

 

「周囲から熱を奪って熱線を発射する自動機械について誇らしげに語るんじゃなければ、私だって考え直させようとはしないわよ」

 

「熱線ってお前。神輿の話だよな?」

 

「知らないわよ。本人の中では地続きらしいけど」

 

 それを堂々とやるつもりだったのなら、なるほど折檻である。シラベは口を挟むのをやめた。

 

 この腹黒シスターが巻かれているのは別に今に始まったことではない。以前にも何かやらかした折、シーツで芋虫にされて転がされていたのを見ている。

 

 あの時は巻かれたまま涼しい顔で沈黙を保っていたものだが、今日は様子が違った。声こそくぐもって聞こえないが、布団の中の身じろぎがどうにも苦しげだ。当然だろう。真夏の夜に布団でぐるぐる巻きは、折檻としては少々上等すぎる。

 

「おいミトラ。この暑さなんだから、手心ってもんを加えてやれよ」

 

 一応の仲裁を入れると、ミトラは溜め息を吐いて円筒から腰を上げた。つま先で布団の端を押し、ころりと転がす。巻きがほどけて布団が畳の上に広がっていき、二回転ほどしたところで中身が転がり出た。

 

 シスター服姿のままのカルメリエルは全身ぐっしょりと汗だくで、いつもきっちり整えられている前髪が額に張り付いている。息も絶え絶えに床へ手を突いてゆっくりと身を起こした。

 

「シラベ様……ありがとう、ございます……」

 

 力のない声でそう言うなり、カルメリエルはシラベにぎゅうと抱き着いてくる。湯上がりの体に、汗で湿ったシスター服が張り付いた。鼻を撫でる不快でないが濃密な匂いが鼻先をかすめる。汗に濡れた女の体温というのは妙に生々しいもので、正直なところ少しいいなと思ってしまったのは腹の内に仕舞っておいた。

 

 もっとも、長居はさせない。潰されかけた大穴が腕の中でんなんと不服を鳴らしたのもある。

 

「はいはい、分かったから。風呂入ってこい。ちょうど空いたとこだ」

 

「……お言葉に、甘えますわ……」

 

 カルメリエルは壁に手を突きながら、ふらふらと風呂場の方へ歩いていった。さすがの聖女様もどうこう言葉を弄する余裕がないらしい。

 

 気を取り直して部屋の中へ目を戻すと、夜には部屋にいるはずの残り二人の姿がないことに気付いた。

 

「そういや、レヴェローズとミーシャは?」

 

「レヴェローズと一緒にアイス買ってきていいって言って、外に出した。……カルメリエルを問い詰めてるところを、ミーシャに見せるのもあれかなと思ったから」

 

 どういう経緯を辿ればあのカルメリエルが大人しく布団に巻かれるに至るのか疑問といえば疑問だったが、シラベは追及はしないことにした。ミトラの下段キックからのコンボでも決まったのだと思おう。

 

「まぁ、そうだな。ミーシャはあいつのこと尊敬してるっぽいし。そういう相手が責められてるとこは、あんまり見せるもんじゃねえわな」

 

 何の気なしに同意しただけだった。だがミトラは返事をせず、じっとシラベの顔を見上げてきた。何か言いたげで、しかしその何かが出てこない目だった。

 

 やがてミトラはふいと視線を外して部屋を出て行く。廊下の先、キッチンの冷蔵庫の開く音。戻ってきたミトラの手には発泡酒の缶が提げられていた。

 

「ちょっと付き合いなさい」

 

「え、おい」

 

 言うだけ言って、シラベの返事も待たずに自分の部屋へ引っ込んでいく。

 

「……まあ、いいか」

 

 どうせ今夜の予定は特に無い。シラベもキッチンへ回り、空いている方の手で冷蔵庫から発泡酒を一缶取り出した。

 

「なーぅぉ」

 

 ついでにつまみになりそうなものを物色していると、もう片方の腕に収まったままの大穴が不満げに鳴いた。一緒に寝るという約束が後回しにされそうな流れをちゃんと察しているらしい。

 

「悪い悪い。……そうだ、お前も一緒に食うか?」

 

「うみゃっ」

 

 戸棚からさきいかの袋を摘まみ出して見せると、不満げだった毛玉は途端にごろごろと喉を鳴らし始めた。戯れに食べさせたこの味を大穴が気に入っているのはシラベも知っていた。その誘惑の前では、布団の約束の順番など些事であるらしかった。

 

 

 *

 

 

 ミトラの部屋。小さな卓を挟んで、二人は向かい合って座る。

 

 乾杯も何もなく、プルタブの音が二つ鳴った。ミトラは細い喉を反らして一口呷り、シラベもそれに倣う。風呂上がりの体に冷えた炭酸が染みた。さきいかの袋を開けて卓の真ん中に置いたが、ミトラは時折手を伸ばすだけで、口の方は一向に開かなかった。

 

 この場で唯一機嫌が良いのは、シラベの膝の上の大穴だけだった。指で裂いて差し出す一切れずつを律儀に受け取っては、もぐもぐと噛みしめて目を細めている。噛めば噛むほど旨いらしく、一切れにかける時間がやたらと長い。

 

 ミトラには何か言いたいことがある。それはシラベも分かっていた。さっきの目がそうだったし、こうして酒に付き合わせているのが何よりの証拠だ。

 

 どうした、と水を向けてやってもいい。だが缶を傾けるミトラの視線は手元に落ちたまま、まだ何かを探すように迷っていた。急かして出てくる類のものなら、この女はとっくに口にしている。なら、ミトラの中でそれがまとまるまで待つのが正解だろう。

 

 シラベは黙って缶を傾け、さきいかを一切れ自分の口にも放り込んだ。食べ終えた指先を大穴が名残惜しむように舐め取ってくる。

 

 窓の外を、遠くバイクの音が通り過ぎていく。沈黙は続いたが、息が詰まるような沈黙ではなかった。適度に空気の抜けた風船のような、割れるも萎むも思いのままの猶予期間。

 

「ミトラ」

 

「んー」

 

 名前を呼んでもミトラの反応は鈍い。なにともうるさいとも言わない姿は、きっと自身でも無為な時間を過ごしていると分かっているのだろう。

 

 それでいいのか。それがいいんだな、とシラベが気付く。答えを求めているものではないのだ。ガス抜きというほど切羽詰まったものではなく、いわゆるクールタイムのようなもの。水に混ざった泥やゴミを動かさずに沈殿させていく沈静期間。

 

 ミトラにそういう行動が出来たのかと、シラベは少し感心していた。感情を爆発させることでしか発散しないのかと思っていたが、たとえ溜め込んでもこうして整理を付けられるとは。

 

 その為に人を付き合わせているものの、それは問題ない。むしろミトラが落ち着く為に一緒にいて欲しいと望むのなら、シラベにとって喜ばしい。

 

「るぅん」

 

 やがて満足するまで食べたのか、大穴がシラベの膝からのそりと降りた。卓の下を抜けてミトラの横へ回り込み、その膝の上にことりと頭を乗せる。甘えるような喉の音が、静かな部屋に低く響き始めた。

 

 ミトラの手が伸びて、わしゃわしゃと大穴の頭を撫でた。乱暴なようだったが、大穴も心地良いのか逃げ出さない。撫でながら、ミトラはやはり何も言わない。口元だけが柔らかく緩んでいた。

 

 急かす理由はどこにもない。夜は長いし、つまみもまだ残っている。ミトラの言葉がまとまるまで、この缶に何本付き合うことになっても構わなかった。

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