西日の伸びる商店街の中を、カルメリエルはレヴェローズと連れ立って歩いていた。
町内会館での寄り合いでの議題の大半は夏祭りの段取りでつつがなく終わり、検討が必要な事項は無い。ボトムレスピットからは動線の確認と、例の神輿の件の正式な回答が主な報告だった。
台車で曳くだけなら、と店長の許しは出ていたが、真夏の日向を進めばあの装甲は卵も焼ける鉄板と化す。見物の子供が触れて火傷でもすれば元も子もない。
店から提出した案は、会場の風通しの良い日陰に据えて、飾って拝んでもらうだけの展示案だった。これについて拝めるのなら上等という意見、そういう場所は素直に休憩所として使うべきではないかという意見、様々なものが出たが、そのような具合で場は丸く収まった。収まってしまった。
「そう不満そうな顔をするな、姉様」
「あら。何か顔に出ておりまして?」
隣を歩くレヴェローズが、にやにやと横目を寄越してくる。いつもは利かない目端を働かせようとしているのが姉としては鬱陶しい。
今日のレヴェローズは見張り役ということで連れ立っていた。カルメリエルが寄り合いで余計な色気を出さないように、というミトラの差配である。見張りが見張りとして機能するのかは大いに怪しかったが、任じられた本人はすっかりその気らしい。
「私にはそう見えた。そんなに新しい工作がしたかったのか、姉様」
「何を言うかと思えば。別に、不満など抱いておりませんわ」
カルメリエルは歩調も崩さずに答えた。
「展示とて立派なお披露目ですもの。あの子もほぼ一年ぶりに日の目を見られますし、良い落としどころですわ」
「神輿をあの子と呼ぶセンスが分からん。あれの何が良いのだ」
商店街を脇から抜けて見慣れた通りへ入る頃には、西日が屋根の向こうへ沈みかけていた。ボトムレスピットの軒先に明かりが灯っている。
戸を引くと店の冷気と一緒に、妙な静けさが出迎えた。
対戦スペースの長机は既に片付き、客の姿は一つもない。今日の店舗大会は昼から行い、いつもなら終わった後も居残ってフリープレイに興じる顔ぶれがあるのに、それすらいない。
代わりに、店の一番奥で奇妙な図が出来上がっていた。
カウンターの傍らに立つヒナタがにこにこと機嫌よくカウンターの内側を見つめている。内側ではミトラがノートパソコンと向き合い手を動かしている。
そしてそのミトラの小さな背中に、ミーシャが隠れるように縮こまっていた。隠れるように、であって、隠れられてはいない。銀の髪も双丘もミトラの体で隠せるものではない。
「おかえり」
「んにゃ」
ほうきを手にしたシラベと、その穂先に前脚を絡めた大穴が、順に顔を上げた。掃除の邪魔という遊びの最中らしい。
「うむ、ただいま戻った。契約者よ、どういう状況だこれは」
「俺も途中からしか知らねえんだけどな。ヒナタがまた気持ち悪いこと言ったらしい」
「いつものことではないか」
レヴェローズの反応同様、シラベは深刻がる様子もなく、ほうきを動かし続けている。説明としてはまるで要領を得ない。カルメリエルはカウンターへ足を向け、歩きながら目だけで状況を分析していった。
まずミトラ。店舗スペースから見るとパソコン画面は通常見えないが、カルメリエルは背後にある金属棚の僅かな映り込みを見ることで確認出来ると知っている。
画面に開かれているのは見慣れた発注表だが、家を出る前に見かけた時から数行も進んでいない。キーボードに手を置いているものの、キーを叩く音もしない。
仕事の体裁を取っているが動いていない。ヒナタのせいで集中出来ないのはいつものことだが、もしそういう事なら最近のミトラはしっかりはっきり文句を言うはず。場の空気がおかしいことに仕事の進みが襲いことはおそらく関係は無い。
次にミーシャ。表情は硬いが緊張の質としては疑念に近い。目だけが時折ヒナタの様子を窺っている。隠れている理由が被害を受けた故だとしたら、ヒナタへの警戒だけで敵愾心が薄いのが気になる。
ヒナタがミーシャに対して何か言い、それにミーシャが警戒。ミトラは呆れているが追い払うほど卑猥な文言では無かったらしいが、仕事のふりをして無視する程度には気が立っている。
(さて、何をおっしゃったのやら)
結局はそれに尽きる。こういう事は直接聞くのが早い。カルメリエルはヒナタの隣へ歩み寄り、微笑みを一段深く心掛ける。
「ヒナタ様。当店の者が随分と怯えておりますけれど、何をなさいましたの?」
「やあ、おかえり。人聞きが悪いな。私はただ、道理を一つ説いただけだよ」
悪びれる素振りは欠片もなく、ヒナタは胸を張った。
「私とシラベとミトラが将来結ばれることは論ずるまでも無い事実だろう? その二人の間にミーシャという娘が生じたのであれば、それはすなわち私の娘でもある。ご理解いただけたかな?」
ミーシャがますます小さくなった。ミトラがキーの上に添えていた平手がゆっくりと拳の形に変わっていく。
なるほど、今日に限って客が居残らなかった理由はおおよそこれだろう。巻き込まれる前に逃げた常連たちの勘の良さにカルメリエルは内心で感心した。
「どこからツッコめばいいのか分からねえけど、とりあえず法律改正規模で勝手な人生設計をするな。海外の自分探しで悪影響受けてるぞ」
「ああ、君たちを連れて一夫多妻制を取っている国に行くと言う手段もあったね。なるほど。シラベ、免許証を貸してくれ」
「パスポートの代理申請しようとするな」
どこかつややかしつつあるヒナタにシラベが溜め息を吐き、ほうきで乱暴に足元のゴミを払った。飛んでいく紙屑に大穴が飛びつき、口に入れようとしたのを途中で止める。
「素敵な理屈ですわね、ヒナタ様」
「カルメリエル?」
震え始めたミトラが口を開くより先に、カルメリエルは動いた。ミトラの咎める声を微笑みで受け流して続ける。
まともに切り返せば場が尖るだけだ。この手の理屈は、正面から潰すより薄めてしまうに限る。
「その理屈が通りますのなら、ミトラ様と同じくシラベ様の寵愛をいただいております自分も、ミーシャさんの母ということになりますわね」
「ぶっ」
噴き出したのはシラベだった。ほうきの手が止まり、遊び相手が止まった大穴がにぃと不服の声を鳴らす。
「おいカルメリエル。お前もそっち側行くんじゃねーよ」
「まぁ、私はどこも行きませんわ。いつでもシラベ様とミトラ様のお傍におります」
「ええい、世迷言を吐くな姉様」
シラベの腕に寄り添おうとしたところに、空気を読まないレヴェローズが真顔で割って入ってくる。
「姉様はせいぜいこの家の長女といったところであろう。私とミーシャの姉だ。誇るが良い」
「お前らみたいなデカい娘がいるか!」
豊満な胸をこれ見よがしに反らす愚妹にシラベがこめかみを押さえた。
「っていうかお前、勝手に長女の座を名乗るとヴェルガラが泣くぞ」
ヴェルガラの名前に、カルメリエルの意識とは無関係に肩がぴくりと動く。精霊としての長姉の姿をカルメリエルはまだ見ていない。あの乱暴者がもしこの光景を見たらあの人はどう出るのだろう。少し考えてやめた。
「それはレヴェローズの勝手な言い分ですが、シラベ様のご懸念はもっとも。だからこそ長女などではなく、シラベ様の妻が良いのです。私は妾の座でも構いませんのよ?」
気を取り直して、カルメリエルはシラベにしなだれかかる。足元の毛玉が割り込んでこようとするが気にせず密着率を高めていき、二人の鼓動が重なり合っていった。
「ず、ずるいぞ姉様! 契約者、私も妻でいいぞ! むしろ妻がいい!」
「いいぞじゃねえ! やめろお前らひっつくな! 外歩いてきて汗だくだろうが!」
「それがいいのだろう! 私は知っているぞ!」
反対側の腕へレヴェローズが体当たり気味に飛びついてはシラベを揺さぶっている。今は譲るつもりがないカルメリエルはシラベに顎を乗っけて対抗した。
ヒナタはといえば、持論をこの馬鹿騒ぎで潰されてなお咎めるでもなく呑気に首を振っているだけだ。
「やれやれ。困ってしまうね、ミトラ。家族が増えるばかりだ」
その声がおかしかったのか、あるいは場の温度が変わったからか。ミーシャの縮こまりがわずかに解けて、おずおずとミトラの顔を覗き込んだ。
ミトラは溜め息を吐き、それから寄ってきた娘を片腕で抱き寄せた。
「ま。少ないよりは、いいんじゃない」
呆れ声の割に、口元は確かに笑っている。横目でそれが見ることが出来て、カルメリエルはひとまず満足だった。
場が緩んだのを見計らったように、ヒナタがカウンターの正面へ立ち直った。
「さて。そういえば、名乗りがまだだったね」
背筋を伸ばし、先ほどまでの変人らしさを置き去りにした一礼する女社長。その姿にミーシャも様子が異なると感じ取ったのか姿勢を正す。
「私は亜修利ヒナタ。ミトラとは長い馴染みで、シラベとも知らない仲ではない」
「は、はいっ。ミーシャと、言います」
「知っているよ。君がこの世界へ来た日、私もあの場にいたのだからね」
ミーシャの目が丸くなった。
「あ……。じゃあさっき、私の名前を言ったのもそれで……」
「そういうことだ。挨拶の前に名を呼んだのは不安にさせてしまったかな」
「不安になったのはそっちじゃないわよ」
ミトラの呟きを無視するという珍しいヒナタがそこにいた。ミーシャの中で一応の帳尻が合ったのか、ミトラの前から進み出て、折り目正しいお辞儀を返す。
「ご丁寧に、ありがとうございます。……あの、よろしくお願いします」
距離はまだ遠い。変な人から変わっているけれど悪い人ではない、あたりまで見直されたのだろう。妥当な査定である、とカルメリエルは内心で判を捺した。
これにて一件落着と、思われた矢先だった。
「ええい、姉様! いつまで契約者にくっついているのだ!」
いつの間にかシラベから引き剥がされていたレヴェローズが、唇を尖らせてこちらを見ていた。カルメリエルも未だにシラベから離れるよう抵抗されているが、動かそうとする腕を丁度良く挟み込めたお陰でその動きを大分抑制出来たのが大きいと思われる。
「あら。単に姉が受け入れられているというだけの事実に何かご不満が?」
「ただの色仕掛けではないか! ……ん? いや、待て。分かったぞ」
理解という言葉からかけ離れた妹が何を言おうとカルメリエルは無視するつもりでいた。こうしてなし崩しに一緒にいることの何が問題だというのか。
「姉様、さては新しい工作を禁じられて拗ねておるのだろう。契約者に慰めて欲しいのだな?」
レヴェローズの指摘は、カルメリエルにとって意識外からの一撃だった。話し合いの場での提案に自分を納得させていたし、代替案をミトラに献策して折檻を受けたのだってもう理解している。
それをどうこうしてもらうなどとカルメリエルは思っていなかった。事実は事実、進む状況は替えられないのだから当然だ。
だが、それに対して特別に声を掛けてもらえるとすれば。それはどういう響きとなるのか。レヴェローズの言のせいで、カルメリエルは考えてしまった。
「べ、別に……慰めて欲しいなどとは、その……」
言い返す声が、自分でも分かるほど尻すぼみに萎んでいく。いけない。これでは勘違いされてしまう。自分はそんなレヴェローズ並みの感傷など持ち合わせていない。ちょろいのはミトラの担当で自分ではない。その筈だ。
「図星かよ」
シラベの呆れ声が刺さった。家族全員の生温かい視線が、遅れて貫いて来る。大穴でさえ、足元から星屑の瞳を半眼にして見てくるのがつらい。
そこへ余計な追い打ちが掛かった。
「なるほど、そういう事情があったのか」
食いついたのはヒナタだった。顎に指を当て、値踏みの目でこちらを見ている。
「カルメリエル。君の技術力には前々から興味があってね。なんならデヴァローカの工房と資材を提供しようか。腕の良い技師も付けよう」
「ダメ」
「ダメだ」
ミトラとシラベの声が見事に重なった。
「私、まだ何も申しておりませんのに」
あんまりな息の合い方に、カルメリエルはシラベに頬を寄せたまま自分が意識して出来る最大限の拗ねを見せる。
心外だ。返事の一つもしないうちから、夫婦揃ってなんと器量の小さい。
もっとも、カルメリエルの頭の中では封じられたはずの設計図が静かに頁を開き直していた。熱を吸って蓄える炉というアイデアは確かな涼を生めるはず。あの構想を専用の工房と潤沢な資材とで組み上げたなら。想像するだけなら、誰に禁じられる謂れもないはずだ。
「ふ、ふふっ」
堪えきれない笑い声が弾けた。自分の妄想が口を揺らしたのかと思ったが、どうやら違う。
ちらりと目を向けると、ミトラの隣でミーシャが口元を押さえて肩を揺らしている。さっきまで警戒していたのが嘘のようだ。
「あっ、す、すみません。皆様が、あんまり楽しそうで」
「謝んなくていいわ。指差して笑ってやりなさい」
「ミトラ。人に指を差していいなどと子供に教えるのは良くないよ」
「あんたが教育に対して語るのすっごい釈然としないんだけど……」
「教育とかいうなら俺を助けろ。こいつほど悪影響なのはいないぞ。というか腕の力凄いんだが」
「契約者がデレデレしているだけではないか」
誰とのどんな関係かが入り乱れ、境界線がごちゃ混ぜになった奇妙な空間。そんな中での家族ごっこも、そんなに悪くない。
賑やかな声の中心で、カルメリエルはシラベにもう少しだけ重みを預けることにした。