おもちゃ店『ボトムレスピット』の店内には、嵐が過ぎ去った後のような、平和で、かつどこか不穏な空気が流れていた。
ガラス扉が開くたびに、のどかな喧騒が入り込む。だというのに、店の雰囲気は循環する気配がまるでない。
「……ありがとうございましたー」
レジ打ちを終えたシラベが、買ったばかりのパックを握りしめて走り去る子供を見送る。
ドアが閉まり、再び静寂が戻るのを確認してから、彼はカウンターの奥──客からは死角になるカーテンの裏で、背中を向けて作業をしている小柄な店長に声をかけた。
「おい、まだ怒ってるのかよ」
「……仕事中よ。話しかけないで」
ミトラは振り返りもせず、ストレージボックスの中のカードを分類し続けている。その手つきは職人のように早いが、カードを仕分ける指先には明らかに苛立ちが乗っていた。パチン、パチンと、プラスチックの仕切り板にカードが当たる音が店内に冷たく響く。
彼女は未だにデュエルの敗北に納得がいっていない。だがそれは、シラベに負けたことへの悔しさではなかった。
「あのポンコツ聖女……十年私のデッキに入ってたのが信じられないわ。偉そうな御託を並べた挙句があの様よ」
ミトラが吐き捨てるように言う。その声には、裏切られた信頼と、汚された美学への憤りが滲んでいた。
「私のデッキのコンセプトは『完全なる支配』よ。相手の自由を奪い、選択肢を削ぎ落とし、窒息させてから殺す。それがコントロールの流儀でしょう? なのにあいつときたら……」
彼女の手が止まり、ギリリとカードの束を握りしめる。
「マナの計算もガバガバ。展開を焦って隙丸出し。引きが弱いし勝負所がまるで分かってない。あんたにトップ解決されたのは単なる運負けだとしても、その前段階で詰めきれていないのが三流以下の証拠よ。あんたの方がまだマシなプレイングしてたわ」
「まあ、あいつは自分が気持ちよくなることしか考えてなかったからな」
「本当に腹立たしい。私の身体を使ってあんなプレイングを晒されるなんて、末代までの恥だわ。二度と私の前に顔を見せないでほしい」
「末代筆頭がなんか言ってら」
「ああ?」
シラベが茶化すと、ミトラは鋭い視線を投げてきた。おお怖いと肩をすくめるシラベ。
「……破り捨ててやろうかと思ったけれど、あいにくあの馬鹿のカード、金属板かってぐらい頑丈で傷一つ付かないし」
「おいおい、一応アンタの相棒だったんだろ?」
「その通り、だった、よ。過去形。……だから、大負けに負けて労働で支払わせているのよ。私の名誉を傷つけた慰謝料としてね」
ふん、と鼻を鳴らし、ミトラは顎で店の外をしゃくった。
「ほら、見てみなさいよ。あの無様な姿を」
シラベもつられて視線を投げる。ガラス張りのショーウィンドウの向こう、陽光が降り注ぐ店の軒先には、奇妙な光景が広がっていた。
そこは、子供たちの熱気で溢れかえっていた。
今日はホビーの大会日だ。ベーゴマを近代的にリファインした対戦玩具『爆宙ショットベイゴマード』の小規模な店舗大会が開催されている。
路上に設置されたスタジアムを囲み、子供たちが歓声を上げている。
「いっけえぇぇぇ! そこだ、弾き飛ばせェッ!」
「3、2、1、ゴォォォォ──ショォォォットッ!!」
審判役として真ん中に立っているのはベテラン店員の甲賀サブロウだ。どこから調達したのか分からない本格的な忍者のコスプレをして、額に汗を滲ませながら子供たち以上に真剣な顔つきでジャッジをしている。
そして、その周囲で大会のビラ配りと客寄せをしている二体の着ぐるみがいた。
一方はピンク色の熊のような、のっぺりとした顔のファンシーな着ぐるみ。
もう一方は、白と金を基調とした、長い耳を持つウサギのような着ぐるみ。
どちらも販促用としてメーカーから借り受けたマスコットキャラのグッズなのだろう。本来なら愛らしく、子供たちに夢を与える存在のはずだ。
だが、その形状は明らかに異質になってしまっていた。
着ぐるみの厚い布地の上からでも隠しきれない、暴力的なまでの凹凸。
特に胸部と臀部の膨らみが、ファンシーな造形を内側から無理やり押し広げ、歪なシルエットを作り出している。熊やウサギにあるまじき、砂時計のようなボディライン。動くたびに着ぐるみの生地が悲鳴を上げ、内側の質量がたぷんたぷんと揺れるのが見て取れた。
シラベとの対戦終了後、『レーラズ・フィールド』が解け正気に戻ったミトラは激怒し、即座にカルメリエルのカードを破り捨てようとした。
しかし、カードは鋼鉄のように硬化し、ハサミはおろかシュレッダーにかけても傷一つ付かなかった。精霊の加護か、あるいはカード自身の生存本能か。
物理的な破壊が不可能だと悟ったミトラは、冷酷な笑みを浮かべて宣告したのだ。
『壊せないなら、死ぬほどこき使ってやるわ。身体で払いなさい』
結果、妹同様に実体化が可能だったカルメリエルは、こうして休日の客寄せパンダとして酷使されることになったのである。
シラベが窓越しに眺める先で、興奮した子供たちが二体の着ぐるみにタックルしたり、抱きついたりしている。
「ほらー! クマさんおっぱいおっきいー!」
「ウサギさんのお尻、すっごい弾力! これ中身なに入ってんのー!?」
無邪気な子供たちの容赦ないスキンシップに、ピンクの熊──レヴェローズが入っている方──が、よろめきながら悲鳴を上げた。
「こら、触るな! 尻を触るなガキども! 私は総督だぞ! ええい、離せ! 尻尾を引っ張るなぁッ!」
ドスの利いた声で威嚇するが、子供たちはむしろ喜んで群がっていく。
そしてもう一体、白い兎──カルメリエルが入っている方──は、もっと悲惨だった。
されるがままになりながら力なく項垂れ、ビラの束を持った手が震えている。
「……どうして、私がこんな目に……。私は聖女ですのに……崇められるべき存在ですのに……」
「自業自得だ姉様! 貴様が店長を洗脳などという暴挙に出るから、連帯責任で私もこんな労働をさせられる羽目になったのだぞ! というか貴様、ビラ配るのが遅い! もっと効率的に動け!」
「うるさいですわね……! こんな狭い布の中に押し込められて、まともに動けるわけないでしょう! ああっ、また胸が突っかかって……!」
着ぐるみの生地越しでも隠しきれない豊満なボディラインは、健全なホビー大会には少々刺激が強すぎる気もするが、集客効果だけは抜群のようだった。通りがかりの父親たちが、不可解な造形の着ぐるみに目を奪われ、ふらふらと店に吸い寄せられている。
レヴェローズはシラベから姉の面倒を見ろというお題目のもと、こちらもこき使われる事になっていた。もっとも、姉の謀略で島流しされても能天気に働いていた神経をしている彼女にとっては、アパートで腐っているよりは健康的なのかもしれない。
「あの程度の社会的奉仕活動、当然の報いよ。なんなら夏場のアスファルトの上で躍らせてやろうかと思ったくらいだわ」
ミトラは冷ややかに言い放つと、ようやく手元の作業を一段落させた。
彼女は椅子に座り直し、ふぅと息を吐いてシラベを見る。その目は先ほどまでの険しさが消え、経営者としての冷静な光を宿していた。
「それはそうとシラベ。今月のシフト希望、今のところ毎日になってるけど。本当に大丈夫なの? 死ぬわよ?」
週七勤務は社畜の鑑ではあるが、過労死は誰も幸せにならない。しかしシラベには切実な事情があった。
「体力より先に財布が死ぬからな。今の時給と勤務時間じゃ、毎日入ってようやく家賃と光熱費がトントンだ。食費を考えたら、休んでる暇なんてねえよ」
シラベは溜息交じりに答えた。
『ボトムレスピット』の時給は個人経営のショップとしては頑張っている方だが、生活を立て直すには心許ない。それに加えて、家には大食らいではないものの、食費よりも娯楽費にウェイトがかかるレヴェローズもいる。「契約者、今日はアイスが食べたい」「新弾のパックを買ってくれ」と強請られるたび、シラベの財布は痩せ細っていく。
「……そう」
ミトラは少し考え込むように視線を落とした。
指先が、カウンターの天板をトントンと叩く。
彼女はシラベの履歴書を思い返していた。住所はここから少し離れた古いアパート。家賃滞納ギリギリという話も小耳に挟んでいる。
そして何より、あの騒がしい居候と共に暮らす精神的負担。
放っておけば、この男はいずれ過労で倒れるか、どうにせよ身持ちを崩してしまうだろう。せっかく手に入れた、カードの知識がある便利な労働力を失うのは惜しい。
「……はぁ。仕方ないわね」
あくまで。経営的な判断として。
ミトラは立ち上がると、シラベに向かってビシッと指を差した。
「シラベ。今から二階に行って、在庫部屋を一つ片付けなさい」
「は? 二階?」
シラベが怪訝な顔をする。
『ボトムレスピット』の二階は、かつて住居スペースだった場所の殆どを今は倉庫として使っている。段ボールが山積みになっている魔窟だと聞いている。
「なんで今からそんなことしなきゃなんねーんだよ。レジは誰が見るんだ」
「レジは私がやるわよ。いいから行きなさい。奥の六畳間、今日中にスペースを空けること。業務命令」
「へいへい……人使いが荒いこって。これ残業代出るんだろうな?」
「出るわけないでしょ。自分のための作業なんだから」
「は?」
聞き返そうとしたシラベを無視して、ミトラはシッシッと手を振って追い払う。
シラベは首を傾げながらも、上司に逆らうのはたとえ35歳合法ロリでも怖いのでぶつぶつと文句を言いながら二階への階段を登っていった。
ギシギシと階段が鳴る音が遠ざかり、完全に聞こえなくなるのを確認してから。
ミトラは小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……住み込みで雇ってあげれば、今の時給でも文句言わないでしょ」
家賃が浮けば、その分生活は楽になる。従業員の生活の質を考えるのは上の者の務めだ。
その上で空き部屋(予定)を有効活用できるし、常に使える店番がいれば自分はもっと自由に動ける。双方良し。円満な解決方法だ。
決して。そう、決して同情したわけではない。あくまで合理的な判断だ。
少しだけ緩んだ口元をギュッと結び直してから、再び手元のカード整理に戻る。
「きゃあっ! そこは! そこは聖なる領域ですわ!」
「働け姉様!」
外からは着ぐるみ姿の聖女が子供たちにもみくちゃにされながらも、妹に叱られている様子が微かに聞こえてくる。
「……ま、精霊の方はどうするか考えものだけどね」
今度はあの二人用の犬小屋でも業務命令で作ってもらおうか。ミトラは頭を振ってから、手元のカスレアをストレージの奥に押し込んだ。
第一部完
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