昼を過ぎた商店街は、支度の続く屋台と気の早い見物人で賑わい始めていた。
その間を、ミーシャはサンダルで駆けていく。
人の流れが切れたところで足を止め、胸元から畳んだ紙を二枚取り出した。一枚は店にも配られていた祭りの案内で、通りと会場の地図が刷ってある。もう一枚は、今朝バックヤードで書き上げた自分のメモだ。
自分が『一回目』と『二回目』で見たことと、ヒナタに教わったこと。文章の読みは十分出来ていたが、書き取りはまだ少し不安なところがある。ひらがなとカタカナが混合していたものは見るからに拙かったが、どうせ読むのは自分だ、とミーシャは気にしない。
最初の用事は、レヴェローズ探しだった。神輿を会館の脇へ据えたあと、レヴェローズがどこで何をしているのか、実のところミーシャは知らない。『一回目』も『二回目』も、日のあるうちに彼女を見た覚えが無いのだ。次に会うのは『二回目』の夜、あの山の石段まで飛んでしまう。
祭りまでに聞いた予定の中に、レヴェローズが清掃や見回り──つまり山で見たような回収の仕事をするという話は無かった。確か本人も、手伝いを頼まれたようなことを言っていたはず。店番に回っていないのは不思議だが、先んじて声を掛けておけば手を貸してくれるかもしれない。
ただ、今までと同じ道を歩いても見つからないだろう。会館脇の神輿置き場は確かめたが、既にレヴェローズの姿が無い事は確認済みだ。クーラーボックスの中身が綺麗に空になっていたのは幸いだったが、それはそれとして、レヴェローズの行き先の手掛かりは無かった。
ミーシャは地図の上の、まだ歩いたことのない筋を指でなぞる。次は、この道だ。
一本裏へ入ると、通りの顔はがらりと変わった。屋台の骨組みも幕も無く、提灯の連なりも間遠になる。軒先の鉢植え。立て掛けられた自転車。開いた窓から漏れてくる、誰かの家の昼ごはんの匂い。
知らない道を自分で選んで歩くのは、お使いとも見物とも違う心持ちがする。急いでいる身の上なのに少し面白くなってしまうのは、困りものだった。
その道の先に、見慣れた姿があった。
ピンク色の髪に、いつもの黒い装い。祭りの支度で町中が浮き立っていても変わるところのないカルメリエルが、ゆったりとした足取りで歩いている。
探していた顔ではないが、足は止まった。聞いていた予定では、そろそろ店の前の二人のどちらかと入れ替わる頃合いのはずだ。それがどうして、祭りとは逆の方へ歩いているのだろう。
「カルメリエル様!」
「あら」
振り向いたカルメリエルは、いつもの糸目の微笑みのまま、少しだけ首を傾けた。
「ミーシャさん。もうお出掛けになっていたのですね」
「は、はい。あの、カルメリエル様はどちらへ? そろそろお店の番と伺っていたので……」
「覚えていてくださったのね。ええ、その通りですわ」
頬に手を当てて、ふふ、と上品に笑う。
「少しばかり、私の可愛い子たちの様子を見に行こうと思いまして。お店にはすぐ戻りますわ」
「可愛い子たち……」
いつか聞いたのある言い回しに首を傾げかける。それは確か、シラベに泣きついていたカルメリエルが言っていた言葉ではないか。
ミーシャはカルメリエルの向かおうとしていた先を見る。住宅の並びに挟まれた道が緩やかに曲がり、その向こうに木々の生い茂った低い山の上半分が覗いていた。
明るいうちに見るのは初めてのはずなのに、道の曲がり方に見覚えがある。『二回目』では家々の窓明かりと街灯しかなく、前を行く二人の下駄の音を頼りに歩いていた。暗さを取り払ってしまえば、あの時と同じ道なのではないか。
山へ向かうカルメリエル。様子を見に行く。可愛い子たち。
そこへ、『二回目』にレヴェローズが抱えていた箱の音が重なった。山で見つかった妙な機械だと話していた。中身を見ることはできなかったが、歩くたび、箱の中では硬いものが幾つもぶつかり合う音がしていたはずだ。
そして『一回目』の夜、店の前でシラベに縋り付いて、いなくなったと半泣きになっていたカルメリエル。
まさか。
「……あの、カルメリエル様」
「はい、なんでしょう」
気が付いた時には、声が出ていた。
「もしかして、この道を行った先の山に……何か、あるんですか?」
カルメリエルはきょとんとした顔の後、嬉しそうに弧を描いた口元を隠すように手を当てた。
困った風は少しも無く、むしろどこか嬉しそうに、カルメリエルは目を細めたままミーシャを見つめた。
「ミーシャさんには気付かれてしまっていたのですね」
「ああ、えっと。まぁ、その。はい。……ちなみに、どういう仕掛けを?」
「ふふ。仕掛けだなんて、人聞きの悪い。あれは素晴らしいものですわ」
カルメリエルは胸の前で両手を合わせ、うっとりと語り出す。
「名付けて、小型フライング神輿・編隊飛行構想。いつぞやは皆様に否決されてしまいましたけれど、大きさが問題なのでしたら小さくすれば良いのです。小さな可愛らしい機体になったあの子らを揃えて、祭りの夜空に光の隊列を──」
「カ、カルメリエル様」
話の腰を折るのは心苦しいが、このまま拝聴していたら日が暮れる気がした。それに、伝えなければいけないことは別にある。
「あの、実は。さっき……見回りの方が、お話しされているのを聞いたんです。山で妙な機械がいくつも見つかったから、日のあるうちに回収しないといけない、って」
実際に聞いたのは『二回目』の夜で、話していたのも警察の人たちだ。けれどこれから起こる話を正直に伝えるには、今日を繰り返しているところから説明しなければならない。今それをしている時間はなかった。
「なっ──」
合わせられていた両手がぴしりと固まった。彼女の微笑みが剥がれた顔を、ミーシャは初めて見たかもしれなかった。
「そ、そんな話は、私の情報網にも……」
「私も立ち聞きしただけなので、本当にあるかは分かりませんけど、一応」
「回収。……回収、ですって? いけませんわ。あの子たちはまだ、試験飛行も行っておりませんのに……!」
「え、ええと」
「ごめんあそばせ、ミーシャさん。詳しいお話は、また後ほど!」
言い終わるより先に、カルメリエルは身を翻した。重そうな胸を物ともせず、道の先へ見る見る遠ざかっていく。あの黒い装いがあんなに速く動くところを、ミーシャは初めて見た。
一人残された道の真ん中で、ミーシャは小さく息を吐く。これで良かったのかどうかは分からない。カルメリエルの様子を思い出してしまったせいでつい言ってしまったが、彼女は一体何をどうするつもりだろうか。少なくとも、よく分からないまま誰かに持って行かれることは防げるはずだが。
様子は気になるが、別の用事がミーシャにはある。レヴェローズ探しに使える時間は、もうあまり残っていなかった。あの人が味方になってくれれば心強かったが、会えないなら会えないで仕方がない。
ミーシャは地図を開き、次なる探し物へと向かう。
*
祭りの区域を外れて歩くうち、提灯の連なりは途切れ、飾りのない通りが続くようになった。
クモンの住まいが隣の町の方だというのは本人から聞いて知っていた。細かい場所までは知らないが、方向さえ分かれば十分だ。商店街に向かう通りで構えておけば、祭りへ向かうクモンとどこかですれ違えるはず。『一回目』に会場の外れで会った時、彼はゆっくり歩いて夕方より前に来ていたはずだから、家を出るところから数えればもっと早くに捕まえられるに違いない。
歩きながら、ふと疑問が浮かんだ。
クモンとキリメは、確か家が近い。都合の合わない日は夜にどちらかの家で対戦するのだと、店で話していた覚えがある。それなのに、待ち合わせはどうして祭りの会場なのだろう。家の前で落ち合って、一緒に歩いてくる方が、迷いも遅れも無くて良さそうなものなのに。
わざわざ人の多い場所で待ち合わせるのは、お祭りの決まり事なのだろうか。
だとすれば、もしかするとキリメもこの道を先に歩いてくるかもしれない。二つの可能性を考えながら、ミーシャは行き交う人の間に白と紺、それぞれの浴衣を探して目を凝らす。
しばらく日陰で粘って見つけたのは、紺の方だった。
通りの先からゆっくり、ゆっくりと歩いてくる小さな姿がある。数歩進んでは足元を確かめ、また進む。あの歩き方は時間が早くとも変わらないらしい。
「クモンさん!」
駆け寄って声を掛けると、紺の浴衣がびくりと跳ねた。
「わっ、とと……」
下駄がもつれかけ、両腕を振って持ち直す。顔を上げたクモンは、ミーシャを見たまま動かなくなった。
「こんにちは。良かった、お会い出来て」
「…………」
「クモンさん?」
「──は、はいっ!? え、あ、ミーシャちゃん!? な、なんで、こんなとこに」
返事が出てくるまでたっぷり三拍は掛かった。その目がミーシャの顔から浴衣へ、浴衣から足元のサンダルへと下りていき、それから浴衣の合わせへと戻ってから慌てて顔ごと明後日の方を向く。真夏の昼のことだから、頬が赤いのは暑さのせいだろうか。
「今日は、あちこちに用事がありまして。それより」
ミーシャは改めて、目の前の紺色を眺めた。
「クモンさんも浴衣なんですね。よく似合っています」
「……ど、どうも」
クモンは赤いままの顔で俯いた。それから、ちらと目だけを上げる。
「ミーシャちゃんも……その、ゆ、浴衣。に、似合って……ると、思います」
「ありがとうございます! 今日は初めて、自分で着てみたんです」
「じ、自分で。へえ……えっと、その、すごいね」
どこがどうすごいのか分からない褒め方をして、クモンはまた視線を逸らした。褒めてもらえたのは素直に嬉しいので、細かいことは気にしないでおく。
「あの、クモンさん。キリメさんは、今日はいらっしゃるんですか?」
「え? うん、来るよ。──今日は会場で待ち合わせすることにしたんだ。キリメ姉は、なんか付き合いがあるから先に行ってるって。僕は僕で、午前中に宿題やらないと遊びに行っちゃダメって親が言うからさ。で、今から」
「しゅくだい……」
聞いた事はあるが、ミーシャにはあまりなじみが無いものだった。カルメリエルは勉強の時間はきっちりと決めており、それ以外の時間で勉強することを求めてはいなかった。
それより、キリメだ。付き合いというのが何かは分からないが、つまりキリメはもう、あの会場のどこかにいるということになる。
探しに行くべきだろうかと考えて、すぐに思い直した。あの人混みと屋台の数だ。端から覗いて回っていたら、見つけた頃には待ち合わせの時間になってしまう。ここは覚えておくだけに留めておこうと決める。
クモンは照れの残る顔のまま、爪先で下駄をかたりと鳴らした。
「これさ、まだ全然慣れなくて。ゆっくりしか歩けないから、早めに家を出て、歩きながら慣らそうと思って」
「なるほど。ゆっくり歩くのがコツだと教わり……ましたけどっ。ちょっと勢いに任せて歩いてもいいと思いますっ」
思わず歩きを遅くする言葉を言いそうになり、なんとかミーシャは言い直した。カルメリエルの教えとは違うが、履いてみた実感を言っているのだから、それほど外れたことを言ってはいないはずだ。
「そういうものかな。でもミーシャちゃんは下駄じゃないんだ?」
「はい。今日は走る用事が多いので、履き慣れたこちらにしました」
「走る用事?」
「あ。あーえっと、そういえば」
もっともな疑問は聞こえなかったことにした。さりげない話題転換を心掛けながら、なんとか話したい方へと持っていく。
「さっき、商店街の入り口のあたりで……キリメさんみたいな方を、お見かけした気がします」
「え」
クモンの背筋が、ぴんと伸びた。
「そ、そうなの? 後から行って待たせたりしたら、キリメ姉絶対文句言うよなぁ……」
「み、見間違いかもしれませんが」
思ったよりも効いてしまって、ミーシャは慌てて言い足す。それでも、と続けた。
「早めに行ってみても良いかもしれません。待ち合わせは、待つ側の時間の方が長く感じるものだと、聞いたことがありますし」
「……そうだよね。うん、そうする! 教えてくれてありがとう、ミーシャちゃん。あ、そっちはこれからどうするの? 一緒に行く?」
一瞬、頷きかけた。だが『一回目』と同じように並んで歩けば、また何かの調子を狂わせてしまうかもしれない。それに、まだまだ出来ることはある。
「いえ。私はお使いがあるので、ここで。またお祭り会場で」
「うん。また後で!」
返事と同時に、クモンは歩き出した。その歩みはさっきよりも速い。数歩でつんのめりかけたものの、歩幅を直してから足を進めてまた少し速くなる。慣れない下駄の音が、からころと忙しなく遠ざかっていった。
小さくなっていく紺の背中を見送って、ミーシャは指折り数える。
「……はぁ」
カルメリエルに浴衣について言ったこと、回収についての情報、そして今しがたのキリメ情報。朝からこれで三つ目の嘘になる。二つ目は嘘というより先取りな気もするけれど、まだ本当になっていない以上は嘘みたいなものだろう。
誰かを傷付ける嘘はひとつも無い、はずだ。それでも口にするたび、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなるのは変わらなかった。今日という日を良い方へ動かすためには、この先も嘘は増えていくのだろう。
だとすれば、謝る言葉も同じ数だけ貯めておかなくてはいけないかもしれない。全部終わった後の自分は、なかなか忙しくなりそうだ。
ミーシャは胸元から地図を抜き、歩きながら開く。待ち合わせの刻限までやれることはまだある。今のミーシャに気を抜ける時間は少なかった。