夕方にはまだ間のある会場の通り。その一角、菓子と玩具を棚に並べた屋台の前で、ミーシャは銃の形をした遊び道具を構えていた。
射的。コルクの栓を飛ばして、棚の景品を撃ち落とす遊びだ。名前も遊び方も『一回目』にクモンから教わった。教わったのは夜だったが、屋台は日のあるうちから開いていて、案内図と記憶を突き合わせれば探し当てるのは難しくなかった。
震える手を意識して引き締めながら、細い銃口を目標へ向ける。狙いは、最上段の隅に据えられた大きな箱。彩色された機械人形の絵が刷られた、両手で抱えるほどの箱だ。中身が何なのかは、実のところよく知らない。
だが知らなくても、ミーシャには狙う理由がある。『一回目』のクモンはあの箱に五発を撃ち込んで、一発も落とせなかった。『二回目』で離れて見守っていた時も、クモンは同じ屋台の前で足を止めて、同じ箱に銃口を向けていた。
外すたびにキリメが笑い、クモンがむくれ、それを見てキリメがまた笑う。ヒナタから教わった考え方を参考にするなら、ああいうのを好感度が上がった場面と呼ぶのだろう。目的を果たせなくとも、二人が楽しそうにしていたのは間違いない。
二人の仲が良くなるのは良い事だと思う。ただし、進みすぎてはいけない。『二回目』の夜がそうだったように、勢いが余った先には取り返しのつかないことが待っている。
だから、仲良くなる出来事の数を調整する必要があるとミーシャは考えた。射的はそのうちの一つだ。二人が来る前にあの箱が棚から消えて狙うものが無ければ、クモンは射的の前を素通りするはず。あるいは難しいものをクモンが狙わなくなり、ほどほどの的を狙えばほどほどの結果に満足してくれるかもしれない。的の大きさと好感度の振れ幅についてはミーシャに自信は無かったが、思いつきとしては悪くないはずだと自画自賛していた。
問題は、考えの外にあった。
まず、弾が狙った通りに飛ばなかった。
構えはクモンの見様見真似だ。講釈の中身も覚えている。真ん中ではなく上の隅を狙うこと。当てることではなく、倒すことを考えること。しかし覚えていた通りに構えても、コルクの弾は銃口を出た途端、自分の行きたい方へ曲がっていった。右の隅を狙えば右の外へ。上を狙えば棚の天井へ。最初に買った五発は、一発も箱に触れないまま終わった。二回目の五発も似たようなものだった。
三回目に買った弾から、ミーシャはようやく当てられるようになった。弾の曲がる癖の分だけ、狙いをずらすことを覚えたのだ。
当たるようになって分かったことがある。あの箱は、当たってもなかなか動かない。
四回目も五回目もコルクは確かに箱まで届き、こつんと音を立てて弾かれ、箱は素知らぬ顔で棚に残った。
硬貨を出すたび、巾着は少しずつ軽くなっていく。使い切るくらい楽しんできてほしい、と持たされた小遣いだ。使ってはいる。ただ、これが楽しんでいる姿なのかどうかは、自分でも分からなくなってきた。
屋台の主人の目が、いつからか妙にあたたかいのも気になる。よく頑張るねえ、とでも言いたげな、微笑ましいものを見る目だ。硬貨を出すのと新しい弾を並べる手つきがほぼ同時になっている気がする。
それを意識している余裕は、今のミーシャには無かった。
「もう一回です!」
硬貨を置く。五発を受け取る。構える。
一発目は箱の角に当たった。箱は揺れた。揺れただけだった。
二発目は狙いが逸れて、奥の幕を叩いた。
三発目はど真ん中。動かない。
四発目もど真ん中。動かない。
五発目は端をかすめて、箱がぐらりと傾いだ──気がした。気がしただけで、箱は何事もなかったように元の座りへ戻った。
「…………」
ミーシャは銃を台に置き、巾着の口を開けた。
惜しかった。あと一押しで傾くはず。次で決める。ここまでやったのだから決まるまでやるしかない。
何度目かも数え忘れた硬貨を台に置き、受け取った弾の一発目を銃口へ押し込む。大丈夫、今度こそいける。いけるはずなのだ。なのにどうしてまた弾が逸れ始めてしまうのだろう。おかしい。
「ミーシャちゃん?」
背中に声が掛かった。弾を込める手が止まる。
振り向くと、紺の浴衣のクモンが立っていた。
その半歩後ろには、白地に向日葵の浴衣。腕を組んだキリメが、面白がるのと呆れるのを丁度半分ずつ混ぜた顔で、ミーシャを眺めていた。
「なんだ? ミーシャってこういうのが好きなのか?」
二人が並んで立っている。つまり二人はもう落ち合っていて、待ち合わせは済んでいる。つまり自分は、あれほど気にしていたはずの刻限をすっかり綺麗に忘れていた。
遅れて、周りのざわめきが耳に戻ってくる。見れば、屋台の周りには見物の人垣が薄く出来上がっていた。どれだけの時間張り付いていたのか意識していなかったが、どうやら自分の行いは人目を引くものだったらしいとミーシャはようやく気付いた。年配の二人連れなど、孫でも見るような顔で頷き合っている。
刻限を忘れた失態。我を忘れていた自分と、それを最初から最後まで周囲見られていたらしいこと。思い当たる端から、頬が熱くなっていった。
「あ、あの、これは、その……」
「ええと。そんなにあれが欲しかったんだね」
慰めるようにクモンが言う。視線の先には最上段の箱があった。
欲しかったわけではない。けれど欲しくもないのに狙っていたというのは嘘くさいし、強がりだと思われて余計に笑われてしまう。それに、何度も挑んでいたこと自体は動かしようのない事実だった。ミーシャはこくりと頷いた。
「で、でも……何回かは当てられたんです。当てても、全然、倒れてくれなくて」
だから何度もやる必要があったのだと、後付けの理由を積み上げる。言った当人でさえ杜撰と思う防壁だったが、さいわいクモンはそれを突き崩すほど無粋では無かった。
「そうなんだ。……じゃあ、次は僕がやってあげるよ」
クモンが一歩前へ出て、胸を張った。
「お、やれんのか? 良いとこ見せろよクモン。まず当てれたら褒めてやる」
「なんだよそれ、当てるくらい出来るって!」
キリメの茶々に言い返しながら、クモンは硬貨を置いて台の銃を取る。両肘を締め、片目を瞑り、じっくりと狙う構え。ミーシャが見様見真似で覚えたものよりも綺麗に見えたが、そもそもあの構えは正しいものなのだろうか。前提としてクモンの行動が正しいのかと疑うことをミーシャは忘れていたのに気付く。
ミーシャの疑心をよそに、放たれた一発は見事に箱の真ん中へ当たった。おお、と上がる歓声。そこから揺れる姿を見せてくれたものの、それだけで終わってしまう。
二発目も三発目も同じ。四発目は角に入って箱をわずかに斜めにしたが、五発目が外れて仕切り直しになった。
「おっかしいなぁ……いいとこ当てたと思ったのに」
肩を落とすクモンの横顔は悔しがりながらも、どこか楽しげでもあった。そこでミーシャはあっ、と声を上げかける。
あの箱はそもそも、クモンが狙っていたものだ。それを無くして出来事を飛ばすつもりが、結局クモンは射的の前に立っている。堂々と狙う理由を自分が作ってしまった。
これは本末転倒というものなのだろうか。これでキリメとクモンの好感度が上がりすぎることになってしまったらどうしよう。
「はいはい、どいたどいた。なら次はアタシだ」
ミーシャの危惧が正しいか確かめることも出来ず、今度はキリメが肩を回しながら前へ出てきた。硬貨を置き、銃を片手で拾い上げる。
思えばキリメがこうして銃を構えるのを見たのは初めてかもしれない。『一回目』『二回目』ではやっていなかったはずなのに、どうしたのだろうか。
キリメの構えはミーシャとクモン、そのどちらとも違った。力の抜けた立ち姿のまま、狙いらしい狙いも付けていない。
「キリメさん、あの、それでは……」
「まー見てなって」
小気味よい音がして、コルクが箱の真ん中に当たった。キリメは箱から視線を外さないまま銃をくるりと回して、空いた片手で銃口に次の弾を込めてまた構える。
当てる。込めて、また放つ。流れるような繰り返しで、瞬く間に弾が消費されていく。
「うまっ……なにそれ、キリメ姉」
ミーシャが息を呑むように、クモンもまた驚きを隠せていなかった。見物客もクモンの時とは違う盛り上がりを見せていた。
それらを受けてもキリメは平気な様子を崩さない。むしろミーシャの目には、キリメが苛立っているように見えた。
「これくらいタッパがあれば誰でも出来るって。……で、なんっで倒れねえんだ、あれは」
キリメの言葉にぱっと景品を見るミーシャ。確かに全弾命中していたはずだが、箱は微動だにしなかった。
悔しげな顔でキリメが箱を睨む。ミーシャも一緒になって睨んでいた。ここまで来ると当初の目的よりも、あの箱が倒れないことの方がよっぽど気にかかる。自分だって頑張っていたはずなのに。
三人分の視線を受けても、箱は素知らぬ顔のまま棚の上へ納まっている。
キリメの目が、すっと据わった。
「……おい、おっさん」
「なんだい」
「あの景品、重し入ってんじゃねえだろうな」
店で聞くどの声よりも低い声だった。屋台の主人は動じるでもなく、首の後ろを掻く。
「言いがかりはやめろよ、姉ちゃん。うちは優良店だよ」
「三人がかりで何発も当てて、ぴくりともしねえのがか?」
「そりゃ当たりどころってもんがあるからな。うまーく狙ってもらわないと」
「ンだと」
キリメが台に手を突いた。主人も笑みを消さないまま引かない。クモンが落ち着きなってと袖を引くが、効いた様子はない。見物の人垣が、揉め事の気配にざわりと揺れる。
ミーシャもおろおろと二人の間へ手を差し出しかけた、その時だった。
「待つのだ」
よく通る声が、屋台の前の空気を割った。
人垣が割れ、青い上着が現れる。神輿を曳いていた者たちが揃いで着ていた、あの祭りの上着だ。それを羽織ったレヴェローズが、腰に両の拳を当てて道の真ん中に立ちはだかっていた。
「レヴェさん!?」
「レヴェローズ様!?」
探し回っていた相手は思いもよらないところから現れた事にミーシャは驚き、突然の登場にクモンも動揺している。
そんな事は構いもせずにレヴェローズはずんずんと歩み出て、キリメの傍に堂々と立つ。
「む、ミーシャもいたか。その浴衣、よく似合っているぞ。……キリメ、祭りはハレの日というやつだぞ。このような良き日に揉め事などするでない」
「いや、レヴェさん聞いてくれよ。あの景品がさぁ──」
キリメの訴えを片手で制し、レヴェローズは屋台を検分し始めた。棚の上から下まで、ふむ、とひと巡り。それからもう一度、ふむ、と最上段の隅で止まる。
「あの商品を取れば良いのだな? たやすいことだ」
「え」
言うが早いか、レヴェローズは上着の合わせへ指を差し入れ、谷間から硬貨を一枚つまみ出して主人へ差し出した。
主人は呆気にとられた顔のまま、それでも商売人の習性はそのまま働き五発のコルクを台へ置く。
レヴェローズはそのうちの一発を取り上げた。銃には目もくれない。親指の爪の上にコルクを乗せ、人差し指で軽く押さえる。
「あ、お客さん、銃はこっちに」
「これでいい」
何がいいのだろう。思ったミーシャの目が、レヴェローズの腰のあたりで止まった。
青い上着の裾の端から、紫色の結晶が覗いている。
それはミーシャにも見覚えがあった。確か伝結晶と呼ばれていたものだ。普段は身に着けていないものだが、あの葬送外野ではこれを装備したレヴェローズが戦の景色を塗り替えるようなとんでもない力を振るっていたはずで──
まさか。そう思った時には既に、ぱちんと指の鳴る音がした。その軽い音におよそ釣り合わない何かが空気を裂く。
軽く弾けるような音。それと、ミーシャの顔に何か砂粒のようなものがぶつかる気がした。慌てて顔を払っていると、重々しく響く衝撃音も遅れて聞こえてくる。
「ぷぇ……っ、ぺっ、ぺっ。なに、これ……木屑?」
言ってから、ミーシャは気付く。粉々に砕けてはいるが、手触りと色は間違いない。先ほどまで自分が購入し続けていた射的の弾だ。
何故これが粉みじんになっているのか。疑問に思うよりも先に、屋台の周囲がしんと静まり返っていることに気付く。
皆の視線は屋台の中、先ほどまでミーシャたちが狙っていた景品──それがあったはずの場所に向けられていた。ミーシャが目を向けた時にはそれは消え失せており、代わりにその後ろに建てられた飾り板が奇妙に傾いている。
するすると視線を降ろしていけば、あれほど傾くかどうかで一喜一憂していた人形の箱が、あっけなく棚向こうの地面に落ちている。
キリメも、クモンも、主人も、見物の人垣も、口を開けたまま固まっている。
その静けさの中で、レヴェローズだけが満足げに頷いた。
「よし。あと四発だな」
コルクがまた一つ、レヴェローズの指に摘まみ上げられる。その紫色の瞳はもう、棚の上の別の景品へ向けられていた。