射的の屋台を後にした一行は、屋台の連なりを縫って会館の方へ歩いていた。
通りの提灯にはいつの間にか灯が入っていた。空の端にはまだ夕暮れの明るさが残っているのに、通りを行く人の足取りはもう夜祭りのそれだ。その真ん中を、青い上着が意気揚々と先導していく。
「昨年は神輿に掛かりきりであったが、なるほど。これが祭りの醍醐味というものだな」
「そう……なんでしょうか」
レヴェローズの片腕には、積み上げた箱が三つ抱えられていた。一番下は『流しそうめん』なるものを卓の上で体験できるという機械の大箱。その上に『立体パズル』と刷られた、金属の部品を組み合わせる玩具の箱。天辺には、彩色された機械人形の絵の箱が乗っている。空いた手には剣の形をした玩具が握られ、歩調に合わせてかたかたと間の抜けた音を立てていた。
ミーシャの狙っていた箱を吹き飛ばしたレヴェローズは、宣言通り残りの四発も同様に撃ち尽くした。指を弾くたび棚から景品がひとつ消え、大物のそうめんの機械だけはぎりぎり落ちず踏みとどまったため二発必要だったものの、外れは一発も無かった。三つ目が落ちる頃には主人が半べそで拝み出し、キリメの言った疑いはうやむやになったまま、見物の人垣がわっと沸いて幕引きになった。
騒ぎが収まる頃には日が落ちかけていて、提灯の灯りはその間に入ったらしい。点いていく瞬間を『一回目』は屋台の通りで見上げたはずなのに、今日は騒ぎにかまけてすっかり見逃してしまった。
「レヴェさん、あれ全部持って帰る気なのかな」
「知らね。つーかそうめんのやつ、家の中で麺流して何が楽しいんだ?」
「ちょっと楽しそうだけど……」
どうなることかと冷や冷やしていたミーシャだったが、当の二人はといえば呆れ半分、感心半分の顔で、前を行く戦利品の山を眺めている。屋台の主人と睨み合っていた時の剣呑さは、キリメの顔からとうに消えていた。
好感度が今どうなっているのかはミーシャには分からない。ただ少なくとも、今はそういう雰囲気ではないと思う。ああいう空気にさえならなければ、キリメも無茶はしないはずだ。距離は第三者が加減しろ、というヒナタの助言を、図らずも一番派手な形でレヴェローズが果たしてくれていることになる。
むしろここから気を付けるべきは、『一回目』と同じ流れをなぞってしまうことだろうか。クモンの機嫌を損ねて、焦ったキリメが歯止めを失ってしまうあの流れ。提灯が灯った今、時間の上ではもうあの言い争いの起きた頃合いが近付きつつある。状況がだいぶ違うとはいえ、そうならないように見ておこうと歩きながらミーシャは気を引き締めた。
会館の脇まで来ると、薄闇の中に鉄の神輿が据わっていた。提灯の灯りを受けた鉄の肌は無骨なのに、どこか祭りの飾りめいて見える。その前には見物の人が集まり始め、構えたスマートフォンがいくつも上がっていた。脇には長椅子がいくつか並べられ、夕涼みの年配たちの休憩所のようになっている。
一行は空いた長椅子に腰を落ち着けた。レヴェローズが足元へ戦利品を積み上げ、満足げに息を吐く。
「ふう。うむうむ、良い戦果であった」
「戦果て」
キリメの突っ込みには取り合わず、レヴェローズは積んだ箱の天辺から機械人形の箱を取り上げた。
「ほれ、ミーシャ。これはお前が狙ったものだろう。遠慮しないで良いぞ」
「あ……ありがとう、ございます」
両手で受け取った箱は思っていたよりも軽かった。あれだけ当てても倒れなかったのがますます不思議になる軽さだ。
「しかしミーシャよ。思ったのだがな」
レヴェローズが剣の玩具をぷらぷらと揺らしながら首を傾げる。
「こういう玩具なら店にもあるのではないか? わざわざ射的で狙わずとも、契約者にねだれば良かっただろうに」
「うっ」
ボトムレスピットはおもちゃ屋だ。レヴェローズの言う通り、似たようなものなら確かにある。だが本当の目当てはあの箱を棚から消すことで箱そのものは目的ではなかったのだが、それを説明するわけにはいかない。
「じ、自分の力で、取りたかったので」
「ほう? ……うむ、良い心掛けだ! それなら余計な事をしてしまったか」
「いえそんな。ありがとうございます、レヴェローズ様。クモンさんもキリメさんも、ありがとうございます」
「いいよそんな。射的ってあの銃持つだけでも楽しいし」
「そうそう」
レヴェローズはあっさりと納得し、礼の言葉にクモンとキリメも鷹揚に頷く。ミーシャは曖昧に笑いつつ、その箱を膝の脇へそっと置いた。
「あ。僕、ちょっとトイレ行ってくるね」
「はいはい、行ってきな」
クモンが立ち上がった。心なしかゆっくりとした足取りで、下駄を鳴らして会館の裏手の方へ歩いていく。キリメはその背に手を振って見送る。
レヴェローズはといえば、剣の玩具がすっかり気に入ったらしい。長椅子の端に陣取り、握りを押しては鳴る音に合わせて手首の返しを確かめている。一振りごとに真剣な顔で頷いていて、周りのことはまるで耳に入っていない様子だった。
「……なあ、ミーシャ」
不意に、隣のキリメが口を開いた。目は前を向いたまま、行き交う人波を見るともなく見ている。
「やってから後悔するのと、やらずに後悔するのって、どっちがマシだと思う?」
「……!」
来た、とミーシャは思った。
一言一句、聞き覚えのある問いだった。『一回目』の夜、りんご飴の屋台の前で聞いたものと同じだ。あの時は何の話かも分からないまま、求められていると思ってそのまま頷いてしまった。
今なら分かる。これはキリメが、クモンに想いを伝えるかどうかの分かれ目の問いだ。キリメはきっと背を押して欲しい、そう思っている。
そして「やってから」の先を、ミーシャはもう知っている。『二回目』の夜。伝えられた想いは確かに頷きで返って、その先で二人は連れて行かれてしまった。
ミーシャは膝の上で手を重ね、言葉を選びながら、ゆっくりと答えた。
「私は……やらずに、とどまっておくのも、良いと思います」
キリメの目が、初めてこちらを向いた。少し驚いたような、丸い目をしている。
肯定してもらえると思っていたのだろう。その気持ちを裏切ってしまったようで、ミーシャの胸の内がざわついた気がした。
「……そっか」
短い返事だった。前へ戻った横顔からは、何を思ったのかまでは読み取れない。続きがあるのかと待っていると、キリメはふっと息を抜いて、それからにかっと歯を見せて笑った。
「つーかさぁ。そう思ってんなら、さっきの射的は、ちょっとくらい躊躇したらどうだったんだ?」
「え」
「やらずにとどまるどころか、突っ込みっぱなしだったじゃんか。何回弾買ったんだっけ?」
「あ、あれは、その……い、勢いと、いいますか……」
「うむ、私も驚いたぞ」
いつの間にか玩具の音が止んでいて、レヴェローズが身を乗り出していた。
「ミーシャにもああいうムキになる一面があったとはなぁ。うむうむ、これは帰ったら契約者と店長にも教えてやらねばなるまい」
「や、やめてください!」
「なんでだ。頑張り屋の話ではないか。なあ?」
「だなぁ。別に恥ずかしがることねーだろ」
「う、ぅう……!」
両脇からわあわあと言われて、ミーシャは首まで熱くなった。居たたまれないとはこのことだ。ミーシャは勢いよく立ち上がる。
「ク、クモンさんが遅いので! ちょっと、様子を見てきますっ」
「お、おう」
「うむ、行ってくるがいい」
背中に笑い混じりの声を受けながら、ミーシャは会館の裏手へ早足で逃げ出した。
会館の裏手は、表の通りとは打って変わって静かだった。
建物の陰に公衆の手洗いがあることは、案内図で知っている。提灯の列はここまでは届かず、手洗いの入り口に灯った小さな明かりだけが目印だった。ちょうど人の流れが切れた頃合いなのか、行き交う姿もなく、祭りの賑わいは遠い物音になって届くだけだった。
手洗いが男女で分かれていることは、ミーシャも教わって知っている。中を覗いて捜すわけにもいかない。外で待つべきかと足を緩めたところで、視界の端に紺色が引っ掛かった。
手洗いの脇に、掃除の道具を洗うためらしい低い水道の一角がある。壁際にバケツと箒が立て掛けられたその水場に、クモンがいた。
浴衣の裾を膝までまくり上げ、下駄を脱いで、片足を蛇口の下へ差し出している。じゃばじゃばと水を出しっぱなしにして、足を洗っているように見えた。
何をしているのだろう、と首を傾げかけたミーシャの目が、流れる水の色に留まった。
クモンの足の、親指の付け根のあたり。指の股から薄赤いものが滲み出しては、水と一緒に流れて消えていく。
血だ。
「──どうしたんですか!?」
気が付いた時には駆け出していた。
「うわっ!?」
クモンが跳び上がり、蛇口の水が跳ねる。振り向いた顔が、ミーシャを認めてさらに慌てた。
「ミーシャちゃん!? な、なんで」
「なんでではありません! 血が……お怪我、されてるじゃないですか!」
「あー……えっと、これは、その」
クモンは観念したように肩を落とし、へへ、と力なく笑った。
「ちょっと、下駄の鼻緒と指の間が擦れちゃって。慣れてないから、しょうがないよね」
しょうがない、で済ませていい色ではないと思う。指の股の皮が擦り剥けて、水が当たるたびに薄く血が滲み直している。見ているこちらの足の指まで、きゅっと縮こまるような傷だった。
そして、ミーシャは知っている。
『一回目』のクモンはこんな怪我をしていなかった。歩き回って案内までしてくれていたが、足を痛がる素振りは一度も見せなかったはずだ。『二回目』も、遠目にではあったが、あの石段を上るまで変わった様子は無かったはずだ。
今日と違うことがあるとすれば、ひとつしかない。ミーシャの介入だ。早く目的地に着かせるために声を掛けたのは、他ならない自分自身だと、ミーシャは受け入れざるを得なかった。
「……ごめんなさい、クモンさん」
自然と、頭が下がっていた。
「私が、急がせるようなことを、言ったから」
「え!? そ、そんなことないよ!」
クモンは濡れた足のまま、ぶんぶんと首を振った。
「僕が勝手に急いだだけだって。ほら、キリメ姉って待たされると、うるさ……怖いからさ。ミーシャちゃんは何も悪くないよ。それにほら、普通に歩いていてもたぶん、こうなってたよ」
優しい言葉ほど胸に刺さる。普通に歩いていたならきっと平気だったのに。だがそのもしもの話はミーシャにしか分からないことだ。
「せめて、手当てをさせてください」
そういったミーシャは自分の持ち物を検め始めた。胸元から出てくるのは、畳んだ紙が二枚。作戦のメモと、祭りの案内図。どちらも傷の役には立たない。
手首の巾着にはお金が入っているが、傷に効くものがこの会場のどこで買えるのか、ミーシャは知らなかった。
布。せめて清潔な布があれば、傷を覆って、鼻緒の当たりから守るように巻いてしまえるのに。
布は。
……あるではないか。ほかならぬ自分の胸元に、今朝自分で巻いたばかりの、木綿の布が。
「ちょっと、すみません」
「え?」
ミーシャはクモンに背を向けると、帯に指を掛けて緩め、浴衣の合わせを開いた。肩を片方ずつ抜いて、胸に巻いたさらしの端を探り当てる。
「なっ……なな、何してるの!?」
背中越しに、クモンの声がひっくり返った。
「この布を二つに切って、靴の代わりにしましょう」
「はあ!? い、良いよ! 大丈夫だよ!? そこまでしなくたって!」
「大丈夫ではありません」
言い合う間にも、手は止めない。しゅるり、と衣擦れの音を立てて木綿の布が解けていく。巻く方は今朝ようやく慣れたところだが、解く方は簡単なものだ。
取り終えた布を口に咥え、浴衣を肩へ戻して合わせを直す。押さえを失くした胸元はかろうじて、というところでどうにか収まってくれた。先端さえかくれていればいいとレヴェローズも言っていた気がする。
帯を締め直して振り返ると、クモンは水場の縁に掴まったまま、茹で上がったような顔で明後日の方を向いていた。
「お待たせしました」
「い、いや、その、だ、だめだって……!」
「布があれば、靴の代わりになるんです」
ミーシャは布の両端を持ち、真ん中の見当を付け歯を立てる。木綿は思いのほか丈夫で、なかなか歯が立たない。それでも噛んでは引いてを繰り返すうち、ぷつりと小さな切れ目が開いた。切れ目に指を入れて、一息に引き裂く。小気味よい音を立てて、布は同じ長さの二本に分かれた。
この程度の布があれば、靴の真似事程度は出来る。こればかりは勉強ではなく、
「じゃあ、巻いていきます。触りますね」
片方を手に、ミーシャはクモンの足元へ跪いた。
「え、あの、ミーシャちゃん、ほんとに……?」
頭の上でクモンの声が上擦っている。差し出された足は指先まで強張って、置物のように動かなかった。きっと痛くて動けないのだろう。動かれるより巻きやすいから助かる。
濡れた足の水気を手で軽く払い、指の股を避けて、傷の上へそっと布を掛ける。土踏まずへ回して、甲へ戻して。緩まないように、締めすぎないように、一巻きずつ確かめながら重ねていく。
そんな作業の途中だった。がさり、と近くの植え込みで音がした。
手を止めて目を上げた先に、顔を真っ赤にしたキリメが立っていた。
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