ミーシャと石造りのその写し身。両者の間に、ルーレット盤が音もなく現れた。
白と黒、数字も飾りもない二色のマスだけが交互に刻まれた円盤。それがゆるりと回り始めると、どこからともなく白い玉が投じられ、縁を滑る硬い音が転がり出した。
からから、からから。真っ暗な大穴の体内に、場違いなほど軽やかな音が響く。
先攻と後攻はダイスを振るかじゃんけんで決める。ミーシャがシラベとミトラの対戦を横から見て教わったのはそういうやり方だった。どうやらこの結界では趣向が違うらしい。
回る円盤と転がる玉を眺めながら、きっとこれはレディ・ローマの趣味なのだろうな、とミーシャは思う。この場を敷いたのはあの人だ。賭博の名を冠する人なのだから、きっとそれに類する道具なのだろうと察しがついた。
やがて回転が緩やかになり、玉が小さく跳ねて黒のマスへことりと収まる。
同時にミーシャの対面──石造りの写し身の前に浮かぶ半透明の板が、二度、三度と明滅した。先攻は写し身側という報せらしい。黒いカードの束を持つ側が黒のマスなら、白いデッキを借りた自分は白のマスだったのだろう。
写し身の1ターン目。
顔のない像は無言のまま手札から一枚を抜き、板の脇へ置いた。石の擦れる音と共に置かれたのは、青い紋様のカードだった。
その絵柄にミーシャは見覚えがあった。店で毎日のように目にする基本のルーン、水のルーンだ。けれど少し遠くに置かれたそのカードの名前の枠には、「Rune of Aqua」と横文字が並んでいた。
読めない、と思った途端、足元が少し頼りなくなった。アルファベットの基本は習ったが、単語の意味までは分からない。絵柄で見分けられるカードならいい。だが、この先も読めないカードばかりが並んでいくのだとしたら。
不安のまま縋るようにカードを見つめる。すると、じっと目を凝らしているうちに、そのカードの意味が、文章という形で頭へ流れ込んできたのだ。ステイさせれば水のマナを1点生み出す効果を持つ基本ルーンカード、という知識通り、あるいは知識よりも詳しい書き方がされたテキスト。読めたのではない。伝わってきた、としか言いようがなかった。
デュエルスペースではそんなカードあったっけ、どうだっけ、読めない、と嘆く声もたまに聞こえていたものの、どうやらここでの戦いではカードの中身は互いに理解出来るようにしてくれるらしい。ミーシャはほっと息を吐いた。これなら続けられる。
写し身はそれきり動かない。ルーンを一枚置いただけでターンを手放したようで、盤面の明かりも少し暗くなる。
「タ、ターンを、貰います」
ミーシャの1ターン目。相手に言うというより、自分のために声を出した。相手が黙っているのだから自分も黙っていていいのかもしれないが、教わった通りに進めるには声に出して確かめていくのが一番だった。
「スタンド……は、まだ何もありません。チェック……も、ありません。ドローします」
山札の一番上をおそるおそる引く。八枚になった手札をじっくり見比べ、光芒の紋様の一枚を抜き出した。
「光のルーンを、セットします。……それで、ターンエンド、です」
肝心なものは何も出していないというのに、それを言うだけで一仕事終えた気分になってしまう。緊張感で言えば、鎖帷子を着ていた頃とそれほど変わらない。
写し身の2ターン目。石の指が己の山札から一枚を滑り取り手札へ加える。教わっていない者の手つきには見えない。精霊と呼ばれるものは、いったいどのようにそういうやり方を習熟するのか、ミーシャは少しうらやましく思った。
再び水のルーンが一枚置かれ、終わりとなる。すぐさま自分の手番が回って来た事に、ミーシャは緩んだ気をどうにか引き締めようとする。
ミーシャの2ターン目。スタンド、チェック、ドロー。口の中で唱えながら手順を踏み、二枚目の光のルーンをセットする。
「メイン
板の上へカードを進めると、ミーシャの足元の暗がりに、金の縁が剥げかけた円い遊技のチップが一枚、ふわりと浮かび上がった。両の手のひらほどの大きさで、長く使い込まれたくたびれた艶がある。
『すり減ったカジノチップ』
コスト:〈2〉
タイプ:機械
・すり減ったカジノチップはステイ状態でフィールドに出る。
・〈T〉:〈光〉を加える。
ルーンと同じく、マナを生んでくれる機械。ただしステイ状態で場に出るため、置いたこのターンには仕事をしない。派手さは無いカードだが、次のターンからは毎ターン一枚置けるルーンに追加して一つ多くマナが使えるようになる。
とにかく使えるマナを増やすこと、というのはシラベとミトラが共通して言っていたことだった。その教えに従うことで、ミーシャは自身の展開に向けて一歩先に進んだ。
「ターンエンド、です」
写し身の3ターン目。三枚目の水のルーンが置かれる。今度はそれで終わりではなかった。
石の指が手札から一枚を抜き、こちらへ表を見せないまま──裏向きのまま、板の脇へ横たえたのだ。
「……えっ。えっと?」
困惑する声を無視して、カードの動きに応じて写し身の前に簡素な像がせり上がる。写し身と同じく石造りのようで、そのデザインは手足じみた棒がついているものの、ぱっと見では人とも柱ともつかない、のっぺりとした立像だった。
ミーシャはまばたきを繰り返した。裏向き。カードを裏向きのまま場に出すやり方なんて教わっていない。なんだあれは。どういう効果なのか。自分も出来るものなのか。
『しっかりなさい。ちゃんと、よく見て』
唐突に凛とした叱責が飛んできて、ミーシャの背筋がぴんと伸びた。慌てて裏向きのカード──そしてせり上がった立像へ意識を向け、睨むように見つめる。
ルーンの時と同じように、またその意味が流れ込んでくる。
『石碑』
タイプ:生命体
・石碑体(あなたはこのカードを、本来のコストではなく〈3〉を支払うことで、裏向きで2/2の、石碑という名前のテキストを持たない生命体として場に出せる。あなたが行動権限を持つ際、表面に記載されたコストを支払うことでこのカードを表面に返すことが出来る)
[2/2]
ルーンの時とは違う文章に面喰らうミーシャ。長い括弧書きは淀みなく頭に流し込まれたものの、それが咀嚼出来るとは限らない。それでも、これが生命体であること、攻撃と守備が2であることだけは分かった。いまはそれで十分だと思うことにする。
裏向きとなったカードの正体が何なのか。シラベであれば罠は掛かってから踏み潰すものと気にせず、ミトラであれば経験から候補を考え損得まで軽く見積もる。だがミーシャには割り切りと経験、そのどちらも乏しい。正体の知れない存在に不安を感じるほかなかった。
それにしても、とミーシャは周囲を見やる。先ほどの声はどこから聞こえてきたのだろう。レディ・ローマの声だったように思うが、あの人はうまくやりなさいと言い残して消えてしまったはずだ。てっきり装置に戻ったのか、あるいはデッキの中から見守ってくれているのかと思っていたけれど。
まさか、と視線が自分の山札へ向かう。気のせいだろうか。山札の一番上のカードが、いま、わずかに動いた気がした。
ミーシャの3ターン目。カジノチップとルーンのスタンドを確かめ、チェックを済ませ、ドロー。
引き当てた一枚を見て、ミーシャは手を止めた。
長銃を構えた婦人の絵。『賭博都市の女帝、レディ・ローマ』──たったいま思い浮かべたばかりの、あの人のカードだった。
『よく分からないカードや効果が来ても、落ち着きなさい。なんなら、相手に聞けばいいのよ。店の対戦スペースでも、そうしているお客は居たでしょう?』
手札の中から声がした。声そのものに驚くよりも、内容の方がミーシャを怪訝にさせた。
言っていること自体は納得だ。分からないことを尋ねるのは店の手伝いでもよく言われている。お客の間でも「確認いいですか」という言葉と共に快く行われているのは何度も見てきた光景でもある。
だが、今の状況だとどうなのだろうか。対面のあれがまともに口を利いてくれるとはミーシャには思えない。
それより、何より。豪奢な巻き髪に長銃、ドレスに翼という、女帝の名に恥じない威容を持つ女性だというのに、聞こえてくる話はどうにも、店番の合間の世間話めいて所帯じみている。
なんとも言えない気持ちになるミーシャ。この人、もしかして常日頃から、ショーケースの中で店の様子を窺っていたのだろうか。ルールを教わっていたことを知っていたのも、もしかして。
『ほら。手が止まっているわよ』
「は、はいっ」
とにかく、いまは自分のターンだ。ミーシャは三枚目の光のルーンをセットし、それからチップに指を載せる。
「チップをステイして、マナを出します。ルーンと合わせて……4マナ。まず、機械カード『射幸の煽り看板』を設置します」
宣言と共に、暗がりから極彩色の看板がせり上がった。大きな矢印と、意味までは読めない横文字の電飾が、ちかちかと目に痛い明滅を繰り返す。
『射幸の煽り看板』
コスト:〈2〉
タイプ:機械
・プレイヤーが光属性のカードを使用するたび、あなたは1点のライフを得てもよい。
光属性のカードが使われるたび、ライフを1点得られる置物だ。光属性のデッキなら、きっとこれは早く出すべきなのだとミーシャにも分かる。
「続けて……『跳ね煽るバニーガール』を、フィールドに出します」
看板の前へ、長い兎の耳の飾りを付けた青髪の娘が、ぽんと跳ねて現れた。肩も脚も胸の上半分も出した、目のやり場に困る衣装をしている。ミーシャは少しだけ視線を逸らした。
『跳ね煽るバニーガール』
コスト:〈1〉〈光〉
タイプ:生命体
・飛翔
・〈T〉:攻撃かブロックする生命体1体を対象にする。ターン終了時までそれに+1/+1の修整を与える。
[1/1]
「え、えっと……看板の効果で、ライフを1点もらいます」
バニーガールは光属性のカード。置いたばかりの看板が、待っていたようにちかりと瞬いた。
20→21
ミーシャのそばに浮かぶ薄青いライフの表示が、20から21へと数字を増やす。回復という効果の軽重はミーシャには分からないが、たった1点でも少し安心感がある。
「ターンエンド、です」
写し身の4ターン目。四枚目の水のルーンが置かれ──そして、のっぺりとした石の像が動いた。
生命体として出現していた立像が、ずずりと前へ出る。攻撃の宣言。狙いは当然、ミーシャ本人だ。
止めようと思えばバニーガールで止められる。だが、とミーシャは考える。あちらの大きさは2。バニーガールは1。ぶつければ効果を使っても相討ち──違う。生命体は出たターンから自分のターンの最初に戻ってくるまではステイさせる効果を使えないので、一方的にやられてしまう。
2点のライフを惜しんで、出したばかりの手駒を失うのはきっと損だ。ここは怖がるところじゃない。
「と……通します」
宣言と同時、石の立像がミーシャの眼前へ迫り、見えない障壁を打つ。がん、と鈍い震動が眼前で起こっただけのはずなのに、骨まで届くような気がした。
21→19
痛みはない。ないのだが、心臓には悪い。ミーシャは豊かな胸を押さえて息を整えようとする。バニーガールが心配そうに顔を覗き込もうとしてくる仕草が少しだけ可愛らしかった。
攻撃を終えても写し身の盤は光を失わず、ターンを手放さないのが伝わってくる。石の指が、手札から新たな一枚を抜いた。四つのルーンが淡く光り、マナがそのカードへと吸い上げられていく。
写し身のフィールドの一角に、水音と共にそれは現れた。
絶えず溢れ出す水飛沫を身に纏った、下半身に魚を持つ妖艶な美女の彫刻。石で出来ているのは先ほどの立像と同じなのに、纏う水だけが本物のように流れ、跳ね、暗闇の中できらめいている。彫刻の周りには、ひときわ大きな水の珠が三つ、ゆっくりと巡っていた。
「それは……」
『あれは──』
ミーシャとレディ、二つの声が同じ驚きに染まっている。
ミーシャにはその姿に見覚えがあった。おそらく店の様子を窺っているレディもそうだとミーシャは察した。カードそのものではない。その絵柄──水を纏った、魚の尾の美女。
両親が祭りのくじの一等に入れていた、最新弾のパックボックス。その包みに大きく描かれていたイラストが、確かこの姿をしていた。カードを嗜まないミーシャでも覚えているくらい、店に貼られたポスターで幾度も目にした絵だ。
そしてあのポスターには、新しいカードの種類が加わるとも書いてあった気がする。どういうものなのかミーシャは詳しく知ろうとしなかったし、両親もたしか、渋いだの何だのと言っていた気がする。
見つめると、長い、長い文章が流れ込んできた。
『マァツ・ブラフマの儀式』
コスト:〈2〉〈水〉〈水〉
タイプ:渡界法
・このカードがフィールドに出た時、
・この能力は自分のターン中、メイン位相の間に一回のみ起動出来る。以下の能力を選び、ACを増減させてから能力を起動する。この際、ACの数値が0未満になるよう指定出来ない。
・+2:プレイヤー1人を対象とし、そのライブラリーの一番上のカードを見る。そのカードをそのプレイヤーのライブラリーの一番下に置いてもよい。
・0:カードを3枚引き、その後、あなたの手札からカード2枚を望む順序であなたのライブラリーの一番上に置く。
・−10:プレイヤー1人を対象とし、そのプレイヤーのライブラリーのすべてのカードを追放する。その後、そのプレイヤーは自分の手札を自分のライブラリーに加えて切り直す。
(・他のプレイヤーは、渡界法カードをコントロールするプレイヤーを攻撃する際、攻撃対象としてプレイヤーの代わりにその渡界法カードを選んでも良い。ブロックされなかった渡界法カードへの攻撃は、渡界法カードへのダメージとして処理する。)
(・渡界法カードにダメージが与えられる場合、そのダメージの数値分、ACを減少させる。)
(・渡界法カードは乗せられているACが0になった場合、ただちに墓地へ送られる。)
「……………………は?」
目が回りそうだった。流れ込んでくるそばから文章が頭の入り口で渋滞していく。
なんだこれは。タイプの欄には「渡界法」とある。聞いた事のないものだ。ポスターに書いてあった新しい種類とはきっとこれのことなのだろう。それは、まぁ、いい。
だがそれ以外はなんなのだ。ACというものを増やしたり減らしたりして、いろいろなことをする。カードを見たり、引いたり、追放したり。これのうち、どれか一つを相手は自分のターンで一回行えるということなのか。
カード一枚にこれだけの効果が詰め込まれているなんて、こんなことが許されていいのか。ミーシャの喉は、いつの間にか乾き切っていた。
『ふんっ。こんなもの、恐れる必要ないわ』
思考が半ば停止していたミーシャの手札の中から、レディの声が言い切った。
『よく見なさい。確かに毎ターンで起こせる行動は多いけれど、どれも戦いの場に出ているカードに及ぼすものではないわ』
「それは……たしかに」
『その上、渡界法? あの新参者、殴れば壊れると書いてあるのよ。安心しなさい。私のデッキは飛翔を持つものばかり。攻撃を通すのは簡単よ』
そこまで言われてミーシャの中の混乱も落ち着いて来る。確かに、攻撃すれば壊れるのであれば話は単純だ。攻撃を通す手段があればなお良しと言える。
だけど、本当に? か細く抱いた疑念を、自分よりも
『だから、いいこと。早く私を場に出しなさい。そうすればあんな儀式、粉みじんよ』
「……」
ミーシャは、じっとレディのカードを見た。
『賭博都市の女帝レディ・ローマ』
コスト:〈5〉〈光〉〈光〉〈光〉
タイプ:生命体
・飛翔*1・早撃ち*2・監視*3・貫通*4・即時行動*5・固有領域(火)、固有領域(闇)*6
[6/6]
頼もしい言葉の並びだ。飛翔、早撃ち、監視、貫通。強そうな言葉がこれでもかと連なって、性能の数字も場にいる者たちとは比べものにならない。
だが。ミーシャはカードの隅のコストへ目を移した。〈5〉〈光〉〈光〉〈光〉。
指を折って数える。合わせて8。場にあるルーンを見る。チップを見る。
ミーシャは何も言わず、深々と溜め息を吐いた。
『何よ、その態度』
「……次のターンにルーンを置いても、まだ5マナです。レディさんは出せません」
『そんなの分かっているわ。すぐ出せって話じゃあないの』
心外だ、と言わんばかりに声が返ってくる。
『どうせ殴れば壊れるものなんだから、私に任せなさい。まぁ、私のデッキなのだから、私が出る前に挽き潰しても良いけれど』
「はぁ」
最速でレディが出たとしても4ターンは掛かる。つまり4回、いや、このターンも含めれば5回はあの渡界法は動かすことが出来てしまう。それはとても、まずいのではないだろうか。
ミーシャに燻る焦りとは真逆で少しも揺らがない自信満々の声に、ミーシャはどこか、レヴェローズの面影を重ねてしまった。