写し身の石の指が、据えたばかりの『マァツ・ブラフマの儀式』のカードに掛かった。
応えるように、水を纏う彫刻がざわりと震える。飛沫が扇のように高く舞い上がり、写し身の山札の上へ細かな雨となって降り注いだ。
すると、山札の上から三枚のカードがひとりでに滑り出て、宙を渡って写し身の手のひらへと収まっていく。
写し身は増えた手札をしばし検分し、やがてそのうちの二枚を選び出して、山札の一番上へそっと重ねて戻す。
『儀式』にあった「0」の項の効果だ、とミーシャは思い返す。カードを三枚引き、その後、手札の二枚を望む順序で山札の一番上に置く。
つまり写し身はいま、次に引く二枚を自分で決めた。いや、それだけではない。3ターン先のカードまでを見通し、そこから必要なものを手札に収められたことも大きい。ミーシャは自分の手札四枚を見返すが、そこにドローの効果を持つカードはない。機械カードのお陰でルーンを一つ分多くしているものの、相手の方が見ているカードの範囲が広い。
カードの引きは運だ。シラベは対戦のたびに引きの良し悪しへ一喜一憂していたし、ミトラは無表情を装っていても、嬉しい時はミーシャにもなんとなく汲み取れた。デュエルスペースのお客たちも、皆そうやって笑ったり唸ったりしていた。
その部分をこうも先まで見通し、自分で舗装していくような効果。これが毎ターン起こる可能性があるのか。ミーシャの背がうっすらと冷える。
手札を五枚に整えた写し身は、静かに手を引いた。盤の明かりが一段翳る。ようやく写し身の4ターン目が終わったのだった。
ミーシャの4ターン目。
「ス、スタンドします」
掠れた声を、咳払いひとつで整える。ステイしていた光のルーンとチップのカードが縦に戻り、座り込んでいたバニーガールが耳の飾りを揺らしながら小さく跳ねた。
「チェック。ドローします。……光のルーンをセットします」
引いた一枚を手札へ差し込み、続けて四枚目の光のルーンを板の脇へ置く。
それから、ミーシャは正面を見た。三つの水の珠を巡らせているあの彫刻は、珠が揃えばほとんどゲームを終わらせるような効果を持っている。
『私としては無視していいと思うけど。結局、相手を倒さなければ勝てないのだし』
手札からレディの声が届く。迷うミーシャには、その言葉も正しいような気がした。バニーガールの攻撃力では一個ずつしかACを減らせない。それよりも、勝ちに近付くために1点でも多く相手のライフを削っておいた方がいいのではないか。
でも、しかし。儀式に攻撃しなければACは減らず、延々と0効果を使い続けるかもしれない。もちろん、山札のトップを見透かす+2効果を使われても強いと思うが、0効果を安心して使われ続けるのも危ない気がする。
手札のカードとも見比べ、考える。うまく行けば次のターンであの儀式は破壊出来るかもしれない。それならば、とミーシャは決心した。
「攻撃位相に入ります。バニーガールで攻撃、対象は、プレイヤーの代わりに……『マァツ・ブラフマの儀式』を選びます」
指名されたバニーガールがひとつ跳ねて、向かう先を写し身から儀式の石像へと定める。いま相手の場には、飛翔を持つバニーガールを止める能力を持つものはいない。
「何も無ければ、ダメージ計算に入ります!」
宣言に応じる動きを写し身は見せなかった。助走を軽く付けたバニーガールは足元を蹴り、宙を蹴り、石碑を越えて小さな体がまっすぐ彫刻へ飛び込み──巡っていた水の珠が庇うように割り込んで、ぱしゃんと弾けて散った。
石像を巡る珠はこれで二つになった。渡界法へ与えた傷は、その分だけACの数を減らす。これがその様子を示したものなのだろう。
びしょ濡れになって自分の場に戻って来たバニーガールを確認してから、ミーシャは宣言を続ける。
「戦闘後のメイン位相に移ります。ルーン四枚と、チップで──5マナちょうど、です。生命体カード『君臨する裁定者』を使用します」
宣言に応えて、ミーシャの場へ羽ばたきの音と共に人影が舞い降りた。
美しい女の人だった。身に着けているのは肌の見える面積がやたらと広い、バニーガールとお揃いのコスチューム。腰の後ろからは黒い羽根が二対伸び、長い黒髪は頭の高いところでひとつに束ねられている。先に出ているバニーガールと違って短い上着を一枚羽織ってはいるものの、胸元の見事なふくらみまでは隠し切れていなかった。
『君臨する裁定者』
コスト:〈3〉〈光〉〈光〉
タイプ:生命体
・飛翔
・監視
[4/4]
攻撃も防御もいま場にいる全てより高い性能を持ちつつ、飛翔を持ち、なおかつ監視能力、つまり攻撃してもステイ状態にならないという攻防併せ持つ生命体。
コスト的にもレディよりよほど頼りになるとミーシャはなんとなく思っていたが、それを言葉や態度に出すことはない。
このカードがあれば、『マァツ・ブラフマの儀式』は次のターンに+2効果を使ったところで乗っているACは4つ。攻撃を通せば破壊しきれる。だからこそミーシャはバニーガールでの攻撃をそちらに回すことを決断出来た。
そんな裁定者だが、なぜだかミーシャの目には、もじもじしているように見えた。上着の裾を引き下げてみたり、羽根を居心地悪そうに畳んでみたりと、落ち着きが無い。
そういえば、と置いたカードへ目を落とす。絵柄の中の彼女もどこか頬を染めて、困ったような目をしていた気がする。
『ああ、その子?』
疑問を掬い上げるように、手札から声が弾んだ。
『その子はね、元々うちの都市に居た子じゃないのよ。ふらりと流れて来た、旅人のような人でね』
「は、はぁ」
『ちょうど路銀に困っていたようだったから、私が声を掛けてあげたの。うちのカジノで働いてみない? って』
「……それで、あんな格好に?」
『うちの店に立つからには、華やかさがいるもの。だから、その衣装に着替えてもらったのよ。このカードの絵は、その時のを切り取ったものね』
レディの声は心の底から嬉しそうだった。懐かしい記憶を思い返しているのだろうか。
「はぁ……」
ミーシャはというと、気の無い返事しか出て来ない。対戦の最中だから、というのもある。だがそれ以上に、聞けば聞くほどレディの女帝として振る舞っていた部分が見えてくるようでこの人のことをどう思えばいいのか分からなくなっていた。
ミーシャは記憶を掘り起こす。『君臨する裁定者』という名前には覚えがあった。店の棚か、お客の対戦か、どこかでちらりと見掛けている。ただ、こんな絵柄ではなかったはずだ。もっと堂々とした凛々しい絵だった気がする。
同じカードでも絵柄の違う刷りがあるというのは、店の手伝いの中で聞いた話だ。きっとそういうものなのだろう。ミーシャはそう呑み込んで、それ以上は考えないことにした。
「あ。看板の効果で、ライフを1点もらいます」
裁定者は光属性のカードだ。ミーシャの宣言に続くように、看板の電飾がちかちかと光ってみせる。
ミーシャのライフ:19→20
「ターンエンド、です」
出したばかりの裁定者はこのターンはまだ動けない。ミーシャはそのままターンの終わりを宣言する。
写し身の5ターン目。
ドローをしたカードがそのまま、五枚目の水のルーンとして場に置かれる。
そして、儀式がまた動いた。空いた軌道の上で新しい水の珠がふた粒、ゆっくりと膨らんで生まれ、巡る列へ加わっていく。
+2効果の処理だ。ミーシャがそこへ思い当たったのと、写し身の顔の空洞がこちらを向いたのは、ほとんど同時だった。
正しくは、ミーシャ本人ではない。空洞が向いた先は、ミーシャの山札だった。
山札の一番上の一枚が薄い水の膜に包まれて、ひとりでに浮かび上がる。
「え……」
止める間もない。カードは宙を渡り、写し身の空洞の前で止まる。写し身だけがそれを検分していき、やがてカードはするりと、ミーシャの山札の一番下へと潜り込んだ。
ミーシャは目を見開いたまま、それを見送るしかなかった。
プレイヤー1人を対象とし、その山札の一番上のカードを見る。あの項にはそう書いてあった。しかしミーシャはその効果を、写し身が自分の山札を覗くための力だと思い込んでいた。違う。あれは対戦相手を──ミーシャのことも選べるのだとようやく気付く。
いま送られた一枚は何だったのだろう。ただのルーンならいい。けれど、もし。いまの盤面をひっくり返せる一枚だったとしたら。
山札の一番下なんてこの対戦の間にまず辿り着けない場所だ。そこへ送られたカードはもう無いのと同じになる。
答え合わせは出来ない。知っているのは写し身だけだ。
三枚も引ける「0」に比べたら、一枚覗くだけの「+2」はずっと大人しいとミーシャは思っていたが、考えを改める。ACを増やして自分は頑丈になりながら、こちらの引くカードを選別することが出来るとは。どちらが嫌な力なのか、もう分からなくなっていた。
考え込む間にも、写し身の手は止まらない。手札から新たな一枚が抜かれ、五つ並んだルーンのうち四つが順に瞬いて、マナがそのカードへと注がれていく。
重い水音を立てて、写し身の場にそれは迫り上がった。
巨大な石の亀。その甲羅を土台に太い石柱がそびえ、柱の面には厳めしい顔のようなものが彫り込まれている。見上げるほどの巨体が、亀の土台ごと宙に浮いていた。
意匠は『マァツ・ブラフマの儀式』に似ているだろうか。ああ、とミーシャは察する。これもきっと、儀式のカードの仲間なのだろう。同じく最新弾に入っているかは分からないが、脊界が同じ存在はデッキでも親和性が高いということはミーシャも知っている。
『クゥルマの石柱神像』
コスト:〈2〉〈水〉〈水〉
タイプ:生命体
・飛翔
・各ターン、あなたの最初のカードを引くに際し、あなたはそれを公開してもよい。これにより戦術か戦略であるカードを公開するたび、あなたはそのカードの複製を使用してもよい。
・クゥルマの石柱神像が死亡するかフィールドから追放領域に置かれたとき、あなたはこれを持ち主の山札の一番上から3枚目に置いてもよい。
[4/5]
今度の文章は儀式ほど長くはない。それでも、ミーシャがそれを読めるのと呑み込めるのとは別の話だった。引いたカードを見せるとその複製が使える? 倒しても山札に戻る? なんだそれは。言葉としては分かるが、そんなインチキみたいな効果は大概にして欲しい。
ともかく分かるところだけ拾うことにする。飛んでいて、サイズは裁定者より少しだけタフ。今はそれだけでいいとミーシャは割り切った。
写し身は攻めては来なかった。裏向きのカードである石碑は盤の隅に立ったまま、前へ出て来る気配もない。攻撃力が2の石碑が踏み込んだところで裁定者に打ち取られて終わってしまうし、出たばかりの神像は言うまでもない。
盤の明かりが翳り、ミーシャに手番が渡って来る。
ミーシャの5ターン目。
「スタンド。チェック。ドローします」
手順の声出しは、気付けばずいぶん滑らかになってきた。引いた一枚を確かめて手札へ収め、五枚目の光のルーンをセットする。
それから先は迷わない。前のターンから決めていたことだ。
「攻撃します。裁定者で、『マァツ・ブラフマの儀式』を対象にします」
裁定者が前へ滑り出る。もじもじしていたのが嘘のように、髪の一房を剣のような形に変えて構えてみせた。
攻めに出ても彼女はステイしない。レディのカードにも並んでいた「監視」能力はやはり強い、とミーシャは確信する。
ミーシャの宣言に合わせて、写し身の腕が指揮を執るように動いた。
石柱神像が甲羅の土台ごと重々しく滑り出し、裁定者の行く手へ割り込む。飛翔を持つ者は同様に飛翔を持つ者であれば止めることが出来る。
数値上は4/4と4/5。正面からぶつかり合えば砕けて落ちるのは裁定者の方──このまま、なら。
「レ、レスポンス! バニーガールをステイして、効果を発動します! 対象は、攻撃している裁定者です!」
バニーガールが高く跳ね、裁定者の背へ淡い光を振り撒いた。
4/4が、5/5へ。
直後、巨体と人影が宙でぶつかった。
圧し潰すような石柱の一撃を、裁定者は身を捻って受け流す。返す剣の一撃が光の尾を引いて石柱に叩き込まれ、鈍い響きを残して神像が砕け散った。
やった、とミーシャの声が出かけた。しかし、砕けた破片は地へ落ちる前に宙でぴたりと止まった。
無数の欠片が残された亀へ寄り集まり、そのまま亀ごと一枚のカードの形へと編み直されていく。現れたカードの幻影は盤面のカードと重なり合ってから写し身の山札へ飛んで行き、上から一枚、二枚、三枚目の位置へ音もなく差し込まれた。
せっかく倒した敵がまたデッキの中に戻った事に対するもどかしさはあった。だがそれでも、とミーシャは気を取り直す。裁定者もバニーガールも失っていないし、なによりマナはまだ残したままなのだ。
ミーシャは手札から、一枚を抜き出した。
「戦闘後のメイン位相です。ルーン五枚とチップで6マナ。ぜんぶ使います」
息を吸う。
「『天獄の金庫番』を──」
その瞬間。写し身が、初めてミーシャのターンに動いた。
ステイしていた水のルーンが一枚、写し身の手札へと吸い戻されていく。入れ替わるように、石の指の間で一枚のカードが翻った。
ミーシャが読もうとするより先に、意味の方から流れ込んでくる。
『水飛沫』
コスト:〈1〉〈水〉
タイプ:戦略
・このカードは、コストを支払う代わりに、あなたのフィールドにある『水のルーン』1枚を手札に戻すことでも使用出来る。
・カード1つの使用を対象とする。その使用者が〈1〉を支払わない限り、それを打ち消す。
使用者が〈1〉を支払わない限り打ち消す。1マナ。たったの1マナだが、6マナのカードを出そうとしたいまのミーシャに出せるマナは一つも残っていない。
宙に留まっていた金庫番のカードが、どこからともなく噴き上がった水に呑まれていく。飛沫が晴れた時、そのカードは、ミーシャの墓地領域に静かに横たわっていた。
心臓が、遅れて速く鳴り出す。使用そのものを打ち消す札があることは知ってはいたが、ただ知っているだけなのといざ自分がされるのとではこんなにも印象が違うのか。
ミーシャの傍らで、看板だけが律儀に瞬いた。
ミーシャのライフ:20→21
打ち消されても光属性のカードを使ったことに変わりはない。単なるカードの挙動に過ぎないが、今のミーシャにはそれが慰めてくれているように思えた。
『ま、相手が水属性なら、ああいう横槍はお約束みたいなものよ。仕方ないわ。あんまり気を落とさないで』
「……はい」
ミーシャは、それだけを返した。
『…………』
手札の声が、ふつりと途切れた。ややあって、『大丈夫なの?』という怪訝そうな響きが漏れ聞こえる。声を掛けた側からすれば、あまりに素っ気ない返事だったらしい。
ミーシャは聞いてはいた。ただレディ・ローマが思うほど落ち込んでおらず、頭を回すことに精一杯になっていた。
考える。次のターン、写し身はきっと、あの「0」を使う。三枚引けば、山札の三枚目へ差し込まれた石柱神像は写し身の手札へ戻る。ルーンは一枚手札へ帰ったが、置き直せばあの神像を出し直すマナはまだ残っている。神像は即座に場に出せるだろう。
そうなれば、次の攻撃もまた同じように塞がれる。神像は砕け、また山札。その次もきっと同じ。
もちろん、ずっと同じままではない。ターンの初めにはお互いに一枚ずつカードを引くし、いつかこの釣り合いを崩す時が来る。
それでも、いまは、ミーシャの場のカードたちはあの置物と神像に止められている──そして、同じだけ、写し身のことも止めている。石碑は裁定者が立っている限り前へ出られないし、神像は盾になる以外の仕事をさせてもらえない。それに、あの置物の力は一つのターンに一度きり。神像を拾いに「0」を使う間は、ACが増えることも、こちらの山札を覗かれることもない。
押しても引いてもすぐには崩れない。奇妙な綱引きのような釣り合いの上に、いまこの盤は乗っている。
奇妙なバランスを最初に感じ取ったのは理屈ではなかった。金庫番が呑まれた時、悔しさと一緒にふと、拮抗してしまう、と思っていた。
直感の中身をひとつずつ、順番に、自分の頭で並べ直して、自分の言葉に出来て──ようやく、腑に落ちた。
その途端、ミーシャは、自分でもよく分からない何かが胸の底で小さく浮き立つのを感じた。
思えば、『水飛沫』のカードもそうだ。これを撃つタイミングは、今でなくてもあったはずだ。先んじて『裁定者』に対して撃っていればまた状況は変わっていただろう。写し身は三枚引いて二枚戻す動作をしていた。あの一枚は、たまたま前のターンに引き当てたものではないはずだ。考えられるのは『裁定者』にも撃てたが、あえて見逃したという線。『裁定者』の攻撃であれば手札にある『石柱神像』で止めることが出来ると判断したから。あるいは、次に来るかもしれない『裁定者』以上の生命体カードを警戒したのかもしれない。
どんどんと、ミーシャの中で思考が回る。この考え方が正しいのかは分からない。それでも、まるで今まで血が巡っていなかった部分が脈を打つような火照りを感じる。自分が考えているように、相手も考えてカードを出している。相手の考えを考えようとすると、カードの動きの理屈が見えてくる気がする。どこまでも考えられる。
(カードゲームって、面白いのかもしれない)
「ターンエンドです」
内に育ちつつある熱を持て余しながら、ミーシャは終了の宣言をした。