21 ったく、どいつもこいつも
『ボトムレスピット』での住み込み生活が始まって、早一ヶ月。
押江シラベの一日は、物理的な圧迫感と共に幕を開ける。
「……重い」
「む……もう朝か契約者。あと五分……いや、十分寝かせろ……」
「寝るのは勝手だが、俺の上で寝るな」
シラベは呻き声を上げ、体の上に乗っている質量──レヴェローズ・ドゥブランコを無理やり引き剥がした。
薄暗い六畳間。かつては段ボールの山だった倉庫部屋だが、業務命令でシラベが死に物狂いで片付けた結果、どうにか人が住める空間になっている。
そこに敷かれたせんべい布団の中に、総督閣下は当然のように潜り込んでいた。
彼女の服装は以前の煌びやかな軍服ではない。近所の激安衣料品店でシラベが買い与えた無地Tシャツとスウェットのショートパンツだ。コスプレじみた正装よりはマシだとシラベは納得しようとしているが、布一枚越しに伝わる豊満な肉体の弾力は軍服時代よりも破壊力を増している。
「我々も部屋に置いてくれれば良いのに。廊下は寒くてかなわん」
「文句言うな。部屋をもらったのは俺だぞ。お前じゃない」
「まったく。総督に対して支給品が寝袋一つとは、待遇改善を要求するぞ……ふぁあ」
レヴェローズは欠伸をしながら、シラベの布団から這い出した。
彼女と姉のカルメリエルには個室がない。二階の廊下の突き当たり、在庫の段ボールに挟まれた僅かなスペースに寝袋を並べて寝起きしているのだ。
精霊とはいえ廊下の硬さ寒さは堪えるらしい。だからといって、主人の布団に夜這いをかけるのは如何なものか。
シラベは寝間着である着古したジャージから落ち着いたデザインのポロシャツに着替えて部屋を出た。廊下には、もう一つの寝袋──カルメリエルのものがあるが、既に中身は空だった。あの聖女は朝が早い。
顔を洗ってから階段を降りて一階の店舗部分へ向かうと、香ばしいコーヒーの香りと共に、奇妙な光景が広がっていた。
「じっとしてくださいまし、ミトラ様。髪が絡まっておりますわ」
「痛い、引っ張んな。……朝から面倒じゃん、こんなの」
「身だしなみは貴婦人の基本です。さあ、今日も美しく整えましょうね」
営業中はカードゲームのプレイスペースとなっている長机が並んだエリア、そこの椅子にミトラが座らされて、背後に立つカルメリエルに髪を梳かされていた。
ボサボサだったミトラの黒髪は、毎朝のこの儀式のおかげで天使の輪が浮かぶほど艶やかになっている。服装こそ相変わらず黒パーカーにトレンカというスタイルを貫いているが、顔色は以前の不健康な青白さが抜け、血色が良くなっていた。
その手入れの様子は端から見ていると、世話を焼く祖母と鬱陶しがる反抗期の孫の図のようだ。
「あ、おはようシラベ。ちょっと遅くない?」
ミトラがシラベを睨むが、いつものことなのでシラベは動じない。
「まだ八時だぞ。開店まで二時間ある」
「朝ご飯。おなか減った」
「へいへい。今作るよ」
シラベは溜息をつき、踵を返して二階のキッチンへと向かった。
先月まで働いていたベテラン店員の甲賀サブロウは、田舎でカフェを開くという夢を叶えるために退職した。結果、この『ボトムレスピット』の業務は、事実上シラベのワンオペ状態となっていた。
店長であるはずのミトラは非正規社員として精霊を働かせつつ、それ以上労働状態を改善するつもりはなく、完全にシラベを依存先に定めたらしい。
冷蔵庫からベーコンと卵を人数分出しながら、シラベは苦笑する。
こき使われている自覚はある。だが、住む場所があり、飯が食えて、カードに触れられる。最底辺を彷徨っていた一ヶ月前に比べれば、ここは天国に近いぬるま湯だった。
午前十時。開店の時刻。
シラベがシャッターを開けると同時に、近所の小学生たちが数名雪崩れ込んできた。
「おっちゃん! 新弾のパックちょうだい!」
「おっちゃんじゃねえ、お兄さんだ。ほら並べ」
レジ打ち、品出し、たまの買い取り査定。シラベは手際よく業務をこなしていく。元々常連だっただけあり、カードの知識は豊富だ。接客も、相手がガキかオタクなら気負う必要もない。
そんなシラベの背後、バックヤードに通じる暖簾の向こうでは、働き者と働かざる者がそれぞれの時間を過ごしていた。
「……ふむ。先月の売上、消耗品費の計上が雑ですわね。修正しておきます」
「任せた」
事務机に向かっているのは、修道服姿のカルメリエルだ。
彼女は現在、店の経理と在庫管理を一手に引き受けていた。「死んだ資源を再利用する」という彼女の特性は、乱雑なストレージ整理や帳簿の穴埋めに遺憾なく発揮されている。おかげで店の経営状態は可視化され、無駄な出費が減ったらしい。
その横でミトラはせんべいを齧りながらスマホで動画を見ていた。名目上はカルメリエルの監視らしいが、既にこの聖女の様子が沈静化したのは誰の目にも明らかだったため、無為に時間を潰す口実に過ぎない。
そして、もう一人の居候は。
「契約者よ。パトロールの時間だ。軍資金を寄越せ」
Tシャツ短パン姿のレヴェローズは、レジカウンターの横からぬっと手を出してきた。シラべは長く溜め息を吐く。
「……昨日渡しただろ」
「あんなはした金、クレープ一つで消滅したわ! 今日は商店街の肉屋でコロッケの新作が出るという。三百円……いや、五百円は必要だ」
「お前な、俺の給料はまだ出てねえんだぞ」
シラベは渋い顔をしながらも、財布から五百円玉を取り出して渡した。
「感謝する! 戦果は期待して待て!」
レヴェローズは満面の笑みで敬礼し、風のように店を出て行った。
最近の彼女の日課は近所の散歩と買い食いだ。その圧倒的なプロポーションとラフな格好のギャップは近所でちょっとした評判になっているらしい。外人のモデルさんと勘違いされてよくオマケをもらっていたり、写真を撮られていたりと、実体化出来る事を最大限利用していた。
本人は「現地民との友好関係の構築」などと言い張っているが、単に餌付けされているだけだとシラベは見抜いている。
「シラベー。在庫の補充まだー?」
暖簾の向こう側からミトラの間延びした声が響く。
「今やってますよ! ……ったく、どいつもこいつも」
シラベは忙しなく動き回る。だが、その足取りは不思議と重くはなかった。
午後。店内では週末恒例の店舗大会が始まっていた。
狭いデュエルスペースは、初参加の子供たちや、仕事休みの社会人プレイヤーで埋め尽くされている。
その熱気の中に、見慣れた二つの影があった。
「俺のターン! 『ウッディエレメント』で攻撃!」
「甘いな少年! その程度の攻め、我が『伝結晶』防衛線で粉砕してくれる!」
卓の一角で、レヴェローズが小学生を相手にカードを回していた。
彼女が握っているのはかつてシラベとの対戦で使っていた『伝晶潤滑剤』デッキ。地方大会でも時折結果を残すこのデッキを、何故レヴェローズが己のデッキと定めているのかシラベは不思議だったが、そんな疑問も何のそのとレヴェローズは好き放題やってくれている。
彼女の豊満な胸がテーブルに乗るたび、対面の男子中学生たちが目のやり場に困ってプレイミスをするという盤外戦術も無自覚に発動していたが、それを注意するほどシラベは奥ゆかしくない。若者には夢を与えるべきだ。
「あー、そこ処理ミス。タイミング逃してる」
「えっ。でも行動権限ってカードプレイしたり起動するたびに移るんじゃ……?」
「ルーンのプレイは特殊な処理だから普通のカードみたいにプルガ乗らないの。だから行動権限も移らない」
「プルガ……?」
「プルガトリオ……って、そういえばこれもう使ってない用語だっけ。今だとえーっと、ライフォだっけ? 後入れ先出しのあれ」
別の卓では、パーカーのフードを目深に被ったミトラが大人げなく参加していた。どうやら世代差の言葉の壁にぶち当たりながらも、盤面は制圧済らしい。
使用デッキはガチガチのコントロールデッキ。相手の高校生が苦悶の表情を浮かべるのを、死んだ魚のような目で眺めながら、淡々とロックを完成させていく。
店長が客に混じって狩りをするなと言いたいが、彼女にとってはこれが一番のストレス解消だという。良くない。
「はい、優勝はミトラさんでーす。……空気読んでくださいよ、店長」
大会終了後、シラベが賞品のパックを渡した後に小声で言うが、ミトラはふんと鼻を鳴らした。
「結果が全てに決まってるでしょ。悔しかったら練習すりゃいいのよ」
「大人げない……」
「そう言うな契約者。私も三位入賞だぞ! コロッケ代分は稼いだ!」
「お前はお前で慎みを持てよ。稼げてねえし」
レヴェローズが店舗限定の割引クーポンを掲げて自慢してくるのを、シラベはデコピンして諌めた。
それでも崩れない笑顔を見て、シラベは「まあ、いいか」と小さく呟いた。
かつて自分が熱中し、そして一度は捨てたカードゲームの世界。
そこに、自分の相棒だったカードが、楽しそうに居座っている。
それはかつてのシラベが夢見た光景の、少し歪だが、確かな続きだった。
大会が終わって緊張感が無くなると、店内は和やかな空気に包まれる。ミトラはやることをやると二階に引っ込んでしまうが、シラベはそういうわけにもいかない。何より、こういう弛んだ時間は彼にとっての癒しでもあった。
レジの合間には馴染みの客とデッキ談義に花を咲かせ、時には短く一戦交えることもある。
かつて孤独に部屋でカードを眺めていた頃にはなかった、生きた熱量がそこにはあった。
あれよあれよと夜十時。閉店作業を終え、シャッターを下ろす。
二階のキッチンからは夕食の匂いが漂っていた。今日のメニューは、商店街でレヴェローズが値切ってきた豚こまを使った野菜炒めらしい。
シャッターを下ろしたのを見計らい、カルメリエルたちが料理を持って階段を降りてくる。
「さ、並べてくださいませ」
「はいはい」
バケツリレーのように受け渡される皿をプレイスペース用の長机に置いていく。ミトラが一人で暮らしていた時は自室に籠って食べていたが、同居人が一気に増えたことで面倒だからと一番大きな机がある一階で食べるようになり、それが習慣となってきていた。
「……ん。味、ちょっと濃い」
ミトラが文句を言いながらも、白飯を頬張る。
「そうですか? 労働の後にはこれくらいが丁度いいですわ」
カルメリエルが甲斐甲斐しくミトラのコップに麦茶を注ぐ。
「うむ! 肉が多いのは正義だ! 契約者、私の皿に肉が少ないぞ、貴様の分をよこせ」
「お前は昼にコロッケ食っただろ。野菜食え野菜」
他愛のない会話が続く。食事にそれほど固執しないカルメリエルとは対照的に、レヴェローズは段々ともりもり食べるようになってきていた。
食後。長机を拭いていたシラベに、ミトラが一台のノートパソコンを持ってきた。
「シラベ。これあげる」
「ん? これ、店の在庫管理に使ってたやつか?」
「新しいの買ったから古いのいらないの。あとこれ、業務用スマホ」
え、とシラベが驚く間もなく押し付けられる、型落ちだがまだ使えるノートPCと、格安SIMの入ったスマホ。
「……いいのか?」
「いざって時、連絡つかないと不便だし。それに、あんたが調べ物するときに電気屋の展示品でやってたってレヴェが言ってたから。そんなのみっともないから、これでやりなさい」
ミトラはそう言い終えると、そっぽを向いて店の端に置いていたストレージボックスを意味もなく弄り始める。
合理的な物言い。だがそれが彼女なりの不器用な労いであることは、付き合いの短いシラベにも分かった。
「……ありがとうございます。大事に使います」
頭を下げるシラベに、ミトラは顔を背け続けた。
深夜。
シラベは自室の布団に入り、貰ったばかりのスマホを眺めていた。
画面にはアナログ時計を模した表示が映っており、その秒針を意味もなく目で追う。
安定した生活とはまだ言えない。将来の不安も消えていない。
だが、隣の部屋からはミトラのゲーム音、廊下からは姉妹の寝息が聞こえてくる。
「……ま、悪くないか」
一廻りした秒針を見届けてから、シラベは独り言ちて目を閉じた。
明日は新商品の入荷日だ。忙しくなるぞ、と覚悟を決めつつ、彼は泥へ沈むように眠気へ身を委ねる。
数時間後、また重たい精霊に起こされることになるとは知らずに。