カスレアクロニクル   作:すばみずる

210 / 225
210 少しくらいいいか

 石段の最後の一段を上がると、頭上を覆っていた木々が途切れて夜空がいきなり広くなった。

 

 鳥居の先には古びた本堂が見える。石畳にはひび割れがあちこちに延びていて、両脇では目鼻も分からなくなった狛犬が一対並び、それでも律儀に参道を見張り続けていた。

 

 祭りの音は遠い。囃子も呼び込みも笑い声も一緒くたになり、ずっと下でくぐもっている。代わりに境内を涼しい夜風が遠慮なく吹き抜けていった。

 

「わ……涼しいなぁ」

 

 クモンが両腕を広げ、素直な声を漏らした。人混みの熱気を浴び続けた後では、山の上の風が心地よかった。

 

 その横顔を眺めながら、キリメは今日一日を頭の中で振り返っていた。

 

 昼までは会場に店を出したバイト先の手伝いだった。屋台と運営のテントを行ったり来たりして品物を届け、空いた容器を下げる雑用仕事がほとんどだったが、忙しさの割にはまぁまぁ稼げて悪くない。絡んでくる酔っ払いへの対処が普段の居酒屋バイトよりもハイテンションで面倒だった程度だ。

 

 途中で会ったカルメリエルとミーシャから受け取った水筒もありがたかった。露骨に水筒を首から下げていれば、やれ水分補給しろと絡まれずに済む。

 

 手伝いから上がった後は会館の一室を借り、持ち込んだ浴衣に着替えてからクモンと待ち合わせだ。生意気にも先んじて待っていたクモンは、キリメを見るなり目を丸くしたかと思えば似合ってるなどと言ってきた。軽口も照れ隠しも挟まない直球を放って来たのは、クモン自身も浴衣を着させられた苦労を知るからだろうか。おかげでその後の屋台巡りではずっと機嫌が良かった自覚がある。我ながら安い。

 

 射的では揃って小銭を無駄にして、りんご飴の早食いをしかけ、賭けの負け分と言い含めていたたこ焼きも奢らせた。一つの器から肩を寄せ合い二人でつつくのはひどく近い気がしたが、よく考えたら家で朝飯を食べていく時だって結構近いわけで、どこかおかしな感じがする。

 

 楽しかったが、どこへ行っても人だらけで落ち着ける場所だけはない。こればかりは仕方が無かったが、だんだんとにぎわう祭りの様子がクモンとの間を作ってしまう気がして、キリメはそこはかとなく焦りを覚えた。

 

 そんなときだった。クモンがちょっと暑いねと零したのをきっかけにして、じゃあ涼しいとこ行くかとキリメが誘い、了承を得てこの山まで登ってきていた。

 

 自分で誘っておいてなんだが、男と女が二人きりで、こんなひと気のない場所まで来て何がしたかったのか。……何を期待してしまっているのか。いやそもそも男と女などと意識するほうがおかしいのではないか。

 

「キリメ姉?」

 

 気付けばクモンが下から顔を覗き込んでいた。

 

「どうしたの、ぼーっとして」

 

 なんでもねえよ。いつもの返しが喉元まで上がってきて、キリメはそれを飲み込んだ。

 

 いつものように流せば、今日も何も変わらず終わる。それは惜しいと思ってしまった。もう少しだけ、いつもと違う時間の中にいたい。

 

「あー。ちょっと疲れたかもな。……ほら、そっちで休もうぜ」

 

 言いながら、本堂の脇を指した。建物の影に古いベンチがひとつ置かれている。

 

 並んで腰を下ろすと、乾いた木の板が小さく軋む。広くもないベンチなのに、クモンの袖は触れそうで触れない距離にあった。十分近いが、もっと近くがいい。

 

 そうだ。気持ちはとっくに固まっている。持て余しているのは、その先だ。『それ』は表に出していいものなのか。出すならどんな顔で、どんな言葉にすればいいのか。いくら考えても答えは出ない。考えたくないのかもしれない。

 

 それに──言ってしまえば、もう引き返せない。クモンがどう答えようと、今まで通りの「キリメ姉」ではいられなくなる気がする。一日一戦と決めた関係も、姉貴分と弟分という関係も、きっとそのままでは残らない。

 

 喉が渇いた。肩から提げた水筒を揺らしてみても、中から水音は返ってこない。借り物の水筒に入っていた麦茶はテントの手伝いの間に飲み干していた。どこかで飲み物を買っておくべきだったかもしれない。

 

 けれど、今ここには誰もいない。クモンと二人きりだ。呼び込みの声も、順番待ちの列も、冷やかしの目もない。

 

 祭りの喧騒が遠いせいだろうか。全てが自分たちから遠のいている、そんな想いすらよぎる。

 

 こんな時間は、もう二度と巡ってこない気がした。

 

「なぁ」

 

「何?」

 

 クモンが振り向き、キリメを見上げてくる。

 

 提灯もない境内で、クモンの顔を照らすのは月明かりだけだ。だというのに、少し開いた唇も、瞬きの間隔も妙にはっきり見える。

 

 それはよく知る顔だ。生まれた時から知っていると言っていいくらいの長い付き合いで、兄という立場に憧れ姉として振る舞うために定めた弟分の顔だ。自分の背を追い掛けて、自分と並んで走って、自分と向かい合ってカードを楽しむ子供の顔だ。

 

 子供の顔のはずなのに。見上げてくれているその顔を視界に収めた途端、自分が頭の中でこねくり回していた言い回しも、段取りも、逃げ道までまとめて消えた。

 

「好きだ」

 

 言い逃れの出来ない、はっきりとした声。気が付くと、キリメは言ってしまった。

 

 クモンがぽかんとキリメを見返している。口を薄く開いたまま動かない。いつまで待っても言葉は出てこなかった。

 

 沈黙が痛い。顔じゅうに熱が集まっていくのが自分でも分かる。やばい。耐えられない。自分の口を呪いたくなる。なんで。どうして。

 

「わ、悪ぃ。今のは──やっぱ忘れ──」

 

 最後まで言い切る寸前で止めた。

 

 違う。ここで無かったことにするなら、何のために想い続けてた。何度ベッドの上で思い悩んで、寝顔を見つめて、考えてきていたんだ。そこで気持ちが消えなかったんだから、もう良いんだ。

 

 なんでもどうしても無い。後悔なんてものを考えている時点でおかしい。自分がそうしたいと思って、それが自分で否定しきれなかったら、それはやらなきゃいけないことだ。

 

「……いや。忘れなくて、いい。アタシはお前が好きだ」

 

 言い切る。そこだけは間違いなく伝えておく。そこから先は、勝手に早口になった。

 

「へ、返事とかは今じゃなくていいから。お前、まだガキだし、急かす気もねーし。大人になってから、いつか気が向いた時にでも──じゃ、そういうことで」

 

 締めにもならない言葉が次々と転がり出て、キリメはベンチから腰を浮かせた。どうにも格好付かないが、これでいい。自分の想いに嘘をつかなかったんだからそれで良しとして欲しい。もうあとはベッドに入って悶えるだけにしたい。

 

 その手を掴まれた。

 

 振り返ると、クモンがベンチから両手を伸ばし、キリメの手を握っていた。

 

 俯いた耳まで赤い。口を開きかけては閉じる様子から、まだ言葉が見つかっていないのが分かる。

 

 それでも、手だけは先に出たらしい。

 

「……な、なんだよ」

 

 情けないくらい声が震えた。強がりにもならない。振り払うことも、握り返すことも出来ず、キリメは立ち尽くして待つしかなかった。

 

 言って欲しい。言わないで欲しい。手を離して欲しい。掴んでいて欲しい。相反する気持ちがぐるぐる回り喉を引きつらせる。

 

 しばらくして、クモンが一度だけ小さく頷いた。

 

 繋いだ手に脈がどくんと響く。

 

 キリメはその手を離さず、ベンチへ座り直した。クモンは二度、深く息をした。口の中で言葉を確かめるように唇を動かし、ようやく声にした。

 

「……僕も。僕も、キリメ姉が好きだ、よ──」

 

 気付いた時には、クモンを抱きしめていた。

 

 腕の中のクモンは細くて、小さくて、熱かった。さっきまで一緒に食べたソースや甘い砂糖、汗の混じった匂いがしてとてもおいしそうで、腕にどれだけ力を込めていいのか分からなくなる。

 

(少しくらいいいか。いいよな。良い。そういうことにする)

 

 自力で捕食者になりつつあるキリメの重みに押されて、クモンの体がベンチへ倒れ込む。キリメの胸に押さえ込まれた真下で、クモンの目が真ん丸に見開かれた。

 

 キリメの口がにへらと歪む。いつもは胸がなんだ好きがなんだとふらふらするこいつは、いったいここからどうするか知っているのだろうか。知っているならいい。知らないなら──それなら、アタシが教えてやればいい。

 

 クモンの体は動かなかった。押し返すでもなく、キリメの下でじっとしている。それを最大限自分に都合よく解釈したキリメが頭を動かしていく。

 

「クモンっ──ん?」

 

 唇まであと少しという時だった。森の奥から低い唸りが聞こえた。

 

「んん?」

 

 一か所ではない。ふたつ、みっつ──扇風機を強で回したような音が木立のあちこちから幾重にも重なり、膨らんでいく。

 

 キリメは弾かれたように身を起こした。クモンを引き起こし、乱れてしまった自分の襟を直す。誰か来たのか。見られたのか。鼓動が別の理由で速まるうちに、音の正体が木々の間から現れた。

 

 光だった。

 

 小さな灯りを提げた機械たちが次から次へと木立を抜け、夜空へ昇っていく。十や二十ではきかない。灯りの群れは境内の上でゆっくり高さを揃え、星空の手前で静かに整列し始めた。

 

「うわぁ……!」

 

 クモンが立ち上がった。さっきまでの赤い顔はどこへやら、あんぐりと口を開けて空を仰いでいる。

 

「すごい、すごいよキリメ姉! なにあれ!」

 

「お、おう。祭りの出し物か……?」

 

 キリメはベンチに座ったまま、はしゃぐ後ろ姿をぼうっと眺めた。

 

 さっきまで自分の事を受け入れてくれていた男の姿か、これが。どこか冷めていく気持ちがあったが、冷めたのが愛情とは別の熱の方だと気付くのは早かった。

 

 ……そうだ。こいつはまだ、こういうことで目を輝かせる歳なんだ。

 

 浮かれて熱くなっていた頭が、夜風に少しずつ冷やされていく。

 

(まだガキなんだから、急がなくていい。今日だけで全部進めようとするな。焦るんじゃねえ)

 

 そう胸の内で繰り返し、キリメは立ち上がって隣に並んだ。

 

「……きれいだな」

 

「うん!」

 

 クモンは空を見上げて、迷いなく頷く。灯りの群れはいつの間にか隙のない隊形を組み、幾何学模様でも描くかのように揃った動きで夜空を巡っていた。

 

 きれいなのは本当だ。けれど。

 

(せっかく恋人ってやつになったのなら、それらしいことの一つくらいはしたい。手を繋ぐとか。せめて肩がくっつくくらい寄るとか。いや、クモンは小さいからもうちょっとこっちが主導でやっていけばいずれはアタシ好みの……)

 

 そんなことを考えながら隣の横顔を見た──その視界の端に、妙なものが引っ掛かった。

 

 すぐ横に、機械が一機だけ浮いていた。

 

 小型だからだろうか、耳を澄ませなければ聞こえない羽音を鳴らしながら、手を伸ばせば届きそうな位置に留まっている。そこまではよくないがいい。

 

 その機械の腹には丸いレンズが付いていて、こちらを向いている。

 

(撮られてる。今のを。いや違うどこから。いつから)

 

 頭の中が真っ白になったのは一瞬だった。次の瞬間には顔から頭に血が上り、右脚が勝手に跳ねる。

 

「撮ってるんじゃねえよ!」

 

 浴衣であることも構わず振り抜いた爪先が機械を捉えた。機械は小さな灯りごときりもみしながら、藪へ突っ込んで見えなくなる。

 

 隣のクモンは空を仰いだ格好で、何度も瞬いていた。

 

 

 *

 

 

『撮ってるんじゃねえよ!』

 

 小さな叫び声と共に、画面の中の景色が勢いよく回った。白い一閃。空と藪が入れ替わり、映像は葉の裏側を画面いっぱいに映したところで動かなくなる。

 

「あら」

 

 山の中腹、道から張り出した岩に腰を掛け、カルメリエルは手元の端末を覗き込んでいた。

 

「……迎撃されてしまいましたわね」

 

「当然の帰結だな」

 

 隣で画面を覗いていたレヴェローズは腕を組み、したり顔で頷いた。

 

「あれは近付きすぎだ。偵察と同じだぞ、姉様。相手に気取られた時点で失敗なのだ。もっと隠れて物陰から狙えばよかったのだ」

 

「あまり隠れてばかりでは良い画が撮れませんのよ」

 

「蹴り落とされては世話無いぞ」

 

「……次からは、解決策を検討しますわ」

 

 妹に言われると腹が立つが、受け入れざるを得ない。

 

 空を見上げる。夜空ではカルメリエルの愛しいドローンたちが寸分の狂いもない編隊飛行を見せていた。間隔も高度も揃い、ミーシャから聞いていた灯りの異常もなく、きちんと点いている。編隊モードの同期も完璧。昼のうちに手を入れ直した甲斐があったというものだ。

 

「うむ、それにしても壮観だな。見事な揃いっぷりだ」

 

「ふふ。この子たちは疲れも文句も知りませんから」

 

「まず出る評価がそれなのか貴様」

 

 カルメリエルは端末の上で指を滑らせ、組んでおいた経路を送り込む。灯りの隊列はゆっくりと向きを変え、山の空を離れて橙色に煙る会場の上空へ流れ始めた。

 

 目指していた光の隊列がようやく形になった。飛ばし始める時刻は予定よりいくらか早めてしまったけれど──まあ。

 

「間に合ったのですから、よしといたしましょう」

 

「む? 何がだ」

 

「いいえ。こちらのお話ですわ」

 

 軽やかな電子音が鳴った。レヴェローズが懐からスマートフォンを取り出し、画面を見るなり顔を輝かせる。

 

「契約者からだぞ。そろそろ合流しろとのことだ。──聞いて驚け姉様、今夜の晩餐は祭りの天幕で粉物パーティーだそうだ!」

 

「まあまあ。豪勢ですこと」

 

「うむ。たこ焼きにお好み焼き、焼きそばも捨てがたい。となると席の確保が肝要だ。急ぐぞ」

 

「分かりましたわ」

 

 カルメリエルは応じながら機械たちを自律飛行に切り替えていく。あとは組んだ通りに会場の空を飾り、お役目が済めば、自分で山へ帰ってくる。手のかからない良い子たちである。

 

 端末を仕舞い、カルメリエルはふと隣を見た。

 

「時に、レヴェローズ。ミーシャさんのことを、何か仰っていましたの?」

 

「ミーシャか? ミーシャなら──ほれ、これだ」

 

 差し出されたスマートフォンには写真が一枚表示されていた。ミトラから送られてきたものらしい。

 

 提灯の灯りの下、シラベに肩車されたミーシャの頭へ、さらに大穴が乗っている。器用に積み上がった真ん中で、ミーシャは大きな口を開けて笑っていた。

 

 今朝は布団で泣き、一人で抱え込んでいた子が、声まで聞こえてきそうな顔で笑っている。

 

 聞きたいことはいくつもある。けれど、どれもこの笑顔より先に確かめることではない。尋ねるのはまた今度でいい。

 

 気付けばカルメリエルの頬が緩んでいた。打算もごまかしも無く表情を動かすのは少し恥ずかしかったが、最近になってそれでもよいと思えるようになっていた。

 

「まったく……いくら末の妹とはいえ、契約者はミーシャを甘やかしすぎではないか?」

 

 スマートフォンを仕舞ったレヴェローズは、むぅと唸る。

 

「肩車など私はまだしてもらったことがないぞ。こうなれば私も順番にしてもらわねばならん」

 

 真剣そのものの顔で言うものだから、ふっと息だけで笑ってしまった。

 

「そうですわね。──全員平等にしていただきませんと」

 

 二人は連れ立って夜の山道を下り始めた。

 

 頭の上では光の隊列がちょうど会場の空へ差し掛かり、遠いどよめきが風に乗って届いた。そこに家族たちがいるかと思うと、灯りへ向かう足は自然と速くなった。




第十一部 完
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。