『巨大猫現る!? 住宅街で撮影された謎の黒い影』
そんな煽り文句の付いた記事を、兼定タバラはマウスホイールで流していた。
埋め込まれているのは十秒にも満たない縦長の動画だ。夜の住宅街。少し離れた家の二階辺りに、黒い塊のようなものが見える。撮影者が慌てて拡大したところで手ブレが酷くなり、何か大きな動物らしい輪郭が一瞬だけ浮かんで動画は終わった。
記事の下にはコメントが並んでいる。
『AI生成でしょ』
『どうせCGよ』
『猫に見えるだけの影じゃん』
『こんなん信じる奴いる?』
「まあ、そうなるよな」
タバラも特に真偽を確かめる気はなかった。今どきは映像があっても証拠にならない。むしろ妙なものほど、まず加工か生成を疑われる。変な時代になったものだ。
ブラウザのウィンドウを脇にずらして、その下に開いていた文書へ戻る。画面の上部には『店舗紹介企画・ボトムレスピット 事前取材用』とあった。
動画投稿者『アイラバ☆モヒニ』として時折やっている企画だ。仕事帰りに寄れる店、休みの日に少し足を伸ばして行きたい店。そんな切り口でカードショップを紹介する。外観や売り場、ショーケース、対戦スペースを撮り、店ごとの特色を拾って十数分程度にまとめる形式だ。
もっとも、バーチャルな存在であるアイラバ☆モヒニがカメラの前に立つことはない。現地では店と商品、それに当然許可を取れた範囲だけ撮って、店員へ質問する場合もタバラ側の声は編集で落として質問文をテロップへ置き換えている。画が撮れたあとは構成を組み直し合成音声のナレーションと画面端の美少女アバターを載せることで作り上げている。
撮影の際、タバラの立場は店側にもアイラバ本人ではなく制作担当兼マネージャーという体裁で通している。マネージャーが必要になるほど大きな活動ではまったくないが、美少女アバターの中身と取材に来る男が同一人物だとわざわざ教える理由もない。
「……しっかし、準備進めちゃったな」
これまでは念を入れて、生活圏から離れた店ばかり選んできた。電車で一時間以上かかる場所を狙っていたのだが、今回はその基準から外れる。歩いて行ける隣町、それも妹が出入りしている店だ。
それでも候補から外さなかったのは何故だろう。今になってふと疑問に思い、タバラは手を止めた。
「……投稿者の勘、とか」
口にしてから、自分でもずいぶん適当なことを言っている自覚はあった。そんな大層なものが本当にあるかは怪しい。
けれど先日の下見からずっと、あの店には何か面白いものが転がっていそうな予感が残っている。
タバラは文書の項目を一つ下へ送る。撮影希望箇所を書き出したものだ。
店頭外観。玩具・駄菓子売り場。エインヘリヤル・クロニクル取扱コーナー。対戦スペース。ストレージおよびショーケース。細かく書くのは面倒ではあるが、店を紹介する動画で店側と揉めるほど馬鹿らしいこともない。
そこまで打ち込み、少し考えてから一行足した。
『看板猫。撮影可否は要相談』。
「ここは長めに使えるかもな」
先日の下見で、ミーシャと名乗った銀髪の小さな店員の後ろを黒猫がとことこ付いて回っていた光景を思い出す。掃除の邪魔をして抱え上げられ、下ろされるとまた付いていく。あれだけで十分に画になっていた。
銀髪の子の方は原則として撮らないつもりだ。見目はかなり麗しい。だが小柄な見た目に対して胸元の起伏があまりにも目立つ。動画に載せれば煽情的に見えかねない。アイラバ☆モヒニはそういうチャンネルではないし、変な判定でも食らえば最悪BANまである。
そもそも子供を撮るなら保護者の許可も要る。こちらから企画の見せ場に据える理由はなかった。猫ならその辺りは幾らか話が簡単だ。もちろん店の飼い猫なら勝手に撮っていいという話でもないので結局は確認が要るのだが。
タバラは椅子へ深く座り直し、企画書を眺めた。
こうして文章にすると、休日に何をやっているんだろうという気にはなる。
本業は施工管理だ。現場が動けば朝は早く、工事内容によっては夜にもなる。工程表を睨み、職人と元請と業者の間を走り回り、写真を撮って書類をまとめる。そんな仕事をして帰ってきた後に、今度は趣味で別の企画書を作っている。
「仕事終わってから、なんでまた仕事みたいなことしてんだか」
口ではそう言いながらも、手は止まらなかった。こういう準備は嫌いではない。むしろ昔は、こちらの方が本職に近かった時期すらある。
学生の頃から知人の自主製作映画に混ざり、撮影監督なんて大仰な肩書きを付けてもらって、ロケ地の下見をして、カットを割って、必要な機材と時間を洗い出した。金がないからこそ、許可取りにも段取りにも真摯に向き合わなければならなかったので、その辺りはそこで嫌というほど覚えた。
今となっては工事写真を撮る時くらいしか役に立たない経験だと思っていたが、人生は妙なところで繋がるものだ。
企画書の次の項目、『構成案』を開く。
外観から入り、まずは昔ながらの玩具店らしい佇まいを見せる。そこから店内へ入って本格的なカードコーナーとの落差を出し、ストレージやショーケースを拾いながら大会や品揃えの話へ。店側からカードに力を入れるようになった経緯が聞けるならそこで挟み、最後は看板猫で締める。
「……弱いか?」
悪くはない。だが映像として考えると、棚とカードが続きすぎるかもしれない。
カード好きならストレージをずらずらと見せても喜ぶだろうが、それでは店舗紹介ではなくただの物色動画だ。ショーケースも撮り方を変えなければ似た絵が続く。
何か一つ、人か店の癖が見えるものが欲しい。
先日の下見では、店そのものは十分に変だった。銀髪の子供が店の手伝いをしていて、黒猫がいて、気怠そうな男の店員がその二人を見ている。ただ、そのまま撮れば面白くなるというものでもない。
「ま、その辺は事前に話聞いてからか」
取材してみれば、店側が推したいものが別に出てくるかもしれない。撮られ慣れていない店ほど、こちらが想定していなかった話を持っていることもある。企画書の末尾に『事前取材後、構成確定』と書き足した。
そこで時計を見る。午後一時を少し回ったところだ。現場にいたなら昼寝を終えた職人や同僚へ電話をするには丁度いい時間である。ボトムレスピットではどうだか知らないが、個人店なら忙しい時間など読めない。長話をするつもりはなく、今日はまず担当者と話す約束を取り付けられれば十分だ。
タバラは机の端に置いていたスマートフォンを取った。
一度深呼吸してから、店の番号を押す。呼び出し音が何度か鳴る。
『うむ。ボトムレスピットである』
「……」
一瞬、番号を間違えたかと思った。
若い女性の声だった。電話口とは思えないほど妙に尊大で、名乗り方からして店員らしくない。
タバラは画面に出ている番号を確認するが、間違っていない。安心したが安心できない。
「あ、突然のお電話失礼します。わたくし、動画投稿者『アイラバ☆モヒニ』のマネージャーをしておりますタバラと申します」
『ほう』
「実は今回、弊チャンネルでカードを取り扱う店舗を紹介する企画を予定しておりまして。そちらのお店について一度お話を伺えればと思い、事前取材のご相談でお電話しました」
『ほほう? 面白そうな話ではないか』
電話の向こうで声が少し弾んだ。
『取材というのはあれだろう。カメラで撮影したりするのだろう?』
「本番ではその予定です。ただ、今回はまずお店の方針や撮影可能な範囲を伺うだけでも大丈夫です。営業の邪魔にならない時間に──」
『ふーむふむ、なるほど分かった』
聞いているのかいないのか分からない返事が被さった。
『ついに私の美貌を世に知らしめる時が来たのかもしれんな……』
「はい?」
タバラはスマートフォンを耳から少し離した。独り言らしいが内容がおかしい。
『うむ、よかろう。取材で私の写真が出回ったという前例が出来れば、今度こそ会報にも載せてもらえるかもしれん。では店に来るがよ──』
『お前、問い合わせの電話はすぐこっちよこせっつってんだろ。何してやがる』
途中で、少し離れたところから男の声が割り込んできた。聞き覚えがある。先日の下見でカウンターにいた男の店員だろう。
『邪魔をするな契約者。いまこの店を動画で紹介したいという者からの連絡だ。紹介と言うのなら私も映った方が宣伝になるだろうから、存分に撮ってよいと言ってやろうと思ってな』
『ああん? なんでウチにそんな……またコスプレ写真で辿ってきやがったか? さっさと切れ』
『だから店の取材だと言っているだろう! 話を聞け! そして私を自慢しろ! この美貌も一緒に載せれば客が増える!』
『余計な話進めんな! いいからこっち寄こせ!』
『なにおう、私もこの店の一員だぞ!』
『そうだとしても勝手すんな!』
電話の向こうで、がたがたと何かがぶつかる音がした。
『こら、引っ張るな!』
『貸せ!』
『契約者ぁ!』
「えーと、もしもし? もしもーし?」
タバラが恐る恐る声を挟むが返事はない。代わりに布が擦れるような音と、何かが机に当たったような鈍い音が続いた。
そして、ぷつっという音と共に静かになった。スマホの画面を見ると、通話時間の表示が止まっていた。
「……」
タバラはスマートフォンを見つめたまま、しばらく動けなかった。
やがてゆっくり端末を下ろす。
「ヤバい店かもしれない」
誰もいない部屋で呟いた。少なくとも、電話口でこんな有り様を晒しているのはまともではない。
企画書へ目を戻す。企画意図、撮影予定、権利確認、想定構成。そこだけ見れば、ずいぶん真面目な取材になる予定だったが、その相手先では今、店員らしき二人が一本の電話を奪い合っていた。
「……でも、面白いかもな」
あの尊大な女は、自分の美貌がどうこうと言っていた。下見の日にはいなかったと思うが、たまたま不在だったのか。あの店にはまだ見ていない濃い人間がいるのか。
それに、コスプレ写真という言葉も少し引っかかる。
そういえば以前、コミュニティに上がっていたやたら完成度の高いコスプレ写真を取り上げた時は、普段より反応が良かった。今回もああいう画になるものが一つでも拾えれば、棚とカードばかり映すより動画に変化が出る。再生数という意味でも悪くないかもしれない。
タバラは腕を組む。もう一度電話を掛け直すべきか。今すぐはやめておいた方がいい気もする。向こうがまだ揉めているところへ掛け直したら、今度は何が出るか分からない。
「うーん……」
椅子を軋ませ、天井を見る。
危ない店なら避けるべきだ。だが、撮れ高という意味では妙に期待してしまう。これこそが投稿者の勘なのだろうか。
真面目に作った企画書の末尾へ、タバラはカーソルを移した。少し迷ってから、備考欄に一行だけ追加する。
『事前取材時、店員構成も要確認』。
書いてから、これで何が分かるんだと首を捻る。
デスクトップの隅では、さっき見ていた『巨大猫現る!?』の記事が残っていた。
企画書の構成案には『看板猫』の文字がある。
タバラは二つを見比べ、それから鼻で笑った。
「まさかな」