休日の昼下がり。ボトムレスピットのショーケースの前で、クモンはしゃがみ込んでいた。
ガラスの向こうには値札の付いたカードが何列も並んでいる。高いものは小遣いでは到底手が出ないが、見るだけなら無料だ。カード名と効果を端から追っていくだけで、頭の中ではいくらでもデッキを組み替えられる。
対戦スペースではキリメが椅子に浅く腰掛け、自分のデッキを広げていた。さっき終わった対戦の反省をしているらしく、何枚か抜いては渋い顔で首を捻りながら候補のカードと入れ替え、また戻している。
今日の一戦はクモンが勝っていた。それも最後の一枚を運よく引いたとか、キリメが事故を起こしたとかではない。序盤から小さな生命体を並べてテンポを握り、除去されても次の生命体がすぐに圧を掛け、最後まで盤面を細く繋いで押し切った。
自分がこのところ考えていた戦い方がきちんと勝ちに繋がった一戦と言える。負け越し気味だった相手に勝つのは、やっぱり気分がいい。
夏祭りの夜に互いの気持ちを口にしてからも、この一日一戦の約束だけは変わっていない。むしろ前より、この卓を挟む時間を意識するようになった気がする。
もっともキリメは負けた直後に「次はまとめて焼く」と言い残し、もう対策を始めている。浮かれてばかりもいられなかった。
「数を並べるなら……やっぱ、こっちかな」
クモンはガラスへ顔を近付けた。コストは高いが生命体を複数展開するカードや、生命体が複数いる時に強くなるカード。あるいは墓地へ行った時に後続を呼べるカード。今使っている形を伸ばすならその辺りだろう。
ただ、目に入るのはそういうものばかりではない。
「あ、これも面白そう……いや、こっちは属性が合わないから入らないか。でも一枚くらいなら……」
効果を読むたび、頭の中の完成形がころころ変わる。ショーケースに並ぶのはストレージには置いておけない、より値が付くと判断されたカードだ。当然、強力な効果を持つものも多い。そんなものが大量に視界に入れば、色々なことを考えてしまうのは仕方が無いだろう。
デッキを強くするカードを探しているのだと頭を振って思い直す。決して、ショーケースのカードを眺めるのが楽しくなっているわけではない。そういうことにしておきたい。
「クモンさん」
「うわっ」
すぐ真横から声がして、クモンは肩を跳ねさせた。
顔を上げると、ガラスに映り込むくらい近いところに、銀色の髪があった。
ミーシャがクモンと同じように、ショーケースを覗き込んでいる。いつから隣にいたのかまったく気付かなかった。整った顔が思っていたより近くにあり、そのすぐ下にある巨大な膨らみにまで視界を占領されクモンは反射的に半歩だけ横へずれる。
「すみません。驚かせてしまいましたか?」
「だ、大丈夫。カード見てて気付かなかっただけだから」
どうにか普通の声で返せた。以前なら、ここから勝手に意識して一人で慌てていた気がするが、色々な経験のお陰で度胸だって付いてきていた。それでも真横に巨大なものが接近していれば驚くのは仕方がないはずだ。
ミーシャは胸の前で両手を重ね、少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「あの、クモンさん。少しお願いしたいことがありまして。もしかすると、クモンさんにしか頼めないかもしれないんです」
「僕にしか?」
そこまで言ってから、ミーシャは困ったように視線を落とした。
「はい。ご迷惑でしたら、もちろん断っていただいて大丈夫なんですが……」
クモンの背筋が少し伸びた。
わざわざ前置きをするほどの頼み事。しかも、自分にしか出来ないかもしれないこと。
そう言われて悪い気はしない。むしろ、何なのかも聞いていないうちから、出来るなら何とかしてやりたいという気持ちが先に出てきた。
クモンはショーケースからミーシャへ向き直る。
「なんでも言ってよ。僕に出来ることなら――」
「な、に、を、ミーシャ相手に鼻息荒くしてんだよオマエは」
いつの間にか前のめりになっていた頭を後ろから両手のひらで挟まれ、そのまま左右からむに、と潰される。耳元を撫でるような声は吐息のせいか嫌に湿っぽい。
「うがっ、し、してないって! ちょ、キリメ姉、やめてよ!」
「あーはいはい。『なんでも言って』だってよ。格好つけやがって」
「普通に話聞こうとしただけじゃん!」
腕を振って退けようとすると、キリメはあっさりと腕を引く。解放されて睨むとキリメは面白そうに笑っていた。ケタケタ笑う声からは先ほどの湿度が抜けていて余計に落差を感じる。
どうやらデッキ調整はひと区切り付いたらしい。ケースを片手に持ち、もう片方の手でクモンの髪を適当に直してから、ミーシャへ顔を向ける。
「で? 何の用だか知らねえけど、クモンにしか出来ないってこともないだろ。こいつ一人に頼んで失敗したら困るし、アタシにも言ってみろよ」
「なんで失敗する前提なんだよ。というかキリメ姉の方が派手にやらかす方じゃん」
クモンが言い返してみると、キリメはクモンの首を腕で抱え込み、空いた手で拳を固めてみせた。都合が悪くなるとすぐこれだ。
みっともなく思われていないかとミーシャの様子をうかがうが、不思議と彼女は動じるでもなく見つめてくるだけだった。出会ったばかりの頃は何事にもあわあわしていた印象だったけれど、この子もこの店に染まって来たのだろうか。
「では、お二人に相談があるんですが」
口元へ手を添えながらくすりと笑ってみせたミーシャは、その相談事を口にした。
*
川沿いの古い廃工場。前にクモンがミーシャを連れてきた時は、金網の外から見せただけだった。ここを共有している友達の間では一応、女子禁止ということになっていたからだ。
「そんなのバレなきゃ大丈夫だろ」
キリメの一言に背を押され、クモンはその決め事をあっさりと破った。もともと誰が決めたのかも曖昧な掟だったし、ここで遊んでいた友達も最近はほとんど来なくなっていたから気にすることは無いだろう。
広い廃工場だが、遊び場にしているところは限られている。今回使っているのは金網を抜けてすぐ近くの場所で、拾ってきた古い折り畳みテーブルと椅子を置いただけの小さな場所だ。
そのテーブルを挟んで、クモンとミーシャは向かい合っていた。テーブルの上には当然、エインヘリヤル・クロニクルのカードが並んでいる。
開始から数ターンが経過した卓上にはルーンと生命体が並び、それぞれの墓地にも何枚かカードが置かれている。
クモンの場には小型の生命体が五体。どれも単体なら大した攻撃力ではない。だが全部が通れば無視出来ないダメージになる。
それを見渡してから、ミーシャは手札から一枚を抜いた。
「呪法カード、『平和への近道』を使用します」
『平和への近道』
コスト:〈2〉〈光〉
タイプ:呪法
・相手が生命体を攻撃に参加させるに際し、そのプレイヤーはその生命体一体につき〈2〉を支払う。支払われなかった生命体は、この攻撃位相では攻撃出来ない。
「これで、そちらが全部で攻撃しようとすると10マナ必要になります。ターンエンドです」
「うん。じゃあターンをもらって、スタンド、チェック、ドロー」
ドローをしてから盤面を確認するクモン。スタンドしているルーンは五枚。『平和への近道』がある以上、並んでいる五体をまとめて走らせるにはマナが足りない。
先ほどまでの攻め手を止められたクモンだったが、動じることなく宣言に取り掛かる。
「攻撃位相に入るよ。『哀歌を謳う直進馬』一体だけで攻撃」
「一体、ですか?」
「うん。こいつだけ。2マナ払うよ」
ルーンを二枚ステイしてから、宣言した生命体を動かす。
ミーシャは少し俯いて、クモンの場と自分の生命体を見比べた。『哀歌を謳う直進馬』の攻撃力3、防御力1のいわゆる頭でっかちな生命体だ。貫通能力を持つものの、ミーシャの場にいる生命体はどれも守備力が3でプレイヤーまではダメージが通らない。
だが逆に言えば、ここでミーシャが攻撃を防げば生命体を打ち取られてしまう。ミーシャ側の生命体は監視能力と飛翔を持つため、それと『直進馬』を相打ちにしてしまうのは惜しい。――そう考えるはずだとクモンは読んだ。
「……では、ブロックしません」
少し考えてから、ミーシャはクモンの読み通りの宣言をする。
読みが当たったことは顔に出さず、クモンは手札の一枚を卓へ置いた。
「じゃあ、ダメージ計算の前に。残ってる四体を全部コストとして支払う。戦略カード『総員の恨み』を使用」
「え」
『総員の恨み』
コスト:〈2〉〈火〉
タイプ:戦略
・自分の生命体を望む数、コストとして生け贄に捧げる。対象の攻撃生命体一体はターン終了時まで、生け贄に捧げた生命体一体につき+1/+0の修整を受ける。
「あっ……ええっと、これは……」
ミーシャは出された戦略カードを確認してから自分のライフカウンターを見て、もう一度クモンのカードを確認する。
最後にミーシャ自身の手札も見て、持っていたカードが卓上にぱさりと置かれる。
「……足りますね。私のライフが、ちょうどゼロになります」
ミーシャはがくりと肩を落とし、そのままテーブルへ額が付きそうなくらいうなだれた。
「『平和への近道』を置けたので、あとは大丈夫だと思ったのに……」
「確かに効果は強いし横に並べるのは止められるけど、このデッキだとそれだけじゃ止まり切らないかな」
勝ちが決まった盤面を片付けながら、クモンは少し得意になって言った。
「後から強くするカードはこれ以外にも色々あるし。手札が残ってる時は、奇襲の可能性も考えないとダメだよ」
「はい……」
ミーシャが顔を上げる。見るからに悔しそうだった。さっき攻撃を通した場面を、頭の中で何度もやり直しているに違いない。さっきのような負け方をした時、クモンもそういうことをする。
「……もう一回、お願いします。次は、そう簡単には通しません」
「もちろん。じゃあ今度は、別のやり方考えないとね」
クモンはすぐにデッキをまとめた。なんだか先生になったみたいで少し気分がいい。
互いにカードを切り直そうとしたところで足音が聞こえた。
「おーい。ほら、昼飯買ってきたぞ」
ビニール袋を両手に提げたキリメが入ってきた。
「もう終わったのか? どっち勝った」
「僕。さっきの一発で決まった」
「また負けてしまいました……」
「へえ。やるじゃんクモン」
「運だよ運」
そう言いながらも、クモンはまんざらでもなかった。
カードを一旦片付けてから、三人でテーブルを囲む。乗せられた袋から、キリメが適当に選んできたという昼食をそれぞれ取り分ける。
「これ、どうやって開けるんでしょう?」
「え、ミーシャってサンドイッチ食ったことない?」
「サンドイッチはあるんですけど、こういう包装は初めてです」
「コンビニ入らないとそんなもんか。ほら、ここに書いてある通りに引っ張ってみな」
キリメに面倒を見てもらう一幕を挟みつつも、三人はそのまま休憩に入っていく。
しばらくは食べる方に集中していたが、半分ほど食べたところでキリメが思い出したように笑った。
「しっかしさあ。カードで遊べる場所が近所に無いかって、カード屋の娘が言うことじゃねえよな」
ミーシャがサンドイッチを持ったまま少し頬を膨らませる。
「カード屋ではなくおもちゃ屋ですよ。カードもですけど、おもちゃも売っていますから」
「そこそんな大事か?」
「大事です。ほら、こういうのもやっていますから。今度いらしてくださいね」
ミーシャが胸元をごそごそと漁ると、色鮮やかに印刷されたチラシが出て来た。四輪駆動のおもちゃの大会をやるのだという。
「あ、ガキの時に見たことある。クレッシェンドギアだっけ。まだ売ってたんだ」
「え? ラバラバリスタっていう商品名だった気が……」
あれ? と首を傾げ合うキリメとミーシャ。どっちも知らないクモンはサンドイッチを食べ進める。
「……まあ、親の目が無いところでのびのび遊びたいっていうなら分かるけどな」
気を取り直したキリメが言いながらペットボトルの蓋を開ける。
「でも、色々聞きながらのほうがやりやすいんじゃ?」
クモンがそう聞くと、ミーシャは少しだけ居心地が悪そうに視線を落とした。
「たしかにお店の皆さんもカードについて教えてくださって、ありがたいんですけど……カードを一枚使う時にも、ここはこうした方が良いとか、今使うより次まで待った方が良いとか、そもそもそのカードを入れるなら別のカードも必要だとか、そういう話が出てきて」
「あー……」
「皆さんそれぞれ考えが違うので、途中から私の対戦ではなく、皆さんの議論になってしまうことがあって」
「目に浮かぶわ、その光景。あの人らアクが強いし」
キリメがすぐに納得した声を出して、クモンも何となく想像が付く。
ボトムレスピットの従業員とは大会を通して何度か対戦した事があるが、各々の考え方は結構違う。
シラベは割と次のドロー頼みのプレイをしがちだし、ミトラはひたすら丸い手を打って最適解を出していく。レヴェローズは最速でコンボを完成させたがるから読みやすいが迷いが無くて怖い。カルメリエルはとにかく相手の裏を掻きたがるから逆に露骨だったりもする。
カードゲーマーとしては仕方ないのだろうが、そういう全然違う連中に取り囲まれていればもはやミーシャ一人の練習では済まないだろう。
「それで、何も言われずに自分で考えてみたいと思いまして。あとは、こっそり強くなって皆さんを驚かせたりとか……ま、まぁ、こんな感じです」
「じゃあ、あんまりさっきのとかも言わない方が良かった?」
ミーシャは首を横に振った。
「いえ、対戦後にああして言葉にしてもらえるのは助かります。そういうのより……間違えそうな時に全部止められるより、一度間違えてから、どうして駄目だったのかを考えてみたいんです」
「ふーん?」
間違える前から教えてもらえたほうが楽なんじゃないかとクモンは思ったが、
「でも、私はあのお店以外にカードが出来るところを知らないので。前に色んな遊び場を案内してくれたクモンさんなら、何か考えがあるかなと」
「だからクモンにしか頼めない、ねえ。良かったなぁ案内人?」
キリメがにやにやしながらクモンに話を振る。クモンとしても、そういう頼りにされかたは嫌いではない。
ミーシャがふるふると頭を振って続ける。
「それだけではないんです。クモンさんは、いつもキリメさんと対戦しているでしょう? お店で見ていると、負けた後もカードを入れ替えたり、次はどうするかずうっと考えたりしていました。だから、その……私も同じように、考えられるようになってみたいなって」
「……そっか」
クモンの返事が遅れてしまう。そんなところを見られていたとは思わなかった。勝ったところではなく、負けた後まで。
勝手に緩みそうになる口元を抑えていると、横からキリメの視線を感じた。細くした目は睨んでいるようでも遠くを見ているようでもあり、口元はへの字のように曲がった、何とも言えない顔でこちらを見ていた。
「……なに」
「べっつにー」
どうにも馬鹿にされたような気がして、クモンはキリメから視線を切った。そのやり取りを見て、ミーシャがまたくすりと笑う。
昼食を食べ終える頃には、工場の外の日差しが少し角度を変えていた。
ゴミを袋へまとめ、テーブルの中央をもう一度空ける。
「では、もう一回お願いします」
「うん、いいよ――」
「よっし、じゃあ次はアタシとやろうぜ」
「え?」
横から伸びてきた手が、クモンより先にテーブルの上へデッキケースを置いた。
「前に弄ったデッキだけど、まだ試してねえんだよ。ちょうどいいからミーシャ相手に回してみる」
「ちょうどいいって。僕がもう一回やるところだったんだけど」
「さっきやっただろ。独り占めすんなよ」
「ええ……」
言い返すクモンを気にも留めず、キリメは椅子を引いてミーシャの正面へ座った。さっきまでクモンが使っていた場所を当然のように取られ、追い出された形になる。
なんだか納得がいかないけれど、こうなるとキリメは譲ろうとしないのはよく知っている。
「ミーシャ。先に言っとくけど、アタシはクモンみたいに優しくねえからな。変なことしたら普通にそこ狙うぞ」
「はい。よろしくお願いします」
「終わったら気になったとこは言う。それでいいんだろ?」
「はいっ」
ミーシャが嬉しそうに頷いた。
それを見たキリメも少しだけ口元を緩め、デッキをシャッフルし始めた。ミーシャもそれを真似るように自分のカードを切り始め、クモンは仕方なく二人の横へ椅子をずらした。
やがて二人の前に初期手札が七枚ずつ並ぶ。
「対戦、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いしますっと」
互いにカードを出し合う二人を見守っていると、クモンは次の対戦がひどく待ち遠しく感じた。