カスレアクロニクル   作:すばみずる

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231 うむ、出発だ!

 まだ日も昇り切らない早朝。商店街の店はどこも閉まったままで、通りには人影一つない。

 

 普段なら布団の中にいる時間に、シラベは休業日程を書いた紙を店のシャッターに張っていた。

 

 ブログで休みを告知して、常連に説明して、細々とした支度に追われているうちに出発当日はあっという間にやって来てしまった。

 

「ふぁ……~~ぁぁ。ねっみぃ」

 

 シラベは目尻に滲んだ涙を拭い、肩に掛けたボストンバッグを担ぎ直した。

 

 店の前には、旅の支度を整えた家族が揃っている。

 

 シラベとミトラは、どちらも普段着の延長のような格好だった。シラベは薄手の上着にジーンズ、ミトラもシャツにデニムを合わせ、上からパーカーを一枚羽織っただけだ。ミトラの肩には小さな鞄が一つ掛かっているきりで、着替えは当然のようにシラベのバッグへ詰め込まれている。

 

 その隣で、レヴェローズが通りの先を眺めていた。

 

 新しく買った男物のネルシャツに、細身のパンツ。大きめのサイズを選んだようで胸元には余裕があるが、裾を絞ってパンツの中へ収めているせいで、布が胸から腰へ真っ直ぐ落ちて、かえって落差がはっきり出ている。

 

 長い手足もよく映えて、大人しく立っているだけなら雑誌から抜け出してきたモデルのようだった。

 

 シラベの視線に気付いたのか、レヴェローズが向き直ってにまにまと顔を緩ませる。

 

「ふふん。どうした契約者、見惚れたか?」

 

「黙ってりゃな」

 

「む。それはどういう意味だ」

 

 口を開いた途端にいつものポンコツへ戻るのだからある意味大したものである。

 

「黙っていれば、ですって。愚妹には難しい注文ですわね」

 

 そう言うカルメリエルの方は、さらに意外な格好をしていた。

 

 普段はシスター服から頑として変えたがらないくせに、今日はそのこだわりを捨ててきたらしい。肩から先をすっかり出したノースリーブのニットに、足首まで届くロングスカート。手にはいつの頃からか持ち歩くようになった白い日傘を畳んだまま提げている。

 

「珍しいな、そんな格好」

 

「旅先でまでいつもの装いでは、人目を引きすぎてしまうでしょう?」

 

「そうだな。旅先じゃなくても悪目立ちするからやめて欲しいがな」

 

 シラベの同意と苦情にカルメリエルはにこりと微笑んだ。

 

 コスプレじみた格好から変えたのは正直シラベとしても助かるが、人目を避けたつもりなら狙いは盛大に外れている。剥き出しの白い腕はよく目立つし、ニットの編み目は胸元でぐいと引き伸ばされて本来の模様が分からなくなっている。秋口の空気はひやりとしていて見ている方が寒くなりそうだが、本人は涼しい顔だ。

 

 ミーシャはお気に入りの薄緑色のワンピースを着ていた。頭には麦わら帽子を載せている。今の季節にはいささか夏じみているが、海へ行くならこれだと、どこかの本で覚えてきたらしい。

 

 大きくせり出した胸は相変わらずで、今日はその背中にもぱんぱんに膨らんだリュックが負われている。着替えやお菓子をたっぷり詰め込んだのだという。前にも後ろにも大荷物を抱えているようなもので、小柄なわりに妙に存在感があった。

 

 帽子のつばを何度も持ち上げては下ろしていて、そわそわしているのが見て取れる。

 

 そして、もう一人。ミーシャの隣で、黒い姿がきょろきょろと首を巡らせていた。

 

 ミーシャと同じくらいの背丈に、どこか猫背気味の立ち姿。腰まで届く漆黒の髪と、それと同じ色の肌。跳ねた髪が、猫の耳のようにも見える。

 

 人の姿を取った、全てを喰らう大穴だった。

 

 その姿の時はいつもぼろ切れのような布を纏っているだけの大穴だが、今日はキリメが子供の頃に着ていたという白いワンピースを貰い、それを着ていた。もっとも、子供服の想定などとうに超えた胸元は、どうにかこうにか布の内側へ収まっているという具合だ。

 

 朝の通りが珍しいのか、大穴は鼻をひくつかせては、電柱だの向かいのシャッターだのへ忙しなく顔を向けている。

 

 銀色の髪に白い肌のミーシャと、漆黒の髪に黒い肌の大穴。色合いは正反対なのに、似たような背丈とデカい胸だけを見比べているとまるで姉妹のようでもあった。

 

「……やっぱり、猫の姿の方が良かったんじゃない?」

 

 大穴の姿をしげしげと眺めてから、ミトラが言った。

 

「猫のまま電車乗せてくのも面倒だろ。こいつ、ペットキャリーに入るの嫌がったし」

 

 この間、試しにキャリーを用意してみた時のことだ。入り口の縁に四本の脚を突っ張って、何度押し込もうとしても頑として入らなかった。最後にはキャリーを見ただけで耳を伏せ、棚の上へ逃げて半日降りてこなかった。

 

 人の姿なら切符を一枚買えばそれで済む。少なくとも、駅のホームで暴れる黒猫が入った鞄を持つよりよほどマシだ。

 

「それはそうだけど。あれ、大人しくしてられんの?」

 

 ミトラが顎で示した先では、大穴が今度は道端の植え込みに顔を寄せていた。

 

「さあな」

 

 その大穴の前へ、ミーシャが回り込んでしゃがんだ。

 

「大穴さん、ちょっとじっとしててくださいね」

 

「んな」

 

 あちこち見回しているうちに捩れたのか、ワンピースの裾が片側だけ妙な具合に持ち上がっている。ミーシャはそれを丁寧に引き下ろし、皺を手で伸ばしてやった。

 

 大穴は大人しくされるがままだった。

 

「はい、出来ました」

 

 ミーシャが立ち上がると、大穴は礼を言うでもなく顔を上げ──シラベと目が合うなり、てててと小走りで寄ってきた。

 

「お、おい」

 

 横から勢いよく抱き着かれた。細い両腕が胴に回され、脇腹のあたりに頬が押し付けられる。そのまま何度も額を擦り付けてくるのは、猫の時と同じ甘え方だ。

 

 ただ、腕に触れる肌はひんやりと冷たく、抱き着く力は思いのほか強い。押し当てられている柔らかさにしても、毛皮越しの時とは比べ物にならなかった。

 

「絵面やばいわよ、それ」

 

「言うなよ」

 

 自覚はあるが、いつものように持ち上げて遠ざけるのも、この姿では憚られる。早朝で人通りが無いのがせめてもの救いだった。

 

 シラベは溜め息を吐き、大穴の頭へ手を置いた。長い黒髪は見た目よりも柔らかい。撫でてやると、大穴は心地良さそうに瞼を半分落とした。

 

 とはいえ、一応釘は刺しておく。

 

「全員で行くって話だから連れてくけどな。向こうで妙なことはするなよ」

 

 大穴は抱き着いたまま顔を上げ、黒い瞳でシラベを見上げた。そのまま、少しの間動かない。

 

「にゃあ」

 

 一声鳴いて、大穴はまた脇腹に顔を埋めた。分かったのか分かっていないのか、その声と顔からは読み取れなかった。

 

「大丈夫だろうな。……じゃ、出る前に持ち物だけ確認しとくぞ」

 

 大穴をくっつけたまま声を掛けると、それぞれが手元を確かめ始めた。シラベも上着のポケットを順に叩いていく。財布、スマートフォン、店の鍵。それから内ポケットの新幹線の切符。六人分をまとめて預かっているので、これだけは失くすわけにいかない。

 

 鞄の中を確かめていたミトラが、免許証を摘まみ上げてみせた。

 

「財布とスマホと……あとこれ。旅先でいちいち疑われるのも面倒だし」

 

「あーそうだな。すぐ出せるようにしといてくれ」

 

 二人で歩いていて兄妹や親子と間違えられるならまだいい方で、今のご時世だと未成年者略取を疑われかねない。シラベは深く頷いた。

 

 ミーシャはリュックを下ろし、口を開けて中を覗き込んでいる。

 

「着替えと、タオルと、歯ブラシと……お菓子も、ちゃんと入ってます」

 

「ほう。抜かりはないようだな」

 

 横から覗き込んだレヴェローズが感心したように頷く。リュックの中まではシラベの位置から見えないが、レヴェローズの視線がお菓子に注がれているのは想像に難くない。

 

「新幹線の中は食べ物を出してもいいと伺ったので、皆さんで食べようと思って」

 

「うむ。実に良い心掛けだ」

 

 ミーシャはリュックの口を閉じかけて、思い出したように顔を上げた。

 

「あ、そういえば金魚のご飯って……」

 

「ああ、あれに入れておいた。電源ランプも点いてたから大丈夫」

 

 シラベが言ったのは、金魚鉢に取り付けられた自動給餌器のことだ。カルメリエルがガラクタから作ったものでやや不格好な形だったが、レヴェローズの伝結晶を一欠片使っているため、当分は動力が切れる心配もない。

 

「わたくしも問題ございませんわ」

 

 カルメリエルが旅行鞄を軽く持ち上げてみせる。レヴェローズも肩から提げた鞄を叩き、ついでのように頷いた。

 

 大穴はといえば手ぶらだ。だが猫の姿でも健在だった謎のポケットがあれば、必要なものはそこから取り出してくることだろう。旅支度という意味ではこの中で一番身軽かもしれない。

 

 最後にシラベはシャッターの取っ手を軽く引き、鍵が掛かっているのを確かめた。張り紙の端が、風にめくれる。

 

「よし。行くか」

 

「はいっ!」

 

「うむ、出発だ!」

 

 真っ先に返事をしたのはミーシャだった。麦わら帽子のつばを両手で押さえ、早くも駅の方角へ体を向けている。レヴェローズも応じると同時に長い脚で大股に歩き出していた。

 

 並ぶ屋根の向こうから朝日が差し込んできて、カルメリエルが日傘を開いた。白い傘の下でロングスカートの裾を揺らして歩く姿は、どこぞのセレブがお忍びで旅に出たと言われても通りそうだ。

 

 歩き出しても、大穴はシラベから離れようとしなかった。抱き着いていた腕を今度はシラベの腕に絡め直し、手のひらを合わせながらぶら下がるようにして付いてくる。反対側ではミトラが当然のような顔をして隣に並び、小さな手を繋いでくる。

 

 この顔ぶれで泊まりがけの遠出をするのは、思えばこれが初めてだった。電車に新幹線、バスにタクシー、その先にはサブロウの店。面倒の種なら行く先々にいくらでも転がっていそうで、数え始めればきりがない。

 

 それでも、この旅行を取りやめようなどとは一度も思わなかった。サブロウの店がどのようなものなのか。海を見たこの連中がどんな顔をするのか。面倒を数えるよりも、そちらを思い浮かべている時間の方がよほど長い。

 

 その期待を表に出さないまま、シラベは冷たい手と温かな手をそれぞれ握り返した。

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