カスレアクロニクル   作:すばみずる

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233 なんにもないですよ!?

「……ねえ。さっきって、私も食われかけた?」

 

 新幹線の改札を抜けても、ミトラはまだ自分の指先を眺めていた。

 

 シラベの腕の中では、大穴が相変わらず眠っている。どれだけ揺すられても起きなかったくせに、差し出されたものには反応するのだから大した食い意地だ。

 

「いや、まあ。寝ぼけてただけだろ」

 

「食べようとしたかどうかは触れないんだ」

 

「……次から切符は俺に渡してくれ」

 

 ミトラは眉を寄せたまま、大穴の頬を指でつついた。大穴は顔を背けただけで、目を開けようともしない。

 

 先を行く三人に続いてエスカレーターへ乗ると、ホームにはもう新幹線が停まっていた。

 

「おお。立派なものではないか!」

 

 先にホームへ到着していたレヴェローズが楽しげな声を上げる。白い車体に沿って顔を左右へ向け、遠くの先頭車両まで眺めようと首を伸ばしている。

 

 カルメリエルもその隣で足を止めた。普段は細く閉じられている目が珍しく開いており、緑色の瞳をキラキラ輝かせている気がする。

 

「まぁ。近くで見ると、ずいぶん大きいのですわね」

 

「さっきの電車とは、全然違う見た目ですね。窓も小さくて……あ、あっちはずっと先まで続いてます」

 

 ミーシャはリュックの肩紐を両手で握り、背伸びをして車両のあちこちを眺めていた。

 

 ようやくホームに上がったシラベは、盛り上がっている者達がどこかに迷惑掛けないかひやひやしてしまう。三人揃ってすっかり旅行客、あるいはおのぼりさんのようだった。

 

「あんまり周りの邪魔になるなよ。……電車とそんなに違うもんか?」

 

 確かに、さっきまで乗っていた電車とは形が違う。だが横から見れば長い車体に窓と扉が並んでいるのは同じだし、そこまで熱心に眺めるものだろうか。

 

「まあ、なんとなく分かるけどね。ここのホームからこうやって見ると、旅行って感じがするし」

 

 案内板を見上げながらミトラが呟く。言われて、シラベは姉妹たちから目を離してホームを見渡した。大きなスーツケースを引く家族連れ。行き先と発車時刻を並べた案内表示。停まっている車両の低い唸りが、足元からかすかに伝わってくる。

 

 確かに、最寄り駅のホームとは空気が違う気もする。

 

 だが素直に頷いてやるのも面白くない。

 

「言うほど旅行なんてしねえくせに……いてっ」

 

 混ぜ返した途端、ミトラが遠慮なく蹴ってきた。

 

「昔はしてたわよ。毎年夏になると新幹線に乗ってたし。二階建てのやつ」

 

 ミトラは停まっている車両の窓を見上げた。それから少し頬を膨らませて、シラベへ顔を戻す。

 

「どうせなら今回もあれで予約してくれれば良かったのに。上の席、結構好きだったんだけど」

 

「二階建ての新幹線ならもうとっくに走ってねえぞ」

 

「えっ!」

 

 ミトラの足が止まった。

 

 シラベが振り返ると、冗談かどうか確かめるように顔を見上げてくる。こちらが何も言わずにいると、今度は周囲の線路へ目をやった。隣のホームにも別の新幹線が停まっているが、そちらの窓も一列だ。

 

「……もう無いの?」

 

「無い。何年か前に引退した」

 

「いつの間に……」

 

 ミトラはしばらく車体を眺めてから、肩を落としてしまう。どうせ乗っても寝ているだけだろう、と言いかけてシラベはやめた。毎年乗っていたというならそれなりに思い入れもあったのだろうし、今それを言えばもう一度蹴られそうだった。

 

 

 車内へ入ると、レヴェローズが切符の席番と頭上の表示を交互に確かめながら通路を進んだ。後ろからミーシャとカルメリエルが続き、目当ての席の前でようやく立ち止まる。

 

 取ってあるのは三人掛けの席を前後に二列、六人分だ。

 

 荷物を上げようとしたところで、ミトラがシラベの袖を引いた。

 

「ね、シラベ。この椅子、回転させて」

 

「向かい合わせにすんのか?」

 

「その方がいいでしょ。みんなで座るんだし」

 

 さっきまで二階建ての引退に落ち込んでいたはずが、もう座席の脇に回って足元を覗いている。案外、ミトラもそれなりに浮かれているのかもしれない。

 

「分かったから、ちょっとどいてろ」

 

 シラベは首に回っていた腕をどうにか解き、大穴を前の列の三人掛けへそっと横たえた。黒い手足がはみ出していないのを確かめてから、座席の下のペダルを踏む。

 

 そこから背もたれを押すと、三席まとめてぐるりと向きが変わった。

 

「おー」

 

 レヴェローズとミーシャの声が重なった。

 

 回り切ったところで足元がかちりと留まり、前後に並んでいた座席が向かい合う。

 

 寝ていた場所ごと動かされた大穴は、さすがに気になったらしい。頭を持ち上げ、顔の前に出来たもう一列の座席をぼんやり眺めていた。

 

「んぅ?」

 

「起きたんなら座っとけ。もう抱えてやらねえからな」

 

 話しかけてみるものの、大穴はまだ左右へ首をゆるゆると回している。ようやく在来線を降りたことに気付いたのかもしれない。

 

 その様子を見ていたシラベの腕を、横からレヴェローズが掴んだ。いつの間にか、向かいの列の窓側へ入り込んでいる。

 

「契約者の隣もローテーションするぞ。さっきはずっとそちらばかりだったからな」

 

「そうですわね。せっかくの旅行ですもの」

 

 カルメリエルまで賛成し、通路側の席の前でシラベが入るのを待っている。

 

 両側から場所を決められ、シラベは真ん中に腰を下ろした。

 

「別にいいけど、肘掛けは使わせろよ。真ん中は狭いんだ」

 

「む。使えばよかろう」

 

 言いながらレヴェローズが腕を絡めようとするので、シラベは先に肘を置いてやった。カルメリエルはその様子を笑って見ていたが、シラベとの間の肘掛けは空けてくれていた。

 

 向かいの中央にはミトラが座った。通路側の大穴は起きたばかりだというのに早々と体を倒し、ミトラの膝へ頭を載せている。ミトラもいちいち座り直させる気にはならないようで、黒い髪の中へ指を差し入れて撫で始めた。

 

「そういえばミーシャ。お菓子持ってきたんだっけ」

 

「はい。今出しますね」

 

 窓側に座ったミーシャが身を屈め、足元のリュックを膝へ引き上げた。

 

 開いた口から菓子の袋が幾つも覗く。シラベはその下に、鈍い黄色のものを見た気がした。

 

 光の当たり方だろうか。袋の印刷というよりは金属のような色合いで、リュックの内側に沿って緩く丸まっているようにも見える。

 

「お父様、どうぞ」

 

 目の前に差し出された袋で、中身は見えなくなった。

 

「ああ、ありがとな」

 

 受け取りながら、シラベはミーシャの手元へもう一度目をやった。ミトラにも袋を渡し終えたところで、リュックの口は閉じられてしまう。

 

 あの下にまだ大袋の菓子でも詰めているのか。それにしては妙な色だった気もする。それとも、あれは。

 

「契約者、それは何味だ?」

 

 横から袋を覗き込まれ、シラベは手元へ目を戻した。

 

「塩。ほら」

 

 まあいいか。菓子を詰め過ぎたからといって困ることでもない。

 

 袋の上を開いてレヴェローズへ向けてやると、嬉しそうに指を突っ込んできた。

 

 

 

「おお、おおお……! 速い、速いぞ契約者! 見ろ、もう駅が後ろへ飛んでいく!」

 

 新幹線が走り出してからというもの、レヴェローズは忙しかった。

 

 窓の外へ顔を向けたかと思えば、すぐにシラベの袖を引く。何かを見つけるたびに報告してくるのだが、シラベがそちらを見る頃にはもう後ろへ流れてしまっている。

 

「おお、今のを見たか。電車がどんどん後ろへ行くぞ」

 

「こっちの方が速いからな」

 

「うむ。先ほどとは随分違うではないか。……おお、あんなところに大きな川がある」

 

 それきり、レヴェローズはまた窓へ向き直る。菓子をつまもうとして袋に指を入れかけたまま、すっかり手が止まっていた。

 

 騒がないものだと澄ました顔でミトラを諭していたのはどこの誰だったか。新幹線は電車の内に入らないとでも思っているのかもしれない。

 

「お前、ちょっと声落とせ」

 

「む。そうだな」

 

 頷いてから、レヴェローズは声を潜めて向かいのミーシャを呼んだ。今度は二人で窓の外を指差し合っている。

 

 とりあえず音量が下がったならそれでいい。シラベは背もたれへ体を預け直した。

 

 その右側で、何かをこそげるような小さな音がした。

 

 カルメリエルがカップを片手に持ち、白いアイスへスプーンを差し込んでいる。

 

「いつの間に買ったんだ、それ」

 

「先ほどワゴンが通りましたので。新幹線のアイスは硬いと伺っておりましたけれど、本当にスプーンが入りませんのね」

 

 言葉とは裏腹に、カルメリエルはにこにこと頬を緩めていた。削れた薄い欠片を一つずつ、大事そうに口へ運んでいる。窓の外とレヴェローズに気を取られて、シラベはワゴンが横を通ったことにすら気付いていなかった。

 

 騒音被害を受けていたシラベがそうだったということは、騒音の源も気付かなかったのだろう。シラベたちのやり取りに気付いたレヴェローズが、カルメリエルの手元を見た。

 

「姉様、それはずるいぞ! 何故自分の分だけ買っているのだ!」

 

「食べたければ、ご自分でお買いになればよろしいでしょう」

 

 伸びてきた手からカップを遠ざけ、カルメリエルは通路の方へ少し体を傾けた。

 

「ええい、私にも寄越せ! このっ」

 

「むぐ」

 

 レヴェローズはさらに腕を伸ばして身を乗り出した。真ん中に座るシラベの体などお構いなしに、カップへ向かって腕を伸ばしてくる。その分だけ、ネルシャツ越しの重たい膨らみがシラベの顔へのし掛かった。

 

 視界の半分が布で埋まり、息が詰まる。

 

「やめろ」

 

「あだっ」

 

 どうにか押し退けてから、シラベはレヴェローズの頭へ手刀を落とした。

 

「俺を挟んで取り合うな。あと人の上に乗るな」

 

 頭を押さえて窓際へ引っ込みはするものの、レヴェローズは恨めしげにシラベを睨んでくる。

 

「だが契約者、姉様だけ食べているのはくやしいぞ」

 

 カルメリエルの方も、わざわざこちらに見える高さでスプーンを口へ運んでいる気がする。

 

「私も食べたい。なあ、次はいつ来るのだ?」

 

「知らねえよ。待ってるか自分で買いに……ああ、いや」

 

 言い掛けて止める。こいつ一人に車内を歩かせて、ワゴンを探す間に何をしでかすか分かったものではない。かといってこのまま放っておけば、到着までずっと横でこの調子だ。

 

「……分かったよ。買ってきてやるから大人しくしてろ」

 

「うむ!」

 

「あ。じゃあ私も」

 

 向かいから、ミトラが小さく手を挙げた。

 

「わたくしは、おかわりをお願いしますわ」

 

 カルメリエルはまだ半分も減っていないカップを手に、にこやかにそう言う。

 

「んにっ」

 

 ミトラの膝を枕にしたまま、大穴までがぴっと片手を真上に伸ばしていた。

 

「……お前は何が欲しいんだよ」

 

 食い物の話ということだけに反応しているのかもしれない。

 

「お父様。私も手伝います」

 

 揃いも揃って、と呆れながら通路へ出ようとしたところで、窓際のミーシャが腰を浮かせながら言う。

 

 アイスをいくつか買ってくるだけだ。手伝いが要るほどの量ではない。だが、他の面々と違って手伝いを申し出てくれているのだ。わざわざ断ることもない。

 

「じゃ、頼む。ありがとな」

 

 ミーシャもミトラたちの前を抜けながら、微妙に揺れる車内を立つ。シラベがその頭を撫でてやると、ミーシャは嬉しそうに頷いた。

 

 カルメリエルに教えられた方へ、ワゴンを探して通路を歩いていく。窓際で眠っている客もいれば、折り畳みのテーブルにパソコンを広げている客もいる。

 

 そんな中で、見慣れたカードの絵がシラベの視界に入る。

 

 座席の男が横向きに持ったスマートフォンで、ECeを遊んでいた。画面を覗くつもりはなかったが、自分もプレイしているゲームとなるとちらりと見えただけでも何をしているかくらいは分かる。長い移動の暇潰しにはちょうどいいだろう。

 

 そこで、シラベはふと思い出した。

 

「そういや、大穴が吐いたカード。今はお前が持ってたよな」

 

「はい。これですよね」

 

 ミーシャは頷くと胸元へ指を差し入れた。引き出されたのは呪法カード『猫変化』だ。

 

「……持ち歩いてるのかよ」

 

 しかも、仕舞い場所がそこである。誰の真似なのか考えると悪影響を及ぼしそうな輩が二、三人思い当たってしまう。

 

「大穴さんの大事なものですから。失くしたらいけないと思って」

 

「それはそうだけど」

 

 ミーシャは真面目な顔でカードを両手に持っている。

 

 

 

 旅行の支度をしていた頃の話だ。ペットキャリーへ入れられまいと、大穴は家中を逃げ回っていた。机の下、戸棚の中、棚の上へ逃げ込んでも駄目だと分かると、あろうことかミーシャの体をよじ登って頭の上に陣取った。銀髪にしがみついて、梃子でも降りない構えだった。

 

 そこまでならまだ良かった。その喉が、不意にけっ、けっ、と鳴り始めた。

 

 猫を飼っていれば一度くらいは聞く、あまり聞きたくない音だ。しかも場所が悪い。シラベが慌てて手を伸ばすより早く、大穴の口からカードが一枚落ちた。

 

 猫変化のカードがひらりと床へ舞い落ちるのと、大穴の体が人の姿へ戻るのとはほとんど同時だった。

 

 頭の上に乗っていた猫一匹の重みが、一瞬で少女一人分に化けたのだ。ミーシャはひとたまりもなく、人の姿の大穴の下敷きになって床に潰れた。

 

 

 

 

「……どうして私の頭の上で吐こうとしたんでしょう」

 

 ミーシャが納得のいかなそうな声で言った。同じところを思い出していたのか、手元のカードまで恨めしそうに睨んでいる。

 

「気に入られたんじゃねえの。安心して乗れる場所だと思ったとか」

 

「気に入ってくださったのなら、あんまりそういうことはしてほしくないです」

 

 少し頬を膨らませるミーシャに、シラベもそれはそうだと頷くしかなかった。

 

 隣の車両へ移ると、通路の半ばにワゴンが見えた。座っている客へ飲み物を渡しているところだったので、手前で足を止めて会計が終わるのを待つ。

 

「すみません。アイス、六つもらえますか」

 

 まとめて頼むと、販売員は保冷容器からカップを取り出して数を揃えてくれた。自分とミーシャの分も入れて六つ。大穴が違うものを欲しがっていたとしても、アイスを出されて文句を言うことはないだろう。

 

 ワゴンには菓子のほか、酒のつまみも並んでいた。その中にさきいかを見つけ、シラベは一袋足してもらう。これなら大穴の機嫌もまず間違いなく取れる。

 

 財布を出そうとすると、ミーシャがワゴンの端をじっと見つめていた。土産物らしい菓子が幾つか並んでいる。視線の先を辿ると、緑色の包みの袋に『笹団子飴』と書かれていた。

 

「それも気になるか?」

 

「あ、いえ。お団子なのに飴なんだと思って……」

 

 ミーシャは慌ててシラベを見上げた。

 

 散々菓子を持ってきたばかりなのは確かだが、せっかく旅行へ連れてきたのに店の駄菓子棚の前と同じことを言うのもつまらない。

 

「じゃ、これも一つ」

 

「いいんですか?」

 

「手伝いの分。戻ったらアイス配ってくれよ」

 

「はいっ。ありがとうございます」

 

 ミーシャは両手で袋を受け取り、胸の前へ大切そうに抱えた。

 

 結局、買ったものはひとまとめの袋に入れてもらえたので、シラベが片手で持ててしまった。手伝いと言う話だったものの、飴の袋を裏返しては眺めている様子を見れば別に構わない気がする。

 

 来た通路を戻りながら、シラベはその頭を見下ろした。眺めているうちにミーシャが持ってきたお菓子の様子と、さっきリュックの口から覗いた金属の色がまた頭に浮かぶ。

 

「なあ。お前のリュックの中身なんだけどさ」

 

「ひゃいっ!?」

 

 途端に、ミーシャの足がもつれた。

 

 体が前へ傾ぎ、隣の座席の背へ手をついて踏みとどまる。シラベも咄嗟に腕を伸ばしたが、支えるより早くミーシャは姿勢を戻していた。

 

「おい、大丈夫か」

 

「な、な、なんにもないですよ!?」

 

 まだ何がどうとも聞いていないが、変に断言してくる。ミーシャは飴の袋を抱え直し、シラベと目を合わせかけてすぐに逸らした。

 

「いや、別に怒ってるわけじゃねえけど」

 

「さ、先に戻ります! 皆さん、待ってらっしゃいますから!」

 

 返事を待たずに銀色の髪が遠ざかっていく。

 

 何を入れてきたのか聞こうとしただけなのに、これでは何か隠していると言っているようなものだ。シラベは苦笑するしかなかった。

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