「で、寝かせたカードは自分の番が回ってきたら起こしてやって、それがスタンド。……ここまで、大丈夫スか?」
「は、はい……たぶん」
ヤヒメはメモ代わりにしている手元の紙ナプキンに目を落としながら頷いた。常連たちの口から聞こえていた呪文のような言葉に、ようやく意味が結び付いてきている。
生命体に戦術、戦略、呪法、機械。場に出したばかりの生命体はすぐには攻撃できないが、即時行動を持っていれば別。攻撃された側は自分の生命体を盾にして受け止めてもいい。ライフは20から始まって、0になった方が負け。
戦術と戦略に至っては字面からして紛らわしい。自分の番のメイン位相とやらの間にしか使えないのが戦術で、自分が動いていい時なら相手の番にも割り込んで使えるのが戦略。一応はそう教わったものの、ヤヒメの頭の中では今も二つの分類が怪しい。
それでも一通りは、どうにか飲み込めた。たぶん。
二人が向かい合っているのは、奥のテーブルだった。少し前まで常連たちが二つ並べて占領していた席で、彼らが帰ったのに合わせて、窓際から二人で移ってきたのだ。
頭の上の壁には、一年近く土産物だと思い込んでいた例の布が掛かっている。確かに言われてみれば、カードの中に似たような意匠が見えることもある。
いつもなら座らない席に自分が座っている。それだけでも妙な気分なのに、向かいにいるのが彼なのだから、落ち着けという方が無理な話だった。
隣のテーブルには説明のためにシラベのデッキから抜き出されたカードが何枚も並んでいる。旅行の荷物にどうしてデッキが入っているのかは分からないが、同行者と遊ぶためだろうか。
その脇では、休憩にと貰ったケーキが二口分欠けたきりで置き去りになっている。コーヒーの方はとっくに冷めていた。
窓際の方をちらりと見るが、サブロウとミトラの姿はない。シラベと共に動いた時はまだ話しているようだったが、いつの間にかあちらも場所を移したようだ。客が来たらどうしよう。
「まあ、細かいとこはやりながら覚えた方が早いんで。ルールはこんなもんにしておいて、どうせならちょっと遊んでみますかね」
シラベは並べていたカードを手際よく揃えてデッキケースへ仕舞うと、椅子の脇に置いていた紙袋を引き寄せた。中から出てきたのは、両手で掴んでもまだ余る大きな箱だった。
「それ、さっき買ったものですよね」
「そうそう。せっかくならこれ使おうかと」
レジ横に並べているECのパックと同じ絵柄が刷られている。パックがまとめて詰まった、ボックスというやつだ。
店の奥から未開封の在庫を出してきたサブロウは、わざわざいいんですか、と言っていたが、シラベはせっかく来たんだから金を落とさせてくださいよ、と笑いながら高額紙幣を二枚、ぽんと出したのだ。
おもちゃに、である。
紙のカードの詰め合わせに、である。
ヤヒメの感覚からすると、ちょっと信じがたい光景だった。
とはいえ、一晩誰かに話を聞いてもらうために似たような額を払っていた身としては、人のことを言えた義理でもない。
シラベはボックスを覆う透明なビニールに爪を立て、慣れた手つきで引き裂いた。蓋を開けると、細長い袋が隙間なく詰まっている。そこから何パックかを抜き出して、ヤヒメの前へ滑らせた。
「これ、高津木さんの分なんで」
「えっ。いえ、そんな、悪いですよ」
「いいんスよ。いきなり紙切れにン千円払って買ってもらう、ってやると、値段に気が行って面白くなくなっちゃうから」
シラベが買っていた時に、変な顔でもしてしまっただろうか。ヤヒメはなんとも言えなくなり、礼を言ってパックを受け取った。手のひらに収まる薄い袋は、見た目よりもずっと軽い。
「ECって、遊び方がいくつかあるんスよ。大体は前もって自分でカードを選んで、束にしたやつを持ってくるんですけど」
シラベは自分の分のパックを一つ取り、袋の端を指先で裂いた。
「これからやるのは、パック買ってその場ですぐ遊べるやり方。……あ、ルーンとか、こういうおまけのカードは抜いて」
出てきたカードの中から何枚かを脇へ除け、手元に残った束を数えてみせる。十五枚。それを三枚ずつに分けて、テーブルの上に五つの小さな山を並べた。
「電撃戦とか呼ばれてるやつです。この三枚を一個のデッキってことにして、ライフはお互い5から。ルーンは使い放題で、コストは好きなだけ払っていい。で、一戦ごとに次の束へ持ち替えて、五戦やって勝ち星の多い方が勝ち」
「えーっと……ルーン使い放題ってことは、最初からなんでも出せるということ?」
「そうそう。で、三枚は最初から全部手札で、山札から引くのは無し。先攻はじゃんけんで勝った方。二戦目からは、前の試合で負けた方が先攻。どっちも決め手が無くて手詰まりになったら引き分けで、またじゃんけんで手番順を決めて、って感じ」
ざっと説明を終えると、シラベは五つの山を指先で揃えた。
ヤヒメは並んだ山を眺め、今しがた聞いた決まりを頭の中でなぞった。ライフは5。コストは払い放題。それなら──
「もし、相手のライフに5点のダメージ、みたいな戦術があったら。それを使ったら、それで終わりってことですか?」
「その通り。それくらいあっさり決着つくこともある、お手軽な遊び方と思っておいて。まあ、こっちが妨害を握ってたら、そうとも限らないけど。飛んできた火力を止めるカードの方も、コストは払い放題だから。で、止められるのを読んで、止めるのを止めるカードも一緒に入れとく。そういう読み合いもできます」
「止めるのを止める……そっか、そういうのもあるんだ」
繰り返してみると、早口言葉のようだった。たった三枚しかないのに、ずいぶんと奥が深いらしい。
「じゃ、試しに一個組んでみましょうか。最初なんで、一緒に見ながらやりますか」
「は、はい」
促されて、ヤヒメは受け取ったパックの一つを手に取った。シラベを真似て袋の端に指を掛ける。思ったよりも硬い袋だが、示された端に、指先で力を込めると案外あっけなく口が裂けた。
中のカードを引き出して、一枚ずつめくっていく。尻尾の先に火を灯した狐。分厚い盾を構えた小人。翼を広げた白い鳥。絵柄の下には、ヤヒメにはまだ暗号のようにしか見えない効果の文が細かく並んでいる。
カードそのものは、ルールを教わる間にシラベのデッキでも見た。常連たちが広げているのもちらりと見たことがある。別に目新しくも無いものだ。
それなのに、自分の手で開けた袋から出てきたというだけで、どれもどこか特別に見えてしまう。
「とりあえず、使わないのを抜いて……そう、それとそれ。で、十五枚」
「三枚ずつって、どう組むのがいいんですか?」
「まずは、一つの束に一枚は生命体を入れられると安心感があると思う。あとは絶対に勝つデッキを作っておいて、勝ち星を取れるようにしておくとか……」
「この竜、コストがすごく重い……あ、関係ないんだっけ」
「そ。だからこの遊び方だと、デカいのは素直に強いんスよ。ただ、出したターンは殴れないんで」
「その間に何かされちゃうこともある、と」
「そういうこと。でも動いてみないと相手の手札のあたりなんてつかないんで、迷ったら攻めも悪くはないかも?」
ヤヒメは一枚ずつ効果の文を読みつつ、三枚の組み合わせを考えていく。単純な足し引きの繰り返しなのに、その答えを探すのが退屈には思えない。
「……これとこれで、5点? え、このまま勝っちゃう?」
「お。気付くの早い。そのまま通ったら一ターン目で終わりますよ」
「それ、ずるくないですか。相手、なんにも出来ないし」
「そういうものだから。俺がやっても恨まないでね」
悪びれもせずに言うので、ヤヒメは思わず吹き出してしまった。
残りのカードも同じようにあれこれと並べ替えているうちに、気付けばヤヒメの姿勢は前のめりになっていた。材料を広げて組み合わせを考えるという点では、夜中に机の上でビーズや金具を前に唸っている時と、やっていることはそう変わらない気がした。
「よし。これでいいですか?」
五つの山が出来上がったところで、シラベに聞いてみる。おお、とどこか意外そうな声を上げている。
「どうかしました?」
「思ったより早いなって。こういうの、全部完璧にしなきゃって考え込んじゃう人も結構いるから」
「でも、パッと何か形を作るってときは、何もしないで唸ってるより、えいやって作っちゃうほうがなんだかんだうまくいくので」
「それは分かる。そこまで割り切れるってことは、なんか手に職ある感じスか? 絵とか音楽とか」
「実はレジの横に置いてるアクセサリー。あれ、私が作ってて。……あっ、で、でも! 店長の好意で置かせて貰ってるだけで、ほんと大したものじゃないんですけど、その」
どこか自慢するように言ってしまってから、慌ててごまかすような言葉を並べる。
「あぁ、確かに吊るしてあった。あれかぁ」
ぐ、と喉が詰まる気がした。見られていた。それどころか、覚えられていた。
「ああいうのって自作出来るもんなんだ。手先器用なんスね」
「……ありがとう、ございます」
単なる社交辞令の言葉。頭ではそう分かっているから、緩みそうになる顔のネジをなんとか巻き直す。
気が付けば、窓の外は藍色に沈み始めていた。
さっきから客は一人も来ない。どうせお客も来ないでしょう、と言っていたサブロウの読みは残念ながら正しかったらしい。
「じゃ、先攻決めますか。じゃんけん──」
「あ、は、はい。ぽんっ」
慌てて出したヤヒメのグーが、シラベのチョキに勝っていた。
「先攻どうぞ。……あ、始める前に」
シラベは背筋を伸ばし、テーブル越しに軽く頭を下げた。
「対戦よろしくお願いします」
「……よろしくお願いします」
倣って、同じ調子で返す。奥のテーブルでお決まりのように交わされていた挨拶を、まさか自分が口にする日が来るとは思わなかった。
始まった一戦目は、何が起きたのか分からないうちに終わった。
コストが払い放題なのだからとヤヒメは最初の束の三枚をまとめて場に出した。生命体が二体に、その片方を強くする呪法が一枚。なかなか堂々たる布陣だと思ったのも束の間、シラベが使った戦術一枚で、二体ともまとめて墓地へ送られた。あとはシラベが出した生命体に二度殴られて終わりだった。
「……全部、なくなりました」
「全部いっぺんに出すと、ああいうのでまとめて流されるんスよ。何枚か手札に残しとくと、向こうも迂闊に動けなくなるんで」
「……覚えておきます」
二戦目。ヤヒメは即時行動持ちで攻撃力2の生命体を場に出して、すぐさま攻撃に向かわせる。シラベの手札から止めに来るカードは出てこない。
続けて戦術を使い、3点分のダメージを叩き込む。
あまりにもあっけなくて、勝った実感が後から追い掛けてきた。
「うわ、やられた。これがあるからなぁ」
シラベは天井を仰いで、それから声を立てて笑った。
「……勝ちました」
「そう、これで一勝」
確かめるように呟いた言葉へ、そう返されてから、自分でも驚くほど口元が緩んでいるのに気付いて、ヤヒメはごまかすように冷めたコーヒーに口を付けた。
これで一勝一敗。
三戦目。先攻のシラベは手札を眺め、一枚の生命体を場に出した。牙を剥いた大きな獣の絵で、攻撃力も防御力も5。出したばかりなので今は攻撃できないが、次の番が来れば、ヤヒメのライフをそれ一体で削り切れる。
「ターンエンドで」
ヤヒメは自分の手札を見る。シラベに壁役と教わった、攻撃力を持たない生命体と、向こうの場にいるのと同じくらい大きな生命体。そして、カード一枚の使用を打ち消す戦略。
どうするのが良いのか。頭を回転させながらヤヒメは向かいの顔を窺った。
シラベは伏せた二枚に指を乗せたまま、のんびりとこちらの出方を待っている。何を握っているのかはその顔からはまるで読めなかった。
読めないのは、手札の中身に限った話でもない。
店に入ってきた時から、彼はヤヒメに初対面の店員として接している。けれど今、こうしてそれなりの時間向かい合っている彼は、本当に自分を覚えていないのか。たとえ覚えていなかったとしても、これまでのやり取りで思い出したりはしていないだろうか。
そういえば、まだ一度も彼の名前を呼べていない。シラセと呼ぶのは憚られたが、かといって押江さんと呼ぶのもなぜだか口が慣れなかった。
ガラスの向こうはもうすっかり暗い。サブロウはいない。連れの人たちもここにはいない。店の中にいるのは、自分と彼の二人きりだ。
伏せた札の中身は、こちらから仕掛けてみなければ分からない。シラベに教わったばかりのやり口だ。それをここで一度くらい試してみたところで、罰は当たらないだろう。
(……今なら、ちょっとくらい聞いても)
ヤヒメは手札をテーブルに伏せ、小さく息を吸う。
「あの、押江さんって──」
『──きゃあああああああっ!』
言いかけた言葉を掻き消して、建物の奥から女の悲鳴が響き渡った。