カスレアクロニクル   作:すばみずる

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24 貴様の性癖の話はしていない!

 ここ数日、『ボトムレスピット』には重苦しい空気が沈殿していた。

 

 原因は明確だ。この家の主とその配下、佐野ミトラと押江シラベの様子がおかしいのだ。

 

「……おはよう」

 

「…………ん」

 

 朝の食卓。ゾンビのような足取りで現れた二人は、挨拶もそこそこにコーヒーを啜ると、死んだ魚のような目で虚空を見つめ続けている。

 

 シラベの目の下には濃いクマが刻まれ、肌は土気色。

 

 ミトラに至っては、死んだ魚のような目が、さらに腐敗が進んでドロドロに溶けたような眼差しになっている。

 

 会話はない。ただ時折視線が交錯し、無言で逸れていく。その様子を、トーストを齧りながらレヴェローズは訝しんでいた。

 

「なあ、姉様。契約者たちが妙ではないか?」

 

「そうですわね。ここ最近、ずっと寝不足のご様子ですし」

 

 向かいの席で優雅にサラダを食べているカルメリエルは、特に気にした風もなく答える。

 

「貴様は何か聞いていないのか? 経理だの在庫管理だので、店長と話す機会も多いだろう」

 

「業務の話しかしませんもの。プライベートなことについては立ち入らないのが礼儀というものでしょう」

 

「むぅ……」

 

 レヴェローズは納得がいかない。

 

 シラベは自分の契約者だ。その体調管理も総督の務め(と本人は思っている)なのに、勝手に様子をおかしくしていくのはどういうことか。

 

 何より。自分を差し置いて、ミトラと秘密を共有しているような空気感が面白くない。

 

 

 

 その夜。

 

 レヴェローズは意を決して、消灯後の廊下で聞き耳を立てることにした。

 

 二階の廊下、いつものように在庫ダンボールの隙間に敷かれた寝袋。そこに潜り込んだまま、狸寝入りを決め込む。

 

 深夜一時。

 

 きしり、と廊下の床板が鳴った。

 

 薄目を開けると、ミトラの部屋から小さな影が出てくるのが見えた。黒いパーカーを羽織ったその姿は、音もなく廊下を渡り──シラベの部屋の前で足を止める。

 

 ノックもしない。当然のようにドアノブを回し、中へと吸い込まれていった。

 

「…………!」

 

 レヴェローズは目を見開く。

 

 そのまま朝まで、ミトラが部屋から出てくることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。『ボトムレスピット』の定休日。

 

 昼を過ぎても起きてこない主人たちを放置して、レヴェローズとカルメリエルは近所のファミリーレストランにいた。

 

 休日の店内は家族連れや学生で賑わっている。

 

 レヴェローズはシラベに買い与えられた無地のロンTにデニムパンツというラフな格好だが、その圧倒的なプロポーションは隠しきれず、周囲の視線を集めていた。

 

 だが、それ以上に注目を集めているのは対面の人物だ。

 

「……姉様。その格好はどうにかならんのか」

 

「あら、何かおかしくて?」

 

 カルメリエルは、いつもの修道服姿──頭にベール、身体のラインを強調しまくるタイトな聖衣──で、ドリンクバーのメロンソーダを飲んでいた。

 

 髪色と体型も相まって、店内の一角だけ異世界になってしまっている。コスプレイベントの帰りか、あるいはプレイか撮影の最中か、などとヒソヒソと囁かれる声など意に介さず、彼女はポテトをつまんでいる。

 

「この世界の服は機能的ですが、やはり聖教の正装が一番落ち着きますわ。それに、ミトラ様も『そのままでいい』と仰ってくださいましたし」

 

「あの店長、絶対面白がってるだけだぞ……。まあいい」

 

 レヴェローズは溜息をつき、本題を切り出した。

 

「昨夜のことだ。見たか?」

 

「ええ。ミトラ様がシラベ様のお部屋に入っていかれましたわね」

 

 カルメリエルは平然と頷いた。礼儀だなんだと言っておきながら、結局この女もこれだ。

 

「朝まで出てこなかった。……つまり、そういうことなのだろうか」

 

「そういうこと、とは?」

 

「だから! 男女が密室で朝まで過ごすなどえっ……は、破廉恥な行為に決まっているだろう!」

 

 顔を赤くして机を叩くレヴェローズに、カルメリエルはくすくすと笑った。

 

「あらあら、レヴェローズったら。そんなにはしたない想像をして」

 

「想像ではない! 状況証拠だ! ここ数日の寝不足、肌艶の変化、そして深夜の密会! これだけ揃えば確定だろう!」

 

「まあ、確かに」

 

 カルメリエルは顎に手を当て、楽しげに目を細めた。

 

「私たちと一緒に暮らし始めて、もう半年近くになりますものね。若い男女が一つ屋根の下、過ちの一つや二つ、起きない方が不自然かもしれませんわ」

 

「あ、過ちだと!? 認めるのか!?」

 

「お二人ともいい歳をした大人ですもの。互いに惹かれ合い、深い仲になるのも自然の摂理……仕方のないことですわよ」

 

 彼女はそこで言葉を切り、ふふっと笑みを深めた。

 

「まあ、ミトラ様のあのお身体で『大人』と言うのは、いささか危うさを感じますけれど。……ふふ、あんなに小さな体で、シラベ様に愛されている姿を想像すると……背徳的ですわね」

 

「貴様の性癖の話はしていない!」

 

 レヴェローズは頭を抱えた。この姉は昔からこうだ。表面上は聖女ぶっているが、中身はドス黒いヘドロのような性根をしている。他人の色恋沙汰、特に歪んだ関係性を大好物としている節がある。

 

「とにかく! 不健全だ! 風紀の乱れだ! 私は総督として、拠点の規律を守る義務がある!」

 

「あら、建前はご立派ね……本音は?」

 

 カルメリエルが上目遣いに覗き込んでくる。気炎を吐いていたレヴェローズが一気に萎む。

 

「本音も、何も、私はただ……」

 

「自分だけ除け者にされているようで、寂しいのでしょう?」

 

 なにかを突かれ、レヴェローズは言葉を詰まらせた。

 

「……別に。寂しくなどない」

 

 レヴェローズはストローを噛みながらそっぽを向いた。

 

「契約者が誰と何をしようが勝手だ。でもそれが……ほら、業務に支障をきたすなら話は別だろう」

 

『自分に隠れてコソコソと、毎晩のように密会しているというのが気に入らない』とは言えなかった。

 

 そうだ、シラベが誰と仲良くなろうが構わない。そう飲み込もうとする。

 

「そうですわね。ですが、いまは放っておきましょう。私たちが出る幕ではありませんわ」

 

 レヴェローズの喉元にあった言葉を知ってか知らずか、カルメリエルはあっさりと結論づけ、メニュー表を広げた。

 

「それより、デザートは何になさいます? 私は季節のパフェにしますけれど」

 

「……チョコサンデーで」

 

 頷きながらも、レヴェローズの瞳の奥にある疑念の炎は消えていなかった。

 

 放っておけるものか。

 

 もし自分の契約者が、あの幼く見える肢体にたぶらかされているのなら、契約者として目を覚まさせなければならない。それが総督の務めだ。そうしなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜。

 

 やはり今夜も、ミトラはシラベの部屋へと消えていった。

 

 廊下の電気は消え、静寂がアパートを支配している。

 

 レヴェローズは寝袋から這い出し、忍び足でシラベの部屋の前まで移動した。背後ではカルメリエルも起きてきている気配がするが、止めるつもりはないらしい。

 

 ドアに耳を押し当てる。

 

 板一枚向こうから、微かだが、確かに二人の声が聞こえてきた。

 

 

 

「……んー……やっぱミトラ……一番……キツい……」

 

 レヴェローズの顔がカッと熱くなる。

 

(キツいだと!? な、何をさせているのだあの合法ロリ店長は! やはりあの体躯だとキツいのか!??)

 

「別に……こんな……大きい……入ってるのに……」

 

 続いて聞こえたのは、ミトラの気だるげな、しかしどこか熱を帯びた声。

 

(大きい!? が入ってる!?? そ、それはシラベの……いや待て、具体的すぎる!)

 

 さらに、部屋の中からは奇妙な音が響いてくる。

 

 パチン、パチン! シャカ、パチン!

 

 硬質な何かがぶつかり合うような、激しい音。

 

(叩いているのか!? 鞭か!? それとも……がぶつかり合う音か!?)

 

 レヴェローズの想像力は、昼間のカルメリエルの言葉も相まって暴走特急と化していた。

 

 いつのまにか隣に出てきていたカルメリエルはあらあら、まあまあと頬を染めて楽しげに聞いている

 

 だが、レヴェローズにはもう限界だった。

 

 

 

「いかがわしい!!」

 

 レヴェローズは叫び、ドアノブを捩じり切る勢いで回した。安普請のドアが悲鳴を上げて開け放たれる。

 

「そこまでだ不埒者ども! 私の目の届く範囲で、そのような破廉恥な行為は断じて許さ──」

 

 威勢よく踏み込んだレヴェローズの言葉は、部屋の中の光景を見て凍りついた。

 

 そこにはレヴェローズの想像にあった淫靡なピンク色の照明も、乱れたベッドもなかった。

 

 あるのは散乱したカードと、ホワイトボード代わりのチラシの裏紙。

 

 そして言い知れぬ淀んだ空気と、充血した目でちゃぶ台に向かい合っている、ボロボロのシラベとミトラだった。

 

「あ?」

 

 シラベが虚ろな目で振り返る。その手にはカードが握られている。

 

 ミトラはあぐらをかき、貧乏揺すりをしながら、手元のカードを──パチン、パチンと、神経質に弾いていた。

 

「……なに。今、忙しいんだけど」

 

 ミトラの指先が高速で動き、カードが小気味良い、しかし殺気立った音を立てる。

 

 いわゆるシャカパチ。手持ち無沙汰や威嚇、あるいは苛立ちを紛らわせるために行われる、手札を弾く音だ。

 

「え、あ……? こ、行為は? 大きいのが入るとか、キツいとか……」

 

 レヴェローズが呆然と呟く。

 

 シラベは深いクマのある目でレヴェローズを一瞥し、それからテーブルの上の惨状を指差した。

 

「……ああ。こいつの話だよ」

 

 そこにあったのは、先日シラベが購入したと聞いた『デュアル・コンストラクション:光と闇の狂宴』だった。

 

 微弱だが精霊の気配がしたそれはレヴェローズにとっても興味深くはあったが、購入報告などその日の夕食を食べる頃には忘れていた。

 

「あーもうイライラする! なんでこんなゴミデッキ回さなきゃなんないのよ!」

 

「仕方ねえだろ。そうじゃなきゃまたお前のところにも来るぞ」

 

「現実に出てこない分一層たちが悪いわ……! 一発殴らせろ!」

 

 ガシガシと頭を掻きむしるミトラ。レヴェローズはすっかり置いてけぼりにされているが、そのまま置いて行かれた方が良い気がしてきた。

 

「あー、すまん、邪魔をした。ごゆっくり」

 

「いや待てレヴェローズ」

 

 ガシリ、と。シラベの手が力強く、レヴェローズの踝を掴む。

 

「丁度いい。お前の意見を聞かせろ。というか聞け」

 

「な、なにを?」

 

「このデッキ、そう闇デッキの方だ。光はどうでもいい。弱いけどまだ許せる。理解が出来る」

 

 聞いてもいない事を語り続けるシラベに、レヴェローズは恐怖を覚える。

 

 足首を掴まれたままでも距離を取ろうとするが、背後に立っていたカルメリエルが邪魔だ。彼女はシラベとミトラの様子を見て意外そうにしているものの、レヴェローズほど気圧されてはいない。

 

「その口振りからすると、闇デッキの方は許しがたいということでしょうか?」

 

「そうだな。許しがたい。こんなものを構築済のデッキとして世に出しやがった公式に中指立ててやりたい」

 

 言葉選びに怒りを滲ませつつも語気を荒げないシラベ。それは荒げる気力も残っていないのだと、掴まれた脚に掛かる力でレヴェローズは察した。

 

「兎にも角にも生き物が弱い。飛んでいるだけでえらいと褒められる場面は数あれど、それはある程度の攻めに寄与出来る性能が要る。いや分かっている。飛んでるじゃんと言いたいんだろう。確かに飛翔は単純だが強力な回避能力だ。それが無いデッキに対しては一方的に嬲り殺すことも出来る。それ自体は間違っていない。問題はその対面と想定されている光属性デッキでは数多の飛翔持ちが採用されていることにある。つまり空中戦が求められる。で、こうなってくると飛んでいるだけで偉いなどとは言えない。それが標準になるんだからな。重要なのはそれぞれの大きさになる。さて闇デッキに収録されている飛翔の生命体の内容を見てみる。小型のものだ。見ろこれ、このデッキに2枚積まれている生命体だ。3マナで、2/1飛翔。それ以外に能力は無い。3マナだぞ。3ターン目でようやく出て来る性能でこれだ。まぁ、構築済デッキだ。仕方ないのかもしれない。2枚採用という数字も見ようによっては奥ゆかしい。このデッキで重複して入っているカードはルーンを除くと2枚までだけなんだが。

 それに、3マナ以下の生命体も入っていないわけじゃない。それぞれピン差しで、1枚ずつ。そう。60枚のうちに、2ターン目に置ける生命体が、2枚しかない。マナ加速? そうだな。使い切りの戦術カードが2枚だけある。1マナで3マナ出せる、優秀なカードだ。偉いな。これがあれば1ターン目に3マナ、2ターン目に4マナ圏へとアクセスできる。で? それでアクセスした先は? 見ろこれ。2枚採用されている4マナの生命体だ。4マナ、飛翔、2/2。なんの冗談だ? 4マナ支払って2/2? ああそうだ。こいつは飛翔持ち以外にも能力がある。そう、プレイヤーの手札が無ければ、+2/+1のステータスアップがされるという能力だ。合計でようやく4/3。能動的に手札を捨てるシステムが確立されているわけでも、大量のマナで手札を吐き出させるわけでもないこのデッキでこんな能力を持っていて一体なんになる? トップ勝負する状態になり続けることすら怪しい。だってマナの補給線が弱いから手札が吐き出せない。なんで光属性デッキにはマナを出す機械が入っているのにこっちには無いんだ? 使い捨ての戦術カードでなんとかしろと? それの枚数だって2枚しかないし、瞬間的にマナを伸ばして出せたら勝ちなんてカードも無い。確かに『大穴』は強力だ。それに伍する、いや性能的には凌駕している生命体だってデッキに入っている。それはいい。でも出せない。そこまで対戦が伸びるころには、同じ飛翔を持つ対面デッキに殴り続け、盤面を制圧され、ライフレースにも負けた状態。そんな中でデメリット持ちの生命体なんて出してみろ。自分のカードで搾り尽くされるのがオチだ。いや、そんな綺麗な負け方が出来るならまだいい。そこに行きつくまで生きている保証もないし、十中八九嫌気が差して投了する。俺ならそうする。した」

 

 沸き立つ汚泥が如く述べられたシラベの陳述がレヴェローズの脚を悪寒と共に這い上がってくる。それは自分という(認めたくはないが)カスレアに対する呆れや怒りに対するものよりもずっと重く、そして救いの無いように思えた。

 

「そ、そのようなデッキなら、使わなければいいのでは……?」

 

「そう思ったんだけどね」

 

 怨嗟を振りまく置物と化したシラベの代わりにミトラが口を開く。

 

「こいつらの代表カード、『レディ・ローマ』と『大穴』が夢枕に立つのよ。まだ頑張れ。まだ対戦しろ。私たちを盤面に出して戦わせろって」

 

「まぁ。悪霊じみてますわね」

 

「実際そんなようなものよ。シラベに付き合って一回触っただけでこっちにも執着してきて……夢見が悪いからまともな運用方法考えてやってたけど、考えれば考えるほど結論が固まるわ」

 

 何度目か分からない溜め息。吐き捨てるようにミトラが言う。

 

「このデッキ、カスだわ」

 

「そういうわけでな。俺たちはここ数日、このカスをどうにかして戦えるレベルにまで引き上げるために、ありとあらゆる戦術案を試してたってわけだ」

 

 シラベは酸欠になりかけた魚のように口をパクパクさせながら、ようやく一息ついた。

 

 その瞳孔は開ききっており、限界を超えた疲労による興奮状態が続いているのが見て取れる。

 

「光の方はまだいい。『レディ・ローマ』自体は強いし、守りを固めて後半に繋ぐ戦術が取れる。だが闇はダメだ。基盤が腐ってる。土台がグラグラの家に豪華な家具を運び込もうとしてるようなもんだ。どんなに補強しても、基礎工事からやり直さないと崩壊する」

 

「あー、もういい。分かった、分かったから」

 

 レヴェローズはおずおずと手を伸ばし、自分の足首を掴んでいるシラベの指を一本ずつ剥がしていった。

 

「つまり、貴様らの不調の原因は、そのデッキ……および、そこに憑いているものどもというわけだな?」

 

「そうだっつってんだろ。あー、クソ。頭いてえ」

 

 シラベはこめかみを抑え、ガクリと項垂れた。

 

 その横で、ミトラもまた憔悴しきった様子で天井を仰いでいる。

 

 二人のあまりの消耗ぶりに、レヴェローズはかける言葉を失った。

 

「お困りのようですわね」

 

 と、それまで静観していたカルメリエルが、優雅な足取りで部屋の中へと進み出た。

 

「姉様?」

 

「迷える子羊たちを救うのも、聖職者の務め。わたくしにお任せくださいまし」

 

 カルメリエルは胸の前で両手を組み、そして散らばったカードの山に向かって、静かに祈りを捧げ始めた。

 

「──古き契約において結ばれし魂たちよ。貴女方の声は届きました。その嘆きも、未練も、渇望も」

 

 彼女の声は、普段の少し粘着質な響きとは異なり、澄み渡るような清涼感を帯びていた。

 

 部屋の空気が、ふわりと変わる。淀んでいた空気が浄化され、代わりに柔らかな光の粒子のようなものが漂い始める。

 

「貴女方の輝きは失われてはいません。ただ、時が過ぎ、戦場が変わっただけのこと。その誇り高き名は、永遠に記録(クロニクル)に刻まれています。……今は安らかに眠りなさい。新たな戦いの時が来る、その日まで」

 

 カルメリエルがそっとカードに触れると、部屋に立ち込めていた何かが晴れるように消え失せた。

 

「……おお」

 

 ミトラが小さく声を漏らす。肩の荷が下りたように、その身体から力が抜けていくのが分かった。

 

「これでもう、干渉されることはありませんわ」

 

 カルメリエルは満足げに微笑み、振り返った。その背後には、見えない後光が差しているようにさえ見える。

 

「……あんた、そういうの出来るんだ。本物の聖職者みたい」

 

「あら、契約者様?」

 

 カルメリエルの眉がピクリと動いた。笑顔は崩していない。だが、その瞳の奥には冷気が渦巻いている。

 

「わたくしの法衣をご覧になって? これでも一国の国教を束ねていた身ですのよ? 『みたい』ではなく、正真正銘の聖女ですわ」

 

「あ、ハイ。そうでした。すみません」

 

 ミトラは反射的に縮み上がった。普段の慇懃無礼な態度に隠れがちだが、この精霊が元々どういう存在だったかを思い出し、背筋が凍る。

 

 レヴェローズは気まずそうに視線を逸らしつつ、自分の足元で沈黙しているシラベに声をかけた。

 

「お、おい契約者。聞いたか? もう大丈夫らしいぞ」

 

 だが、返事はない。

 

「契約者?」

 

 覗き込むと、シラベはレヴェローズの足元に突っ伏したまま、静かに寝息を立てていた。

 

 その顔は、久しぶりに安らかな眠りについている子供のようだった。

 

「……はぁ。また寝落ちしてる」

 

 ミトラが深いため息をつく。だがその表情には、先ほどまでの殺気立った険しさはなく、どこか安堵の色が混じっていた。

 

「まあ、無理もないわね。このところぶっ通しだったし」

 

「お疲れでしょうね。もう大丈夫ですから、私たちも寝ましょう。夜更かしはお肌の大敵ですわよ、レヴェローズ」

 

「う、うむ。そうだな。……では、お邪魔した」

 

 カルメリエルが穏やかに促し、姉に言われるままレヴェローズは逃げるように部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 廊下の電気を消し、静寂が戻ったボトムレスピット。廊下に敷かれた寝袋に潜り込むと、レヴェローズはすぐに寝息を立て始めた。

 

 ここ数日の監視による寝不足と先ほどの緊張からの解放で、睡魔には勝てなかったようだ。

 

「ふふ。おやすみなさい、可愛い妹」

 

 カルメリエルは隣の寝袋で、妹の寝顔を見つめながら微笑んだ。

 

 だが、彼女自身は目を閉じようとはしなかった。

 

 その視線は、暗闇を通して、静まり返ったシラベの部屋のドアへと向けられている。

 

(……出てきませんわね)

 

 レヴェローズたちが部屋を出てから、数十分。

 

 ミトラが部屋から出てくる気配はない。足音も、ドアの開閉音もしない。

 

 シラベは寝ていた。怨念じみた想いを募らせた精霊は鎮めさせた。もはやあの部屋に留まる理由は存在しない筈だ。だがミトラは、あの部屋の中に留まっている。

 

(やはり、あのお二人……ふふふ)

 

 カルメリエルは無言で笑みを深めた。

 

 聖女の祈りは迷える魂を救済したかもしれない。だが、現世に生きる男女の間に芽生えた、別の種類の熱までは浄化しなかったようだ。むしろ障害を取り除くことで、より親密な時間を過ごせるよう計らったことになったのかもしれない。

 

 寝袋の中で、カルメリエルは想像を巡らせる。静かな部屋。散らばったカードの中で眠る男と、それを見守る女。

 

 その光景を幻視しながら、聖女は満足げに瞳を閉じた。

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