カスレアクロニクル   作:すばみずる

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29 人並みの羞恥心とか無いのか?

 日曜の朝。半分だけ開けたシャッターから差し込む日差しが、店内の埃を照らし出している。

 

 今日は近所の小学生を集めた『エインヘリヤル・クロニクル』の初心者講習会だ。

 

 開店前の店内で、シラベは前任の店員、甲賀サブロウが残した虎の巻を片手に準備を進めていた。

 

 プレイマットにルールブック、配布用のデッキ。カウンターに積んだ販促グッズを確認し、最後にバックヤードから貸出用の段ボール箱を引っ張り出す。

 

 手ぶらで来た子供たちに貸すための、使い古されたデッキが入った箱だ。構築理論や対戦プロトコルを無視した大味なものばかりだが、毎ターン動けて大型生命体を出せればいいという単純さはティーチングには向いていた。

 

 

 

 中身を点検しようと箱を開けたシラベの手が止まる。

 

「……あれ」

 

 輪ゴムで止めたカード束や黄ばんだケースの中に、先日放り込んだはずのものが見当たらない。白と黒の新品ケース。『レディ・ローマ』と『全てを喰らう大穴』が入った例のデッキだ。

 

 箱をひっくり返しても出てこない。誰かが持ち帰ったか、ミトラがこっそり処分したか。

 

 あんな紙束でも、貸主としての資産が消えたという痛手がある。間違って持ち出されたならカードゲーム嫌いにならないか心配だ。

 

 とはいえ、もとより。小学生に握らせるのも心苦しい内容ではある。

 

「ま、いいか」

 

 無いと気味が悪いが、あっても困る代物だ。シラベは考えるのをやめ、準備を再開した。

 

 

 

 午前十時、講習会が始まった。

 

 集まった十人ほどの小学生男子が上げる高い声と熱気がデュエルスペースを満たしている。

 

「まずルーンカードをマナフィールドに置く。ここからマナを出して、手札のしもべや戦術を使うんだ」

 

 シラベは手本を見せながら、淡々とルールを教える。

 

「お兄さん! これ攻撃できる?」

 

「それは次のターンまで無理だ。『即時行動』を持ってない生命体は、出したターンには動けない」

 

「ねえねえ! このカード強い?」

 

「強いけどコストが重いな。どう活躍させるか考えながらデッキを組むといい」

 

 子供たちは目を輝かせてカードを動かしている。環境だのメタだのといった言葉を知らない無垢な姿に、シラベの心も洗われるようだ。

 

 だが、その空気を乱す不穏分子が二人いた。

 

 

 

「おい少年。そこは攻撃ではない。マナを温存し、相手のターンに備えるべきだ」

 

 レヴェローズだ。大人しくしているはずが、我慢できずに口出しを始めている。

 

「え、でも攻撃したいよー」

 

「待て待て。そこは待機して……ほら、こうするのだ」

 

 背後から覆いかぶさるように手を伸ばした瞬間、彼女の豊かな果実が少年の後頭部に押し付けられた。

 

 少年の動きが止まる。頭部に感じる圧倒的な弾力と匂いに、思考がショートしたらしい。

 

 

 

「うわーん! 僕のターン飛ばされたー!」

 

「だってお前、終わりって言ったじゃん!」

 

「まあまあ、喧嘩はいけませんわ」

 

 別の卓で揉め始めた子供たちには、カルメリエルが介入した。彼女は慈愛に満ちた微笑みで、泣く子供と喚く子供の頭を胸に抱き寄せた。

 

「どのような場所であっても、諍いは空しいものです。さあ、仲直りなさい」

 

 争いの無益さを説きながら、シスター服に包まれた谷間へ子供の顔を埋没させる。

 

「むぐっ、むぐぐっ!?」

 

 バタつく手足を無視してよしよしと頭を撫で続ける様は、抱擁というより柔らかな圧搾機だ。

 

「……はぁ」

 

 シラベは遠い目をした。蹴り出したいのは山々だが、一人ですべての卓を見るのは無理がある。悪影響は承知の上で黙認するしかなかった。彼女たちがやらなければ、バックヤードでスマホをいじっているミトラを駆り出す羽目になるが、自分たちと年かさの変わらないように見えるミトラが教える側に回っても、小学生たちは真面目に話を聞かないだろう。何よりミトラは絶対に拒絶する。

 

 少年たちの性癖が歪まないことを祈りつつ、シラベはティーチングを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 正午になり、午前の部が終了した。

 

 公式から配布されたスタートデッキを貰って喜ぶ子供たちを見送り、シラベは店先で缶コーヒーを開ける。

 

 肉体的な疲労はそれほどでもないが、子供相手の接客にポンコツ姉妹の制御は神経を使う。カロリー消費が激しい。

 

 風に吹かれて一息ついていると、背後から声がかかった。

 

 

 

「まだティーチングは受け付けているかな? 従僕くん」

 

 

 

 ねっとりとした芝居がかった声。振り返るまでもない。一週間前に号泣して去っていったストーカー社長だ。

 

「……今度は何の用だよ、ヒナタ。また警察呼ぶぞ」

 

 うんざりしながら振り返り、シラベは固まった。缶コーヒーを取り落としそうになるのをギリギリで堪える。

 

 そこに立っていたのは、確かに亜修利ヒナタだった。アッシュグレーの髪も整った顔立ちもそのままだが、服装が劇的に変化している。

 

 以前のスーツではない。白と黒のツートンカラーで彩られた、露出度の高いバニースーツのような衣装だ。黒いマントのような外套の前は大きく開かれ、網タイツに包まれた長い脚とくびれたウエストが晒されている。

 

 何より、以前は如何なる手管か圧縮されていたであろう胸元が、暴力的なまでの質量を持って解放されていた。

 

 スートの模様があしらわれた胸当てから零れ落ちそうな双丘の谷間は、見る者の理性を吸い込むようだ。

 

 

 

 シラベは絶句した。変質者だ。間違いなく変質者だ。しかもどこか見覚えのある意匠を取り入れた、タチの悪い変質者。

 

 ヒナタはシラベの反応を楽しむように艶然と微笑む。

 

「おや、そんなに熱い視線を送って。私の新しいファッションが気に入ったかな?」

 

「お前……なんだその格好」

 

「男装の麗人も愛好しているが、友人たちのアドバイスで趣向を変えてみたのだよ。私の秘められた魅力を最大限に引き出す、攻撃的なスタイルにね」

 

 豊満な胸に手を当てて言うが、友人からのアドバイスなどとよく言ったものだ。この意匠、この白と黒のカラーリング、そして漂う胡散臭いオーラ。間違いなくロクでもない精霊たちが関わっている。

 

「おい、レヴェローズ! ちょっと来い!」

 

 シラベは店内に向かって叫ぶ。一人では危険すぎる。

 

「なんだ契約者、騒々しいぞ。まだ片付けの途中……」

 

 中から、小学生を抱えたままのレヴェローズが出てくる。同様に、帰っていない子供の相手をしていたカルメリエルも顔を出した。

 

 そして全員がヒナタを見て凍りつく。

 

 レヴェローズが目を剥き、カルメリエルが口元を抑えた。抱えられていた小学生男子たちは、眼前に現れた新たなお姉さんの衝撃に言語機能を喪失し、無言でその胸部を凝視している。教育に悪すぎる。

 

 

 

「なんだこの痴女は!?」

 

 レヴェローズが叫んだ。

 

「ヒナタだよ。先週泣いて帰ったストーカー」

 

「なっ……あれがか!? いやしかし、あの時はもっとこう……いや、胸とか……えぇ……」

 

 レヴェローズはヒナタの胸と自分を見比べる。サイズは勝っていても、露出度とインパクトでは負けていた。

 

 ヒナタは周囲の視線など意に介さず、優雅に髪を掻き上げた。

 

「痴女とは失礼な。私はただ、このゲームの深淵を学ぶために来ただけだよ。一人のプレイヤーとしてね」

 

「帰れ」

 

 シラベは即答した。

 

「そんな格好の奴を店に入れられるか。風紀が乱れる」

 

「おや心外だな。風紀と言うなら、そこのシスターも大概ではないかな?」

 

 ヒナタはビシリとカルメリエルを指差す。

 

「ボディラインを強調する修道服など、淫靡の極み。あれが許されて私が許されない道理はないはずだが?」

 

 言葉に詰まる。客観的に見ればカルメリエルの格好もフェティッシュなコスプレだ。今までスルーしてきたが、この店の風紀は元から崩壊していた。

 

「それに、ここで私を追い返せば……このまま商店街を練り歩いて帰るとしようか。『ボトムレスピットで門前払いを食らった』と泣きながらね」

 

「人並みの羞恥心とか無いのか?」

 

 最低の脅しだ。この格好で外を歩かれ、店の名前を出されれば評判に関わる。「変なコスプレ女が出入りしている」という噂が立てば、まともな客足は遠のくだろう。レヴェローズとカルメリエルがいる時点で今更ではあるが、意図して流される悪評は雪ぐのが難しい。

 

 シラベは天秤に掛けた。

 

 子供たちの前で警察沙汰にするか、頭のおかしい女を店内に押し込めるか。

 

 シラベは今日何度目か分からない溜息をついた。

 

「分かった。入れ」

 

「賢明な判断だ」

 

「ただし! 絶対に騒ぎを起こすなよ。子供たちに変なちょっかい出したら即通報する」

 

 シラベは釘を刺し、レヴェローズに向き直る。

 

「おいレヴェローズ。体験会の参加名簿持ってこい。……一応、客として扱ってやる」

 

「う、うむ。承知した……」

 

 レヴェローズが困惑したまま店内へ戻っていく。

 

 ヒナタは勝利の笑みを浮かべ、黒い外套を翻してシラベの横を通り過ぎた。

 

 すれ違いざま、ふわりと香水が香る。

 

 それは薔薇ではなく、どこか古い紙と、冷たい夜の匂いがした。

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