景品を用意すると言ってシラベがバックヤードのカーテンをくぐった、その瞬間だった。
待ち構えていたかのように、否、実際待ち構えていたのだろう影が飛びかかってきた。
「ちょっと、どういうつもりよ」
視界より低い位置から伸びてきた手が、シラベの胸倉を鷲掴みにする。
カーテンの裏に隠れて様子を窺っていたミトラの手だ。彼女はシラベのシャツを力任せに締め上げながら、噛みつかんばかりの勢いで唸るように言う。
「なんであいつを店に入れたの。次来ても帰らせろって言ったでしょ!」
小柄な体躯相応の力で掴んでくるミトラに対して微笑ましい気持ちを抱きつつ、シラベは両手を挙げて降参のポーズを取った。
「落ち着け店長。苦しい、ギブギブ」
「うるさい! 私の安息を売り渡した罪は万死に値するわよ。今すぐつまみ出しなさい!」
「無理言うなよ。あいつ、このまま帰したら泣き喚いて悪評ばら撒くって脅してきたんだぞ」
シラベは暴れるミトラの手首を慎重に引き剥がした。解放された襟元を整えつつ、顎でカーテンの向こうのヒナタを示す。
「それに気づいてるだろ。あいつの様子、明らかにおかしい」
「はあ? あいつは昔から頭がおかしいのよ」
「いや、そういうベクトルじゃない。あの格好もそうだが、纏っている空気が前と違う。レヴェローズやカルメリエルと同じ匂いがするんだよ」
シラベの指摘に、ミトラの動きが止まった。
彼女も薄々は感じていたのだろう。かつての同級生が見せる、常軌を逸した変貌ぶり。単なるイメチェンや乱心で片付けるには、漂う気配が異質すぎた。
「……精霊案件だって言うの?」
「十中八九な。そんなのが関わってる状態で下手に刺激して追い返せば、何が起こるか分からない。店の外で暴れられたり、超常的な何かで営業妨害されたりしたら目も当てられないだろ。とりあえず店の中に囲い込んで、監視下に置いた方がマシだ」
「……チッ」
ミトラは舌打ちをし、忌々しげにカーテンの隙間から店内を睨んだ。
その視線の先では、バニーガール風の衣装を着たヒナタが、小学生相手に楽しげにカードを捌いている。
「放置してたら被害が拡大してた可能性が高い、か」
「だろ。で、だ」
シラベは棚に寄りかかり、腕を組んだ。
「あいつの目的は明白だ。さっき俺に確認してきたんだよ。『優勝者は店員とのエキシビションマッチができるのか』ってな」
「ああ、なるほどね。正規の手順を踏むように気取って、私を引きずり出すつもりか」
「ああ。優勝者の権利でミトラを指名して、そこで何かしらの賭けを持ちかける気だろ。負けたら付き合えだの、結婚しろだの」
ただのストーカーが流儀に則ったつもりの酔狂なら蹴り飛ばせばいい。だが、そう甘く見積もれないだろうとシラベは踏んでいる。精霊の力が絡んでいるなら、デュエルの敗北が強制力のあるものになりかねない。レヴェローズの時がそうだったように。
「はん。馬鹿馬鹿しい」
ミトラは鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「そんな伝統、適当な理由をつけて断ればいいじゃない。店員は不在だとか、体調不良だとか。そもそもミトラなんて店員はいないと言い張れば済む話よ」
「逃げるのか?」
「戦略的撤退と言いなさい。相手にするだけ時間の無駄よ」
ミトラは興味を失ったように、手近な段ボールに腰掛けてデュエルスペースに背を向ける。
シラベはその背中に向かって、あえて淡々と言葉を投げた。
「あいつ、初心者のくせにミトラに勝てるつもりでいるぞ」
ピクリ、とミトラの肩が反応する。
「ルール覚えたての素人が、この店の店長を倒す気満々だ。舐められたもんだよな」
「あいつは自信家だからね。それに私と違って地頭はいいし、なんでもそつなくこなすタイプよ。ビギナーズラックも含めれば、ワンチャンあると思ってるんじゃない?」
ミトラは振り返らずに言うが、その声には微かな棘が含まれていた。
シラベは一歩踏み出し、その小柄な背中を見下ろした。
「俺は嫌だね」
「何が」
「お前が、あんな奴に舐められてるのが、俺は気に食わないっつってんだよ」
シラベは真っ直ぐに言った。本音だった。
「確かにお前は性格が悪くて口も悪くて胸も社会性も欠如している35歳児だ。ヒナタのがマシに見られるだろうさ」
「殺されたい?」
「だがカードゲーマーとしてのこれまでの積み重ねと腕は本物だ。お前のもとで働いててそれは確信してる。俺よりよっぽど強い」
「あんたより強いからって、それが何になるってのよ」
「俺は、俺より強いお前が、ぽっと出の素人に勝ち目があるなんて舐めた事を思われてるのが我慢ならない。やってみせろよ、店長」
ミトラが無言になる。狭いバックヤードに、店内の喧騒が遠く響いていた。
しばらくして。彼女は大きく一つ、溜め息をついた。
「……はぁ」
くるりと振り返る。その顔は呆れ果てているようだったが、迷いは無かった。
「分かったわよ。やればいいんでしょ、やれば」
「お、やる気になったか」
「あんたが煽ったんでしょ。……で、あいつがエキシビションで使用するデッキは? 属性は? アーキタイプは?
ミトラは矢継ぎ早に問い詰めながら、バックヤードに積んでいた自分のデッキケース置き場へと歩み寄る。
シラベは内心でガッツポーズをしつつ、肩をすくめてみせた。
「さあな。まだ分からん。借り物かもしれんし、持ち込みかもしれないし。……なんだ、初心者相手にメタでも張るつもりか? 大人げない」
軽口を叩いた瞬間、シラベのすねに鋭い衝撃が走った。
「いった!?」
ミトラがつま先でシラベの弁慶の泣き所を蹴り上げていた。
「馬鹿じゃないの。初心者相手だってんなら、デッキレベルを合わせてあげなきゃダメでしょ」
ミトラは涙目で跳ねるシラベをジト目で見上げ、腕を組む。
「ティーチング用の貸出デッキを使うのか、それとも自前の構築済みデッキなのか。それによってこっちが使うデッキも変わるわ。ガチの環境デッキで初心者を轢き殺して何が楽しいのよ。接待プレイも店長の務めでしょ」
「……あ、ああ。なるほど」
言葉に詰まる。そんな配慮をミトラがすると、シラベは思っていなかった。そもそもヒナタ相手に接待など必要ないはずだ。
だが、それはミトラなりのプライドなのだろう。本気を出さずとも捻り潰せるという余裕のアピールか、あるいは単に虐殺を好まない美学か。
「それなら持ち込みのデッキのアーキタイプを調べようとするのもダメだろ……いってて」
「それはそれ、これはこれ。デッキの相性負けで自分の人生が傾くって言うなら、分からん殺しされない程度には同じ土俵に引きずり降ろす準備はしとかないといけないでしょうが。全く、気が利かない店員ね」
ミトラは理不尽に罵ると、棚からいくつかのデッキケースを取り出した。
初心者相手でも程よい勝負ができるファンデッキ。そして、万が一相手がガチだった場合に備えての殺意に満ちたデッキ。
「少し調整するわ。あんたはさっさと戻って、進行進めなさい」
彼女はケースを開け、手慣れた手つきでスリーブの入れ替えを始めた。その横顔は、既にカードゲーマーのそれになっていた。
どうにか丸め込むことには成功したことにシラベは安堵する。優勝賞品として用意していた売れ残りのブースターボックスを小脇に抱え、カーテンに手を掛ける。
「じゃあ頼んだぞ、店長」
「あ、待ってシラベ」
「ん?」
「カルメリエルを呼んで」
シラベは振り返る。
「カルメリエル? ……ああ、確かに相手に精霊がいるなら、あいつも呼んでおいた方がいいか。デッキに入れるのか?」
ヒナタに憑いている精霊が牙を剥いてくるなら、同じ化け物の力を借りるのは理にかなっている。以前の『除霊』の実績もカルメリエルにはあるし、力を借りるためにデッキにいれる必要があってもレヴェローズよりだいぶマシだ。遥かにマシだ。
だが、ミトラは首を横に振った。
「違うわ。デッキ云々じゃなくて……ちょっと、確認したいことがあるの」
ミトラの表情は、シラベには読み取れない色をしていた。企みがあるという雰囲気ではなく、むしろ不安を帯びているようにも見える。
「確認?」
「いいから呼んで。あんたは持ち場に戻る!」
「へいへい」
追い立てられるようにして、シラベはバックヤードを出た。
カルメリエルにバックヤードへ行くように伝え、入れ替わりにシラベがデュエルスペースに戻ると、トーナメント一回戦目は佳境に入っていた。
「私のターン。ドロー」
ヒナタの声が響く。
対戦相手の小学生は、盤面に大型生命体を並べて勝利を確信しているはずだ。だがヒナタは表情一つ変えず、手札から一枚のカードをプレイした。
「戦略『炉心融解』。対象はキミ本体だ」
貸出用デッキに入っている中では高火力のカードだ。彼女は自分の場の機械をコストに捧げ、相手の主力の生命体を無視して相手自身を焼き払う。
「続いて『廃銭漁りの火達磨兵』を召喚。効果で1点のダメージをそちらに、そして『TT』
ヒナタは大型生命体に対する壁として『火達磨兵』を用意しつつ、ルーンを立たせたままターンを終わらせている。その上、機械でもある『TT』
シラベはポーカーフェイスで卓を見回りつつ、状況を確認してみる。
発動タイミングを問わない戦略カードである『炉心融解』を、メイン
しかし『炉心融解』の対象はフィニッシャーではなく、ライフに余裕があるプレイヤー本人だった。ライフで受ける分にはまだ食らっても大丈夫、相手はそう考えたのか、握っていたカウンターを撃ちそびれている。
そして次にヒナタが出してたのは、小型の生命体の火達磨兵。さっき『炉心融解』で食らったダメージと比べると、これを打ち消すカウンターを撃って妨害するのは勿体なく感じることだろう。
むしろ警戒するのは、一緒に出てきた機械の
一度目は余裕。しかし重ねて撃たれると危ない。
どうせ戦闘で壁になるだけの生命体は無視していい、もう一発大きな直接火力が飛んでくるなら、そちらを止めるほうがいいかもしれない──そう構えさせている。
その判断は悪くない。二度目の『炉心融解』は止められるだろう。
だがヒナタが大型生命体で攻撃された時、それが致命でないなら止める必要性は無い。火達磨兵は生き残る目がある。残されるのはがら空きになる相手のフィールド。
そこを火達磨兵と共に刺すための『早撃ち』持ちの生命体が、ヒナタの手札には眠っていた。
ヒナタが使っているのは、シラベが適当に組んだ貸出用の火属性デッキだ。シラベがミトラとの採用試験の際に使っていたデッキに近いが、
だがヒナタが回すと、あり合わせで作られた筈のカードたちが不思議と噛み合って見えた。ドローの質、ダメージ計算、相手の妨害を読む嗅覚。どれも優れたセンスを感じさせる。
門外漢だった分野においても頭角を現す姿は、ミトラへ詳らかに語った来歴に偽りは無いのだろう、とシラベに思わせた。
「つっよ」
「あのお姉ちゃん、全然ミスんないね」
観戦していた子供がポツリと漏らす。
ヒナタは子供相手に忖度も容赦もしない。そのままペースを握ったまま盤面を勝利へと進めさせるヒナタがふと顔を上げ、シラベと視線を合わせた。
『待っていろ』
声に出さずとも、その瞳は確かに告げていた。
その薄ら寒い目線を無視して、シラベはヒナタの様子を伺う。
エキシビジョンマッチで使用してよいデッキは、トーナメントで使用していた貸出デッキに限っていない。この巧みさを活かして、このまま火属性のデッキを使い続ける可能性もある。
だが。この目立ちたがりが、貸出デッキで満足するだろうか。言わんや精霊がいるとなれば、そいつの入ったデッキがあるべきだ。
そうなると、どこかに別のデッキを用意していることになる。今は畳んで置いている黒い外套にはそのような膨らみは無さそうだ。バニースーツにポケットなどあるわけないし、デッキを収めるホルスターなんてものも身に着けていない。
そうなると、見つめるべき先は自然と一点に引き寄せられる。それは周囲の小学生と同じ行先だった。レヴェローズもあそこから取り出していたし、もしかすると人間でも可能かもしれない。
「ん、んんっ。……契約者。如何に痴女相手でも、少しは遠慮というものを覚えたほうがいいぞ」
咳払いしながらレヴェローズが小声でシラベに囁いた。
シラベが視線を少し上にずらす。余裕ぶっているヒナタの表情は変わらないものの、その両頬がほのかに赤く染まっていた。
ずっと王子様スタイルで通していたとミトラが言っていたのをシラベは思い出す。もしかすると、今の様に大きくデコルテを晒している姿は彼女にとって実は恥ずかしいのかもしれない。
これはこれで弱みになるかもな、と思いつつ、シラベはレヴェローズに引っ叩かれるまで深淵なる谷間への凝視を続けた。