「チェックメイトだ」
その宣言と共に、対戦相手の少年ががっくりと項垂れた。
周囲で見守っていた子供たちから、賞賛と畏怖の混じった声がさざ波のように広がる。
トーナメント決勝戦。結果はシラベの予測通り、亜修利ヒナタの優勝で幕を閉じた。
決勝戦においてもヒナタは気負う様子を一切見せず、終始盤面を支配し続けていた。対面の少年からしてみれば、あと一歩で優勝賞品という重圧に加え、目の前に座るのが露出狂じみたバニースーツのお姉さんとなれば、理性を保つだけでも一苦労だったろう。視線のやり場に困り、プレイに集中できなかったとしても責められない。
雑念を振り払い、シラベは進行役として一歩前へ出た。
「優勝は亜修利ヒナタだ。おめでとう。……ほら、お前のものだ」
シラベは未開封のブースターボックスをテーブルに置いた。
子供たちの羨望の眼差しが箱に突き刺さる。売れ残りとはいえ、パックが三十個詰まった夢の箱だ。小遣いを握りしめてパックを一つ買うのとはわけが違う。その質量は子供たちにとって想像を絶する富の象徴に見えるはずだ。
ヒナタは優雅に脚を組んだまま箱に手を伸ばした。長い爪先がシュリンクを破る。中から銀色に輝くパックを一つ摘み上げると、それを物欲しそうに見つめる小学生たちへ流し目を送り、微笑んだ。
「今日の戦いは素晴らしいものだった。少年たちよ、君たちの熱意には胸を打たれた」
彼女は芝居がかった動作で立ち上がると、対面に座っていた敗者の少年にパックを差し出した。
「この喜びを独り占めするには私には荷が重い。……受け取りたまえ」
「え、いいの!?」
「勿論だとも。さぁ、隣の君もどうぞ。……君もだ。良いカードが当たることを祈っているよ」
絶対的な力を見せつけてから一転、握手会でもするかのようにヒナタはパックを配り始めた。
子供たちは大喜びでそれを受け取ると、礼もそこそこに開封の儀を行うために三々五々と店を飛び出していった。
嵐が去った後のような静寂が、店内に舞い戻る。
残されたのは空になったボックスの残骸と、優雅に椅子に座るバニーガール。そして呆然と立ち尽くす店員のみ。
「……意外だな」
シラベは散らかった包装フィルムを片付けながら、独り言のように漏らした。
「てっきり、自分とミトラ以外はどうでもいいとか抜かして、子供たちを巻き込んで騒ぎを大きくするんじゃないかと思ってた」
エキシビションマッチという名の私闘。ヒナタのような自己完結しているナルシストにとって、観客なんていてもいなくても良いだろう。ならばそれを利用して店側を縛る口実にするくらいの悪知恵は働かせるだろうとシラベは踏んでいた。
ヒナタはフンと鼻を鳴らし、組んでいた脚を逆に組み替えた。網タイツの擦れる音が静かな店内に響く。
「心外だね。たとえ君の認識通りに私が冷酷な人間だったとしても……無垢な子供たちを舞台装置にするのは、美しくない」
目を伏せ、長い睫毛を震わせるヒナタ。
その言葉はナルシシズムに浸った自己陶酔そのものだったが、シラベは不思議とそれを嘲笑う気にはなれなかった。
少しの間の後。ゆっくりと開かれた瞳が、明確な敵意を帯びてシラベを射抜いた。
「さて、君の憂いも絶てたことだ。約束通り、権利を行使させてもらおうか」
シラベは一つ息を吐き、店員としての仮面を被り直した。
「ああ、そうだな。トーナメント優勝者には、店員とのエキシビションマッチを行う権利が与えられる。……で、誰をご指名だ?」
形式的な確認だ。そのためにここまで茶番に付き合ってきたのだから。
シラベは視線をバックヤードのカーテンに向けて──
「対戦相手は君だ。押江シラベ」
その宣言に、思考を停止させた。
向き直るシラベへと、白く細い人差し指が突きつけられている。
「あ?」
シラベは間の抜けた声を上げた。
「俺? ミトラじゃなくてか?」
「そうだ。君を指名する」
ヒナタの瞳には、揺るぎない殺意と、暗く淀んだ情念の炎が宿っていた。冗談や気まぐれではない。明確な意思を持って、シラベを標的に定めている。
「なにか問題があるのかな? 午前の部でも君が優勝者と対戦したのだろう? なんでも……伝結晶総督とかいうカードが入った、お手製のデッキで」
「おう。相手が店頭で売ってるミトラ謹製の構築済で対戦するって言うから、デッキレベルを合わせる為にな。……ここに来たのは午後からなのに、よく知ってるじゃねえか」
「愛ゆえの観察眼だよ」
そう言いながら、ヒナタはゆっくりと自身の胸元──大きく開かれたバニースーツの谷間に手を差し込んだ。
「なので。私も先ほどまでのデッキではない。自分のものを使わせてもらいたい」
彼女が胸の奥、その豊満な双丘の谷間から引き抜いたのは、灰色のデッキケースだった。
布地の面積が極端に少ない衣装の、一体どこにそんな容積があったのか。シラベの視線はデッキケースよりも、その背後にある圧倒的な質量と、そこから漂う甘い香りに釘付けになる。
男の悲しき性により、シラベが感心と興奮の入り混じった眼差しを向けていた、その時だった。
「見境なし」
冷ややかな声が、シラベの鼓膜を刺した。
シラベが振り返ると、いつの間にかバックヤードから出てきたミトラが、ゴミを見るような目でシラベを見上げていた。
「店長。いや違うんだ。これは不可抗力というか、人体の神秘というか」
「言い訳無用」
ミトラは冷たく言い放つと、手に持っていたデッキケースをシラベの腹に押し付けた。
「ほら、これ」
渡されたのは革張りのデッキケースだった。ずしりと重いそれに、シラベは見覚えが無い。
「あんたが使うのはこれでしょ。ちゃんと持ってなさい」
「いや、これ俺のじゃ……」
自分の使い慣れたデッキで戦いたい。そう言おうとしたシラベの口を、ミトラは背伸びをして人差し指でその口を塞いだ。その仕草に、シラベは黙るしかない。
ミトラの意を汲み、少し屈むシラベ。ミトラが顔を近づける。長い睫毛が見える距離。艶めく髪から漂うシャンプーの香りが、シラベの鼻をくすぐる。
彼女はシラベの耳元に唇を寄せ、吐息のような声で囁いた。
「――――」
囁かれた言葉に、シラベの体が一瞬強張る。
瞠目。畏れ。危惧。そして、呆れ。様々な感情が綯い交ぜになり、シラベは言葉を失った。
「健闘を祈るわ」
ミトラは悪戯っぽく微笑み、シラベの胸をトンと突いてから離れた。
パタパタとスリッパの音を立てて、彼女は二階へと続く階段を上がっていく。最後にヒラリと手を振ってから、その小さな背中が見えなくなった。
「…………」
一連のやり取りを見ていたヒナタの表情が、能面のように凍りついていた。
耳打ち。身体的接触。そして二人だけの秘密の共有。
それらは全て、ヒナタの嫉妬の炎に油を注ぐ行為に他ならなかった。
「……仲が良いことだ」
「そうでもないぜ。普通の距離感だろ」
本心ではあったが、敢えて嘲りを込めてシラベは言い返す。そうする方が効くと分かっていたからだ。
シラベの読み通り、ヒナタの余裕ぶった表情に影が差した。
「泥棒猫が。その耳も、口も、薄汚い存在全て……私が消し去ってやる」
ヒナタの声は低く、地を這うような怨嗟が滲んでいた。
激情を見せたのは一瞬。凍てつくような冷静さでそれを包み込みながら、ヒナタはデッキケースの蓋を開ける。シラベもまた、覚悟を決めて対面の席に着く。
「ルールを確認するぞ。形式に則って、
「構わない。宣言通り持ち込みのデッキを使用するが、デッキにルール違反が無いか中身を確認するかい?」
「そんなセコい真似でデッキ内容の確認はしない。敢えて言うなら、60枚に足りているか、確認を兼ねてディールシャッフルを推奨するくらいか」
「ん? ディールはシャッフルと認めないという言説があると聞いたが?」
「初心者がそんな不毛な議論見てもしゃーないぞ。どうせそのあとファローシャッフルと互いのカットをやるんだし、気にするだけ無駄だ」
「そうかい。せいぜい私がマジシャンの訓練を積んでないことを祈りたまえ」
互いにデッキを持ち、カードを一枚ずつ並べ、10の山を作るように重ねていく。ディールシャッフル、あるいはショットガンシャッフルとも呼ばれるその行為。
カードを並べ終え、それぞれのデッキの枚数が過不足なくある事が確認された。
ファローシャッフルに移行する、その動作の中。ヒナタは口を開いた。
「それと、アンティを提案する」
来た。
「私が勝てば、君はミトラの前から永遠に姿を消せ。二度と関わるな。視界にも入るな」
シラベにとって、自分が標的になるのは予想外だった。しかし今ここに至った上で、改めてヒナタから要求するものがあるとすれば、そういうものになるだろうという予測は出来ていた。
予想外の中の予想通りの言葉が出てきて、シラベは口の端を歪める。
「そんなの、俺が履行すると思ってるのか? 単なるカードゲームの口約束で住処を失うなんて承服するわけないだろう」
「そうだね。そもそも君をミトラから引き離す手段はいくらでもある。物理的排除、社会的抹殺、あるいは金銭による解決……」
「金のゴリ押しはやめろよ。これだから金持ちは」
シャッフルを終えたデッキを、シラベへと突き出すヒナタ。真新しい鈍色のスリーブの縁がギラリと光を反射し、ナイフの切っ先を思わせた。
「だが私はこの方法を選ぶ。君の土俵で、君が捨てたもので、君から奪う」
「露骨に悪役のセリフを吐いてる自覚あるか? じゃあ相手役らしく言ってやるが、『そんなのでミトラの心が得られるのかよ』」
「もちろん。君をやってからそうさせてもらう」
シラベは溜め息を吐いた。いつか出た結論と同じだ。異常者の相手は疲れる。
シラベもまた切り終えたデッキをヒナタに差し出す。互いに互いのデッキを適当な枚数掴み、分け、それをアトランダムに入れ替える。
「いいぜ。その代わり、俺が勝てば……お前に取り憑いてる精霊に、お前を含めた人間への一切の干渉を禁止させる」
「……ふん。いいだろう、乗った」
ヒナタは不敵に笑う。ここに至って、彼女は精霊の存在を否定しなかった。
不思議と息が合った。
示し合わせたわけでもないのに、二人の唇が同時に動く。
「《レーラズ・フィールド》、展開」
瞬間。世界が変質した。
空気が鳴り、互いのデッキケースから放たれた光の走査線が、テーブルを、床を、壁を、天井を駆け巡る。
だがその速度は違う。レヴェローズの力を示す紫電の光よりも、ヒナタのデッキから放たれる黒白の光の方が数段早い。
色褪せたおもちゃ屋の風景が、モノクロームのノイズに塗りつぶされていく。
商品の棚が溶け、ポスターが剥がれ落ち、代わりに現れたのは、現実から切り離された戦闘結界。
白と黒のみで構成された、静謐にして狂気的な
長机は重厚なカジノテーブルへと姿を変え、頭上にはシャンデリアが音もなく揺れている。壁面には回ることのないルーレットと、誰もいないスロットマシンが無限に並び、非現実的な圧迫感を与えてくる。
「ほう」
ヒナタは周囲を見回し、感嘆の息を漏らした。
「私の心象が反映されているのか、それとも精霊の記憶か……悪くない舞台だ」
シラベもまた空間の変質に息を呑みつつ、テーブルの中央に目を向けた。
そこには半透明の二つの正六面体が浮かんでいる。先攻後攻を決めるための、運命のダイスだ。
「いくぞ、ヒナタ」
「ああ。君の最後を見届けてやろう」
二人は同時に手を伸ばし、空中のサイコロを掴み取った。
冷たい感触。シラベはそれを、自らの運命を占うかのように