カスレアクロニクル   作:すばみずる

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52 これから出張授業だ

 休日の午後。ボトムレスピットの店内は特有の熱気と紙の匂い、そして今日はそれに加えて、ひどく耳障りな喧噪に満ちていた。

 

 デュエルスペースの一角を占拠しているのは、五、六人で群れる高校生の集団だった。彼らは制服のシャツをだらしなく着崩し、机の上に広げたカードには目もくれず、仲間内での大声の雑談に熱を上げている。

 

 一応、場所代の代わりにとパックをいくつか購入してはいた。しかし、それ以上に彼らが発する騒音は、周囲の客にとって迷惑千万なものだった。プレイの合間に上がる大げさな奇声や、椅子を乱暴に引いて床を擦る音。ただでさえ狭い店内において、彼らの存在は明らかに異物として浮いていた。

 

 カウンターの中でレジ打ちを終えた押江シラベは、忌々しげにその集団を睨みつける。

 

 パックを買っている以上、客は客だ。即座に追い出すのは角が立つと思っていた。だがこのまま放置すれば、空気に耐えかねた他の客が離れてしまうのは火を見るより明らかだった。注意したところで素直に聞くような連中には見えないが、放置するわけにもいかない。

 

 シラベがカウンターから向かおうとした時。彼より先に、バックヤードから続くカーテンを勢いよく開けて飛び出していった影があった。

 

 プラチナブロンドの長い髪を揺らし、無駄に威風堂々とした足取りで高校生たちのテーブルへと歩み寄る。レヴェローズだ。

 

 彼女はまるで不届きな兵士の規律違反を咎める将軍のような態勢で、豊満な胸の前で腕を組み、彼らを見下ろした。

 

「貴様ら! 先程から耳障りだぞ! ここは戦場たるデュエルスペース。(つわもの)たちの真剣勝負の場である! 貴様らの家ではない!」

 

 よく通る、凛とした声が店内に響き渡った。

 

 高校生たちは一瞬、何事かと反抗的な目を向けた。誰だこの偉そうな女は、と下品な言葉で言い返す気満々で口を開きかけた彼らの視線は、しかし、すぐに別の場所へと強烈に釘付けになった。

 

 腕を組むことでさらに上へと押し上げられ、軍装風の服の生地をはち切れんばかりに主張しているレヴェローズの暴力的なまでの双丘。

 

 現実離れしたプロポーションと、美しい顔立ち。二次元からそのまま抜け出してきたかのような存在による唐突な説教に、高校生たちは完全に言葉を失い、ぽかんと口を開けたまま硬直した。

 

 反論の言葉など、彼らの軽い脳内から完全に吹き飛んでいた。ただただ、目の前の圧倒的な質量と色香に圧倒され、思考が停止しているのだ。

 

「ふん。分かればいい。次はないと思え」

 

 彼らの沈黙を、己の威光による反省の証だと都合よく解釈したレヴェローズは、満足げに一度だけ頷くと、踵を返して誇らしげにカウンターへと向かってきた。

 

 残された高校生たちは顔を見合わせ、急に声を潜めてそそくさと身を縮めた。注意が効いたというよりは、別の意味で毒気を抜かれ、気圧されたようだった。

 

「見たか契約者、私の見事な手腕を。客たちの不満を素早く察知し、見事に秩序をもたらしてやったぞ」

 

 カウンターの内側に戻ってきたレヴェローズは、シラベに対してやや前かがみにずいと頭を突き出してきた。

 

 その態度は新聞を取ってきたから撫でて褒めろと要求する賢い大型犬のような雰囲気だが、前かがみになったことで安物のシャツの襟元から無防備に覗く渓谷の光景は、犬に例えるにはあまりにも艶めかしすぎた。

 

「ああ、そうだな。お前の胸に目線が釘付けになって、声も出なくなってただけだと思うがな」

 

「なんだと?」

 

「なんでもない。よくやった」

 

 適当にごまかし、シラベは突き出し続けてくる彼女の頭をポンポンと雑に叩いてやる。正当な報酬をもらったとでも言わんばかりの得意げな笑顔を浮かべ、レヴェローズはバックヤードに戻っていった。

 

 結果オーライではある。店の平穏は保たれた。だが、シラベの頭には犬も歩けばという言葉が踊っていた。

 

 あの無自覚に撒き散らされる過剰な色香と、目立ちすぎる容姿。そして何より、他人を疑うことを知らない底抜けの単純さ。

 

 いずれ、あのポンコツが面倒な輩を引き寄せるのではないかという、嫌な予感を感じざるを得なかった。

 

 

 

 それから数日後の、薄曇りの平日の夕方。

 

 レヴェローズはボトムレスピットの店先で、竹箒を動かしていた。シラベから命じられた店前の落ち葉掃きという雑用だが、彼女はこれを陣地の清掃活動という重要な任務として捉え、無駄に真剣に取り組んでいる。

 

 そこへ、遠慮がちな足音が近づいてきた。

 

「あの……すみません」

 

 声をかけてきたのは、数日前に店内で騒いでいた高校生グループの一人だった。少し茶色く染めた髪に、耳には安っぽいピアスが光っている。

 

 レヴェローズが箒を持つ手を止め、怪訝そうに眉を寄せると、彼は大げさな身振りで深く頭を下げた。

 

「この間は、店で騒いじゃって本当にすみませんでした。俺たち、カードゲーム始めたばっかりで、パック剥いてテンション上がっちゃって……」

 

「む。あの時の騒がしい輩か。まあよい、己の非を認めて頭を下げられるのであれば、寛大な心で許してやろう」

 

 レヴェローズはふんぞり返り、得意げに胸を張った。高校生の視線が一瞬だけその胸元に吸い寄せられたが、彼女は全く気づいていない。

 

「ありがとうございます。それで……その、俺たち、カードをもっと真面目にやりたくて。でも周りに教えてくれる人がいなくて、全然勝てないんすよ。だから、もしよかったら、お姉さんにプレイングとかデッキの組み方とか、教えてもらえませんか?」

 

「なに? 私に教えを乞うと?」

 

 レヴェローズの目が、パァッと輝いた。

 

 人に頼られる。しかも、自分が得意とするカードゲームの戦術指導。指導者としての彼女の自尊心を、これ以上なくくすぐる申し出だった。

 

「うむ! よかろう! この私に教えを請うとは感心な若者だ。基礎の基礎から、この私が直々に叩き込んでやる! さあ、中へ入れ。今ならデュエルスペースを貸し切ってやれるぞ」

 

 箒を壁に立てかけ、意気揚々と店のガラス戸に手を伸ばすレヴェローズ。しかし、高校生は慌ててその手を遮った。

 

「あ、いや! 店の中はちょっと……その、この間あんなことあったんで、他の常連さんとか店長さんの目が気まずいっていうか。さすがに居づらいんすよ。仲間とも合流したいし、近くのレンタルスペースみたいなとこ、俺らで借りてるんで。そっちでお願いできませんか?」

 

 高校生は必死な表情で、取ってつけたような言い訳を並べ立てる。

 

 シラベやミトラ、カルメリエルであれば、即座に胡散臭さを嗅ぎ取るだろう。わざわざ金を出して別の場所を借りる理由としては弱すぎるし、とにかくここから連れ出したいという魂胆が透けて見える。手口が露骨すぎる。

 

 しかし、目の前にいるのは、褒められれば木に登り、頼られれば疑うことを知らない、チョロすぎる精霊だった。

 

「ふむ、そういうことか。気持ちは分からんでもない。よし、ならばその場所へ案内するがいい。少し待て、手本となるデッキを持ってきてやる」

 

 レヴェローズは微塵の疑いも持たず、高校生の言葉をあっさりと信じ込んだ。一度店内に戻り、バックヤードに置いている貸し出し用の初心者向けデッキを適当なバッグに詰めていく。

 

「レヴェローズ? どうしました?」

 

 不在のシラベに代わりレジに立っていたカルメリエルが、いそいそと外出の準備をしている妹に声を掛けた。

 

「む、姉様。外にいる子供からカードの手ほどきをして欲しいと頼まれてな。これから出張授業だ」

 

「子供、ですか」

 

 カルメリエルは静かな声で返し、ちらりと店の外を見やった。ガラス戸の向こうに立っていた高校生は、その冷徹な視線から逃れるかのように、不自然に道の端に寄って顔を伏せている。

 

「あまり遅くならんようにする。では行ってくる!」

 

 カルメリエルの言葉を待たず、レヴェローズは意気揚々と店を飛び出していった。

 

 見送るカルメリエルはゆっくりとレジ周りの片付けを済ませると、店の固定電話の受話器を静かに取った。

 

 

 

 レヴェローズが連れて行かれたのは、商店街から少し外れた辻にある、古い木造の平屋だった。

 

 外壁のモルタルはひび割れ、表札は取り外されている。かつては庭付きだったであろう敷地は背の高い雑草で生い茂っており、外からは中の様子は伺えない。

 

「ここか? 随分古い場所だな」

 

「ええ、だから安く借りられて」

 

 レヴェローズの疑問に、高校生は適当に調子を合わせる。そして足元にあった、立ち入り禁止を示すトラロープの切れ端を蹴り飛ばして草へと紛れ込ませた。

 

 どう見ても若者が金を払って借りるようなレンタルスペースではなく、長らく放置されている空き家だった。しかし、未だ世俗に疎いレヴェローズはその異様さに気づくことなく、案内されるがままに玄関をまたいだ。

 

 土埃の匂いと、長い間換気されていないカビ臭い空気が鼻をつく。

 

 軋む廊下を通って奥の居間らしき部屋に通されると、そこにはあの日の高校生たちを含めた何人かの男たちが、車座になって座っていた。

 

 部屋にはカードを広げるようなテーブルもなく、ただ汚れた畳の上にコンビニの袋やジュースの空き缶が散乱しているだけだ。

 

「おお、連れてきた連れてきた」

 

「マジで来たよ、すげえ」

 

 高校生たちはレヴェローズの姿を見るなり、下卑た笑いを浮かべて顔を見合わせた。彼らの視線は、カードゲームの講師を迎えるそれではなく、明らかに彼女の扇情的な肢体を舐め回すように動いていた。

 

 レヴェローズはそんな粘着質な視線に全く気づくことなく、嬉々としてバッグからデッキケースを取り出そうとした。

 

「よし、私が来たからには、貴様らの貧弱な軍勢を最強の部隊へと鍛え上げてやろう。取りあえず一戦するか」

 

 レヴェローズが準備しようとする声に紛れて、ガチャリと玄関の鍵が内側からかけられる鈍い音が響いた。案内してきた高校生が鍵を閉めたのだ。

 

 そして、居間にいたうちの一人が立ち上がり、レヴェローズの隣に立つ。

 

「いやー、そういうデッキとか、今はいいからさ。まぁ一戦するのはするんだけど」

 

 男の手が、レヴェローズの華奢な肩に馴れ馴れしく置かれた。そしてそのままゆっくりと、襟元から胸の膨らみへと向かって手を滑らせていく。

 

 レヴェローズが不快感に眉をひそめ、その無礼な手を振り払って窘めようと息を吸い込んだ瞬間。

 

 古い家屋全体を激しく揺るがす振動と轟音が、玄関の方角から響き渡った。

 

 地震か、あるいはガス爆発か。高校生たちが悲鳴を上げ、レヴェローズの肩に手を乗せていた男も飛び上がって玄関の方を振り返る。

 

 舞い上がる土煙の向こう側、大きく開いた壁の穴から、夕日の赤い光が直線的に差し込んでいた。

 

 鍵をかけたはずの木製の玄関扉。それどころか、扉がはまっていた壁の枠組み、そして周囲の土壁ごと、ごっそりと半円状に抉り取られ、完全に消滅している。

 

 そして、その破壊された境界線にちょこんと座り込んでいたのは、一匹の真っ黒な猫だった。

 

 夜空の闇を切り取ったかのような毛並みを持つその黒猫は、木材やモルタルの破片を口の周りにつけながら、モグモグと何かを咀嚼している。

 

 その正体不明を、レヴェローズだけは理解した。虚無の精霊、『全てを喰らう大穴』だ。

 

 普段はボトムレスピットのキッチン周りで、野菜の芯や魚のアラを喜んで食っているただの食い意地の張った猫だが、その本性は獣どころか厄災的存在である事をレヴェローズは知っている。

 

 その黒猫のすぐ後ろから、ゆっくりと土煙を払って現れた人影があった。

 

 普段着のシャツに色落ちしたジーンズ。気怠げな表情を取り繕うともしない男。シラベだ。

 

 シラベの顔に表情はない。腰を抜かしてへたり込む高校生たちや、異常な光景に顔を引きつらせて震える男を完全に無視し、土足のままズカズカと居間へと上がってくる。

 

「け、契約者よ? どうしたのだ、なぜ壁が……?」

 

 状況を全く理解していないレヴェローズが、目を白黒させながら尋ねる。自分が今まさにどういう目に遭おうとしていたのか、彼女は一ミリも察していないようだった。

 

 シラベは答えず、ただ無造作に手を伸ばし、レヴェローズの手首をガシリと力強く掴んだ。

 

「帰るぞ。店が忙しい」

 

 一言だけそう告げると、シラベは強引にレヴェローズの手を引き、彼女を促して踵を返した。

 

 高校生たちは、抗議の声一つ出すことができなかった。一瞬にして消滅した壁の異常さ。そこから平然と登場した男。理外の存在であるしか分からず、関わり合いになることを本能的に止めてしまう。

 

「けぷっ……にゃあ」

 

 玄関の残骸まで戻ってきたシラベの足元で、壁の咀嚼を終えた大穴が低く鳴いた。その隣には、大穴が間違って一度飲んでしまった高校生が白目を剥いて転がっている。

 

 大穴はいつものようにシラベの肩に飛び乗ろうと一瞬身構えた。しかし、彼がレヴェローズの手を強く、離さないように握りしめているのを見て思い留まり、二人の後を歩いてついていくことにした。

 

 夕暮れの道を、二人と一匹は無言で歩いていく。

 

 シラベの歩く速度は普段よりも少し速く、繋がれた手首には、彼が何かを強く堪えているような、ギリギリとした力がこもっている。

 

 レヴェローズは、シラベがなぜ現れたのか、なぜ無言で静かな怒りを漂わせているのか、全く分からなかった。自分が勝手に持ち場を離れ、清掃の仕事をサボったことを怒っているのだろうか。

 

 だが、何を言うでもなく、ただ前を向いて歩くシラベの背中を見つめながら、レヴェローズは不思議と悪い気はしていなかった。

 

 彼の手のひらから伝わってくる無骨な熱が、得体の知れない不安で少しだけ乱れていた彼女の心を、温かく落ち着かせてくれる。

 

「おい、契約者。手首が痛いぞ。もう少し優しく引けんのか」

 

 わざとらしい文句を口にしてみるが、シラベは振り返ることもなく、ただ歩き続ける。

 

 しかし、その手の力はほんの少しだけ緩み、代わりに彼女の手を包み込むような形へと変わった。

 

 レヴェローズは口元をほころばせ、繋がれた手を見下ろした。

 

 ボトムレスピットに着くまで、シラベがその手を離すことはなかった。

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