休日の午後。おもちゃ屋ボトムレスピットではお決まりの戦場が展開されていた。週末恒例の店舗大会である。
二本先取の戦いで勝ち星を決め、それを反映したマッチアップを計三回行うスイス式トーナメント。カウンターの中で大会の進行とレジ業務を一人で回していた押江シラベは、肩に乗る黒猫の重みを感じながら、提出される対戦結果を集計していた。
ミトラがこの手の運営を仕切るはずがないし、そもそも今日は休むと言って二階の居住スペースに籠りきりだ。いつもの気まぐれなサボり癖が発動したらしい。おかげでシラベは昼食を食べながらレジに立つ羽目になっていた。
全テーブルの集計が終わり、シラベは小さくため息をついてから結果を伝える。
「えー、今回の店舗大会。全勝はレヴェさんです。おめっとした」
三戦全勝。文句なしの優勝を果たしたのは、ボトムレスピットの常連客たちにすっかり馴染んでいる金髪の居候だった。
「ふはははは! 見たか、私の完璧なる采配を! 盤面を支配するこの圧倒的な力、まさに王族の戦いにふさわしい結果と言えよう!」
パイプ椅子から立ち上がり、自慢げに豊満な胸を反らせているのはレヴェローズ・ドゥブランコ。
すっかりシラベが適当に見繕ったカジュアルな服装が板についている。今日の服は長袖のだぼついたセーターだが、相変わらず彼女の規格外のプロポーションは隠しきれておらず、動くたびに布地が悲鳴を上げているようだった。
シラベは自慢げなレヴェローズにパックを渡しつつ、小声で言い含める。
「店側の人間が大会に出て優勝したらダメだろ、普通。空気読めよ」
「何を言うか。私は一介のプレイヤーとして正々堂々参加したまでだ。それに、客たちも私の華麗な戦術の前に散ることを誇りに思っているはずだぞ」
レヴェローズの言葉に、対戦相手だった男たちが苦笑いしながらも頷いている。大人である。彼女の見た目の良さと憎めないアホっぽさは、むさ苦しいカードショップにおいて一種のアイドル的な扱いを受けつつあった。
勝ってしまったものは仕方がない。ボトムレスピットでは大会の全勝者のデッキリストを写真に撮り、店のブログに掲載するのが恒例となっている。
シラベがスマホを取り出すと、レヴェローズは既に何度か店員として経験しているその儀式のために、テキパキと自分のカードをテーブルに並べ始めていた。
画角に収まるよう綺麗に並べられたカードたちをシラベは慣れた手つきで撮影を済ませる。
「うむ、綺麗に撮れたか。早く店のブログに載せておくが良い」
レヴェローズは満足げに頷くと、自分と対戦した小学生のプレイヤーを相手に呑気な感想戦を始めた。
「あの場面での君の防御は悪くなかった。だが展開速度を見誤ったな。あと妨害のタイミングは相手の動きをよく見なければスカされてしまうぞ」
得意げに語る彼女を横目に、シラベはテーブルに残されたレヴェローズのデッキを手に取り、一つにまとめ始めた。
彼女がいつも使っているこのデッキ。普段はあの胸の谷間の最奥を入り口とするらしい、物理法則を無視した謎の空間から取り出されている。
カードを重ねていくシラベの脳裏に、かつての記憶が蘇る。
以前、この女が顕現して間もない頃。シラベはその谷間に手を突っ込んで強引にこのデッキを引きずり出し、中身を隅々まで確認したことがあった。
軽量の機械生命体を展開し、補助呪法や置物で
しかし、その洗練された六十枚の束の中に、レヴェローズ自身の居場所など本来は存在しないのだ。
コスト8という超重量級の彼女が戦場に出る頃には、とうに勝負は決しているか、逆に息切れして負けているかのどちらかだ。彼女はこの完成されたシステムの中に無理やりねじ込まれた、六十一枚目の異物でしかなかった。
手の中にあるカードの束を見つめる。
むしろこの構成は、デッキのキーパーツとして組み込まれているドゥブランコ王家第一王女、ヴェルガラ・ドゥブランコを象徴するデッキと言われた方がよほどしっくりくる。
ボトムレスピットで働き始める前、シラベはレヴェローズに聞いていた。このデッキはどこかのリストを丸パクリしたものではないのかと。その時の彼女はどこか歯切れ悪く、まあそんなようなものだと曖昧に肯定した。
一年ほど共に過ごした今だと、その違和感に気付ける。図星を突かれれば顔を真っ赤にして怒るか、あるいは見え透いた嘘で誤魔化そうとする単純明快なアホの子が、あの時だけは違ったのだ。
(仮に、ヴェルガラのデッキだとして。それをあいつが持つ理由が分からん)
エインヘリヤルクロニクルの背景ストーリーにおいて、第一王女ヴェルガラは、第二王女であるカルメリエルの暗躍によって謀殺されたとされている。そしてその惨劇が起きた時、第三王女であるレヴェローズは遠く離れた辺境の植民地に左遷されていて不在だったはずだ。
姉妹で特別仲が良かったというストーリーの描写もない。死に目にすら会っていないはず。縁が出来るとは思えない。
「なぁ、レヴェローズ」
シラベが声をかける。小学生の男の子の頭を撫でていたレヴェローズはその呼び掛けに気付かない。
屈みこんでいるせいで、ゆるいセーターの襟元が大きくたわみ、深く長い谷間がこれでもかと見せつけられている。彼女自身はそれに全く気付いていないが、頭を撫でられている小学生の視線は完全にその一点に釘付けになり顔を真っ赤にしていた。
精霊とは何なのか。自分一人ではまるで答えの出ない問いだ。シラベはその面倒な思考を頭の片隅に放り投げ、まとめたデッキケースをレヴェローズの頭の上に乗せる。
「ほら、デッキ。忘れんなよ。それと無自覚に子供をたぶらかすのはやめろ。教育に悪い」
「たぶらかす? 何のことだ。私はただ、将来有望な若者を労っていただけだが?」
きょとんとした顔で首を傾げるレヴェローズ。胸元の危機的状況には一切気がついていない。シラベは深いため息をつき、頭を抱えたくなった。
「まぁいい。大会も終わったし、さっさと片付けに入って……」
「待て、契約者」
シラベの言葉を遮り、レヴェローズがデッキケースを受け取りながら不満げな声を上げた。
「せっかく私が全勝優勝を果たしたのだ。この王の凱旋にふさわしい褒美が必要だと思わないか?」
「褒美ってなんだよ。参加賞のパックはもう渡しただろ」
「そういうことではない。私は、店員である貴様との特別な戦いを所望する。エキシビションマッチというやつだ」
豊満な胸をさらに張り、堂々と要求してくるレヴェローズ。
シラベは呆れた顔で言い返す。
「あのな、そういうのは初心者相手のティーチングイベントとかでやるんだよ。お前みたいな身内とやってどうすんだよ」
「身内だからこそだ! 最近、貴様は私を全然相手にしてくれないではないか!」
レヴェローズの声が、静まり返りつつあった店内に大きく響いた。
「毎晩毎晩、疲れたと言ってすぐに寝てしまうし。定休日に私と向き合う時間を作ろうとしない。私だって溜まっているのだぞ!」
「言い方」
「姉様や店長や猫ばかり構ってもらってずるい! 私も契約者としたい! やりたい!」
駄々をこねる子供のように地団駄を踏むレヴェローズ。無邪気な言葉のチョイスと、興奮して上下に揺れる暴力的なまでの胸の質量が相まって、ひどく邪気を孕む響きを持っていた。
周囲にいた客たちが一斉に気まずそうに目を逸らし、無言でカードの整理を早め始める。中には羨望と嫉妬の混じった視線をシラベに向けてくる者もいた。
シラベは自身の社会的な立ち位置がこれ以上崩壊するのを防ぐため、即座に白旗を上げた。
「あー、もう分かった! 分かったから! やってやるよ、一回だけだからな!」
「本当か! ふふっ、そうこなくてはな! 貴様を完膚なきまでに打ちのめしてくれよう!」
子供のように無邪気に喜ぶレヴェローズ。その呑気な歓声を背中で聞きながら、シラベは自分のデッキを取りに行くために重い足取りでカウンターの奥へと向かった。
バックヤードのカーテンをくぐると、そこには狭いデスクに向かってノートパソコンのキーボードを叩いているピンク色の髪の精霊がいた。
「お疲れ様です、シラベ様」
シスター服を纏ったカルメリエルはタイピングの手を止め、糸目と穏やかな微笑みをシラベに向ける。
シラベは自分の肩に乗っている大穴をひょいと持ち上げ、カルメリエルの膝の上へと乗り換えさせた。
「悪い、ちょっと表で馬鹿の相手してくる。レジに客来たら頼めるか」
大穴はカルメリエルの膝で身体をくねらせると、豊かな胸という庇に潜り込むように彼女の腹へと顔を突っ込み前脚を伸ばす。カルメリエルは膝の上の黒猫を優しく撫でながら、くすりと笑った。
「ええ、構いませんわ。表の様子はここにもよく聞こえておりましたから。随分と熱烈なご要望のようですし」
カルメリエルの微笑みが、どこか意地悪な色を帯びる。
「どうぞ、愛らしい妹との逢瀬を存分にお楽しみくださいませ。あまり激しくして、お店の備品を壊さないように気をつけてくださいね」
「対戦するだけだっつの。変な煽り方すんな」
シラベは悪ノリする腹黒い聖女に毒づきながら自分のデッキケースを掴み、再び騒がしい表の戦場へと足を踏み出した。