カスレアクロニクル   作:すばみずる

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57 絶対に関わってくるな

 ボトムレスピットのシャッターが下り、表通りの冷たい夜風が遮断されると、店内には紙とインク、そして微かな埃の匂いだけが取り残される。

 

 天井の蛍光灯がいくつか落とされ、少し薄暗くなったデュエルスペースの中央。普段はカードゲーマーたちが盤面を広げている長机を、現在この店に住んでいる一同が囲んでいた。

 

 不定期に開催される、ボトムレスピットの営業会議と銘打たれた集まりである。

 

 ホワイトボードの前に立ち、手元のバインダーを優雅にめくっているのはカルメリエルだ。彼女は持ち前の有能さを遺憾なく発揮し、店の売上推移や今後のイベントスケジュールを完璧な資料としてまとめ上げている。

 

 その向かい側でパイプ椅子に腰掛けているシラベ。そして、そのシラベの膝の上にはミトラが当然のような顔をして座っている。

 

「ミトラ様、次の週末に予定している児童用おもちゃの体験会ですが、参加賞の在庫が少し心許ないようですわ。問屋への追加発注をかけてもよろしいでしょうか」

 

「んー。いいわよ。適当に見繕っておいて」

 

 シラベの胸元に後頭部を預けたまま、ミトラは気怠げな声で許可を出す。

 

 会議中、ミトラがシラベの膝を特等席として占拠するのは、冬の寒さが本格化して以来すっかり定着した悪習だった。

 

 小柄な彼女の体重はたかが知れているとはいえ、長時間乗せられていれば足は痺れる。しかもシラベの右肩には、夜空を切り取ったような漆黒の毛並みを持つ猫、大穴がずっしりと香箱座りを決めており、絶え間なく喉を鳴らしている。

 

 下からはミトラの体温と柔らかな質量。上からは大穴の重みと獣の熱。シラベは自身の身体が完全に暖房器具兼クッションとして扱われている理不尽を毎回抗いはするものの甲斐はなく、そのまま甘んじて受け入れていた。

 

「畏まりました。それから、来月の店舗大会の日程ですが……」

 

 カルメリエルは糸目を細めたまま、流れるような手際で議題を消化していく。彼女が事前に組み上げたスケジュールは完璧に近く、シラベとミトラは基本的に提示された内容を確認し、頷くだけの簡単な作業となっていた。

 

 そんな生産的なやり取りが行われているテーブルの端で、バリッ、ボリッ、と無遠慮な咀嚼音が響き渡る。

 

「うむ、この丸い焼き菓子はなかなかに後を引く味だな。醤油の香ばしさが絶妙だ。契約者よ、もっとお茶を注ぐが良い」

 

 レヴェローズである。彼女は会議の内容など全く聞いておらず、常連客からの差し入れである厚焼きの煎餅を両手で割りながら、口いっぱいに頬張ることに執心していた。豊満な胸の上にこぼれ落ちる煎餅の欠片すら気にする様子はなく、ただひたすらに食欲を満たしている。

 

「自分で淹れろ。つーかお前も一応店の居候なんだから、少しは真面目に聞け」

 

「私が細かい実務など知る必要はない。優秀な部下が全てを取り仕切り、私はただその結果の報告を受け、ハンコを押すだけで良いのだ。それが上に立つ者の役目というものだろう」

 

 偉そうに胸を張るレヴェローズに、シラベは呆れて返す言葉を失う。お前はハンコすら持ってないだろ、というツッコミを喉の奥に飲み込み、再びカルメリエルの報告へと意識を向けた。

 

「さて、通常業務の確認は以上ですわ。ここからは、今後の企画に関するご相談になります」

 

 カルメリエルはバインダーを閉じ、長机の上に両手を置いて少しだけ声のトーンを変えた。

 

「最近、常連のお客様たちから、新しいイベントを開催してほしいというご要望をいくつか頂戴しておりますの」

 

「新しいイベント?」

 

 シラベが眉を寄せる。

 

 現在、ボトムレスピットで定期的に行っているエインヘリヤルクロニクルのイベントは、主に二種類だ。

 

 一つは標準的なプロトコルである『輪廻転生』の店舗大会。もう一つは、過去のあらゆるカードが使用可能となる魔境プロトコル『永劫回帰』の大会だ。それに加えて、初心者を対象としたティーチングや体験会を散発的に行っている。

 

「現状でも十分回ってると思うんだが。何か不満が出てるのか?」

 

「不満というよりは、マンネリ化に対する刺激の欲求ですわね」

 

 カルメリエルは微笑みを絶やさずに答える。

 

「輪廻転生も永劫回帰も初心者には敷居が高すぎます。よりカジュアルに、かつ普段とは違うカードの使い方ができる遊びの場が欲しい、というのがお客様の総意のようですわ」

 

「カジュアルねえ」

 

 シラベの膝の上で、ミトラが小さく寝返りを打つように体勢を変えながら呟いた。

 

 カードゲームにおけるカジュアルという言葉ほど信用ならないものはない。誰もが自分の好きなカードで楽しく遊べる環境を求めながら、いざ対戦が始まれば少しでも勝率を上げるために最適化された残酷なコンボを叩きつけ合うのが、この手のゲームの常である。

 

「何かいい案でもあんのかよ」

 

 シラベが尋ねると、ミトラはうーんと小さく唸り、カルメリエルも考え込むように首を傾げた。

 

 特殊ルールの大会を開くにしても、カードプールの制限や禁止カードの選定など、店側が調整しなければならない要素は多岐にわたる。下手にバランスを崩せば、かえって客足が遠のく原因にもなりかねない。

 

 沈黙が長机を包み込んだその時。

 

「ならば、『四国無双』とやらをやってみてはどうだ?」

 

 三枚目の煎餅をバリボリと噛み砕きながら、レヴェローズが唐突に口を挟んだ。

 

「今日、対戦相手の少年たちが話しているのを耳にしたのだ。大人数で卓を囲んで、ワーワーと騒ぎながら遊べる楽しい遊戯だと。なんでも、普段は使われないような変なカードが大活躍するらしいぞ。私の軍勢を輝かせる新たな戦場として、実に相応しいとは思わんか?」

 

 鼻息を荒くして得意げに語るレヴェローズ。

 

 四国無双。その名前が出た瞬間、シラベは露骨に嫌そうな顔をした。

 

「多人数戦プロトコルねぇ」

 

 エインヘリヤルクロニクルに存在する特殊な遊び方の一つだ。

 

 基本的には四人のプレイヤーが一つのテーブルを囲んで対戦する。最大の恩恵であり障害となるのが、その特異なデッキ構築ルールだ。

 

 デッキの枚数はきっちり百枚でなければならない。そして、マナを生み出す基本ルーンカード以外は、全て一枚ずつしかデッキに入れることが許されない。いわゆるハイランダー構築と呼ばれる制限である。

 

 使用可能なカードの範囲は永劫回帰に近く、過去の膨大なカード群から自分だけの百枚を選び抜く必要がある。

 

「却下だ」

 

「なぜだ! 皆が楽しいと言っていたのだぞ!」

 

 シラベの否定にレヴェローズは食い下がる。

 

「楽しいのは一部の物好きだけだ。あのな、百枚もバラバラのカードを集めてデッキを組むのがどれだけダルいか分かるか? 普段の六十枚構築で四枚積みするのとは全く勝手が違うんだよ。シナジーを考えるのも面倒だし、シャッフルしづらくて落とす奴が絶対に出る」

 

 ほとんど私怨に近い言葉であったが、初心者向けという建前がある以上は無視できない。

 

「それに、いろんなカードが使えるってことは、過去のマイナーな高額カードを引っ張り出してくる奴が必ずいる。百枚の中に一枚ずつとはいえ、必須級の汎用カードや強力なマナ基盤を揃えようとしたら、結局はとんでもない金がかかる資産ゲーになるんだよ。そんなのやりたがる客がどれだけいるってんだ」

 

 シラベの論理的な否定に、レヴェローズはうっと言葉に詰まり、最後の手持ちの煎餅を口に放り込んで誤魔化した。

 

 だが、そのやり取りを聞いていたミトラが、シラベの胸元からぬるりと顔を上げた。

 

「……四国無双。いいわね、それ」

 

「おいおい、店長。聞いてたか今の。百枚構築だぞ。客に組ませるハードルが高すぎるだろ」

 

「客の心配なんてしてないわよ。私がやりたいの」

 

 ミトラはシラベの膝から体を起こし、長机の上に両肘をついて前のめりになった。

 

「買い取りで入ってきたはいいけど、一枚だけじゃ売れ残ってる昔の強いカードとか、私が昔使ってて、ストレージの底に眠ってる一枚きりの思い入れのあるカード。そういうのを適当にぶち込んで、適当に遊べる。最高じゃない」

 

「いや、適当にぶち込んだだけで回るほど甘いゲームじゃないだろ」

 

「多人数戦なんでしょ? 一対一みたいにガチガチの殺し合いしなくても、他のみんなが強い奴を勝手に叩いてくれるわよ。私はこっそり盤面整えて、最後に漁夫の利をかっさらう。完璧な戦略ね」

 

「性格悪っ」

 

 シラベが顔をしかめるが、ミトラは全く意に介さない。

 

 むしろ、自らの思い描いた陰湿なプレイングを想像して、ふふっと楽しげな笑い声すら漏らしている。

 

「カルメリエル。今度の休日、スケジュール空いてるわよね」

 

「ええ、特に予定は入っておりませんわ」

 

「じゃあ決定。そこで四国無双の体験会兼、試験的な店舗大会を午前午後でやるわよ。ブログで告知しておいて。シラベも準備しときなさい」

 

 ミトラの鶴の一声だった。

 

 ボトムレスピットという小さな王国において、店長の決定は絶対である。どれだけシラベが懸念を並べ立てようとも、彼女がやりたいと言い出した以上それに従う以外の選択肢はない。

 

「マジかよ……」

 

 シラベは深く項垂れ、右肩の大穴が抗議するように短く鳴いた。

 

「俺もデッキ組まなきゃなんねえのか? 百枚揃えるのなんて、ストレージ漁るだけで半日潰れるぞ」

 

「デッキ用意するのは当然でしょ。店員なんだから、人数合わせと接待くらいしなさい。あ、でも強すぎるデッキは禁止ね。私が気持ちよく勝てないから」

 

「横暴すぎるだろ。独裁国家かここは」

 

「ふははは! 見ろ契約者、私の提案が見事に採用されたではないか!」

 

 レヴェローズが空になった煎餅の袋を振り回しながら、全く自分の手柄ではないのに高らかに笑う。

 

「安心しろ。貴様のデッキ構築は、この私が手伝ってやろう! 我が軍勢となりえる優秀な兵たちを百人集め、最強の軍団を作り上げようではないか!」

 

「お前が手伝ったら百枚の紙束が出来上がるだけだ。絶対に関わってくるな」

 

 シラベの拒絶をどこ吹く風と受け流し、レヴェローズは早くも自分のカードを机の上に並べようとし始めている。

 

 カルメリエルは呆れたような、それでいてどこか楽しげな視線を三人に向けながら、スケジュール帳の週末の欄に流麗な文字で予定を書き込んでいった。

 

「それでは、次の日曜日は四国無双の試験開催ということで。皆様、当日は滞りなく進行できるよう、準備をよろしくお願いいたしますわ」

 

 司会の締めくくりと共に、ボトムレスピットの夜の営業会議は幕を閉じた。

 

 シラベは疲労感に包まれながら、ストレージ漁りという楽しくも地獄の作業を思い、ただもう一度、深く長いため息を吐き出すのだった。

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