二つの卓に分かれた長机の片隅で、キリメは居心地の悪さに身を硬くしていた。
右隣には、先ほどまでレジカウンターの中にいた店員が気怠げにパイプ椅子へ腰掛けている。その足元では黒猫が丸くなり、静かに目を閉じている。
そして机を挟んだ向かい側。キリメの正面には、底知れない気配を漂わせるピンク色の髪のシスター服の女が座っている。その隣にはいかにもオタクといった風貌の若い男が、緊張して身を縮めていた。
それぞれが手元に分厚い百枚のカードの束を置いている。これが、これから戦う相手たちだ。
店員が軽く咳払いをして、卓の三人に視線を向けた。
「始める前にいくつか確認とお願いをさせてください」
気怠げな声だが、その口調には客を束ねる店員としての最低限の真面目さが含まれていた。
「この『四国無双』ってプロトコルは、普段の対戦と違って四人で同時にやる多人数戦です。だから、誰が誰に攻撃してるのか、どのカードの効果を誰に使っているのか、そういうのが非常にややこしくなります。アレとかソレとか、あの人のカードとか、そういう曖昧な指示語や雑な言い方はトラブルの元なんで、なるべく避けてください」
店員は手元のカードの束を触りながら続ける。
「で、そのために、まず互いに自己紹介をしましょう。プレイ中、相手を指定するときは出来れば名前を呼んでください。実名に抵抗があるなら、適当なハンドルネームとかでもなんでもいいです。じゃあ、言い出しっぺの俺から。店員のシラベです。よろしく」
短く頭を下げるシラベ。それに倣うように、シスター服の女が優雅に微笑んだ。
「カルメリエルと申しますわ。本日はよろしくお願いいたしますね」
鈴を転がすような、しかしどこか背筋に冷たいものが走るような声だった。その隣で、若い男がビクッと肩を震わせ、どもりながら名乗る。
「あ、オ、オオタ、です。よろしくお願いします」
残るはキリメだけだ。三人の視線がスカジャン姿の不良少女へと集まる。
キリメは先ほど開けたばかりのカードの束に目を落とし、舌打ちをしたい衝動をこらえた。自己紹介など柄ではない。だが、ここで変に突っ張って空気を悪くするのも違うだろう。
名前。ハンドルネームなんてものは無い。どうせ地元は隣町だ。ここで本名を名乗ったところで、学校の連中にバレるリスクは低いだろう。
「……キリメ。よろしく」
できるだけ低く、ぶっきらぼうな声を作って短く答えた。シラベは特に気にした様子もなく、一つ頷いた。
「はい、よろしく。えーっと、オオタさんはこの四国無双の経験はありますか?」
「い、いえ。今日が初めてで……ルールも、ネットで軽く読んだくらいで、全然分かってなくて」
オオタが申し訳なさそうに縮こまるが、シラベは頷く。
「まあ、体験会だしそんなもんですよね。じゃあ、カルメリエル。彼に軽く基本ルールの確認と、フェーズの進め方の説明を頼めるか。俺はちょっとこっちの対応をするから」
「ええ、承知いたしましたわ」
カルメリエルがオオタにカードの解説を始めるために、自身のデッキからカードを並べつつ説明していく。シラベはその様子から視線を切り、隣に座るキリメの方へと向き直った。
キリメはシャッフルする前に、開けたばかりのデッキの中身を眺めているところだった。新品特有の真新しい紙の手触り、インクの特有の香りが鼻腔をくすぐる。
ネット通販で中古のカードを単品買いをするのとは違う、一つの完成されたデッキを丸ごと手にするという初めての経験。キリメの三白眼の奥底には、新しいおもちゃを手に入れた時のような純粋な高揚感が渦巻いていた。
指先でカードの束の側面を撫でる。すごい。これが、百枚の重み。自分でも気づかないうちに口元が緩みかけていたその時、視界の端からすっと何かが差し出された。
「ほら、これ使えよ」
声にはっとして顔を向けると、シラベが未開封のカードスリーブの束を二つ、机の上に転がしていた。裏面がマットな紫色をした、無地のシンプルなスリーブだ。
キリメは怪訝な顔でスリーブとシラベを交互に見る。
「折角新品のデッキを買ったんだ。傷がつく前に、内容を確認しながらそれに着けとけ」
シラベは相変わらず気怠げな表情のまま、淡々と言った。
「あ、いくらだ」
「金はいい」
キリメは慌ててスカジャンの内ポケットに手を突っ込み財布を取り出そうとした。しかし、シラベはそれを手で制する。
「体験会用のサービスだ。それに……」
シラベはそこで少しだけ声を落とし、顎を掻いた。
「あんな風に他の客の前で持ちかけて、断りづらい空気にしちまって悪かったな。あんた、本当は自作のデッキで普通の対戦がしたかったんだろ」
その不器用な気遣いに、キリメは面食らった。退路を塞いだ自分の配慮のなさを詫びているらしい。
大人に頭ごなしに怒られたり、気味悪がられて避けられたりすることには慣れていた。だがこんな風に、妙にフラットな目線で面倒を見られることには全く免疫がなかった。
顔に熱が集まるのを感じ、キリメは帽子をさらに深く被り直して視線を逸らした。
「……別に。アタシが勝手に買っただけだし。……サンキュ」
消え入りそうな小声での礼だったが、シラベには聞こえたらしい。彼は短く鼻を鳴らし、自分のデッキの調整に戻っていった。
キリメは渡された紫のスリーブの封を切り、真新しいカードを一枚ずつ丁寧に滑り込ませていく作業を始めた。
カードのテキストを読み込みながら、デッキの全体像を把握していく。この構築済みデッキは、火属性と水属性の二重属性で組まれているらしい。場に機械を増やしながらマナを伸ばし、終盤では
なるほど、とキリメは内心で感心した。自分が感覚だけで組んだ六十枚の束とは、構築の思想の深さが違う。だが、同時に一つの欲求が頭をもたげていた。
キリメは隣でカードを並べているシラベの横顔を盗み見し、意を決して声をかけた。
「あのさ」
「ん?」
「この百枚の中から何枚か抜いて、アタシが持ってきたカードを入れるのって、アリなのか? その、どうせやるなら、自分の好きなカードを使いたいっていうか……」
恐る恐る尋ねる。ルールもろくに理解していない初心者が、完成されたデッキのバランスを崩すようなことを言えば、鼻で笑われるかもしれない。
しかし、シラベは全く気にした様子を見せず、むしろ当然のことのように頷いた。
「ああ、全然アリだぞ。むしろ四国無双ってのはそういう遊び方だ。自分の好きなカードを詰め込むためのプロトコルだからな。ただ、構築のルールには気をつけろよ」
シラベは自分のデッキの一番上に置かれたカードを指差した。
「百枚の中から一枚、デッキのリーダーである『国主』として指定する生命体カードがある。四国無双では、その『国主』が持っている属性か、あるいは無属性のカードしかデッキに入れることができないんだ」
「属性縛りがあるのか」
「そうだ。あんたの買ったそのデッキなら、パッケージの表紙になっているその火と水の多色生命体が国主だ。だから、火属性か水属性、あるいは無属性の機械なんかを入れ替える分には全く問題ない。風属性や光属性のカードは入れられないから注意しろよ」
「火と水と機械なら、いいんだな」
「おう。好きに改造しろ」
その言葉にキリメの胸が高鳴る。再び小声で礼を言い、キリメはいそいそとスカジャンのポケットから自作のデッキケースを取り出した。
自分のデッキとして持ち込んだ六十枚の束、そこから火属性と機械のカードを何枚か抜き出す。どれを抜いて、どれを入れるか。限られた時間の中での即席の改造作業だが、自分の好きなカードがこの百枚の中に組み込まれていくという事実が、キリメの口角を自然と引き上げさせていた。
「ええと、この重い機械を抜いて、代わりにこっちのを入れて……」
ぶつぶつと独り言をこぼしながら、キリメは抜き出した自前のカードにスリーブを被せていく。
その中の一枚を手にした時だった。隣で作業をしていたシラベの動きが、ピタリと止まった。
キリメはカードのテキストを確認するのに夢中で、シラベの異変には全く気付いていなかった。
シラベの視線は、キリメの手の中にある一枚のホイルカードに完全に釘付けになっていた。彼の口元が微かに引きつり、顔へ僅かに警戒の色が走る。
『伝結晶戦姫ヴェルガラ・ドゥブランコ』。このボトムレスピットで暮らすレヴェローズとカルメリエルの姉、ドゥブランコ王家の長姉にあたる存在のカードだ。
シラベの脳裏に様々な思考がノイズのように駆け巡る。なぜこんな場違いなヤンキーの小娘が、よりにもよってそのカードを持っているのか。普通のカードではある。あるのだが、よりにもよって他二枚がいる場所に来ることは無いだろう。
張り詰めた空気がシラベの周囲数十センチの空間だけを支配したが、当のキリメは入れ替えを終えて満足げに頷き、カードの束をトントンと机に叩きつけて揃えていた。
やがて、向かいの席でオオタへのルール説明を終えたカルメリエルが、優雅に両手を合わせた。
「こちらの方は準備が整いましたわ。シラベ様、そちらはいかがですか?」
カルメリエルの声でシラベはふぅと息を吐き出し、店員としての仮面を被り直した。
「あー、こっちも終わった。キリメ、スリーブ入れ終わったな。じゃあ、対戦の準備に入るぞ」
シラベの指示に従い、キリメはシャッフルを終えた分厚いデッキを自分の右側に置いた。
「四国無双では、ゲームを始める前に、それぞれ自分のデッキの『国主』を全員に見えるように公開する。この国主は常に公開情報として扱われて、自分のターンのメイン位相なら、手札にある時と同じようにコストを払って場に出すことができる。破壊されてもコストを余分に払えばまた呼び出せる、デッキの切り札だな」
説明を受けたキリメは頷き、パッケージの表紙になっていた火と水の多色生命体をデッキの横に抜き出しておく。オオタもカルメリエルに教わりながら、自分の国主を用意した。
「じゃあ、俺からいくぞ。俺の国主はこれだ」
シラベが裏向きで伏せていた一枚のカードを、パチンと音を立てて表に返した。
『
コスト:〈8〉
タイプ:機械・生命体 ― 総司令
・あなたのターン開始時に、あなたがコントロールする各「伝結晶」生命体の上に
・伝晶6(この生命体は
[0/0]
175cm/68kg/B124(K)/W58/H96
そのカードが提示された瞬間、向かいに座るカルメリエルの糸目がわずかに細まり、口元の笑みが一層深くなったような気がした。さらに、もう一つの卓の方から金髪女がこちらにドヤ顔を向けてきたのがキリメの視界の端に映る。
なんだあの反応は。キリメが怪訝な顔をしていると、シラベは手で金髪の女をシッシッと追い払う仕草をした。
「あー、性能はともかく、ちょっとこれを使わざるを得ない理由があるだけのカードでな。単なるコストの重いポンコツだから、あんまり気にしなくていいぞ」
よく分からない事を言うシラベに、キリメはレヴェローズのカードをしげしげと眺める。確かに重い割に、出てきて何か致命的な事をするという雰囲気でもない。絵が綺麗ということ以外は特に言うことはないように思える。
そう思っていたが、じっと見ている内にキリメはある事に気付く。
「……ん? おい、このカードって無属性の機械・生命体だろ。『国主』の属性が無いと、デッキはどうなるんだ?」
「当然、無属性だ。カスみたいな縛りだろ」
自分のデッキに対する態度ではない。キリメは思わず呆れそうになるが、シラベの顔を見て改める。勝負を投げた顔ではない。むしろ挑むような、食いついて来るような獰猛さがある。
こういうタイプと殴り合うのは面倒だ。キリメの経験上、弱い奴が諦めが悪いとろくでもない事をやらかしてくる。
「次、カルメリエル」
「はい。私の国主はこちらですわ」
カルメリエルが白魚のような指先で示したのは、水属性と闇属性を併せ持つ、不気味な液体の入った試験管を持つ魔道士のカードだった。
「そして僕は、これです。風と光の……」
オオタが緊張した面持ちで、巨大な樹のような怪物の描かれたカードを提示する。
最後にキリメが、自身の国主を場に公開した。
『氷炎の彫刻家ライン』
コスト:〈4〉〈水〉〈火〉
タイプ:機械・生命体
・あなたがコントロールする生命体である
・あなたのターンの戦闘位相の開始時に、水属性で2/1の晶体である
[4/4]
四人それぞれのテーマを象徴する、四枚の国主カードが卓の中央に出揃う。
火と水の機械。無属性の軍勢。水と闇の魔術。風と光の自然。それぞれのプレイヤーが、全く異なる百枚の軍勢を率いて激突する。一対一の対戦とは全く違う、未知の盤面がこれから展開されようとしている。
キリメは目を輝かせていた。緊張と羞恥心は、とうに消え失せていた。