レヴェローズとの奇妙な同居が始まって、一週間が経った。
六畳一間における総督閣下の統治は、予想通りと言うべきか、平穏とは言い難い。機械人類めいた種族のくせに充電が要るわけでもなく、食事も娯楽として嗜む程度。おかげでエンゲル係数が上がらないのは幸いだが、代わりにシラベの精神のカロリー消費が激しかった。何しろ、隙あらばデュエルを挑んでくる。
「契約者! 我が軍の真価を問う時だ! さあ、デッキを手に取れ!」
目が覚めると同時に、これである。金髪の美女が布団の上に馬乗りで叫んでいる。
重い。そして柔らかい。眼福ではあるが、寝起きの低血圧には刺激が強すぎた。
「……うるせえ。まだ十時だぞ」
「もう近所の小学校から声が聞こえてきているぞ。運動会とやらの練習らしい」
「うるせえ」
底辺無職の細やかな神経を丁寧に逆撫でするな。学童だった在りし日を強制的に思い出させられ、今とのギャップに勝手に傷付いて、シラベはどこまでも身勝手に憤った。
豊満な肢体と、釣られて湧きかけた欲とを纏めて押しのけ、あくびを噛み殺して上半身を起こす。
「対戦、対戦と言うがな。俺は霞食って生きてるわけじゃないんだ。まずは生活費の確保だ」
「む……兵站か。確かに重要だが、貴様にはパチンコとやらの戦果があるだろう?」
「あれはそのうち家賃と光熱費で消える予定。手元に残るのは微々たるもんだ」
「ではついに働くのか」
「それは嫌だ。……だから、今日はあれを売ってくる」
シラベが指差したのは、昨日整理したストレージボックスの一角だ。高校・大学で手に入れたはいいが、今のデッキには入らない高レアリティのカードを分けてある。
環境落ちした物が多くても、コレクター需要があればそこそこの値は付くはずだ──そんな需要が存在するなら、だが。そのあたりは、カードから離れていたシラベより、ショップの店員の方がよほど詳しい。
「手勢を切り売りするのか?」
「使わない戦力を遊ばせておく方が無駄だろ。お前の得意なリソース管理だよ」
「ふむ。ならば私も同行しよう。総督として、資産運用の現場を監督せねばなるまい」
「……勝手にしろ。ただし、俺以外には見えてないからって、外で変な動きするなよ」
この一週間で判明したことだが、レヴェローズの姿はシラベ以外の人間には視認できず、声も届かない。それでいて物理的な干渉力はあるので、彼女が物を動かせばポルターガイスト現象が出来上がる。非常に厄介だ。
「承知している。私は影のごとく付き従おう」
自信満々に胸を張る総督閣下。その露出過多な軍服姿で影と言われても、信用できる要素が一つもなかった。
*
おもちゃ屋『ボトムレスピット』。
駅前の商店街から一本外れた路地に店を構える、古びた個人経営のホビーショップだ。エインヘリヤル・クロニクルが産声を上げるより前から営業している老舗だが、店構えに歴史の重みはなく、あるのはカオスだけだった。
滑りの悪いガラス戸を開けると、湿った紙と埃の匂いが鼻をつく。間口が狭く、奥へ長い、うなぎの寝床のような店内。うず高く積まれた段ボールの城壁とガラスケースの隙間に、デュエルスペース用の長机が三つ、無理やり押し込まれている。
人とすれ違うのも一苦労な通路を抜け、シラベはレジカウンターへ向かった。
「いらっしゃいませー。……おや、お久しぶりですね」
カウンターの奥から顔を出したのは、白髪混じりの店長だった。シラベの顔を見るなり、眼鏡の奥の目を細める。
「ああ、どうも……。ちょっと、買い取りをお願いしたくて」
かつては毎日のように通っていた常連だ。顔を覚えてくれていたらしい。
シラベは気まずさを飲み込み、選別してきたカードの束を差し出した。
社会人になって足を洗ったと思われていただろう男が、平日の真っ昼間からカードを売りに来る。店長の目にどう映っているか、想像するだけで胃が痛い。
「はい、承りました。査定が終わるまで、そちらでお待ちください」
店長は慣れた手つきでカードを受け取り、番号札を渡してくれた。
シラベは逃げるようにデュエルスペースの椅子へ腰を下ろす。
「ふむ……ここが我らの武器庫になるわけか。狭苦しいが、歴戦の気配を感じるな」
隣──誰もいないはずの空間から、レヴェローズの声が響く。興味津々に店内を見回した後、彼女は当然のようにこちらへ向き直った。
「さて契約者よ。待ち時間は退屈だ。軍議を行うぞ」
「は?」
小声で返した、その膝の上へ。総督閣下はどかりと腰を下ろした。
「おい待て! 重っ……!」
「声が大きいぞ。怪しまれるではないか」
レヴェローズは悪戯っぽく笑い、シラベの首に腕を回してくる。
他人からは見えない。だがシラベの太腿には確かに、女の柔らかさと確かな質量がのしかかっている。はたから見れば、虚空を見つめて脂汗をかく不審者だ。
「……俺はデッキなんて持ってきてねえぞ」
「ほら、これを見ろ」
無視を決め込む前に、豊満な谷間からクリスタルのデッキケースが取り出された。レヴェローズの手持ちデッキだ。
何もしなければ、空中にデッキケースが浮かぶ怪奇映像が出来上がってしまう。シラベは慌てて、ひったくるように受け取った。
(くそっ、やりたい放題しやがって)
文句を言えば独り言になる。暴れれば不審者度が上がる。
シラベは観念してケースの蓋を開けた。暇潰しだと割り切って、調整に付き合ってやる。
膝の上のレヴェローズは椅子に座るようにシラベへ身を委ね、手元を覗き込んでくる。紙と埃の匂いに負けない華やかな香りが鼻腔をくすぐり、身体に当たる柔らかい感触が生々しい。
「昨日の演習では『失伝結晶機』は出たもののヴェルガラ姉様が生き残れず
(お前のデッキ、攻撃偏重が売りの前のめり構築だろ。防御なんざ考えたらシステム完成する前に死ぬぞ)
心中で毒づきつつ、大人しくさせるために、渡されたデッキを長机に広げる。
『失伝結晶機』の枚数確認。『機械のルーン』の配分。そして、異物のように輝くコスト8のレヴェローズ。
(俺のデッキでも、こいつをどうにかして活躍させなきゃいけないんだよな……)
手元のこれはあくまでレヴェローズのデッキだ。自分のデッキは別に用意して、そこにレヴェローズの座を作らなければならない。
無視してしまえばいい、と思わなくもない。だがレヴェローズの鬱陶しさから逃げるすべは今のところないし、曲がりなりにも超常の力の中で負けた上でのアンティだ。蔑ろにするのは嫌な予感しかしない。
レヴェローズ曰く、レーラズ・フィールドでのアンティは絶対であるらしい。契約書も印鑑もなしに何をもって証明とするのかは謎だ。だが、シラベがレヴェローズから逃れる気を無くしていること自体が、ひとつの強制力の証しなのかもしれない。
シラベは溜め息をつき、安く揃うカードで何か使えないかと、古い記憶のデータベースを検索し始めた。
膝の上の見えない重荷は、シラベが真剣にデッキを見ているのが嬉しいのか、ご機嫌に足をぶらつかせている。そのたびにヒールの踵がすねに当たって、地味に痛かった。