カルメリエルがしめやかに盤面から姿を消した後。残された三人による戦いは、ジリジリとリソースを削り合う泥仕合へと突入していった。
キリメの場では彼女の国主と呪法が毎ターン着実に代替品を生成し続ける。生み出されるのは戦力としては小粒だが、塵も積もれば山となる。彼女はその数を頼りに、シラベとオオタのライフを少しずつ削りにかかっていた。
対するオオタは、先ほどの全体除去を生き延びた破壊耐性を持つ不死の生命体を壁として立たせ、虎視眈々と反撃の機会を窺っている。彼もまた手札にカードを溜め込みながら、自陣の守りを固めることに専念していた。
そしてシラベは、規格外のコストを要求する巨大な生命体を散発的に戦場へ投下してはその暴力的な効果で二人に圧力をかけていく。しかし多人数戦において目立つ脅威は真っ先に叩かれるのが定石だ。キリメの戦術カードによる妨害やオオタの壁に阻まれ、シラベの大型生命体は致命傷を与える前に処理されてしまう。それでも、彼が残す爪痕は確実に二人のライフとリソースを削り取っていた。
息詰まるような攻防の末、均衡を破ったのはオオタだった。
彼は手札から複数のマナを支払い、再び光属性の強力な代替品を大量に展開する戦術カードを放った。先ほどの『黄金樹の後継たち』に匹敵する、盤面を一気に制圧する布陣。不死の生命体と共に並び立った軍勢は、次なるターンでゲームを終わらせるのに十分な威圧感を放っていた。
「これで、僕の盤面は完成です」
オオタが静かに宣言し、ターンを終える。キリメは自身の場に並ぶ小粒の代替品たちとオオタの軍勢を見比べ、思わず眉間にシワを寄せる。数でも質でも負けている。
だが、その圧倒的な軍勢を前にしても、シラベの顔には焦りの色はなかった。むしろ、待ちわびていた獲物が罠にかかったのを確認した狩人のような、冷酷な笑みが浮かんでいた。
「綺麗に並べたな。だがそれだけ属性の色が濃いと、的が大きすぎるぜ」
シラベのターン。彼は手札から一枚の戦術カードを抜き出し、無造作にテーブルの中央へ叩きつけた。
「戦術カード、『クルシュの方程式』を使用する。効果は単純だ。フィールドにいる属性を持つ生命体を、全て生け贄に捧げてもらう」
「っ! レスポンスします! 戦略『銀糸の幕』、これでフィールドの生命体に破壊耐性を――」
「無駄だね。破壊への耐性では、生贄効果は防げない」
いつの間にか観客に回っていたヒナタの言う言葉に、オオタの表情が凍りつく。
ダメージによる破壊ではない。手札へのバウンスでもない。対象を無理やり墓地へと送る強制的な生け贄処理。いかに強固な破壊耐性を持つ不死の生命体であろうともその前には無力だ。
解かれてはならない数式の代償。フレーバーテキストに記された通り、オオタが手塩にかけて展開した光属性の軍勢が消滅していく。更地となった自陣を見つめ、オオタががっくりと項垂れる。
しかしキリメの盤面には変化は少なく、シラベに至っては当然無傷だ。シラベのデッキは無属性を主体としており、彼の場にいる生命体は属性を持たない。そしてキリメのデッキは火と水の複合属性であったが、彼女の場に展開されている代替品の殆どは無属性で出てきている。
防壁を失ったオオタへ向けて、シラベの無属性の大型生命体が容赦のない一撃を叩き込む。その重いダメージによってオオタのライフはあっけなくゼロを割り込み、彼はゲームから脱落した。
残るは、シラベとキリメの二人。
完全な一騎打ちの局面。シラベの場には巨大な生命体が鎮座し、キリメの場には属性を持つラインは国主領域に帰り数体の代替品が並んでいる。
ターンを受け取ったキリメは手札を見つめて小さく息を吐いた。盤面の状況だけを見れば、シラベの巨大な生命体を前にして、彼女の小粒な代替品では突破口は見えない。
だが、キリメの指先は震えていなかった。
「……アタシのターン。ドロー」
引いたカードを確認し、キリメの口元に獰猛な笑みが浮かぶ。
「コスト2、機械・生命体を設置。『伝結晶戦姫ヴェルガラ・ドゥブランコ』!」
『
コスト:〈2〉
タイプ:機械・生命体
・機械1つを生け贄に捧げる:これの上に
・伝晶1(この生命体は
[0/0]
192cm/88kg/B132(P)/W70/H105
キリメが盤面へ送り出したのは、コストに見合わない貧弱な基本ステータスを持つ、しかし特異な能力を秘めた褐色の戦姫だった。
そのカードが場に出た瞬間、シラベの背後で観戦していたレヴェローズが、息を呑むような小さな音を上げたのをキリメは聞き逃さなかった。だが、今はそれに構っている余裕はない。
「ヴェルガラは伝晶の効果で、CCが1個乗った状態で場に出る。だけど、本命はこっちの能力だ」
キリメは、自陣に並ぶラインが生み出した晶体の代替品たちを指差した。シラベもその能力はよく理解していた。
「ああ。ヴェルガラの能力なら把握してる。自分の場の機械を一つ生け贄に捧げるごとに、ヴェルガラの上にCCを一つ置く。――つまり、ヴェルガラとその他を止めたところで、一体でも防ぎ損なえば終わりだ」
「えっ?」
「ああ?」
キリメは意外そうな声をあげ、シラベはその声に対して首を傾げる。
互いにハテナマークを浮かべていると、眺めていたオオタがああと声を上げる。
「なるほど。ヴェルガラの能力なら防御された代替品を全て食べてCCにして、最後に自壊すれば伝晶で素通りの対象に移し替えられると」
「あっ、ちょ、ストップ! 気付いてなかったっぽいのに!」
シラベがいくらそう言っても、知られてしまった戦法はどうしようもない。
次のターンにおいてシラベはヴェルガラを除去する手段も防ぎ切る生命体も用意しきれず、明け渡したキリメの攻撃で手元のライフカウンターの数字をゼロへと動かす事となった。
「俺の負けだ」
深く息を吐き出して両手を挙げるシラベ。その宣言と共に、長かった四国無双の対戦は終結を迎えた。
勝者となったキリメは、しばらく自分が勝ったという事実を実感できないまま、盤面のヴェルガラを見つめていた。
「素晴らしい戦いでしたわ、キリメ様」
最初に声をかけたのはカルメリエルだった。彼女は上品に拍手を送りながら、キリメを讃える。
「あ、ああ……どうも」
「最後の一撃、見事でした。逆転のカードを見事に引き込みましたね」
向かいに座るオオタも、悔しさを滲ませながらも清々しい笑顔でキリメに称賛の言葉をかけた。
「ルールに自信が無かった風だった割には、肝の据わったプレイングだったな。あの全体ダメージを撃ち込んできた時はどうなるかと思ったが、結果的にあれが一番の正解だったってわけだ」
シラベもまた、気怠げな態度を崩さないまま、しかし確かな敬意を込めてキリメの勝利を認めた。
見ず知らずだった大人たちから向けられる、純粋な賞賛と拍手。普段、学校でも街でも不良として扱われ、避けられるかあるいは敵意を向けられることの多いキリメにとって、それはひどくむず痒く、そして心地よいものだった。
「……っ、べ、別に。アタシはただ、手元にあったカードを出しただけだし。運が良かっただけで……」
顔を赤くして視線を逸らし、ぶっきらぼうに言葉を返すキリメ。その照れ隠しは誰の目にも明らかだった。
一段落ついたところで、シラベが懐から小さなメモ用紙とボールペンを取り出し、三人に向かって配り始めた。
「四国無双を定期的に開催している、よその店舗でやってるやり方を真似した奴なんだけどな」
シラベは自分用のメモ紙を手元に置きながら、説明を始める。
「ただ勝敗を決めるだけじゃ味気ないだろ。だから、今回の戦いで一番場を盛り上げてくれたと思うプレイヤーの名前を、自分以外の三人の中から選んで書いてくれ。一番票が多かった奴には、店からおまけの懸賞を出す」
「ネットゲームの即席パーティ戦闘の終わりにある、MVP投票みたいなやつですね」
オオタが納得したように手を叩くと、シラベはそうそうと頷いた。
キリメは配られたメモ紙とペンを見つめ、少し戸惑った。場を盛り上げた人間。カードゲームの専門的なことはよく分からなかったが、今日の対戦を振り返ってみる。
最初から最後まで初心者の自分に色々とルールを教えてくれて、文句を言い合いながらも一番遠慮なくやり合うことができた相手。
キリメは迷うことなく、ボールペンを走らせた。
全員が書き終え、二つ折りにされたメモ紙がシラベの手元に集められる。シラベはそれを一つずつ開き、中身を確認していった。
「えー、結果発表」
シラベはわざとらしく咳払いをしてから、声を張り上げた。
「見事、満場一致の三票を集めたキリメさんが、本日の頑張ったで賞でーす」
シラベがぱちぱちと乾いた拍手をする。カルメリエルとオオタもそれに続き、店内は再び温かな拍手に包まれた。
「は……はぁ!?」
キリメは目を丸くし、そして顔を火の出るように赤くした。自分が選ばれるなど微塵も思っていなかったのだ。
「なんだよそれ! 全員って、アンタもアタシの名前書いたのかよ! それに頑張ったで賞ってなんだ、馬鹿にしてるネーミングだろ!」
羞恥心が怒りへ変換されて爆発し、キリメはシラベの肩を軽く殴りつけた。
「いてて。いいだろ別に、俺の大札も捌いて、焼け野原にしやがって。立派な功労者だよ」
シラベはけらけらと笑いながらキリメの抗議を受け流し、新品のパックを一つ、机の上へ滑らせた。
「ほら、懸賞のパックだ。おめでとさん」
キリメはぶつぶつと文句を言いながらも、差し出されたパックを大切そうに受け取り、その光沢のある包装を指でなぞった。
気付けば、店の外はすっかり暗くなっていた。
休日の店舗大会も終わり、他の客たちはすでに家路についている。オオタも既に挨拶を残して店を出ていき、店内には静寂が戻りつつあった。
閉店の準備を始めるシラベたちの邪魔にならないよう、キリメも帰り支度を整える。変装用のキャップを確認し、スカジャンを羽織り直してボトムレスピットのガラス戸を開けた。
「お疲れさん。気をつけて帰れよ」
シラベが箒を片手に、店先まで見送りに来る。
冷たい夜風が二人の間を吹き抜けていく中、シラベはふと思い出したようにキリメへ問いかけた。
「そういや、聞きそびれてたんだけどさ」
「ん? なんだよ」
「お前のデッキに入ってた、あのヴェルガラのカード。随分と古い弾のカードだけど、どういう経緯で手に入れたんだ?」
その問いに、キリメは少しだけバツが悪そうに視線を泳がせた。
「あー……あれは、その。ずっと昔、なんだけどさ」
思い浮かべるのは、霞が掛かったような過去の記憶。そこには今とは違う、頼りがいのある兄の姿がある。
「アタシがまだ小さかった頃に、兄貴がカードやってるのを見て、アタシもやるっつって教えてもらったんだよ。その時、兄貴が余ったカードで適当に組んでくれたデッキに入ってたやつでさ」
キリメはポケットに手を入れたまま、足元の小石を軽く蹴り飛ばす。あの頃弄っていた時はカードゲームのタイトル名なんてまるで知らなかった。数ヶ月前に再開した時でさえ、子供の頃に遊んでいたのを思い出すまで時間が掛かった。
「その時はルールとかも全然知らないで、ただ数字の大きさを比べて適当に遊んでただけだったんだけど。最近コレに嵌ってから、そう言えばと思って探してみて……」
言い訳がましく、語尾がごにょごにょと萎んでいく。古い思い出をこうも明かしてしまうのはガラじゃないと思っていたのに、ゲームとはいえ一度殴り合った相手にはどうにも口が軽くなってしまう。
シラベはその話を真剣な顔つきで聞き、キリメの目を見つめ返す。
「そのカード、なんか不自然に光ったりとか、中から人が出てきて喋り出したりとかしてないよな?」
唐突な質問。その言葉の裏にある異常な現実を、キリメが知る由もない。
キリメはぽかんと口を開けた後、心底呆れたような顔でシラベを見た。
「はぁ? アンタ、頭大丈夫か? そんな漫画みたいなこと、現実で起こるわけないだろ。カードのやりすぎで脳みそやられてんじゃないのか」
辛辣なツッコミを浴びせられても、シラベは乾いた笑いを漏らすしかない。肩の自由さを味わうように大きく伸びをしてごまかす。
「……だよな。悪かった、変なこと聞いて。忘れてくれ」
「変な店員」
キリメは呆れながらも、口元には微かな笑みを浮かべていた。
彼女は数歩歩き出してから、立ち止まって振り返る。
「なあ」
「ん?」
「また、ここに来てもいいか?」
瞳が揺れる。顔が見えない。緊張。恐れ。吐く息の白が舞う。
ああして戦った。たくさん話して、共に笑った。それでもここは、自分がいていい場所なのか。暗い帰路に立つと、自然とキリメは不安になっていた
「別に確認することでもないだろ」
ここは店なんだから、と。キリメの不安を心底理解しない、寄り添わない、当然とばかりにシラベは言う。
「客がいつ来たっていい。いつでも来いよ」
キリメの瞳が、ようやくシラベの顔を捉えた。店内からの逆光を背負うその顔は薄暗かったが、キリメにとっては温かい暗闇だった。
「じゃ、また来る」
彼女は被ったキャップのつばを押さえながら、律儀にお辞儀をして夜の商店街へと駆け出していった。
その背中が見えなくなるまで、シラベは静かに見送っていた。
*
深夜。キリメの自室。
電気の消された部屋の中。キリメはベッドに横たわり、深い眠りについていた。
窓の外から差し込む街灯の光が、部屋の隅にある机を薄暗く照らし出している。机の上には、今日ボトムレスピットで組み上げたばかりのデッキが収められたケースが、無造作に置かれていた。
静かな寝息が続く中、キリメは夢と現実の狭間で、不思議な感覚に包まれていた。
温かく、そして大きな手のひらで、頭をごしごしと乱暴に、しかし愛情を込めて撫でられているような感覚。
『もっと、強くなれ』
凛とした女性の声。ひどく落ち着くその温もりの中で、誰かの声が聞こえた気がした。
「むにゃ……ん……?」
キリメは寝返りを打ち、重い瞼をわずかに開けた。ぼんやりとした視界でベッドの傍を見回すが、当然そこには誰もいない。
寝ぼけた頭は僅かに考えたものの、すぐにそれを諦める。彼女は再び目を閉じ、布団を頭まで被って寝息を立て始めた。
机の上に置かれたデッキケース。その中の一枚のカードが、脈打つような微かな赤い光を放っていたことにキリメは気付くことなく、再び深い眠りへと落ちていった。