カスレアクロニクル   作:すばみずる

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64 めんどくせー

 キリメが自室のベッドで眠りに落ちていた頃。

 

 ボトムレスピットの二階、シラベに割り当てられたはずの六畳間は、人口密度の高い空間と化していた。

 

 冬の冷気を凌ぐ福利厚生という名目のコタツは少し場所を移動して、せんべい布団を押しのけて部屋中央に鎮座しており、四角の辺には現在三つの人影がある。

 

 シラベは一つしかない座椅子に背を預け、コタツの中に足を突っ込んでいる。だがその姿勢は決してくつろいだものではない。彼のあぐらをかいた足の上にはやはりミトラが当然のような顔をして腰を下ろしていた。

 

 寝間着のフリースを着込んだ小柄な背中が、シラベの胸元にぴったりと密着している。コタツの熱とフリース越しに伝わってくるミトラの体温が合わさって、シラベの下半身は汗をかきそうなほどに温められていた。

 

 さらにミトラの太腿の上には、コタツ布団の隙間から顔だけを出した黒猫の大穴が乗っかっている。大穴は目を細め、ミトラの手で頭を撫でられながら、喉の奥で満足げな重低音を響かせていた。座椅子からシラベの足に連なりミトラの脚すらクッションにした、豪華な寝姿を見せている。

 

 シラベの正面には、ピンク色の髪を揺らすカルメリエルが背筋を伸ばしてでコタツに入っている。そしてシラベの左斜め前では中古のジャージ姿のレヴェローズが、テーブルの上に山盛りにされたみかんを無心で剥き続けていた。

 

「本日の四国無双の体験会についてですが」

 

 カルメリエルが上品な所作で湯呑みの茶をすすり、静かに本題を切り出した。

 

「午前、午後の二回ではありますが、参加された皆様からは概ね好評をいただけたかと存じます。通常の対戦とは異なる政治的な駆け引きや、お祭り騒ぎのような盤面の展開は、多くの方にとって新鮮な刺激となったようですわね」

 

「まあ、トラブルだのなんだの大惨事にはならなかったな」

 

 シラベはミトラの頭越しにカルメリエルを見ながら、気怠げに相槌を打つ。

 

「ただ、今回は円滑な進行を重視した結果、私とシラベ様、そしてミトラ様と一応のレヴェローズという二人ずつ配置して卓を回すという、店側の人間が多くを占める構成になってしまいました。これは試験的な運営としては仕方がありませんが、今後の課題ですわね」

 

 カルメリエルは指先でテーブルを軽く叩き、言葉を継ぐ。

 

「次に開催する際は、仮に初心者が三人同じ卓に入ったとしても、ゲームが破綻しないような仕組みが必要です。例えば、事前のティーチングをもっと簡略化しつつ、ゲーム中に確認できる一覧表のようなものを配布するのはいかがでしょうか」

 

「あー、それはいるかもな」

 

 シラベが頷く。

 

「多人数戦特有のルールの処理とか、ヘイトの買い方みたいな暗黙の了解は、やりながらじゃないと覚えられない。でも、いちいちゲームを止めて説明してたら間延びする。手元にフローチャートがあれば、少しはマシになるだろ」

 

「私もそう思う」

 

 シラベの胸に寄りかかったまま、ミトラが口を開いた。指先で大穴の耳の後ろを掻いているものの、しっかり話は聞いている。

 

「あとは、貸出用のデッキの調整ね。初心者でも分かりやすくて、そこそこ強い動きができるデッキをいくつか用意しておきなさい。シラベ、あんたの仕事よ」

 

「へいへい。また残業代の出ない内職が増えるわけですねぇ」

 

「文句言わない。家賃と光熱費と食費はタダなんだから」

 

「家賃ね。これのどこが俺の部屋なんだか」

 

 シラベが呆れ半分で吐き捨てると、隣で黙々とみかんを食べていたレヴェローズが口の中に果肉を詰め込んだまま何かを言おうとして、むぐむぐとむせた。シラベは無言でティッシュ箱を彼女の方へ押しやる。

 

「では、開催頻度としては月に一回から二回を目安に、週末のイベントとして組み込んでいく方向でよろしいですね」

 

 カルメリエルが話をまとめ、湯呑みを置いた。

 

「それでは、私は夕食の準備をしてまいりますわ」

 

 しなやかな動作で立ち上がり、コタツから抜け出して部屋を出て行くカルメリエル。廊下を歩く足音を聞きながら、シラベは小さく息を吐いた。

 

(……このまま俺の部屋で会議して、挙句の果てに夕飯までここで食うつもりかよ)

 

 ここは俺のプライベート空間のはずだ、と何か一言文句を言ってやろうと口を開きかけたが、胸元に預けられたミトラの体重がそれを妨げた。無自覚なのか意図的なのか、彼女はシラベの体にすっぽりと収まり、微かなシャンプーの香りと共に柔らかい背中を押し付けてきている。

 

 この理不尽な重みと密着感を突き放すには、少しばかり居心地が良すぎた。シラベは文句を飲み込み、そのまま天井を仰いだ。

 

「そういえば」

 

 三つ目のみかんを平らげ、ようやく口が空いたレヴェローズが、思い出したように顔を上げた。

 

「今日の客で、ヴェルガラ姉様のカードを出している者がいたな」

 

「ああ」

 

 シラベは短く応じた。キリメが最後の最後で叩きつけてきたあのカード。ドゥブランコ王家の第一王女。同パック内で収録された中でもトップクラスに強力だった環境の荒廃者。

 

「あんたたちみたいに、勝手に現実へ出てこなければいいけどね。確か、公式の設定プロフィールで百九十センチ超えの身長でしょ、あいつ」

 

(身長もデカいが、胸のサイズも三姉妹の中で一番デカいんだよな。『伝晶』の数値は一番小さいのに)

 

 シラベは内心で密かに付け加える。なぜ公式サイトのカード一覧の炙り出しでスリーサイズが出てくるのかまるで意味が分からなかったが、藍より青き日々を送っていた青年期のシラベには色々助かった覚えがある。

 

 そんな不敬な思考はお首にも出さず、シラベはレヴェローズの顔を見た。彼女は少しだけ真面目な顔をして、腕を組んでうーんと唸っていた。

 

「ヴェルガラ姉様は、出てこない気がするぞ」

 

「なんでだ?」

 

 シラベが尋ねると、レヴェローズは自身の記憶を探るように視線を上げた。

 

「ヴェルガラ姉様は、根っからの戦闘狂だ。戦場においては鬼神のごとき力で暴れ回る。だが平時はひどく静かというか……無駄な体力を使わないというか。必要がある時しか動かないし、暴れる時と場所を選ぶというか。こんな平和な店の中で、命のやり取りをやるでもないちまちました遊戯のために、わざわざ顕現するような真似はしないと思うぞ」

 

「へえ、そんなもんか」

 

 アホの子と腹黒が揃った三姉妹の筋肉達磨の長女が、意外にも一番理性的だという事実はシラベには少し面白かった。

 

 すると胸元にいたミトラがくるりと首だけを回し、シラベの顔を見上げてきた。その瞳は明確な不満を孕んだジト目になっている。

 

「また大きいおっぱいが増えればいいのに、とかエロいこと考えてたんでしょ」

 

「はあ? 考えてねえよ」

 

 図星を突かれて一瞬だけ心臓が跳ねたが、シラベはポーカーフェイスを保って即座に否定した。

 

「いいよ、別に増えなくて。ここにはもう十分すぎるくらい厄介なのが揃ってるし。というか、あれは俺のカードじゃなくてキリメのカードだしな」

 

 シラベが何気なく口にしたその言葉に、ミトラの眉がわずかにピクリと動いた。

 

「キリメ、ねえ」

 

 ミトラの声の温度が、一段階下がったのをシラベは感じ取る。

 

「すぐそうやって、新しく来た客の女の名前を簡単に呼んで。どうせ若い子の方がいいんでしょ」

 

 ミトラは不機嫌そうに唇を尖らせ、ぷいとそっぽを向いてしまった。大穴を撫でていた手も止まり、取り出したスマートフォンの画面をスクロールし始める。

 

 突然の理不尽な不機嫌。だがシラベも木石ではない。原因は分かる。新しくやってきた年下の客と、カードゲームの指導という名目で楽しげにやり合っていたシラベに対する、ひどく分かりやすい嫉妬だ。

 

「めんどくせー」

 

 シラベはわざとらしく聞こえるような声で溜め息を吐いた。

 

 本当に面倒くさい。三十五歳にもなってこんな子供みたいな拗ね方をするなんて。対人コミュニケーションをヒナタにでも学んできてほしい。

 

 だが、その面倒くささがこのひねくれた店長のどうしようもない──魅力? それは言い過ぎか。味のようなものであることも、シラベはすでに理解してしまっていた。

 

 シラベはコタツから右手を出し、そっぽを向いているミトラの小さな頭の上にポンと乗せた。柔らかい黒髪が、手のひらの下で柔らかく沈む。

 

「なに」

 

 ミトラが低い声で威嚇してくるが、シラベは構わずにその髪をくしゃくしゃと軽く撫でた。

 

「客の名前を普通に呼んだだけだろ。それに」

 

 シラベはミトラの頭に置いた手に少しだけ力を込め、自分の胸の方へと引き寄せた。

 

「俺を座椅子扱いしていいのは、今のところお前だけだぞ」

 

 言い訳としてはひどく不器用で、甘い言葉からは程遠い。

 

 だが、その言葉を聞いたミトラの肩の力が、ふっと抜けるのが分かった。

 

 ミトラは何も言わなかった。気の利いた返しも、毒舌も吐かない。ただ、そっぽを向いていた体をゆっくりとシラベの方へ戻し、背中全体をシラベの胸に深く沈め込んできた。

 

 頭の重みをシラベの鎖骨のあたりに預け、まるで冬の寒さを凌ぐ小動物のように、その体を擦り付けてくる。それが彼女なりの、機嫌を直したというサインらしい。

 

「……っ、おい」

 

 不意に密着度が増したことで、シラベの呼吸がわずかに乱れる。いくら薄くて細い子供の体型とはいえ、女性の柔らかな感触がダイレクトに伝わってくるのは、健全な成人男性にとってかなりの毒だ。

 

 そんな二人の静かな触れ合いを、横にいたレヴェローズが見逃すはずがなかった。

 

「なっ……! 契約者、貴様、店長ばかりずるいぞ!」

 

 みかんの皮をテーブルに叩きつけ、レヴェローズが身を乗り出してきた。彼女の豊満な胸がコタツの天板に乗っかり自己主張を始める。

 

「私にも契約者の上は開放されるべきだ! 店長ばかりえこ贔屓するのは許さん! どうだ契約者? 私ものっかっていいか?」

 

 レヴェローズは目を輝かせながら、ずいずいとシラベの顔に自分の顔を近づけてくる。息がかかるほどの距離。シラベは空いている左手を伸ばし、迫ってくる美しい顔面を無慈悲に押し返した。

 

「ぐふっ」

 

「お前はデカいし重いしうっとうしいからダメ。物理的に俺の足が折れる」

 

「ひどいぞ! また私を弱いとか重いとか言って迫害するのか! ええい、こうなったら!」

 

 押し返されたレヴェローズは全くめげることなく、唐突に立ち上がったかと思うと部屋の隅に丸めていたシラベの掛け布団をバサッと引っ張り出した。

 

「な、おい、やめろ」

 

 シラベの制止も聞かず、レヴェローズはその掛け布団を頭から羽織ると、そのままシラベとミトラの塊へ向かってダイブしてきた。

 

「ぎゃあ!?」

 

「ちょっと、重い! あんた邪魔よ!」

 

 シラベとミトラの抗議の声が重なる。レヴェローズは布団ごと二人を包み込み、シラベの背中側から長い腕を回してぎゅうぎゅうと力任せに抱きついてきた。

 

 シラベの前にはミトラがいて、後ろからはレヴェローズが押し潰してくる。前後からの凄まじい圧迫感と、二種類の異なる二人の香り、そして徐々に伝わる熱気がシラベをサンドイッチにする。

 

「あったかいだろう契約者。私という極上の暖房器具を存分に味わうがいい!」

 

「ふざけんな、暑苦しい! 離れろ馬鹿!」

 

「ふしゃぁあ! プシッ!」

 

 巻き込まれて潰されかけた大穴が抗議の悲鳴を上げ、布団の隙間から逃げ出していく。

 

 六畳間は一瞬にして混沌とした有様になった。シラベがレヴェローズを引き剥がそうともがき、ミトラがレヴェローズの腕を退けようと暴れる。

 

 そこへ、廊下を歩く静かな足音が響いた。

 

「お待たせいたしました。ご飯が炊けましたわよ」

 

 炊飯器を持ったカルメリエルが、部屋の入り口に姿を現した。

 

 彼女は布団の中で三人が団子になって揉み合っている異様な光景を見て、目を瞬かせた。しかし、すぐにその糸目を細め、ひどく楽しそうな、いたずら笑みを口元に浮かべた。

 

「あら。何やら、ひどく楽しそうなことをしていますわね」

 

 カルメリエルは炊飯器を畳の上にそっと置くと、シスター服の裾を翻してコタツへと近づいてきた。

 

「おい、カルメリエル! お前もこいつを止め……」

 

 シラベの助けを求める声は、最後まで続かなかった。

 

「私も、仲間に入れてくださいますよね?」

 

 カルメリエルは有無を言わさぬ笑顔のまま、レヴェローズの羽織っている掛け布団の隙間へと滑り込んできたのだ。

 

「えっ、ちょ、お前まで」

 

 カルメリエルはシラベとミトラの側面に回り込み、その豊満な体をシラベの腕とミトラの胴に絡ませるようにして甘えるように抱きついてきた。

 

「ああ……お二人の体温、とても落ち着きますわ。皆でこうしてくっついていると、本当に蕩けてしまいそう」

 

「姉様! 私の契約者を取ろうとするな! 」

 

「あら、私はミトラ様のついでにシラベ様にも奉仕しているだけですわ。レヴェローズは背中を温めて差し上げているのでしょう? 私は腕を温めて差し上げます。適材適所です」

 

「あんたたち、本っ当に暑苦しい! 邪魔しないでよ!」

 

 三人の女たちの言い争いが至近距離で響き渡る。前後と側面から完全にホールドされ逃げ場を失ったシラベは、三方向から押し付けられる柔らかな質量と熱気の中で思考を停止させるしかなかった。

 

 狭い六畳間の中心で、冬の寒さなど完全に忘れ去られた熱暴走が、いつ果てるともなく続いていた。

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