カスレアクロニクル   作:すばみずる

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67 やっぱ基準おかしいって

 枯れ葉が転がる公園の隅。屋根付きの休憩スペースに据えられた古い木製のテーブルに、数人の小学生男子が群がっていた。

 

 灰色の冬空の下では冷たい北風が時折吹き抜けていくが、彼らの熱気はそれをものともしていない。

 

 橋谷クモンはかじかむ指先を無視して、手元のカードを慎重にテーブルへと置いた。

 

 屋外でトレーディングカードゲームを遊ぶというのは過酷である。風が吹けば軽い紙の束であるデッキは容易に崩落の危機に晒されるし、プレイマットやスリーブという概念が前提ではなく特権階級めいたステイタスになる小学生のプレイスタイルは、カードへの負荷も大きい。

 

 それでも、限られた時間の中で親の目を盗んで集まれるこの場所は、彼らにとって立派な戦場だった。

 

「俺のターン。マナを支払って、生命体を展開する」

 

 クモンが宣言すると、向かいに座る友人のタイガが悔しそうに顔をしかめた。タイガの場にはすでに防御の手段が残っておらず、クモンの手札から繰り出されるカードが決定打となるのは誰の目にも明らかだった。

 

 周囲を取り囲んで観戦していた子供たちからおおという歓声と、あーあという呆れ声が入り混じって上がる。

 

 ボトムレスピットに通い始めてからこっち、クモンの腕前は同年代の中では頭一つ抜けていた。店に巣食う大人たちに比べれば自分などまだまだだが、ここでは間違いなく一番強い。

 

 クモンがもぎとった勝利に安堵の息を吐き、盤面を整理しようとした時だった。

 

「お、エインヘリヤル・クロニクルじゃん」

 

 頭上から少し低めの、それでいてよく通る声が降ってきた。

 

 クモンが顔を上げると、テーブルのすぐ横に一人の少女が立っていた。

 

 派手な刺繍の施されたオーバーサイズのスカジャンにダメージジーンズ。気の強そうな三白眼。明るく染めた金髪。

 

 その姿にクモンは見覚えがあった。兼定キリメ。クモンの家のすぐ近所に住んでいる、年上の幼馴染だ。

 

 彼女はポケットに両手を突っ込んだまま、クモンたちの広げた盤面を興味深そうに覗き込んでいた。

 

「キリメ姉。どうしたの、こんなところで」

 

「別に。コンビニ行く途中に通りかかったら、なんか騒がしいから見てみただけ。こんな寒空の下でよくやるね、お前ら」

 

 キリメの呆れたような口振りに、小学生たちは互いに顔を見合わせる。外見の派手さも相まって、突然現れた女子高生の存在感に完全に気圧され、先ほどまでの喧噪が嘘のように静まり返っていた。

 

 これがヤンキーというものなのか。逆らってはいけない存在なのではないか──スカジャンを押し上げる双丘の大きさに見惚れるよりも先に、恐怖心がじんわりと滲んでいる。

 

 だが、クモンは彼女を怖いとは思わなかった。すでに霞が掛かっているものの、幼年期の記憶から登場しているキリメを恐れる道理はない。

 

 キリメは口を開けば乱暴な言葉が飛び出すし、機嫌が悪いと容赦なく小突いてくるようなところがある。けれど、クモンが他の子供にいじめられそうになった時は真っ先に割って入って助けてくれたし、親の都合でキリメの家に一泊することになった時は自室に招いて一緒に寝てくれたことも覚えている。

 

 クモンにとってキリメは怖いヤンキーではなく、少し口の悪い身内のような存在だった。

 

「キリメ姉、EC知ってるんだ?」

 

 クモンが意外そうに目を丸くすると、キリメは少しだけ居心地が悪そうに視線を逸らした。

 

「ああ、うん。まあな。最近始めたっつーか、再開したっつーか。そんな感じだよ」

 

 もごもごと口ごもりながら、ポケットから手を出して首の後ろを掻く。いつもならもっと堂々としているはずなのに、どこか照れくさそうにしている。

 

 その態度がクモンには少し不思議だったが、彼女の視線がテーブルの上のカードにしっかりと釘付けになっているのは見逃さない。

 

 友達とやるのもマンネリになってきていた。ここらで新しいプレイヤーが仲間に加わってくれると嬉しい。キリメであれば、クモンも気兼ねしないで済む。

 

「へえ。じゃあ対戦しよう──」

 

「待て待て」

 

 クモンが即座に誘いかけると、キリメは手のひらで制した。

 

 彼女はクモンから、周囲にいる小学生たちへ目を向ける。キリメが放つ無意識の威圧感にビクビクと身を縮めている数人。彼女が注目したのはそこではなく、その手に握られているデッキの方だった。

 

「お前は今さっき対戦してたじゃねえか。机狭いんだから、順番にやらなきゃ不公平だろ」

 

「ええー」

 

 キリメのおせっかいが発動している。こういうところだ。昔からこの人は妙なところで律儀で何かに拘ろうとする。

 

「順番なんて、別にそんなのいいじゃん」

 

「何言ってやがる。ほら、気にせず続けなって」

 

 キリメが固まっている子供たちに声をかけようとした。その隙を見計らって、クモンは口を開く。

 

「負けるのが怖いんだ?」

 

 ピタリ。キリメの動きが止まった。

 

 ゆっくりと首だけが回転し、三白眼がクモンを正面から射抜く。じゃんけんでも格ゲーでも、勝負事の時に見せる剥き出しの闘争本能。

 

 この人は煽られると秒で火がつく。それをクモンは幼少から経験で知っていた。

 

「言ったな? お前」

 

 キリメはにっと牙を剥くような笑みを浮かべると、スカジャンの内ポケットから分厚いデッキケースを抜き出し、テーブルの上にドンと置いた。高校生が常日頃デッキを持ち歩いている不自然さにクモンは気付いていない。

 

「上等だ。ボコボコにしてやるから泣くなよ」

 

「望むところじゃん」

 

 あっさりと釣れたキリメに内心でガッツポーズを決めながら、クモンは自分のデッキをシャッフルし始める。怖い姉貴分を怒らせた恐怖よりも、実力者と戦える高揚の方が勝っていた。

 

 だがすぐに判明したのは、キリメのカードゲーマーとしての格がクモンの想像を遥かに超えていたということだった。

 

 カードに対する知識は薄い。何度もテキストを確認して、テンポが悪い部分も多い。だがそれを差し引いても余りある勝負勘と呼べる読みがキリメにはあった。

 

 クモンの展開を先読みするようなテンポで除去が飛び、代替品を次々と生み出して盤面を制圧していく。プレイングの一手一手に迷いがない。クモンが積んでいたなけなしの妨害札も、大型生命体を囮に釣り出されて本命のギミックを場に通されてしまう。

 

「ターンエンド。あ、さっきの場面、ブロックに回すよりライフで受けて温存した方がいいぞ。次のターンの展開考えろ」

 

「くっ……」

 

 アドバイスをする余裕すら見せつけられるが、クモンは何も言い返せない。ボトムレスピットの上位陣と当たった時とはまた違う、地頭で競り負けるような理不尽な格差があった。髪を染めたりして馬鹿だと思っていたけれど、しっかり彼女は年上なのだと思い知らされる。

 

 そのままあっさりとクモンのライフを削り切られ、敗北を喫することになった。

 

 クモンが悔しさに唇を噛む一方で、周囲のギャラリーの空気が変わっていた。

 

 キリメへの恐怖はとうに薄まり、代わりにぽかんとした表情で──正確に言うと、対戦中のキリメに見とれているような反応が大半を占めている。

 

 真剣にカードと向き合っている時のキリメは、普段の粗野なヤンキー然とした態度が嘘のように整った横顔を見せていた。三白眼は盤面を読む鋭さに変わり、唇の端に浮かぶ不敵な笑みは勝負師の凄みを帯びる。

 

 そして何より、身を乗り出すたびにスカジャンの下でたゆんと揺れるアレが、思春期の入り口に立つ小学生男子たちの視線を否応なく吸引していた。

 

「あ、あの。次、俺が対戦したいです……」

 

 おずおずと手を挙げたのは、さっきまで怯えていた友人の一人だった。

 

「お? いいぜ。来な」

 

 キリメは快く応じ、新しい対戦相手を迎え入れる。

 

 その対戦もキリメの勝利に終わった。終わるが早いか、また別の子供が名乗りを上げる。

 

「俺もやりたいっす!」

 

「おう。次、お前か」

 

 怖がっていたはずの小学生たちが、入れ替わり立ち代わりキリメへ挑戦者として突っ込んでいくようになっていた。不良じみた女性に対する恐怖は、いつの間にか綺麗な姉さんに構ってもらいたいという欲望にすり替わっている。

 

 しかもキリメは対戦のたびに相手のプレイングに対するダメ出しとアドバイスを惜しみなく投げつけるものだから、子供たちは叱られることで接触時間が伸びるというご褒美まで獲得していた。

 

 口調は乱暴でも、相手の目線に合わせて一つずつ丁寧に教える姿は、クモンの記憶にある昔のキリメそのままだった。教えるのが上手いわけではない。褒め方も下手くそだ。でも、弱い奴を見捨てないし、手は出すけど目はかけてくれる。

 

 不器用で乱暴だけど、あの人なりの優しさだというのは、クモンが一番よく知っている。

 

 キリメが三人目の友人との対戦を終えた頃。最初にクモンと戦っていたタイガと並んでテーブルの端に座り、自販機で買ったホットココアに手を温めていた。

 

「なあ、クモン」

 

 タイガが缶コーンスープを両手で包みながら、キリメの方をちらちらと見て口を開いた。

 

「あの人、お前の姉ちゃんなの?」

 

「違うよ。家が近所で、昔からよく知ってる人。前からの知り合いってだけ」

 

「ふーん。近所のお姉さんかぁ」

 

 タイガはそう呟くと、対戦を終えてカードを片付けているキリメの姿をじっと見つめた。

 

「いいなぁ。お前、あんな人が近所にいるのかよ。めっちゃ美人だし、おっぱいとかスゲーおっきいじゃん。うらやましいわ」

 

 声のトーンを落としながらも全く隠す気のない羨望が込められたその言葉に、クモンはきょとんとした。

 

 美人。胸が大きい。

 

 言われてみれば、確かにキリメの顔立ちは整っているし、背の低いクモンを見下ろす時にも苦労しそうな起伏を有している。

 

 けれどクモンにとっての兼定キリメという存在は、幼い頃から見知った近所の乱暴者であり、おせっかい焼きの姉御肌という印象があまりにも強すぎた。美人だとか、スタイルが良いだとか、そういう目で彼女を見たことは一度もなかったのだ。

 

 確かに、中学生や高校生になってから急に体つきが変わったような気もする。だがそれは単に自分が小さかったからそう見えるだけであって、今でも別にどうということはない。

 

 何より。

 

 クモンの脳裏に、あの店の光景が鮮やかに蘇る。

 

 ラフすぎる恰好でチラチラと色々見えてしまう、クモンの初恋相手のレベさん。着古した服の上からでも到底隠しきれないあの規格外の豊満さは、太陽のように眩しくて近づくだけで目が眩む。

 

 聖職者のような装いを豊満な肉体で着こなし、慈愛に満ちた抱擁でクモンを未だに小間使いにしているカルメリエルさん。あの柔らかさと甘い香りを知ってしまった以上、並大抵のプロポーションでは心が動かない。

 

 そして今現在、クモンの心を奪っているヒナタさん。男装の麗人(そういうものなのだと本人から教えてもらった)という矛盾を成立させ、はちきれんばかりの胸元の美しさとスーツの格好良さを両立させている姿は何物にも代えがたい。

 

 あの三人と比べたら。

 

 クモンは小学生相手にムキになってカードを叩きつけているキリメの姿を改めて見た。少し焼けた健康的な肌。確かに胸はとても大きいかもしれないが、あのボトムレスピットの女性陣が放つ人間を狂わせるような異常な引力に比べれば、キリメはひどく真っ当で、人間的なサイズ感に収まっているように思えた。

 

「レベさんやカルメリエルさん、あとヒナタさんと比べたら、そんなでもないと思うよ」

 

「はぁ!?」

 

 率直すぎるクモンの言葉にタイガの目が見開かれた。思わず声が大きくなる。対戦中のキリメが怪訝そうにこちらをチラリと見たが、すぐに盤面へと視線を戻した。

 

 タイガはクモンの肩をバシバシと叩く。

 

「お前それ、絶対基準がおかしいぞ。あんなのどう見てもデカいだろ! お前の目は節穴かよ!」

 

「えぇ……そうかなぁ」

 

 タイガの必死な抗議にも、クモンには実感が湧かず曖昧に首を傾げるしかなかった。

 

 一般的小学生の常識と、ボトムレスピットという異常空間で脳に刻み込まれたクモンの常識。その間には、すでに埋めがたい深い断絶が生じてしまっているらしい。度し難い環境汚染が少年の癖を静かに、そして確実に歪めていた。

 

「よっしゃ、アタシの勝ち。ほら、そこはもっと早い段階で処理しとかないと間に合わないんだって」

 

 テーブルの方からキリメの勝ち誇った声が響く。負かされた友人は、悔しさよりも綺麗な姉さんに直々に指導された充実感の方が勝っているのか、ぽわんとした顔で頷いている。

 

 キリメは自分のデッキを丁寧にケースにしまうと、満足げな笑みを浮かべて小学生のギャラリーへ見やる。

 

「で? そろそろ交代するか? 場所空けるけど」

 

「い、いやいや。俺らはいいです、キリメさんのプレイ、もっと見てたいです」

 

 緊張と期待が入り混じった声で辞退する面々。誰も席を変わりたがる様子はなく、キリメがやる対戦を待つような視線を送っている。

 

「なんかアタシばっかやってねえか? まあいいや。じゃ、クモン、お前が相手しろ。さっきのリベンジさせてやる」

 

「あ、分かった。さっきは油断してただけだから、キリメ姉なんて余裕だし」

 

「言い訳は盤面の上でしな」

 

 彼女の屈託のない笑顔は確かに悪くない。だが、やはりあの店の女性たちのような恐ろしい色気とは無縁だ。

 

 クモンが己の中に奇妙な安堵を覚えていることを自覚しないまま、デッキをテーブルに置いた。

 

 冬の陽はすでに傾き始めている。オレンジ色の光が東屋のテーブルを斜めに照らし、散らばったカードの表面をきらきらと輝かせていた。

 

 その光景を缶スープ片手に眺めていたタイガは、キリメに挑むクモンの背中へ向けて、小さく呟いた。

 

「やっぱ基準おかしいって、あいつ」

 

 誰に届くでもないその言葉は、つむじ風に攫われて消えていった。

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