カスレアクロニクル   作:すばみずる

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75 これから会いに行くところさ

 冬の風が頬を切る。吐く息は白く、商店街に向かう道すがらの住宅街は休日特有の静かさと密やかな人の気配が同居していた。

 

 兼定キリメは帽子のつばを指先で整えながら、隣を歩く小さな背中を見下ろす。

 

 橋谷クモン。近所に住む幼馴染で、頭の天辺がキリメの肘くらいの背丈の小学生だ。着込んだダウンジャケットのジッパーを首元まで上げてリュックの肩紐を両手で掴んで歩く姿は、どこか小動物じみている。

 

「キリメ姉、今日特別パックの発売だって覚えてる?」

 

「知ってるっつの。つーかアタシの方が先に調べてるし」

 

 意味の無い虚勢だ。実際に発売スケジュールを教えてくれたのはクモンの方で、キリメはそれを聞いてから慌てて自分のバイト代の残高を確認した口だ。だが年上としての体面は守りたい。見栄っ張りは今に始まったことではなかった。

 

 隣町のボトムレスピットへ向かう道のりも、ずいぶんと慣れたものだ。

 

 初めてあの店に足を踏み入れた時は変装を重ねて身構えていた。帽子に伊達眼鏡と対知人に対してはごまかせていた気になっていたが、あの気怠げな店員にはしゃいでいたことをあっさり見抜かれた時には装いを変えている事自体が羞恥心を割り増しで感じさせるデメリットを思い知った。

 

 今では軽く帽子を被るだけに留めている。店に顔見知りは見かけたことが無いし、いちいち気にするようなみみっちい真似にも飽きた。

 

 自分のズボラさを正当化させていると、住宅街の中のコンビニに差し掛かる。ちらりと見た商品棚の缶詰を見て、キリメはあっ、と声を出した。

 

「わりいクモン。ちょっとコンビニ寄るわ」

 

「どうしたの?」

 

「おやつを買ってやるって決めてたんだよ」

 

「えっ、いいの? じゃあチョコとコーラ!」

 

「お前のじゃねえよ。まぁいいや、買ってくるから待ってろよ」

 

 クモンを外で待たせ、キリメはコンビニに入る。目的である猫の絵が描かれた猫用嗜好品を手に取り、ついでにチョコとコーラも抱えてレジへと向かった。

 

 会計待ちをしながら、キリメは店で飼っている黒猫のことを考えていた。

 

 おーちゃん。店の人間が大穴と呼んでいるらしい黒猫。夜空のように深い闇色の毛並みと、星屑のような瞳を持つ、不思議なほど人懐っこい猫だ。キリメが顎の下を掻いてやると喉をゴロゴロ鳴らして目を細め、膝に乗せればいつまでもそこで丸くなっている。

 

 昔、家で飼っていたぶち猫とはえらい違いだった。あの猫は触ろうとするとむすっと顔をするし、気に入らないと引っ搔いて逃げ、とにかく気難しい。あれのご機嫌を取るためには神経を使って触ってやらなきゃいけなかったが、そういう苦労をしたお陰でおーちゃんのような素直な猫と触れ合えているのなら悪くない。

 

 何より、おーちゃんと戯れていると妙な対抗心を燃やしてくるシラベもちょっと面白かった。食べ物で猫の気を引いて勝ち誇るのなんて大人の男がやることとしてはあまりにもアホらしい。それに対抗しようとしている自分はどうなんだ、と思いながらも、あの怠けたような店員が睨んでくると思うとやりがいはあった。

 

 

 

 買い物を終えた後。商店街のメインストリートから一本外れた路地へ入る。ボトムレスピットはこの先の、人通りの少ない道に面していた。

 

 その角を曲がった時だ。

 

「あ」

 

 クモンの声に、キリメは視線を上げた。路地の向こう側に一人の人間が立ってる。

 

 アッシュグレーのショートヘアに、仕立ての良いコート。すらりとした長身。冬の日差しの中に佇むその横顔は、商店街の寂れた風景の中で浮き上がるような存在感を放っている。

 

 確か──そう。亜修利ヒナタだ。キリメもようやく、ボトムレスピットの常連客の名前が頭に入ってきていた。

 

 ヒナタはボトムレスピットに面した通りの一角に立ち、腕を組んで周囲を見回していた。キリメが知る芝居がかったポーズではなく、スマートフォンを持ちながら何かを観察しているような、ひどく真剣な横顔だった。目線が空き店舗のシャッターを辿り、路面の状態を確認するように足元へ落ち、それからアーケードの骨組みへと上がっていく。

 

「ヒナタさーん!」

 

 キリメが声をかけるより先に、クモンが弾かれたように駆け出した。

 

「おいクモン、急に走んな。車来たらどうすんだ」

 

 慌てて追いかけるキリメ。だがクモンの足は止まらず、小さな体がヒナタの元へ一直線に吸い寄せられていく。

 

 ヒナタは駆け寄ってくるクモンに気づき、真剣な表情を柔らかいものへと切り替えた。

 

「おや、クモン君じゃないか。それに──ああ、キリメ君だったね」

 

 遅れて追いついたキリメに、ヒナタは涼しげな笑みを向ける。

 

「っス。どうも」

 

 キリメは帽子のつばに手をかけたまま、短く挨拶を返した。ヒナタと直接言葉を交わすのは数えるほどしかない。四国無双の体験会では別の卓だったし、その後も店内で顔を合わせる程度の関係だ。

 

 だが、ヒナタの方はキリメのことを覚えているらしかった。

 

「確か、あの体験会で構築済みデッキを即興で改造して参戦した子だね」

 

「あー、あの時はまあ、勢いっつーか」

 

「勢いでも、勝利という結果を得たのならそれは正解だよ。それを掴める一握りの人間ということなのだから」

 

「……うす」

 

 予想外の正面からの評価に、キリメの視線が泳ぐ。こういう時にどう返すのが正解なのか、不良街道を歩いてきた人生では教わる機会がなかった。

 

「ヒナタさん、今日ボトムレスピットに来てたんですか?」

 

 クモンが間に入って話題を繋いでくれた。その声には普段より半音高い明るさが混じっている。

 

「いや、まだ店には行っていない。少しこの辺りの街並みを見ていたんだ。仕事の関係でね」

 

 ヒナタはコートのポケットにスマートフォンを収めながら答える。先ほどの真剣な観察の理由はそれだったらしい。

 

「僕たちはこれからボトムレスピットに行くところなんです。一緒にどうですか?」

 

「おいバカ。仕事って言ってるだろ」

 

「あでっ」

 

 キリメの拳骨がクモンの頭頂部に乗る。これが二人きりなら加速度がついたが、さすがに大人の前では加減する分別はキリメにあった。

 

 その様子を見ていたヒナタはクスリと笑う。

 

「問題ないよ、そちらの用事は済んでいたから。ご一緒させてもらおうか」

 

 短い道行ではあるが、と言いながらも、三人は連れ立って歩き始めた。

 

 キリメは半歩後ろに下がり、前を歩くクモンとヒナタの姿をなんとなく観察していた。

 

 クモンの態度が、明らかにいつもと違う。

 

 普段のクモンは落ち着きがあり、年相応の控えめさがある。友達相手でもそうだし、キリメに対して遠慮のないことを言う事もあっても根底はそうだ。言いたいことがあっても一度飲み込んでから口にするような、そういう慎重さを持った子供だとキリメは思っていた。

 

 それが今は違う。ヒナタの隣を歩きながら、クモンは自分から積極的に話題を振っていた。

 

「ヒナタさんって、いつもどんなデッキ使ってるんですか。闇属性が多いのは知ってるんですけど」

 

「ふふ、闘いの手の内を事前に教えるほど私はお人好しではないよ。だが、強いて言えば──相手の息の根を確実に止める手段を好む、とだけ答えておこうか」

 

「かっこいいなぁ……」

 

 クモンの目がきらきらと輝いている。憧憬、なのだろうか。カードゲームの話を振っているのは口実で、本当はただヒナタと会話を繋ぎたいだけなのだと、キリメには分かった。

 

 そしてキリメ自身も、目の前を歩くヒナタの後ろ姿を見つめている自分に気づいていた。

 

 大人の女だ、とキリメは思う。自分もそこそこのガタイだがヒナタには及ばない。身のこなしにも隙がなく、自信に満ちた所作は自分のような見かけ倒しとは根本的に格が違う。

 

 別に惚れたとかそういうのではないのだが、目で追ってしまうことを否定するのは難しかった。

 

 ヒナタはクモンの話に相槌を打ちながら、時折キリメの方にも視線を配った。会話から取り残さないようにする配慮なのか、あるいは単なる社交の癖なのかは分からないが、目が合うたびにキリメはつい帽子を深く被り直す。

 

「キリメ君は、最近もデッキの調整を続けているのかな」

 

「まあ、ぼちぼちっス」

 

「それは結構。研鑽を怠らない姿勢は好ましいよ。私も見習わなくてはね」

 

 さらっと褒めてくる。それが嫌味でも社交辞令でもなく、本心からの言葉に聞こえるのがこの人の厄介なところだとキリメは気付きつつあった。

 

 ボトムレスピットが見えてきた。色褪せた看板とガラス戸。何度見ても冴えない外観だが、今のキリメにとっては数少ない居場所の一つになりつつあった。

 

 キリメは入口の前で足を止めた。隣に並んだヒナタに声をかける。

 

「ヒナタさん。ちょっと聞いていいっスか」

 

「なんだい?」

 

 くるりと振り返るヒナタ。クモンも足を止めるが、キリメが手で店を示すのを見て頷く。

 

「先行ってるね、キリメ姉」

 

 クモンが先んじてガラス戸に手を掛け、カラカラと音を立てて中に入っていった。小さな背中が店内の薄暗さに吸い込まれていく。

 

「どうかしたのかな、キリメ君」

 

「あー、その」

 

 ヒナタは穏やかな表情を浮かべたまま、キリメと向き合う。その落ち着き払った顔から視線が逸れ、逸れた先にあった艶やかな胸元を正面から見てなおさらに迷う。

 

 勢いを褒められた後に、その勢いに任せた行動で口ごもってどうするのか。自分の中で組まれかけていた言葉を急拵えで整えていき、どうにか言葉にしていく

 

「……あの。クモンと仲良いんスか?」

 

 出てきた言葉は、間合いを測るようなものだった。ヒナタが首を傾げるのを見て、その踏み込みを奇妙に思われたことをキリメが悟る。

 

「いや、その。自分はこの店に来るようになって浅いんで。先に常連になってる二人って、こうして外で会ってもアイサツするくらい仲が良いのか、どうなんかなって、気になって」

 

 慌てた舌が、言い訳のような文句を並べていく。そういう修飾が必要だと後から思うほど、唐突な質問だった。自分でもなぜこんなことを聞いているのか、よく分からない。

 

 ただ、さっきからクモンの態度を見ていて、放っておけないような、確かめておかなければいけないような、そんな気持ちがキリメの中にあった。

 

 ヒナタは質問の意図を測りかねているようだったが、やがて穏やかに口を開く。

 

「良い子だと思うよ。年齢の割にカードへの向き合い方が真摯だし、目上の人間に対しても臆さずに話しかけてくる。度胸があるね」

 

 当たり障りのない、しかし嘘の無い回答だった。ヒナタにとってクモンは、店の常連にいる礼儀正しい少年、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。

 

 それは正しい評価である。だがキリメは、弟分が望んでいる答えではないことを肌で察する。

 

「……ちなみに」

 

 キリメは言葉を探した。口の中が妙に乾く。だが、これは聞いてやらなければならないのかもしれない。

 

「ヒナタさんって、その。好きな人とか、いたりするんスか」

 

 言ってから、顔が熱くなった。

 

 なんだこれ。なんでアタシがこんなことを聞いている。まるで告白の前振りみたいじゃないか。別にそういうつもりは微塵もないのだが、声に出してしまった言葉の響きが、どうしようもなく恥ずかしかった。

 

 ヒナタは一瞬、虚を突かれたような顔をした。それからふっと、柔らかい笑みを浮かべる。芝居がかった仕草ではない。キリメがこれまで見たことのない、透明な微笑みだった。

 

「──これから会いに行くところさ」

 

 短く、迷いのない言葉だった。

 

 ヒナタはコートの襟を軽く正すと、キリメに一つ頷いて見せてから、ガラス戸に手をかけた。

 

 カラカラという乾いた音と共に、ヒナタの背中が店内へと消えていく。

 

 その瞬間だった。

 

「ミトラ! 今日も君に会えて嬉しいよ! さぁ、戦場で愛を語り合おうじゃないか!」

 

 店内に踏み込んだ途端、先ほどまでの落ち着き払った大人の女の声が完全に吹き飛んだ。代わりに響いたのは、抑えきれない歓喜と情熱を全開放した、少女漫画の王子様のようなセリフだった。

 

 キリメはガラス戸の外から店内を覗き込んだ。

 

 ヒナタが両手を掲げて突進していく先にいたのは、黒いパーカーを着た小さな女の子だ。パイプ椅子に座る少女に、ヒナタは迫っていた。

 

 その子の姿にキリメは覚えがあった。店によく居る、常連の子供程度の認識だ。たまにカウンターの中に入り込んで堂々とくつろいでいるのを見るが、シラベが甘やかしているのかお咎めなしになっている無愛想な小学生。

 

 その子供に向かって、ヒナタは──あの洗練された大人の女性が──膝をつき、芝居がかった身振りで愛を語り始めている。

 

「このデッキには私の想いが詰まっている! 甘さの中にほろ苦さ──それはまさに君と私の関係の比喩であり──」

 

「うるさい。近い。息がかかる」

 

 女の子は死んだ魚のような目でヒナタの顔面をペットボトルの底で押し返していた。

 

 好きな人。これから会いに行くところ。あの透明な微笑み。直前の会話が反響するように脳内を跳ねるが、そこから弾き出された結論はキリメの予想の斜め上を全力疾走していた。

 

 あの子供に。あの子供相手に。あんなに美人で、大人で、カッコよくて、金も地位もあるだろう女性が。

 

 キリメは帽子を脱いで頭を掻き、それからもう一度被り直した。

 

「マジか」

 

 先ほど感じていた淡い何かは今や氷点下まで急速冷凍されていた。あの透明な微笑みの正体を知ってしまった以上、キリメの中にあった大人の女性への漠然とした憧憬は跡形もなく粉砕されている。

 

「ヒナタさん! 隣で見てていいですか!」

 

 クモンの弾んだ声。キリメの目がそちらに向く。クモンはヒナタの傍に駆け寄り、プレイマットを敷く手伝いをしている。だがその視線は熱を帯びたまま、女の子を口説き続けるヒナタの横顔に向けられていた。

 

「ああ、クモン君。ぜひ立会人になってくれたまえ。この私が真なる勝利を掴み取る瞬間は万人に共有されるべきだ」

 

 そんなクモンに応じながらも、やはりヒナタの視線は女の子に向けられ続けていた。弟分の行動力と、丁度いまヒナタが発している狂気が奇妙なほど重なる。

 

 間違いない。あのバカは今、亜修利ヒナタに夢中になっている。ヒナタを眺めているクモンの澄んだ瞳には、憧憬とは微妙に違う、もっと暗くて複雑な光が宿っているのだとキリメは確信した。

 

 何に惹かれているのだろう。ヒナタの格好良さなのか。やはり胸か。それとも、届かない相手を追い続ける姿に自分を重ねているのか。あるいは、もっと別の何か──キリメの語彙ではうまく言い表せない何かに、この子供は目覚めかけている。

 

 その未来が健全であるとは、キリメには思えなかった。むしろ、こいつは将来、間違いなくろくでもない恋愛をする。その思いを強めた。いや、今まさに、なのだろうか。この店という異常空間で鍛え上げられた歪んだ性癖は、もう手遅れの域に達しているのではないか。

 

 恐ろしく思いつつも、キリメは店内に足を踏み入れた。入口近くで品物の整理をしていたシラベが立ち上がり応じる。

 

「いらっしゃい、ってキリメか。悪いがあっちの騒ぎには首突っ込むなよ。あの発情女、最近情緒不安定なんだよ」

 

「……言われなくても突っ込まねえよ。……たぶん」

 

 その最中に行こうとしている弟分の首根っこを掴むべきか、否か。その為に骨を折ってやるべきなのか。あるいは骨を拾ってやることを覚悟するべきか。

 

 シラベの肩から自分の胸へと飛び乗って来た黒猫を抱き締めながら、キリメは混沌とした盤面に辟易した。

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