カスレアクロニクル   作:すばみずる

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77 無かった

 家電量販店。かつてこの場所は、シラベにとって無料のインターネットカフェのような存在だった。レヴェローズを連れて来たのも随分と前のことだ。

 

 あの時のシラベは展示品のパソコンの前に陣取り、カードやデッキの情報を集める異常者だった。精霊が実体化したという非日常の最中にあってすら、せせこましい生き方をしていた。

 

 だが今のシラベは違う。

 

 財布の中にはボトムレスピットのバイト代から少しずつ積み上げた貯金がある。住み込みで家賃と食費がほぼゼロという恵まれた、あるいは搾取されているとも言える環境のおかげで、可処分所得は前職時代よりむしろ多い。

 

 今日の目的はゲーム機売り場だ。目当ての最新ゲーム機は棚の目立つ位置に鎮座している。

 

 興味はあったものの、本来は買う予定は無かった。しかし先月入手したミトラが閉店後の二階で黙々と遊んでいるのを横目で見ていたら、対戦したいからあんたも買えと一方的に告げられたのだ。

 

 日に日に拡大解釈されている業務命令を持ち出す横暴な言い振りだったが、反論しても足蹴りが飛んでくるだけなので、シラベは素直に財布の紐を緩めることにした。

 

 それに、あえて店長命令を大義名分にしてしまえば、落伍者の自分がゲーム機を買うという行為への後ろめたさもなくなる。貧乏根性が抜けきっていない男の、ささやかな言い訳だった。

 

 棚の前で本体とコントローラの色を確認して、カートに一台放り込む。付属品は最低限でいいし、ソフトも最近はダウンロードで買える。便利な世の中だ。

 

 ここまでは順調だった。問題は、シラベの右腕にぎゅうと巻きついている存在だった。

 

「契約者よ。あの光っているゴーグルは何だ。面白そうだぞ」

 

「VRゴーグルだよ。いちいち指差すな」

 

「では隣のは」

 

「コントローラ持って運動するやつ」

 

「ふむ。運動不足の解消には良いのではないか」

 

「だからって買わねえよ。あと離れろ、歩きづれえ」

 

 レヴェローズはシラベの右腕を両腕で抱え込み、自らの胸元に押し付けるようにして密着していた。腕の存在が物理的に確認しづらくなるほどの圧迫感がそこにはあるが、シラベの感想は不愉快八割、諦め二割というところだった。

 

 今日のレヴェローズの服装はシラベのお下がりのパーカーにジーンズ。コートは先日カルメリエルがリサイクルショップで調達してきたもので、中古品の割にはサイズが合っている。だがコートの前を閉じきれない一点が残念な出来で、歩くたびに中身の存在感が通行人の視界を殴りつけていた。

 

「いいではないか。今日はこうして二人きりなのだから。店にいれば姉様や店長に邪魔されるし、大穴には肩や膝を取られるし。こうして契約者の腕を独占できる機会は貴重だ」

 

「独占て。俺は買い物に来てるんだよ」

 

「うむ、一人で寂しくな。だから付いてきてやったのだ。感謝することだ」

 

「むしろ一人になれる時間に感謝したいんだけど」

 

 感謝の理由が見当たらない。むしろ荷物が増えただけだ。

 

 だが、レヴェローズがここまであからさまに甘えてくるのには心当たりがあった。

 

 最近のシラベは忙しかった。年末年始の棚卸し。デヴァローカコーポレーションへの訪問とその準備。キリメとクモンという常連の相手。大穴のご機嫌取り。ミトラの椅子になること。カルメリエルの猫耳事変。

 

 その全てにおいて、レヴェローズの優先順位は低かった。

 

 日常においてなら、ある意味レヴェローズの出番はあった。シラベがデッキを握って対戦する時、彼女のカードは今でも必ずデッキに入っている。盤面に出た時、見物しているレヴェローズの嬉しそうな反応は知っている。

 

 だが、それ以外の時間において、シラベがレヴェローズに向き合う時間は確かに減っていた。

 

「最近、契約者は私にあまり構ってくれないではないか」

 

 レヴェローズの声から、いつもの尊大さが少しだけ剥がれていた。腕にしがみつく力が、ほんの僅かに強くなる。

 

「私のカードを使ってくれるのは嬉しいぞ。デュエルの時に盤面に出て、相手の生命体を殴って、契約者の勝利に貢献する。戦場での喜びだ。だがな」

 

 レヴェローズはシラベを見上げた。紫の瞳がまっすぐにシラベの横顔を捉えている。

 

「こうして肉体を持って、触れ合える存在になっているのだ。相棒として、もっと触れ合いたい」

 

 誘うような言葉に、シラベの顔には露骨にめんどくさいという表情が浮かんでいた。

 

「そもそもさ」

 

 ゲーム機のカートを押しながら、シラベは切り出した。

 

「お前がどうしてそこまで俺を慕ってるのかが分かんねえんだよ」

 

 レヴェローズの眉が片方だけ上がった。

 

「確かに高校の頃からデッキに入れて使ってた。大学の時もそうだ。だがそれだけだぞ。カード一枚をデッキに採用し続けてたってだけの縁だろ。なんでそれで、こんな風に俺に縋ってくるのかが分からない」

 

 レヴェローズは黙って聞いていた。

 

「俺はただのカードゲーマーくずれだ。お前を作る物語とはまるで掛け離れた一般人で、ただデッキにお前をねじ込んでいた、それだけの男だ」

 

「それだけの男だと?」

 

「そうだろ。正直に言えよ。契約者って呼んでるのだって、実のところ俺じゃなくても良かったんじゃねえのか。たまたま俺が使ってたから、俺を選んだだけで」

 

「…………」

 

「人に好かれるのは嫌じゃないが、理由が分からないまま好意を受け取り続けるのは据わりが悪い」

 

 レヴェローズの足が止まった。シラベもカートを止める。

 

「人に好かれて、まず理由を求めるのか。お前は」

 

 低い声だった。怒っているのではない。呆れと、悲しみと、それから何か別のものが入り混じった声。

 

「当然だろ。理由の無い好意のほうがめちゃくちゃこえーよ」

 

 レヴェローズは何かを言いかけて口を閉じ、それからもう一度開いた。

 

「ならば教えてやろう。理由を」

 

 それから、暫く後。買い物を済ませ、店舗の出口近くにある休憩スペースのベンチに二人で腰を下ろした。

 

 足元にはゲーム機の入った紙袋。シラベは自動販売機で買った缶コーヒーを手に、隣に座るレヴェローズの横顔を見ていた。

 

 レヴェローズはしばらく黙っていた。いつもなら一秒と持たない沈黙を、彼女は自分の中の言葉を探すように噛み締めている。

 

 やがて、ぽつりと話し始めた。

 

「最初から、今のような自我のようなものがあったわけではない」

 

 紫の瞳は、休憩スペースの向こうにある家電売り場のテレビの壁を見つめていたが、その焦点はどこにも合っていなかった。

 

「カードに宿っている、という感覚も、本当は正確ではないのかもしれない。私は姉様ほど理を知らないから、感覚で言おう。暗い箱の中に入って、ずっと何もない闇を見ているような。ただ存在だけがそこにあった」

 

「知識の集積所とか言うのとは違うのか」

 

「違う。あれは夢で繋がる場所だ。家の中、というべきか、意識がそこに繋がってないとき……うーむ」

 

「ま、いいや。続きをどーぞ」

 

 レヴェローズの言葉は曖昧だったが、シラベは追求をやめた。人が生きる理由を説明しろと言われても困るだろう。精霊だからといって関わるものすべてを知るとは限るまい。

 

「私がデッキに入り、初めて使われた時のことは覚えていないが、気付いた頃には──そうだな。例えるなら、暗闇の中に一つだけテレビが置かれているような感覚だった」

 

「テレビ」

 

「無感情に、ずっと画面を眺めている。それが何なのかも、自分が何なのかもはっきり分からなかった。ただ光が見えるからそこを見ている。それだけだった」

 

 レヴェローズの声は静かだった。普段の彼女からは想像もつかない、抑えた語り口。

 

「光の中に映っていたのは、一人の人間だった。カードを手に取り、盤面に並べ、時に悔しがり、時に喜ぶ。その繰り返し。私はそれを、ずっと見ていた」

 

 シラベは缶コーヒーを握ったまま、動かなかった。

 

「正直に言えば、大したプレイではなかったぞ」

 

「うるせえよ」

 

「下手ではないが上手くもない。勝ったり負けたり。何の変哲もない、凡庸なプレイだ。光の中に映し出される映像としては、退屈な部類だっただろうな」

 

 認めるのは癪だが、否定できない。高校時代のシラベは地元のショップでも中の下か下の上の腕前でしか無かった。

 

「ふと思った」

 

 レヴェローズが両手を膝の上に置き、指先を絡ませる。

 

「他のものが見てみたい、と」

 

「他の?」

 

「感覚的にだが、自分が今見ている画面の隣にも、別の画面があるはずだという直感があった。ショーケースにテレビが並んでいるように、自分以外のカードにも光が映っているはずだと。だから見ようとした」

 

 レヴェローズの指がきゅっと握りしめられた。

 

「無かった」

 

 短い言葉だった。

 

「見渡す限りの闇だった。たまに一瞬だけ光が灯ることはあったが、今思えば、シールド戦で誰かが使ったのだろう。だが、それは瞬きのようなものだ。一度光って、すぐに消えて、また暗闇に戻る」

 

 コスト8のカスレアを構築戦で使う人間は、まずいない。そういうものだろう。

 

「構築したデッキで。自分の意志で私を選んで、使い続けてくれるものは、いなかった」

 

 レヴェローズはゆっくりと首を回し、シラベの顔を見た。

 

「お前を除いて」

 

 シラベは何も言えない。缶コーヒーがぬるくなっている。

 

「私の暗闇に光を灯し続けてくれていたのは、お前だけだったのだ、契約者」

 

 レヴェローズは再び前を向いた。展示品に映る色とりどりの映像を眺めながら、話を続ける。

 

「ある時だった。お前が何かの大会で優勝した時のことだ」

 

「大会……」

 

「大した規模ではなかったのだろう。たぶん、小さな店舗大会だったはずだ。せいぜいパックが数個もらえる程度の」

 

 記憶を掘り起こす。高校三年の冬。受験勉強の息抜きにと捨て鉢に殴り込んだカードショップの週末大会。確か八人くらいしか参加者がいない、しょっぱいトーナメント。

 

「最後の対戦で、たまたま私が盤面に残っていた。除去が間に合わなかったのだろう。相手のライフが射程圏に入り――」

 

「『機甲剣』を装備したお前でトドメをさせた。偶然な」

 

「ああ。偶然だ。腰の重い私で最後の一撃を通すなど、そう起こることではない。だが、お前はあの時勝てたことは、確かに喜んでいたはずだ」

 

 覚えている。あの頃のシラベは大会で勝つことに飢えていた。仲間内での勝率は五割そこら、なのに大会になるとまるで勝てない。だからこそ、あの日の勝利は、些細な規模のものだったとしても確かに嬉しかった。

 

「お前の喜びが、私にも届いていた」

 

 レヴェローズの声が、微かに震えた。

 

「それまではただ光を眺めているだけだった。何も感じず、何も思わず。だが、あの瞬間だけは違った。光の向こうにいる人間の感情が、初めて私の中に流れ込んできた」

 

 紫の瞳が、ゆっくりとシラベを見上げる。

 

「嬉しい、と思ったのだ。自分が。お前の嬉しさを受け取って、それが嬉しい。それが、私が『私』になった最初の瞬間だった……のだと、思う。きっと姉様なんかは、店長の勝利を常に浴び続けていたのだろうな。羨ましいことだ」

 

 レヴェローズは微笑んだ。いつもの尊大な笑みではなく、シラベがこれまで見たことのない、穏やかな笑み。

 

「だが、私の光はお前の戦場だけだった。だから私はお前の傍にいる。理由が欲しいと言うなら、これが理由だ」

 

 シラベは目を逸らした。缶コーヒーを握る指に、無駄な力が入っていた。

 

 カードの中に精霊がいるなど知る由もなかった。だから高校を卒業し、大学に入り、就職が決まった時にデッキごとカードをまとめて箱に入れ、押し入れの奥に押し込んだ。

 

 社会人としてまともに生きていくために、カードゲームという趣味を封印した。

 

 あの押し入れの中で。暗闇の中で。光を失ったまま、レヴェローズはずっとそこにいたのに。

 

 知らなかったのだから、仕方がない。

 

 知らないままだったら、こんな罪悪感を覚えずに済んだのに。

 

 シラベは顔をしかめた。唇を噛み、天井を仰ぐ。蛍光灯の光が目に痛い。光なんて何が良いのか。

 

「だから。責任を取るのだぞ、契約者」

 

 囁くような声だった。尊大さの欠片もない、祈りが溶け合ったような声。

 

 その直後。シラベの首筋の横、耳の下あたりにレヴェローズの髪が触れる。それに続いてほんの一瞬、柔らかいものが触れた。

 

 シラベは動かない。

 

 いつもならすぐ引き剥がす場面だ。レヴェローズもそれを想定していたのだろう。甘えてきて、突き放されて、それでも縋りついて──そういうやり取りの繰り返しが二人の間の定型だった。

 

 だが今日のシラベは何も言わなかった。

 

 そっぽを向いたまま、缶コーヒーをぬるい唇に運ぶ。首筋に寄り添うようなレヴェローズを、払いのけなかった。

 

 レヴェローズの動きが止まる。

 

「……契約者?」

 

 おそるおそる顔を上げたレヴェローズの紫の瞳が、シラベの横顔を見つめる。突き放されないことが全くの想定外で、レヴェローズの思考が追いついていないのが手に取るように分かった。

 

 シラベは下唇を噛みそうになるのを抑えながら、レヴェローズの抱擁を受け入れ続ける。

 

「……いいのか?」

 

「知るか」

 

 視線を合わせないまま、ぶっきらぼうに吐き出す。声が少し掠れていた。

 

 レヴェローズの顔が、耳の先まで赤く染まった。

 

 紫の瞳が潤み、唇がわなわなと震え、それからぱっと花が咲くように表情が綻ぶ。嬉しさを隠す余裕など、今の彼女には残っていなかった。

 

 レヴェローズは両腕をシラベの首に回し、全体重を預けるようにして抱きついた。パーカー越しに伝わる体温と、やかましいほどの心臓の鼓動。シラベの肩口に顔を埋めたレヴェローズの金髪が、冬の乾いた空気の中でふわりと揺れる。

 

「ん……」

 

 レヴェローズの喉から音が漏れた。シラベの首筋に鼻先を押し付け、匂いを確かめるように顔を擦り寄せる。

 

 通行人の視線が突き刺さる。家電量販店の休憩スペースで金髪美女に抱きつかれている男などひどく目立つ。だがシラベは振りほどかなかった。

 

 缶コーヒーの最後の一口を飲み干し、空き缶をベンチの横に置く。

 

 光を奪っていた年月分の利子を、こうして少しずつ返していくしかないのだろう。

 

 そう思いながらも。自分の肩に縋りつく温もりが鬱陶しくも不快ではないことを、シラベは認めざるを得なかった。

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