カスレアクロニクル   作:すばみずる

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79 あんたもいずれそうなるのよ

 客が来ない。

 

 平日の昼下がり。ボトムレスピットの店内には人の気配がなく、ショーケースのガラスに反射する冬の陽光だけが時間の経過を伝えてくる。

 

 レヴェローズは商店街の定期清掃に駆り出されている。シラベ、カルメリエル、レヴェローズの輪番で出向いている作業だ。あのポンコツの歩けば棒に当たりかねない性分には多少の不安が残るものの、最悪でも落ち葉を巻き上げて通行人に迷惑をかける程度だろう。たぶん。

 

 カルメリエルはバックヤードで経理作業に入っている。大穴はシラベの肩が悲鳴を上げたことで強制的に引き剥がされ、カルメリエルの膝の上に丸くなっている。時折カーテン越しに機嫌の良さそうな猫の鳴き声が聞こえてくるのがシラベの耳にも届いてきた。あの二人は意外と相性がいいのかもしれない。

 

 シラベはカウンターの内側に座り、手元では新弾のポップ作りをしていた。厚紙にマーカーで「入荷しました」の文字を書き、おもちゃのイラストを模写する。画力は下の上程度だが、ミトラからは最低限の及第点を頂戴しているので、入荷のたびの恒例作業になっていた。

 

 その傍ら、壺に立て掛けたスマホからは動画の音声が流れていた。

 

 女性の声だ。柔らかく、少し高めの声質。画面にはデフォルメされた赤毛のポニーテールのキャラクターがぴょこぴょこと動いており、エインヘリヤル・クロニクルの最新環境について解説している。

 

『──というわけで、現環境のティア1はやっぱりこの三つですねぇ。ヴラフマミッドレンジが頭一つ抜けてて、次点で深淵アグロとエッグロック。メタの回り方としては──』

 

 シラベは立ち絵の動きをちらちらと横目で追いながら、マーカーのペン先を走らせていた。こういう動画投稿者は最新の環境情報を勝手にまとめてくれるので重宝する。デッキの回し方やサイドボードの構成まで丁寧に解説してくれるものもあり、カードショップの店員として、あるいはプレイヤーとして、情報収集には便利だった。

 

 店員としてだけではない、別の事情もある。ヒナタとの練習対戦だ。カラオケで色々なデッキを回した際にはざっくりとした理解と勘と運で回したものの、十全に理解しているとは言い難い。あの女を満足させないといけない理由が出来てしまった以上、自分が普段触らないアーキタイプの動かし方を座学で補うのは合理的だ。レヴェローズのいないデッキを使うたびに全身から精気を吸い取られるのだから、対戦数を削りつつ質は上げておきたい。

 

「仕事中に動画流してんじゃないわよ」

 

 ぺしりと、シラベの背中を叩かれた。

 

 痛くはない。ミトラの平手は蚊が止まったのと大差ない衝撃しか持たないが、不意打ちの一撃はシラベの意識を画面から引き戻すのに十分だった。

 

 振り返ると、ミトラが丸椅子を片手で引きずってきていた。パーカー姿の小さな店長はシラベの背後に回り込み、丸椅子をカウンターの内側に置く。そしてその上にちょこんと腰を下ろすと、シラベの背中にもたれかかるようにして座った。

 

 シラベの背骨が、ミトラの背もたれになる。頭の後ろに、小さな後頭部が預けられる。

 

「客いねえんだから別にいいだろ」

 

「仕事中は仕事中よ」

 

「ポップ作りながら聞いてるだけだって。こういう動画は環境の把握とかデッキの回し方とか、情報収集に便利なんだよ」

 

「ふーん」

 

 興味なさげな相槌だった。ミトラの後頭部がシラベの背中にぐりぐりと押し付けられる。居心地のいい角度を探しているのか、小さな頭が左右に揺れて背骨をほぐすマッサージ器のようになっていた。

 

 スマホからは解説が続いている。

 

『──このマッチアップだと先手側がかなり有利なんですけど、後手でも盤面を返せるパターンがあってですねぇ。具体的にはターン3の動きで──』

 

「……なんか、この声」

 

 ミトラが呟いた。

 

「ムカつく」

 

「唐突にひでえな。何がだよ」

 

「作ったような声。甘ったるくて、媚びた感じ」

 

「そりゃ作った声だろ。合成音声ソフトだよ、これ」

 

 シラベはマーカーのキャップを歯で咥えて外しながら答えた。最近のカードゲーム解説動画は、肉声ではなくボイスロイドやその類の音声合成ソフトを使っているものが多い。顔出しや声出しのリスクを避けつつ、聞き取りやすい音声で情報を届けられる。

 

「ソフトの声って、もっと棒読みなんじゃないの。ロボットみたいな」

 

「今時のソフトはこんなもんだろ。抑揚もイントネーションも、だいぶ自然になってる」

 

 シラベの返答には一切の悪意はなかった。純粋な技術の進歩を述べただけだ。だが、背中越しに伝わるミトラの気配が、数度だけ冷え込んだ。

 

「いま、ババアって思ったでしょ」

 

 恨めしそうな声。めんどくせえ、というシラベは溜め息を我慢した。

 

「思ってねえよ」

 

 思っていた。ミトラが合成音声ソフトの進化を知らないのは、単純に彼女の情報圏から外れているというだけの話だ。だがそこに時代についていけていない三十五歳という文脈を読み取ってしまうのは、ミトラ自身のコンプレックスだろう。シラベはそれを刺激するつもりは毛頭ないが、思っていたことは思っていた。

 

 背後で丸椅子の上でミトラが立ち上がる気配がした。

 

 次の瞬間、小さな両腕がシラベの首に回された。

 

「悪かったわね、流行に疎くて」

 

 噛みつくような声が耳元で響いた。ミトラは丸椅子の上に立ち、シラベの背中にしがみついていた。おんぶをせがむ子供のように、腕を首に絡め、軽い体重を背中に預けている。

 

 シラベの体勢が前にぐらりと傾くことはない。ミトラの全体重を加えても、シラベの上半身が揺らぐほどの負荷にはならない。子供ほどの体格の人間が背中にぶら下がっている、その程度の感触だ。

 

 ミトラの声が、シラベの耳のすぐ横で囁くように落ちた。

 

「仕事上、おもちゃの流れとかは分かってるつもりでもね。年取ってくると、専門外のことを詰め込めなくなってくるのよ。脳みそのストレージがもう空いてないっていうか」

 

「そうかい」

 

「軽く流すな。あんたもいずれそうなるのよ」

 

 ミトラの腕がきゅっと締まる。首が絞まるほどではないが、背中に張り付く体温が一段と近くなった。

 

 ふざけているのか笑っているのか泣いているのか、境界が曖昧な声だった。背中越しに伝わるミトラの体は怨霊のようにしがみつきながらも、どこか楽しげだった。他に誰もいない店内で、バイトの背中にぶら下がって愚痴を垂れる三十五歳。こうはなりたくない。

 

 振り落とすこともなく、シラベはそのまま作業を続けた。ミトラを背負ったままポップの文字を書く。多少線がぶれるが、元々の画力が大したことないのだから誤差の範囲だ。

 

 スマホからは動画の音声が途切れなく流れ続けている。

 

『──このカードなんですけど、昔で言うところのカヤバーンに近い動きが期待出来ますね。でも同じように言われていた膨らみトカゲが曙光環境から落ちた途端、どこにも見なくなったのを考えると、初動で買うのは怖い気がします。もっとも、数年で使えるカードが切り替わっていく曙光滅相の悪鬼羅刹の皆様方にしてみれば金額なんて誤差ですかね──』

 

 解説の合間に挟まれる軽口が妙に耳に馴染んだ。語り口は丁寧だが、随所に散りばめられるスラングにTCGコミュニティに長く浸かっている人間特有の空気がある。自分の主環境以外への偏見はひどいが、それも一つの売り方の一つなのだろうか

 

「ねえ。これ、なんてやつの動画?」

 

「ん? 投稿者名か」

 

 背中のミトラがぐにゃりともたれながら言う。

 

 シラベはスマホの画面をちらりと確認した。

 

「『アイラバ☆モヒニ』だとさ」

 

 ミトラは背中にしがみついたまま、しばし黙った。それから小さく呟く。

 

「電子の妖精みたいな名前ね」

 

「なんだそれ」

 

「……知らないならいいわ」

 

 何かのネタだったらしい。ミトラの声にほんの少しだけ落胆が滲んだが、それ以上は何も言わなかった。シラベの方も追及する気はなかった。ミトラの引き出しには時折シラベの世代では届かないものが入っている。逆もまた然りだ。

 

 動画は次の話題に移っていた。

 

『──円盤王器アダムスカヤとか、最近擬人化再録が多くなってますね。以前は女の子カードと言えばずっと前に出たドゥブランコ三姉妹くらいなもんで、あの時は開発が一瞬発狂しただけかと思ったんですけど、思えばあの頃から開発部内が性癖の殴り合いがやられていたのでしょう。いまのところは曇らせ担当とデカチチ担当が強権を振るっているので、そのままヴラフマよろしく永世国家を築いて欲しいところですが──』

 

 それほど登録者数が多い投稿者ではない。再生数も四桁に届いたり届かなかったりという規模で、いわゆる大手の解説チャンネルとは比べるべくもない。だが、話題の端々に出てくる言い回しやネタの選択はシラベにとって不快なものではなかった。

 

 むしろ、どこか親近感がある。カードゲームを長年遊んできた人間が、好きなものについて好きなように喋っている。その温度感が、シラベ自身のそれと近い位置にある気がした。

 

 もしかしたら同年代かもな、とシラベは思った。根拠はない。合成音声の向こうにいる人間の年齢も性別も分からない。ただ、カードゲームに対する距離感と、話題の引き出しの古さと新しさのバランスが、自分と同じ時代の空気を吸ってきた人間のものに感じられた。

 

 背中のミトラは、いつの間にか静かになっていた。

 

 寝たか、とシラベは一瞬思ったが、首に回された腕の力は抜けていない。ただ黙って、シラベの背中越しにスマホの音声を聞いている。

 

 シラベはポップのイラストに最後の色を入れ、マーカーのキャップを閉めた。出来栄えは相変わらずだが、まあいい。ないよりマシだ。

 

 次のポップの厚紙を引き寄せる。背中の店長は動かない。スマホからは合成音声の解説が穏やかに続いている。

 

 客のいない昼下がりは、こうして緩やかに過ぎていった。

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